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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

 シネマ・グラフィティ・ノート 1999年 その6  

93 「メッセージ・イン・ア・ボトル」
ルイス・マンドキ監督。ケビン・コスナー。ロビン・ライト・ペン。ポール・ニューマン。
 うーん。困った。どうして男は過去の思い出に生きてしまうのか。ケビン・コスナー。男やもめにしては生活がきれいすぎるし。変な奴。ポール・ニューマン。いいな。「わしが150歳若かったら、放っておかん」なんて。「過去を選ぶか未来を選ぶか。決めろ」なんてまるで丹下段平おやじみたいじゃん。
 でも、いい人ばっかりがケビンを祝福する映画だね。すごいナルシシズム。私はそんな予定調和的な世界が大嫌いだ。でも純愛は大好きだけど。

94 「スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス」
ジョージ・ルーカス監督。リーアム・ニーソン。ユアン・マグレガー。ナタリー・ポートマン。ジェイク・ロイド。
 お待ちかね、ルーカスのサーガの世界が蘇った。CG技術は一段と進歩した。スケールもでっかくなった。なつかしの場面やその布石めいたものもいっぱいで見どころもいっぱい。でも、初めてルークやハン・ソロ、チューバッカと出会った時の感動はなぜかない。トシを取ってしまったせいだろうか。20年以上も前のあの突き抜けるような解放感がこの映画からはない。まさにファントム=幻影の、メナス=脅威、のような重苦しさが残っているのだ。
 幼いアナキン・スカイウオーカーのジェイク・ロイドは無垢で同時に心優しい役を好演している。クィーン・アミダラ=侍女・パドメのナタリー・ポートマンは魅力的だ。
 しかし全体にフォースを感じられないのだ。この作品を最初に見ていれば印象は変わったろうが。あのハリソン・フォードの破天荒さ。それがサーガを人間的にした。
 冒険には主体的なアンガージュが必要なのだ。あのころのエナジーが懐かしく思い出される大作であった。

95 「ブラック・ドッグ」
ケビン・フォックス監督。パトリック・スウェイジ。ランディ・トラヴィス。ミートローフ。
 「黒い犬を見た」ドライバーの復活物語。話は単純です。金のためにやむなく運び屋を頼まれた男が相次ぐ妨害と陰謀をはねのけ見事に長距離運転をやってのけ同時に家族も守る。いかにもアメリカらしい。
 もちろんSFXは使っているのだろうが、18輪の大型トレーラーが迫力満点。カーアクションを見ていると、本当にこざかしさを忘れた気持ちよさがある。古いアメリカ映画を見ているようなそんな快感を覚える1時間半です。

96 「がんばっていきまっしょい」
磯村一路監督。田中麗奈。真野きりな。清水真実。葵若葉。中島朋子。白竜。森山良子。大杉漣。
 「がんばっていきまっしょい」。昨年11月に東映で見て大感動。今回は札幌の名画座・蠍座でリバイバルとなりました。700円で見られるとは、田中次郎さん偉い! 2度目も最高でした。
 今回も田中麗奈ちゃん、いいな。光っているな。そして中島朋子。これもいいな。腐っている役が見事にはまっている。青春ドラマの力みがないのがいい。
 17歳の少女たちが金色の海に向かって漕ぎ出していく姿はなんか感動的です。みんな未来が未知数で開かれているのだから。ふてくされ女の中島朋子が言いますね。
 私には高校生のころ、ボートしかなかった。なんにもないようだったけど、それがよかったって。そうだ、と思いました。
 人間ひとつことしか見えずにがむしゃらに生きている時期ってあるじゃない。それ随分、偏っているように見えて本当は凄い豊穣の時だと思うんです。僕は体育会系じゃないほうの運動家でしたが、一直線の時ってもうないと思います。若い人が一生懸命に生きているのを 淡々と描いているところに監督のやさしさがあるように感じました。みんな見てくれるといいと思います。
 田中麗奈ちゃんは女優としてこの壁を超えられるのでしょうか。とても注目しています。

