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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

 シネマ・グラフィティ・ノート 1999年 その10   

172 「パッション・フィッシュ」
ジョン・セイルズ監督。メアリー・マクドネル。アルフレ・ウッダード。デヴィッド・ストラーザン。アンジェラ・バセット。
 <立ち直る女>の物語である。1人は交通事故で両足麻痺となった女優。もう1人は麻薬中毒の烙印を押された看護婦。
 彼女たちは都会を追われルイジアナの沼地のほとりに暮らす。 お互いに反目しあいながらもリハビリをする2人。そこにはフランス系の川の民(ケージャン)の末裔が住んでいた。彼は魚の腹の中の小魚を握って願いをかければ「愛する人に会える」という。心を通わせ合った2人は支え合って再生の道を歩もうとする。
 じっくりと熟成された作品だ。物語は焦らず、観客に媚びない。傷を持つ2人が反目しつつも次第にかけがえのない存在として認め合うまでをそれぞれのバックグラウンドを丁寧に描きながら納得させる。
 もちろん、ルイジアナの地に2人がとどまらない選択(結末)もあり得るだろう。だが、そうしない必然性を感じさせる作品であった。

173 「プリティ・ブライド」
ゲーリー・マーシャル監督。ジュリア・ロバーツ。リチャード・ギア。ジョーン・キューザック。
 結婚式から逃亡癖のある金物屋の娘。それを「悪女」としてコラムに書いてしまった記者との恋物語。それなりによくできています。
 でも、こんな映画は女性も感心してみるのでしょうか。なんか恥ずかしくならないか? って聞きたくなります。こんなことでいいのかなあ。1人で見るのは恥ずかしく、早く忘れたい映画です。

174 「ヴァンドーム広場」
ニコール・ガルシア監督。カトリーヌ・ドヌーヴ。エマニュエル・セニエ。ジャック・ドュトロン。ジャン=ピエール・バクリ。
 元宝石ディーラのマリアンヌがたどる運命との対決。舞台は世界最高峰の宝飾店が並ぶパリのヴァンドーム広場。主演はかのカトリーヌ・ドヌーヴ。当然ながら、圧倒的な存在感です。きれいだったころとは違う見事な演技です。
 実はこれは教養映画でもあるな。ダイヤモンドってのは値段がない。そのかわり、人間さまの欲望ががっちりこびりついている。マフィア、ユダヤ系ダイヤモンド産業が一糸漏らさぬシンジケートを築きあげている。それに背いたものは死を選ぶしかないちうように。島国の日本人にはあずかり知らぬ世界である。
 そこにカトリーヌ・ドヌーヴは切り込んでいくわけではないが、さりげなく闇を映し出してみせる。美しいものの裏にある怖さを知る。

175 「プレイバック」
ジェラール・クラウジック監督。ヴィルジニー・ルドワイヤン。マイディ・ロス。マルク・デュレ。サイード・ダグマウイ。マリー・ラフォレ。
 女同士の友情音楽映画です。見ていて気持ちが良くなります。ジャンヌ役のマイディ・ロスという女性フォークシンガーが本当にきれいな声で素敵な歌を聴かせます。ジョアンナ役のヴィルジニー・ルドワイヤンのほうは惜しげもなく体を張って演技します。
 内向的で才能豊かな女の子と、奔放でいけいけの女の子が協力して1つの夢を、追い求め、葛藤するさまが自然に描かれています。
 才能を分かち合うと「吹き替え」ってのが愉快です。登場人物がみんないい人なのも特徴です。監督はきっと心優しい人なのでしょうね。
 ちょっと素敵だと思ったのは、靴のプレゼントですね。あのコレクションっていいなと思いました。

176 「スウイーニー・トッド」
ジョン・シュレシンジャー監督。ベン・キングスレー。ジョアンナ・ラムリー。キャンベル・スコット。
 18世紀のイギリスに本当にあった怖い話だとか。床屋さんはお金のために残忍な殺しも厭わない人。そして、殺された人はとなりのラベットというパイ屋さんが人肉パイにして売ってしまうのだとか。
 これってのは産業革命で拝金主義となっていくイギリス社会の精神的頽廃を風刺するおとぎ話なのかもしれません。映画は古典ものふうで、ちょっと文芸映画というか時代考証をしっかりやっている感じです。あたしは、しばらく1人で床屋さんに行くのが怖くなりました。ちょっとだけですが。そんなホラーです。

