本文へスキップ

北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

電話でのお問い合わせはTEL.

シネマミーハーらくがき帳 1999~2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

 シネマ・グラフィティ・ノート 1999年 その2  

21 「MIMI」
ルシール・アザリロヴィック監督。サンドラ・サマルティーノ。デニス・スクロプファー。ミシェル・トリロ。
 大人達の森で迷った現代の赤(黄)ずきんちゃんの物語。
 母親は薬を飲んで自殺未遂。おばさんにひきとられたものの、おばさんは若いおじさんとセックスに夢中。狭い部屋。自閉的になるミミ。おじさんは変態気味。向かいの少年には興味あるが、つきあいは禁じられる。行き詰まったミミは薬を飲み母のまねをしてしまう。パリという町のそれだけの物語。
 新聞やテレビは事件を報道し、現実は言いしれぬ孤独があるだけ。52分の映画はところどころ印象的な場面はあるが、全体に食い足りない。ミミはもっと抵抗すべきだし、大人は厄介者扱いせずもっと現実を教えるべきだ。社会の問題ではなく、家庭の問題だろうという領域。
 現実追随ではなく、もっとラジカルに問われていることを訴えるべきではないか。

22 「花のお江戸の釣りバカ日誌」
栗山富夫監督。西田敏行。黒木瞳。三国連太郎。谷啓。市川団十郎。酒井法子。細川ふみえ。
 おなじみの「釣りバカ日誌」の時代劇バージョン。
 江戸時代の世相を盛り込み、それなりの笑わせぶりは相変わらずなれど。結局は、山田洋次・朝間義隆のほのぼのなまとめかたが今ひとつむなしい。やっぱり物語としての飛躍というか緊張感というものがなければしょうがないでしょう。小市民的なまとめかたが結局は大衆の日常性をくすぐることはあっても、大衆の真の欲望の解放につながらないことは分かり切っている。

23 「ユー・ガット・メール」
ノーラ・エフロン監督・脚本。トム・ハンクス。メグ・ライアン。パーカー・ポージー。ジーン・ステイプルトン。
 メール・フレンドは商売敵だった。でも結局は恋しちゃうという物語。バーチャルがリアルに勝つというのが現代の関係論の基本である。
 メグは相変わらずキュート。なにをやっても知的な可愛さがある。トム・ハンクスがいささか小ずるいFOXで、ちょっとなあ、とこの恋愛には疑問があるが、メグ・ライアンが魅力的なので許す。
 でも、こんな<FORGIVE>なんて言葉を使うと、メグには嫌われますが。小資本対大資本。ハートとビジネスとか。まあどうでもいいや。これは純粋にそういう問題を追究しているのじゃなく、高級な地区でのコップの中の嵐。まあ、行きがけの駄賃という程度の設定だから。
 それにしてもメグのパソコンはマック、トムはIBM。インターネットのプロバイダはAOL。米帝丸出しだなあ。特にAOLが企業をあげて宣伝している感じが、なんというかいかがなものか。
 この一種ハッピーエンドはよくない。メグはやはり<FIGHT>を続けて欲しかった。
 ひねりがないので、男と安売り屋とAOLがおいしい思いをするだけになってしまった。

24 「ワン・ナイト・スタンド」
マイク・フィギス監督。ナスターシャ・キンスキー。ウェズリー・スナイプス。カイル・マクラクラン。ミンナ・ウェン。ロバート・ダウニーJr。
 HIVのポジティブの親友を見舞った男が、NYで偶然にも美しい人妻に出会う。トラブルや事件に巻き込まれているうちに、結局、一夜の恋に落ちてしまう。
 セックス好きな東洋人の妻、保守的なゲイの親友の兄、金のことしか考えないCM会社のボス。そんな人々との満たされない生活の果て、死の床の親友を見舞い、人妻に再会。恋は再び燃え上がる。
 死と性と生。そこが結構、鮮明なテーマとして描かれている。
 ナスターシャ・キンスキーは妖気にも色香が漂っていてイケマセン。
 物語としては、うまく運んでいるようですが、最後のオチはどうかなあ。そんなに世の中、うまくいかんと思うのだが。ゲイの親友がいいな。
 「LIFE IS SHORT」
 「LIFE IS ORANGE」
 この2つで人生をポジティヴに表現してしまうんだものなあ。恋愛に落ちていく2人に文句はないけれど、なんだか予定調和的にレンアイに落下していくのがヘンだ。もっと言葉があっていいはずなのに。肝心なことを何も言わずにLOVEしている。もっと知的な世界が背後にあるはずななのに、なあ。そこが描かれていないのが不満だった。