97 「お受験」
滝田洋二郎監督。矢沢永吉。田中裕子。大杉漣。西村雅彦。
 この国にはびこった「お受験」なる成人男女の幼児退行化と幼児の擬似成人化現象を素材にマラソン=人生だった中年男とその家族の復活の物語である。
 主演は矢沢永吉です。若い衆に「富樫=矢沢さん、酔ってますね」って言われます。
 「まだビール一本だぜ」と答えると
 「自分自身にね」とばっさり切られる場面。ちょっと印象的でした。
 私もロマンチストですからね。この映画には男の美学の通し方が描かれています。ラストランをどうやって決めるか。
 彼は「お受験」会場をマラソンレースのゴールとして駆け込んでくるのです。逸脱者(プロ)の市民社会(アマチュア)への回帰として象徴的です。この映画はナルシシズムやロマンチシズムがいかにそのエネルギーを消尽されるかを描いているつらい作品です。松竹的な微温的・微苦笑的世界など矢沢には似合いません。
 矢沢よ、あなたは舞台を降りないで走り続けるべきだ。私はそうアジっていました。
 田中裕子? おばさんになっているのにおばさんをやるのはいけません。役を選ぶべきでした。今こそ恋多き魔性の女でなきゃあ。大杉漣。役を選ばなくてもやっぱり大杉漣。凄い人です。

98 「交渉人」
ゲイリー・グレイ監督。サミュエル・L・ジャクソン。ケヴィン・スペイシー。デイヴィッド・モース。ロン・リフキン。
 アメリカってのは強行犯には交渉人が出向いていって条件闘争もやるわけなんだ。きっとみんな黙っているのだろうが、エディー・マーフィーも同じ題名の映画をやっていたっけ。あれと比べると、こっちは完全にシリアスでげすね。
 サミュエル・L・ジャクソンは一流の交渉人なんだけど、シカゴ警察内部の腐敗を相棒に耳打ちされたのをきっかけに殺人犯の汚名を着せられ、罠にはめられるわけですね。そこで、今度は自分が人質を取って、ケヴィン・スペイシー扮するもう一人の交渉人を盾に真犯人と警察内部の腐敗を暴こうとするわけ。
 映画は心理ゲームとアクションを程良くミックスして飽きない。でも、やっぱりうまく出来過ぎている感じがしちゃうのだな。普通はSWATがあんだけ出てきたら助かりません。シリアスなだけになんか素直に喜べないのだ。怒ってもしょうがないが、ちょっと不満でした。

99 「ヴァージン・フライト」
 ポール・グリーングラス監督。ヘレナ・ボナム・カーター。ケネス・ブラナー。ジェマ・ジョーンズ。
 ジェーンは25歳の進行性の難病患者。リチャードは事件を起こし、社会奉仕の義務を課せられた冴えない中年男。そこで、2人が出会い、まあラブストーリーが始まる。
 ジェーンの願いは人並みのロスト・ヴァージン。だが、リチャードは心が病んでいるから、ちょっと。結局、ジゴロを探してロンドンまで。お金? 銀行強盗でもやればいいって。
 リチャードは飛びたい男である。しかし、いつも飛べない。失敗する。それは彼が迷う男だからである。心がいつもどこかで、満たされていない。手作りの飛行機。一人では飛べないのに、2人ならついに飛べる。わかりやすい物語である。
 でも、アメリカ映画のようなうるささやおしつけがましさがないから気持ちがいい。ヘレナ・ボナム・カーターの演技も、とっても自然でいい。人生ってどこかで飛ばなきゃならないときがある。そのとき、どんな補助線を引いたらいいのだろうか。あなたの隣には誰がいますか。そんなことを考えさせてくれる。
 ラストシーン。ジェーンの墓。超カッコイイ。なんかじわっと来ました。

100 「ゴールデンボーイ」
ブライアン・シンガー監督。ブラッド・レンフロ。イアン・マッケラン。ブルース・デイヴィソン。
 ナチスの収容所の幹部だった老人を突き止めた少年が辿るイカロス体験。人間の悪魔的な力への渇望が粘り濃く描かれている。
 老人はドイツからユダヤ人組織の戦争犯罪追及を逃れて米国市民になり暮らしている。だが、少年との出会いをきっかけに自らもナチス体験の魅力を思い出すのだ。印象的なのは老人がナチスの模擬制服を着て、行進するシーンだ。心は忘れていても体は覚えているというやつ。「ハイル・ヒットラー」までは言いませんが、迫力満点だ。
 少年が求めていたものが何なのか。彼は自ら支配者になろうとして、どこかで引き返したように見える。だが、本当はまだ「イカロス」になることを諦めていない。
 この映画はオタク文化とそれに地続きにあるカルトな世界を暗示している。