177 「Hole」
ツァイ・ミンリャン監督。ヤン・クイメイ。リー・カンション。ミャオ・ティエン。
 2000年まであと7日の台湾。近未来の街には豪雨が降り続いている。しかも「世紀末ウイルス病」が蔓延し、人間をゴキブリのようにする。
 アパートの上の階には食料品店を開いている青年。下の階には若い女が住んでいる。全く行き来のない2人だったが、アパートの真ん中に上下をつなぐ穴が開いたことから、しずかなコミュニケーションが始まった。
 「河」の監督は今回、ミュージカルに挑戦。グレース・チャンの歌声が響き、これに合わせた踊りが女の心を表現する。
 物語は一昔前のアングラ劇だ。無視する男と女の出会いと愛を1つの通底機としての<洞>を巧みに使って表現する。パンツとインナー姿の男と女が繰り返し出てくる。なんか目のやり場に困る趣味だ。
 テーマがはっきりしているだけに、後は演出だ。ミュージカルはよかったが、お話は少し飽きる。舞台なら1時間で十分表現できる内容に物足りなさを感じた。

178 「カラオケ」
佐野史郎監督。段田安則。黒田福美。美保純。野口五郎。柴田理恵。野際陽子。
 「コキーユ」でもそうだった。全共闘世代はロマンチストだ。だから、もっともよく闘った。今は苦い現実をやり過ごしているが。「闘争」だの「革命」だのの文字を並べた手紙を今思い出すと気恥ずかしい。
 だから、歌おう。カルメンマキ「戦争は知らない」。そして、「人形の家」「哀愁の湖」「恋のフーガ」「ブルーライトヨコハマ」etc.
 佐野史郎演ずるドロップアウト男が売れっ子グラビアクイーンと結婚したことから、酒の肴にするべく始まった同窓会。昔の幼い恋心はやはりスティグマとなって残っていて。感情がたかぶってしまうのはやむを得ない。40男が20も年下の娘を嫁にするのは犯罪だ、と女も男も叫ぶ。わかる。わしもそう思うが、うらやましい。少年の日の別れのプレゼントが寺山修司だったとは、泣かせるねえ。
 佐野の初監督作品だそうだが、どうも若い世代と中年世代の恋の二重唱ががっちり描き切れていない。いいテーマで期待したが、「コキーユ」のほうが沁みるものがあった。

179 「シックス・センス」
M.ナイト・シャラマン監督。ブルース・ウィリス。ヘイリー・ジョエル・オズメント。トニー・コレット。オリヴィア・ウィリアムズ。
 これは結末というか物語の秘密を他人に話してはダメだそうだ。そうだろうな。
 こりゃ、ネタバレでは面白くない。いやあ、実は最初からおかしいとは思ったのだよ。でも、やられたなあ。死者が見えるという第六感の働く少年と精神科医のふれあい。物語が見事な入れ子構造になっている。
 テーマは心の救済だ。「死者は救いを求め話したがっている」。それを聞いてやること。心がさまよっている時代を巧みに表現した力作といえる。

180 「梟の城」
篠田正浩監督。中井貴一。鶴田真由。葉月里緒菜。上川隆也。根津甚八。中尾彬。火野正平。司馬遼太郎原作。
 織田信長に一族を殺され、生き延びていた伊賀忍者の葛籠重蔵の元に指令が届く。「豊臣秀吉を暗殺せよ」と。重蔵は 隠れていた仲間と京へと上る。ひそかに準備を進めていた伊賀者の前にたちはだかったのは、親友の忍者だった。彼は今は秀吉の重臣の元につかえ、取り締まりの前線に立っていた。さらに、甲賀忍者も独自に奉行の飼い犬となり、残忍な弾圧を繰り返していた。
 うーむ。重厚なドラマです。権力と友情をめぐり、果てしない葛藤が続きます。しかし、SFXを駆使したそうだが、全く盛り上がりがない。これほど、思わせぶりな作品もないのではなかろうか。
 テーマは「私って何?」です。登場人物がみんな自分とは何だと迷っているのです。重蔵も秀吉までも。結局、重蔵は自分探しのために、やはりアイデンティティーのない九の一忍者(鶴田真由)と山中に籠もったところでおわります。
 カタルシスのないが作品に私は困惑するだけでした。