25 「ワイルド・シングス」
ジョン・マクノートン監督。ネヴ・キャンベル。デニス・リチャーズ。マット・デイロン。ビル・マーレイ。ケヴィン・ベーコン。
 2人の女子高生にレイプされたカウンセリング教師。この男の運命をめぐるどんでん返しの物語。まあ、出てくる人間みんな悪い人のようです。ビル・マーレイ。今回は「知らなすぎた男」の逆を行っているようです。エンドクレジットでネタあかしってのは面白いやり方か。
 男は悪いが、女は怖い。これが結論だなあ。デニス・リチャーズがなかなか色っぽくて、いいですね。いいとか悪いとか評価しても仕方ない。娯楽映画ってやつです。

26 「チェイシング・エイミー」
ケヴィン・スミス監督。ベン・アフレック。ジョーイ・ローレン・アダムズ。
 女の子はレズビアンで、実は乱交経験も豊富なセックス・クイーン。男は藤子不二雄のようなコンビの片割れの不器用なダメ男。その二人が恋に落ちたらどうなるか。男のエゴがいやほど出て参ります。
 いやあ、男はダメだなあ。女に対しては勝手で。がきっぽくて。冒頭と最後でコミケ・シーンが出てきます。これはオタクの世界ですな。
 アリッサ役のジョーイ・ローレン・アダムズが結構いいんだなあ。美人じゃないが、チャーミングなんだ。映画は役者かな。やっぱり。せりふもカッコいい。自分は後悔なんかしていない。今を生きているってね。
 「グッド・ウィル・ハンティング 旅立ち」のメンバーの作品だそうだが、アメリカ映画にしてはなかなかインテリジェンスのある会話がいっぱい。それにしてもゲイの時代なのかな。

27 「必殺 三味線屋・勇次」
石原興監督。中条きよし。天海祐希。阿部寛。中尾彬。石橋蓮司。名取裕子。藤田まこと。野村沙知代。
 ご存知・必殺シリーズ。主水のあとがまに登場したのが中条きよしの三味線屋。でもスケールちぃちゃい。やたら男の色気だして気持ち悪いぜ。中村主水は殺しのプロフェッショナルという顔と、だめサラリーマンという顔と、姑と嫁に全く頭の上がらないだめ亭主という3つの顔が相互に異化効果を出していて、そこが面白かった。ところが今回は三味線屋がなんとも生活感のない人なのだ。殺しの技も三味線一本じゃなんとも冴えません。
 物語は江戸時代のバイアグラならぬ回春丸をめぐるドタバタ劇。役人と療養所と悪徳商人に対して仕事人が先走って殺され、思いを寄せる娘も死ぬ。そこで、三味線屋と引退したはずの主水ならぬ伝兵衛こと藤田まことらが悪を退治するというもの。やはり主水でなきゃダメなんじゃないか。
 でも初日の今日はじいさんばあさん連が結構入っていたなあ。

28 「ランナウェイ」
ブレット・ラトナー監督。クリス・タッカー。チャーリー・シーン。ポール・ソルヴィノ。ヘザー・ロッフリア。マイケル・ウィンコット。
 「ラッシュアワー」でもジャッキー・チェンとにぎやかなコンビを組んだクリス・タッカー。今回はチャーリー・シーンと。相変わらずうるさい。とにかくある瞬間に騒音恐怖症になるくらいキンキンとした声が響く。このタッカー。あのフィフス・エレメントのにぎやかしだったとは知らなかった。エディ・マーフィーほどじゃないが、結構楽しいキャラだ。
 物語はダフ屋と突撃リポーターコンビが密輸のギャングのボスとにぎやかなアクションを繰り広げるというもの。とにかくタッカーのうるささが目に余る。それが魅力の不思議な娯楽作。

29 「レ・ミゼラブル」
ビレ・アウグスト監督。ローアム・ニーソン。ジェフリー・ラッシュ。ウマ・サーマン。
 ヴィクトル・ユゴーの名作を映像化した。大作なんだろうとは思うが、なんか中途半端かなあ。慈愛に生きる男と法に忠実な男の対決にテーマが絞られるのだが、「なんでこんなにこだわるの」と途中で呆れてしまう。「愛」なんだろうなあ、人生の柱は。
 ところでフランスの革命派学生がなんとも単純な色男になってしまったのは残念だな、