101 「ニュートン・ボーイズ」
リチャード・リンクレイター監督。マシュー・マコノヒー。イーサン・ホーク。ジュリアナ・マルグリース。
 優秀なナチス予備軍の少年の後は、盗みはすれど非道はせずという銀行強盗4人兄弟の物語を見た。なにしろ実話だそうで、
 ニュートン兄弟は1924年に300万ドルという史上最高の郵便列車強盗を成功させているのだとか。「明日に向かって撃て」と並ぶ傑作と宣伝していますが、ちょっと軽いなあ。なにしろ生きるためになんでもやる。ったって、なんか明るすぎるのだなあ。「評決のとき」のマシューですから、やはり語りすぎですし。
 エンディングロールにモデルの2人が出てくるのですが、そこが失敗だと思う。強盗の真似事をするより、本当の強盗をする方がおもしろい。この映画にはそういう感じが残る。

102 「メイド・イン・ホンコン」
フルーツ・チャン監督。サム・リー。ネイキー・イム。ウェンバース・リー。
 中国返還を控えた香港の低所得住宅街に住む若者たちの姿を描いた。
 一人の少女・サンの自殺。残された遺書を手にしたことから物語は始まる。取り立て屋の手伝いをしているチャウ。その子分のやや知的障害のロン。そして腎臓の病に苦しむ16歳の少女・ペン。3人は次第に内面を共有していく。
 壊れゆく家庭、金のない生活、あてのない未来。その閉塞感に押しつぶされそうになりながら自分に正直に懸命に生きる。が、最後に待っているのはサンと同じ運命だった。
 ここには私が知る香港映画の滑稽さや、けたたましさはない。どうしょうもない青春のもがきがあふれている。「ナチュラルボンキラーズ」や「レオン」のポスターも印象的だ。
 この映画には毛沢東思想へのアイロニーが込められているのは明瞭だろう。最後に「世界は若者たちのものである。未来は若者たちにかかっている」との毛沢東から引用した中国側の放送が流れる。まさに若者たちがあえいでいるのに、大人は何をやっているのだ、との叫びがある。
 人民中国はこの香港の若者たちをいかに導くか。まさに、この映画は返還前に仕掛けられた痛烈な時限爆弾と言えよう。

103 「54(フィフティ・フォー)」
マーク・クリストファー監督。ライアン・フィリップ。ネヴ・キャンベル。サルマ・ハエック。マイク・マイヤーズ。
 70年代の象徴ともいうべきニューヨーク西54丁目のディスコ「54」。そこで繰り広げられた選ばれた男と女たちの、酒とセックスとスキャンダルとドラッグの日々。70年代グラフィティのディスコ映画です。
 ニュージャージーから憧れてやってくる美青年シェーンを狂言回しに当時のNY風俗が次々と描かれていきます。ディスコのオーナーのスティーヴ・ルベル。この人が実在の人物で、実質的な主役です。彼の個性なくして「54」の輝きはなかった。
 ゲイなのにゲイじゃないと言い、その舌の根も乾かぬうちに「なめらせろ」ですから。この分裂性。でも時代と共振するセンスがなかなかにかっこいいのだ。こんなアジテーターって好きだね。そこをうまく描ければ良かった。
 ルベル役のマイク・マイヤーズほかこれだけのメンバーそろえていますが、さて。内容? あまりありません。 これは見る映画ですから。考えてだめ。昔話にひたればいいだけね。