181 「ディープエンド・オブ・オーシャン」
ウール・グロスバード監督。ミシェル・ファイファー。トリート・ウィリアムズ。ジョナサン・ジャクソン。ジョン・カペロス。
 家族の中の1人が突然消えたら。そして、その1人が9年後に戻ってきたら。失われた家族の絆は回復できるのか。
 さまざまな後悔とその反動、さらには新たな喪失感も絡み合って物語は進行する。揺れる家族の物語は最終的には、少年が家族に戻ってくることでハッピーエンドとなる。だが、この家族の回復劇はどうも説得力に欠ける。
 いったんは家を出たガキが幼い頃の思い出ひとつでまた戻ってくるか?もっと確執を描かなければ軽すぎるだろうと思うのだが。

182 「肉屋」
アウレディオ・グリマルディ監督。アルバ・ビアレッティ。ミキ・マノロヴィック。アレッサンドラ・コスタンゾ。
 アリーナはベジタリアン。美術館で仕事をしているが、ある時、全身衰弱で倒れてしまう。医者が言うことには、あなたの食生活がいかん。動物性タンパク質を摂りなさい、つまりはもっと肉を! というわけだ。そこで、食事療法のため、肉を買いに肉屋に通い始めたら、そこにはワイルドなマスターがいて。
 あたし、すっかり参ってしまったんです。それで、なんかあの目つき、腰遣いにそそられて・・ああ。
 参ったのはこちらです。官能映画です。それにしても、ベジタリアンとはとても見えない豊満なボディ。目でエッチOKなんて、なるんでしょうか。
 まったくでたらめな設定ですが。主演のアルバ・ビアレッティさんが惜しげもなく肢体を見せまくっているので許しましょう。なんかなあ。

183 「フー・アム・アイ」
ジャッキー・チェン監督・主演。山本未来。ミシェル・フェレ。
 南アメリカに落ちた隕石がとてつもないエネルギーを秘めていた。その技術を闇の組織が狙い、科学者を含めて奪ってしまった。任務にあたった特殊工作員はみな記憶を消されて命も消されてしまっていた。しかし、ただ1人生き残ったのがジャッキーだった。彼は「自分は誰」と叫びながら、謀略との戦いを始める。
 いやあ、楽しめる。ジャッキー見直した。これだけサービス精神旺盛だと、文句は言えない。見せ場いっぱい。いやあ、登場人物がチャチだとか、インチキ臭いとか、言うのは問題外だ。本当にいい。香港発世界映画のエネルギーを感じた。

184 「アナライズ・ミー」
ハロルド・レイミス監督。ロバート・デ・ニーロ。ビリー・クリスタル。リサ・クードロウ。チャズ・パルミンテリ。
 ニューヨーク・マフィアのボスは親分衆が全員集合する会議を前に神経ピリピリ。おねえちゃんとはうまくできなくなるし、悪い夢は見るし。そこで、子分に頼んで精神分析医を頼む。この分析医は「名医」と見込まれたが、実は父親コンプレックスに冒されている。 
 かくして、コンプレックスの塊同士が本音トークを繰り返す。そこで生まれる奇妙な友情。「ホモだと言ったら怒るぞ」といいながら、結局いい仲に。
 こりゃ、いい。とにかく、デ・ニーロとクリスタルが漫才やって、芸を見せまくるのだから。文句なく、楽しい。

185 「将軍の娘 エリザベス・キャンベル」
サイモン・ウエスト監督。ジョン・トラボルタ。マデリーン・ストウ。ジェームズ・クロムウェル。ティモシー・ハットン。
 士官学校で起こった忌まわしいレイプ事件。それが基地でも起きた。被害者は退役直前の将軍の娘。
 それを調査するためにトラボルタが乗り出した。いやあ。これは人間の尊厳と弱さを追求する精神的なドラマなのだろうなあ。しかし、なんとも物足りない。
 人間の醜さを追求するにしては描き切れていない。エンターティンメントにもなっていない。欲求不満の残る作品だった。