30 「残侠」
関本郁夫監督。高嶋政宏。天海祐希。中条きよし。古谷一行。中井貴一。ビートたけし。松方弘樹。
 久しぶりに東映・任侠映画。制作はご存じ・俊藤浩滋。藤純子さんの父君である。これは見なくてはいけません。「昭和残侠伝」の高倉健さんの花田秀次郎さんよかったですからね。
 さて、今回は? 高嶋君にちょっと期待しました。でも無理でしたね。演技に色気がない。その子分が太り過ぎの中野英雄じゃ、殴り込みもしまらない。やはり、役不足というものでしょうか。中井貴一君。良かったです。ストイックないい味が出ている。ビートたけし。狂気が見事。天才だな。天海祐希と中条きよし。あれ、これは「必殺」コンビでは。任侠界では格下か。 男っぽい役をやるとさすがに決まっている。天海さんもうちょっとの辛抱で花開くよ。松方弘樹。ちょっとむくんでいるな。片岡千恵蔵あたりの役ですが、まだ貫禄不足ね。高橋かおり。やくざのお内儀さんにしては手伝いの娘っぽくて軽い。本田博太郎。この人も「必殺」に出てたな。たけしといい感じで狂ってました。志賀勝。朝鮮人の悪役。演技過剰だなあ。ここは抑えないと。失敗。
 ならずものの美学。ああ、いわゆる愛国心ってやつね。これは随所に出ています。民間暴力と権力の対立と癒着、国際主義と民族主義のねじれ。やくざ映画はなかなか重たいテーマをいつも見せてくれます。
 やはり、もう少し数を作らないといい任侠映画はできない。
 藤純子。じゃなかった。富司純子さんが出ていないのも健さんがいないのも寂しいな。東映はこの日も空いてました。でも場内で堂々とたばこを吸っている客もいて、さすが無頼の気分が見る側にもありました。

31 「生きたい」
新藤兼人監督。三国連太郎。大竹しのぶ。吉田日出子。柄本明。塩野谷正幸。宮崎淑子。津川雅彦。
 姥捨て伝説と現代の老人問題を二重写しに捉える意欲作。
 70歳の安吉はすぐおもらしする。娘の徳子は躁鬱症で人生に負けている。母親は老人ホームに入れたことで、死にそれがトラウマになっている。弟も妹もてんでばらばら自己本位に生きている。
 家庭崩壊と老人社会。姥捨て伝説のオコマの物語が現代の老人棄民社会に重なりあう。映画はその2つの物語を違和感なくつないでいく。生と性。人間の根本にある本能と尊厳を静かに問う。
 大竹しのぶの病的演技と吉田日出子のおばばが対照的な好演。正直言うと現代の物語は三国の演技を含めて凡庸に尽きる。それに比して昔話のほうがずーっとエロチックで感動的である。とすれば「生かしたい」ものは伝説の世界にある。

32 「共犯者」
きうちかずひろ監督。竹中直人。小泉今日子。内田裕也。
 日系ブラジリアン・マフィアのカルロス平田。偶然あった暴力亭主に苦しむ女・聡美。カルロスが狙っていた元幹部の梶は廃人同然で、組との抗争で1億円を残して死んでしまう。それをめぐって組とカルロスの壮絶な闘いが始まる。助っ人にはギリヤーク兄弟が加わる。一方、聡美も夫に銃を放ち「闘い」へと立ち上がる。だが、双方には死だけが待っているだけだった。
 竹中直人は例によって達者な演技力を見せる。小泉今日子は元アイドルをネタにしてしまうほどゾクッとするほど銃の似合う闘う女に変身する。靴をそろえて脱ぎ、裸足で<戦場>に向かう。このシーン結構ゾクッときます。内田裕也の怪しげな殺し屋ぶりもいい。じとっとしないクールな闘いのエクスタシー。これはなかなかできないことだ。竹中とキョンキョンが夜の道を車で飛ばすシーン。しびれるぜ。美しい<共犯幻想>の世界が心地よい。

33 「ウェディング・シンガー」
フランク・コラチ監督。ドリュー・バリモア。アダム・サンドラー。
 結婚を控えた男と女がそれぞれに裏切られて<運命>と結ばれるというよくあるお話。
 ドリュー・バリモアというふっくら型の女の子好きですか。ETに出てた、スキャンダル娘とか。なんかいいけれど、それほどでもない。隣のおねえちゃん的な感じがうけるのかなあ。
 ハッピーエンドも予想された通りで、歌いっぱいで楽しめる。ハッピーならいいじゃん、って人にはいいけれど、僕には物足りませんでした。