104 「きみのためにできること」
篠原哲雄監督。柏原崇。真田麻垂美。川井郁子。岩城滉一。永島暎子。大杉漣。田口浩正。
 うーむ。女性映画だな、この感覚は。男にはだめだな。このストーリーじゃ。
 録音技師の俊太郎はガールフレンドの日奈子と離れて宮古島にロケに来ている。そこで、ヴァイオリニストでレポーターの耀子に会い、いつしか惹かれていく。しかし、耀子は宮古島に根をおろしている俊太郎の恩人の木島に思いを寄せていた。ってなわけで、俊太郎君は結局、2人の女性の間でフラフラしてしまうのだ。
 この中途半端な男が主役になるのは、彼がナイーブな好青年だからだ。そこが鈍感でブオトコの私には気に入らないのだな。ひがみだけど。最後のハッピーエンドもなんか好きじゃないが、日奈子へのやさしさも、なんちゅうかホスト予備軍的な振る舞いの感じがするのだ。
 ああ、誤解されては困りますが、映画は決して悪くありません。北野組の大杉漣。周防組の田口浩正。さすがに2人ともいい味だしてます。
 宮古の風物や宮古上布作りの老女たちを映すドキュメンタリーっぽいフィルム回しも素敵ですよ。俊太郎君がやっぱり良い子になりすぎなのだ。

105 「催眠」
落合正幸監督。稲垣吾郎。菅野美穂。宇津井健。大杉漣。
 これはなんの予備知識もなく見たが、結構こわい。相当こわい。身の毛が2度ほどたった。もっとも映像というより音響で反応してしまうのだが。
 主役は心理カウンセラーに稲垣吾郎君。多重人格の少女に菅野美穂さんが扮している。吾郎君はいつもながら2枚目なんだが、田舎臭さ貧乏くささが抜けない。これに対して、菅野美穂さんは凄いんだ。こわいものなしだから。びんびんいきます。おかげでこちらがこわくなるのだな。なんか次第に壊れていく人間を地で行っている感じが時々するのだ。それがこわい。
 物語はサイコ・サスペンスというよりは、お化け屋敷的なノリだ。宇津井健の場違いなオーバーアクションは健在だし、大杉漣のおやじ刑事役もまったく予定調和的でぴったり。物語の主人公も救われないのは恐怖映画の約束か。それにしても、「ミドリの猿」は今ひとつわからなかった。ポイントがずれちゃって。菅野美穂が一人で、いいとこどりした映画のような気がした。

106 「スパニッシュ・プリズナー」
デイヴィッド・マメット監督。キャンベル・スコット。レベッカ・ビジョン。スティーヴ・マーティン。ベン・ギャザベラ。
 いやあ。参った。実に丁寧な映画です。だから、じれったくてじれったくて。途中でいい加減に気づけよ、と叫びたくなります。
 主人公は「プロセス」という新しい市場支配のシステムを開発した男。彼は成功報酬を期待しているのだが、社長は株主総会の後で、と相手にしてくれない。そうこうしているうちに次々と怪しい人物が登場して−。当然、次から次と罠に引っかかっていくわけです。普通の人なら、もうこれが罠だってわかるのですが、彼にはわからない。そして結末まで彼はなんの主体性も発揮できません。
 物語はそうしたお人好しの男(スパニッシュ・プリズナー=人の口車にのせられるアホ)と狡猾な日本人を徹底的に笑ってみるだけの映画のような気がします。いやあここまで魅力のない主人公を描かれたら、最後に助けずに、どうせなら破滅させてほしかった。ホント。

107 「学校の怪談4」
平山秀幸監督。豊田真唯。広瀬斗史輝。笑福亭松之助。原田美枝子。
 子供のころのかくれんぼ体験はちょっと怖いものがある。確かに鬼になるのもいやだが、逃げるほうもつらい。私の田舎は本当に遙か彼方の防風林まで牧草地がずっと続いていたが、気がつけば鬼も追ってこない場所まで逃げていて、一人取り残されたときの寂しさといったらない。
 映画はそんな子供時代の恐怖感をモチーフにいなくなった友達と取り残された鬼の少年が終わらないかくれんぼを終わらせる物語である。実は「催眠」もそうだったが、私は怪談とかホラーが苦手だ。分かり切ったシーンでも、ざわっとしてしまう。
 学校の怪談4は子供向けなのでハードなシーンはほとんどないが、私は結構びびっていた。弱虫なのだ。じいさん幽霊(笑福亭松之助)と少女(豊田真唯)の2人のドラマは無意識のうちにある<異界>体験を象徴している。
 それは<精神>が現実から少しずれたところにある2つの世代が紡ぎ出す未分化の幻想のように思える。