186 「トーマス・クラウウン・アフェアー」
ジョン・マクティアナン監督。ピアース・ブロスナン。レネ・ルッソ。
 おや、ピアース・ブロスナンは投資会社のオーナーだ。羽振りはよさそうだが、裏ではいろいろと大変みたい。でも、心の慰めは絵画。ちょっと、こだわっている。そこに現れたのが保険会社に雇われた賞金稼ぎの女調査員。名画泥棒をめぐる犯人と心探しのゲームが始まる。
 ぜいたくな映画です。でも心がないんだなあ。男はイイカッコシで、本当の悩みが見えてこないし。女はセクシーです。でも、どうして警察以上に捜査をリードしちゃうんだ?ゴージャスってやつですか。でもおいしくありません。

187 「黒い家」
森田芳光監督。内野聖陽。大竹しのぶ。西村雅彦。田中美里。石橋蓮司。小林薫。
 北陸の保険会社の支社に勤めている若槻。ある日、彼のもとに自殺しても保険金がおりるのか、との一本の電話がかかってくる。これが不幸の始まりだった。
 保険金詐欺らしい夫婦がつきまといだした。相次ぐ不審な死。そして危機は彼の周辺に迫る。
 サイキック・ホラーなのだろう。だけど正直つまらない。「この人間には心がない」なんて、正論なのか反語なのか。
 大竹しのぶは頑張っている。最後のおっぱいなめろ、シーンは笑える。でも本人はあれほどじゃないから残念。髪の毛のある西村雅彦は怖い。

188 「グレイスランド」
デヴィッド・ウィンクラー監督。ハーヴェイ・カイテル。ジョナサン・シャーチ。ブリジッド・フォンダ。
 交通事故で妻を死なせたことを悔やんでいる青年の前に1人の男が現れる。名前はエルヴィス。そう、エルヴィス・プレスリーである。彼は20年前に死んだのではなく、身を隠したのだという。そして、グレイスランドまで車で送ってくれという。そこは青年にとても心にひっかかっていた土地でもあった。かくして2人の「癒しの旅」が始まる。
 ここでのメッセージは「人生はやり直しができるぜ」ってやつだ。心の傷は誰でもが持っている。それに対して過去を悲劇的に見るのではなく、希望を持って未来を見ろ、って。エルヴィスは言う。
 グレイスランドは悩める人々をいつも見守っている。アメリカにおけるエルヴィス神話ってのは凄いのだなあ、と思わされる。それ以上にスティグマを持った人間が立ち直っていく姿が本当にやさしく描かれていて感心した。誰もが導き手を待っている時代というのは少し怖いが。

189 「娼婦ベロニカ」
マーシャル・ハースコビッツ監督。キャサリーン・マコーマック。ルーファス・シーウェル。オリバー・プラット。ジャクリーン・ビセット。
 16世紀のベネチア。ここでは富と堕落があふれていたとさ。女たちは愛のない結婚をし、閉じこめられる。しかし、その枠を超えるためには高級娼婦になるのがいい。彼女は男たちと一緒に教養を磨き、自由に愛を生きられる。(幻想だけど)
 ベロニカはそうした女性の一人だ。彼女は煮え切らない恋人のマルコを捨て母に従い娼婦の道に入る。そして、フランス国王と一夜をともにし、トルコからベネチアを救う。
 天賦の才に恵まれた詩人でもあるが、ペスト流行の中で宗教裁判にかけられる。女が結婚して男の所有物になるか、男と金銭的交換を通じて娼婦になるのか、どちらが自由かは私にはわからない。でも、こうした一種の否定的媒介としての実践を通じて女の感性を解放していく。そのことは否定できない。
 映画は時代劇らしくらしく重厚。ベネチアも「鳩の翼」以上に美しい。個人的にはオリバー・プラットがいいな。ダメな詩人で最後は狂信的な宗教(カトリックのことだけど)にはまる。わしは心情的にはそういう気持ちもよくわかるのだな。

190 「皆月」
 望月六郎監督。奥田瑛二。北村一輝。吉本多香美。荻野目慶子。
 花村萬月の原作を荒井晴彦が脚本化。
 「みんな月でした。がまんの限界です。さようなら」
 置き手紙を残して妻が出奔した。家庭のために会社人間になってきた男は途方に暮れる。そこで妻の弟でヤクザのにいちゃんが男の面倒を見る羽目に。つれていかれたソープでは輝いている娘に惚れられてしまう。トラブルが重なる中で、妻探しが大詰めを迎える。
 ダメ男の物語は「身も心も」の全共闘くずれで、奥田がやはり演じていた。「月」のように自分で輝けない人間たちに輝きの時は来るのか。再生の物語を監督は丁寧に描いていく。
 ヤクザ役の北村一輝がいい。松村雄基ふうの顔で「がまんの限界」に達した男をずばり演じきる。うれしいのは山崎ハコが主題歌を歌っていることだ。
 「早く抱いて」。
 いいよ。オレは「飛びます」ってハコが言ってくれそうな幻想を見た。山崎ハコの健在を知れたことがうれしい。墜ちていく人間のカタルシスみたいなものと、
 生き直そうとする志のようなものが重層的に伝わってくる。
 