34 「鳩の翼」
イアン・ソフトリー監督。ヘレナ・ボナム・カーター。ライナス・ローチ。アリソン・エリオット。
 イギリスの文豪ヘンリー・ジェイムズの原作を映画化したのだそうな。英国では鳩とは「無垢」を意味しているのだそうで、無垢なまま飛翔したヒロインを象徴しているのだとか。なるほどな。
 物語は伯母に面倒をみてもらっているケイトと貧しい新聞記者マートン。そして不治の病に冒された富豪の美女ミリー。この3人をめぐる愛と欲望の、ピュアな心と打算の、計算が少し狂った物語。
 1910年のロンドンとヴェニス。重厚な画面とカメラのアングルがなかなかによい。さていつもながら英国ってのは階級の重苦しさがあって滅入るぜ。物語も結局、この階級制度の中でのあがきのようなものが根柢にある。ケイトはわかりやすい性格だが、同情できないのだ。マートンの主体性のなさも今ひとつ。
 最後の予定された結論を裏切る結末は、新たな状況への旅立ちであるのか。オレには疑問が残った。

35 「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」
金子修介監督。中山忍。前田愛。藤谷文子。山咲千里。本田博太郎。清川虹子。津川雅彦。
 「わたしは、ガメラを許さない」という綾奈という娘。彼女がガメラによって両親を失ったと思い込み奈良山中の祠で謎の生物を育てる。
 それが<イオス>だった。ギャオスの進化した形である<イオス>と少女が融合すればガメラを倒せるはず。しかし、ガメラは地球のいのちだから負けない。
 それにしても特撮は最高にいい水準だ。なんか見ていて迫力ある。
 でも物語が宙ぶらりんだ。土俗にもいかないし、単純な怪獣大対決にも、先端的なイメージにも。これではなんとも消化不良だ。最後にガメラはギャオスの大群にひとりで向かう。
 かっこいい終わり方と言いたいが物足りない。

36 「沈黙の陰謀」
ディーン・セムラー監督。スティーブン・セガール。L.Q.ジョーンズ。カミーラ・ベル。ゲラード・サーテン。
 原題は「愛国者」かあ。
 いつもながらスティーブン・セガールは自然保護者であり、ネイティブ・アメリカンの味方である。テロリストと細菌兵器。これがネオナチというか狂信的な武装愛国者グループによって使われてしまう。ウィルスに冒された街。しかし、解毒剤はない。そこで免疫学者の大家にして、今は田舎暮らしのセガールが娘とともに立ち上がる。
 セガールは相変わらず強いが、今回は思ったより活劇部分は少ない。最先端の科学が無力をさらすとき、光出すのは自然の薬草というわけ。最後の花がヘリコプターから街中に撒かれる場面が印象的。
 だけど、セガールはいい人なのか? こいつが一番悪いんじゃないか?諸悪の根源じゃ? なんて言うのは意地悪かな。

37 「バジル」
ラダ・バラドワジ監督。クリスチャン・スレイター。ジャレッド・レト。クレア・フォラーニ。
 19世紀ヴィクトリア朝時代の英国を舞台にしたロマンス。愛の根源的逸脱性と憎しみと策略、癒し。それにしても英国の階級制度というのは不愉快だなあ。バジルの父親が平民と触れたときに、ハンカチで手を拭いたり。平民の娘と恋しようものなら追放しちゃうし。商人は商人で結構ずる賢いし。階級制度はぶっ壊すに限る。
 物語はこれでもかこれでもかという不幸テンコモリの昔の少女漫画のノリ。もちろん、あたしゃブラッド・ピットのお相手役のクレア・フォラーニさんを見に行きました。なんか純情なのかなんだかよく分からない。だからきれいなことは改めて分かったが、演技的な部分は??? ポスト・ディカプリオの一人という美青年のジャレッド・レトもまだ爆発するオーラなし。
 ラストもそうかいそうかい、というハッピーぶりが今ひとつでした。