108 「踊れトスカーナ!」
レオナルド・ピエラッチョーニ監督・主演。ロレーナ・フォルテーザ。バルバラ・エンリーキ。マッシモ・チェッケリーニ。
 イタリア・トスカーナ地方で平凡な会計士をしているレバンテ(決起)。ある日、道を間違えてフラメンコ・ダンサーたちを載せたバスがひまわりに囲まれたレバンテの家にやってきた。女たちに惚れたのはレバンテだけではなかった。いびきのうるさい革命派のパパ、レズビアンの妹セルバジャ(野生)、そして死と神に魅入られている弟リベーロ(自由)も。そう一家みんなが「聖母」に恋してしまったのだ。
 スペインとイタリアは遠いようで近いのだな、と思った。軽い映画だが、この作品は登場人物が典型化されており見ていて気持ちがいい。そして、フラメンコ・ダンサーたちはみんなかわいい。とびきりセクシーでキュートなのはカテリーナ。レバンテが恋するのも無理がない。
 物語は日常から上手に浮力をつけて踏み出していく。田舎町はきっと外からの風が気持ちいい時があるのだ。一面のひまわり畑、声だけだが国つ神のような祖父ジーノ。なんかうまい。革命派のパパはマリファナを吸いながら、昔話。インドの野菜だってこっそり栽培していたら警官が買っていった。あの夫婦はジミヘンになっていたぜ、なんて笑わせる。
 日常から非日常へと簡単に踏み出す輝きがとっても気持ちいい。余計なことだが、レバンテのTシャツ。旭日旗に「癇癪持ち」と下手な日本語で書いてある。妙に決まっていた。

109 「ムーンライト・ドライブ」
デヴィッド・ドプキン監督。ホアキン・フェニックス。ヴィンス・ヴォーン。ジャニーン・ガロファロ。ジョージナ・ケイツ。
 人のいいクレイ。彼はついてない男である。親友の奥さんに誘惑されてばらされて親友は目の前で自殺してしまう。ガールフレンドと一緒にいると、ウィドウとなった人妻はガールフレンドを殺してしまう。カウボーイ野郎のレスターと親しくなるが、レスターは趣味と友情のため?ウィドウを殺してしまう。連続殺人の容疑者にされて留置所に入れられると、艶っぽい目のレスターは潔白を証明するために女の子を殺してやろうとする。弱みをいつも握られているからいつも手出しのできないクレイ。彼は友情に厚い殺人鬼に反撃することはできるのか。
 物語はそんなところだが、文句なく演出がいい。人妻のセクシーさ、殺人鬼のシャープさ、青年の世渡りのまずさ。保安官の父親のような眼差し、気の優しい助手、12年間もFBIにいて女であることが重荷でもある捜査官。キャラクターとエピソードがうまく絡み合っている。ラストシーンもクールだ。

110 「ホーホケキョとなりの山田くん」
高畑勲監督。朝丘雪路。益岡徹。荒木雅子。柳家小三治。ミヤコ蝶々。
 いしいひさいち原作。いしい漫画は大阪の最底辺貧民学生層を主体にしたナンセンスとペーソスが売り物だったが、メジャー化と同時に小市民が主役に浮上している。本作はいしい漫画の世界を一段と小市民家族の物語にした。つまりラジカリズムも毒もないのである。
 考えようによってはサザエさん−ちびまるこちゃん路線と相補的場所にある。いや、まるちゃんの幻想化された体験の至上性もない。5人の家族は全く没個性の集団である。そんなんでいいのか。本当に? エピソードの積み重ねというスタイルは当然だろう。
 しかし、その小話ひとつひとつが、おやじギャグレベルでインパクトが全くない。そしてCGへの対抗的手法であろう水彩画的画風も同様である。読売−徳間資本が湯水のように金を投入し朝日新聞連載の原作を買い日本最高のスタジオジブリを動かし、一度に2パターン3パターンもの呆れるほどに映画館ジャックともいえるしつこい宣伝を繰り返した結果がこれである。

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