191 「君のいた永遠」
シルヴィア・チャン監督。金城武。ジジ・リョン。カレン・モク。
 ホークァンとシューヤウ、そしてチャンリーという男と2人の女の物語。シューヤウが今は映画監督になって自分の青春を振り返る設定だ。
 でも結局、彼女ひとりがおいしいとこを独り占め。そりゃないぜ。ついでながら、これは金城武ファンのための映画だな。いやあ、ワシは全く好みじゃないが、どうなんだろう。
 もっと短くまとめたほうがよかっただろうな。

192 「Naile ナイル」
和泉聖治監督。渡瀬恒彦。夏木陽子。津川雅彦。哀川翔。ラニア・S・ユーセフ。片桐竜次。
 原作はあの吉村作治・早稲田大学教授。もちろん本人も出演している。
 国際通信社のカイロ特派員・見城。彼は愛妻をアフガンで亡くし、失意のうちに日本に帰国するところだった。カイロには現地で発掘調査をしている東都大学の友人がいた。彼と最後の別れをする時「世界的な発見をするから」との言葉を聞かされた。日本に戻ってまもなく、博士は誘拐され殺され、その孫まで誘拐される事件が起きた。再び、見城はエジプトに戻り、謎のシンジケートと対決することになる。
 あらすじを書いたが、とてもじゃないが、お話がまとまりなくて困った。これはサスペンスなのか観光案内なのか。

193 「ウィズアウト・ユー」
フィル・ジョアノー監督。スティーブン・ドーフ。ジュディッド・ゴドレーシュ。
 さえないビデオ監督がモデルにひとめぼれ。結婚をめぐる2つの恋が進行する心の映画。だが、アルコールびたりのすぐキレる主人公に感情移入が全くできず。
 U2なるバンドファンはちょっと楽しめたかもしれないが。かわいかったのはたばこを吸う説教猫くらいだなあ。

194 「セレブレーション」
トーマス・ヴィンターベア監督。ヘニング・モリツェン。トマス・ボー・ラーセン。ビアテ・ノイマン。
 「純潔の誓い」を掲げたドグマ95というグループの第1作とか。彼らは「撮影はロケーションで」「カメラは手持ち」「人工的な照明はダメ」だの10の制約を自らに課しているのだそうな。その制約が足かせになりそうなものだが、本作は逆にその縛りが作品に緊迫感を与えた。
 クリスチャンは父親の還暦の祝いのために戻ってきた。だが、そこは晴れの場ではなく双子の妹と自分の屈辱を晴らす場であった。差別的な一族郎党の中で、彼の懸命の訴えが始まる。
 粒子の粗い食卓のシーンが印象的だ。家族の歴史とは多かれ少なかれ屈辱と裏腹だ。
 手持ちカメラが参加者の表情を生き生きと伝える。構成もテーマもすっきりしている。静かな感動が広がる作品である。

195 「マーサ・ミーツ・ボーイズ」
ニック・ハム監督。モニカ・ポッター。ジョセフ・ファインズ。ルーファス・シーウェル。トム・ホランダー。
 ミネアポリスに住むマーサが99ドルの片道切符でロンドンへ旅立った。その途中で、ダニエル、フランク、ローレンスという3人の男たちに会う。彼らはみんなマーサに惚れてしまう。だが、3人は親友だった。
 友情を取るか、恋を取るか。そりゃあ、友情を取るべきでしょう。若いなあ。
 でもここの33歳の男たちは恋に走ってしまう。
 「恋に落ちたシェークスピア」のジョセフ・ファインズはいい。でも一番は正体不明の精神分析医のレイ・ウィンストンが味あります。モニカ・ポッターは「パッチ・アダムス」に出ていたが、私にはオーラが今ひとつでした。

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