38 「スネーク・アイズ」
ブライアン・デ・パルマ監督。ニコラス・ケイジ。ゲイリー・シニーズ。ジョン・ハード。カーラ・グジーノ。坂本龍一音楽。
 スタジアムに仕掛けられた罠。そこで、国防長官は暗殺される。そこに居合わせた刑事と親友の中佐。陰謀を追って犯人探しが始まるが。物語は単純。でもカメラ回しがなんともかっこいい。ノンストップの撮影や天井渡りのホテル内撮影やビデオ回しなど。とにかく緊迫感というかスリリングなものを感じさせる。情報化社会を皮肉っているのも笑える。
 個人的にはもう少し余裕があってもいいと思うのだが。一気に見終わる1時間39分ではあります。

39 「フェイス」
アントニー・バード監督。ロバート・カーライル。レイ・ウィンストン。スティーヴン・ウォディトン。フィリップ・デイヴィス。
 かつては共産主義者のグループと社会運動に没頭していた中年男。「共産主義は負けた」と転向した。今はヤク密売人のあがりをかすめたり現金強盗などをやっている。恋人母子は今もクルド人支援運動などの先頭にたち権力と激突している。彼の脳裏には社会運動に没頭していたころのことが何かにつけてフラッシュバックしてくる。相棒のギャングたちもみんないい奴というか、人生に苦労している。
 現金強奪でうまくおさまるはずの商売が金額が予測よりメチャ少ないという大誤算。そこでトラブルが発生する。「この世は金だ。公僕だって公共サービスだってみんな金次第だ」とほざくチンピラ警官。それでも渡世の義理だけは果たさなければ、笑ってお天道様が拝めません。
 その通り。主人公・レイには任侠道が生きている。やくざに身を落としても義侠心では負けません。恋人に「転向した後で、何をしているかが大事よ」と言われては答えられません。背中で泣いているだけです。
 団塊世代のルサンチマンに響く作品です。ロックよりもインターでもかけてくれれば気分が出ます。あっ、それじゃ「身も心も」ですか。ラストシーンでほっとします。

40 「アイ ウォント ユー
マイケル・ウインターボトム監督。レイチェル・ワイズ。アレッサンドロ・ニヴォラ。ルカ・ペトルシック。ラビナ・ミテフスカ。
 「ウェルカム・トゥ・サラエボ」の監督の新作。
 難民の少年ホンダが出会った若い美容師ヘレン。彼女の前には9年前に父親殺しの罪で仮出所してきたマーティンが現れた。この事件には何か謎が隠されている。ホンダ少年はへレンに惹かれながら、盗聴を続ける。そして明らかになった真実と結末の行方は。
 少年は映画の最初のモノローグ以外全くしゃべらない。もっぱら盗聴ばかりしている。少年が言葉を失ったのは、母親が自殺したことがきっかけだった。彼は言葉を失うことで自分を守り続けている。
 ここの登場人物はだれもがスティグマを背負っている。たぶんみんなが不幸な分だけ、みんなが何かを求めている。この世はきっと痛みなくしては感じられない。
 痛みを持たない人間なんてウソだ。監督はそう訴えているように見えた。

41 「微笑みをもう一度」
フォレスト・ウィティカー監督。サンドラ・ブロック。ハリー・コニック・ジュニア。ジーナ・ローランズ。メイ・ホイットマン。マイケル・パレ。
 学園の女王は花形アメラグ選手だった夫、そして娘に恵まれていた。しかし、テレビで親友が夫との不倫を告白してしまったから、さあ大変だ。みじめな気持ちのまま、故郷・テキサスの片田舎へと帰っていく。まだ若いけれど、でも昔の輝きはないと思っている専業主婦の女性がもう一度輝くことができるか。
 テーマはわかりやすく女性の関心も大きいだろう。しかし、ゴメンネ。サンドラ・ブロックさん。なぜか盛り上がらない。だって故郷に戻ってきたもう一人の人物。すなわち恋人になるジェイスンがいかん。自分を生かすためにマイペースで生きているらしいこの男。どうも魅力に乏しいのだ。もっと動物的どもいいし、知性的でもいいし、どちらかに突出しているといいのだが。なんだかまじめなような、なんともはっきりしない男なのだ。
 あたしなら、前の亭主を選びますね。この程度のレンアイごっこで女性が輝きを取り戻すことなんかないな。サンドラにはもっと明るい役をやってもらいたい。あれれ、本人の初プロデュースだそうな。人間は自分を正しく捉えられないらしい。

1999年 シネマ・グラフィティ・ノート3 へ

シネマらくがき帳 目次 へ

■トップページに戻る

 ご意見はこちらへ

サイト内の検索ができます
passed