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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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「踊るシネマの世界」へ 
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

WEEKLY  TODAY'S CINEMA 2  2005~2006

【きょうの映画】★★★
*14 「チャーリーとチョコレート工場」(ティム・バートン監督。ジョニー・デップ。フレディー・ハイモア。デイビッド・ケリー)
 リアルを超えていくのがティム・バートンである。ファンタスティックなロマンティストなのはご存じの通り。そして、美しくも悲しい「シーザーハンズ」のジョニー・デップとのコンビで、またしても奇想天外なファンタジーが生まれた。
 チャーリー少年は貧しいけれど、心優しい家族に囲まれて暮らしている。ある日、おいしいチョコレートを作り出しているウィリー・ウォンカのチョコレート工場が金のチケットを手にした5人の子供を工場見学に招待すると発表した。世界中の子供たちが金のチケットを当てようと必死となる。貧しいチャーリーに幸運は他人事であったが、偶然にも選ばれる。そして、初めて見る工場の内部ではウンパ・ルンパという小さな人間が大活躍。チョコレートの川と滝が流れている。そして、リスがクルミ割りをしていた。傲慢な子供たちが見学途中に脱落していく中で、チャーリーは大きなプレゼントを手にすることになる。
 おもちゃの世界のようなチョコレート工場。ウンパ・ルンパのミュージカル。ティム・バートン流のこだわりが、抜群に楽しく美しい。しかも、子供はみな幸せにならなきゃならないというのが、映画のお約束のはずなのに、主人公以外はみなボロボロになって放り出されてしまうのだ。チョコレートは甘くても、子供には甘くない。小さいうちから我が侭放題の女の子は将来ろくなもんにならんと言い切っているし。子供が改心するかというと、懲らしめを受けても変わらないのも意味深だ。
  本作の美しさに目を奪われるが、テーマは父と子、家族愛である。チョコレートのために家を捨てた変人ウィリー・ウォンカは歯科医の父親と和解し、チャーリーは両親(この発音をウォンカはうまくできない!)や祖父母を大切にするのだ。そこに幸せがあるのだと言いたげに。チョコレートをモノリス代わりにした「2001年宇宙の旅」のパロディもあある。「ビッグ・フィッシュ」以降の父と子を描くバートン・ワールドは全開だ。


*15 「四月の雪」(ホ・ジノ監督。ペ・ヨンジュン。ソン・イェジン)
 愛する者が起こした交通事故で駆けつけてきた男と女。2人が知らされたのは事故を起こした女と男が不倫をしていたという辛い現実だった。怒りを抑え集中治療室で意識喪失している配偶者を看病しなきゃならない現実。事故被害者から受けるとばっちりにも似た激しい怒り。痛みを共有する中で、次第に惹かれていく2人は恋に落ちる…。だが、それは愛する者への裏切りに他ならなかった。
 まったくもって、ずぶずぶのメロドラマである。不倫が不倫を呼ぶし、一方には死別の悲しみ、一方には回復による新しい痛みが押し寄せる。普通なら「もう勘弁してもらうぞ」というところである。とはいえ、なにせ、微笑みの貴公子・ヨン様の新作。見なきゃ済まないわけで。やっぱり! 映画館は、ふだんならばお目にかからぬご婦人層でにぎわっているのだ。ヨン様、強し!
 しかも、監督は「八月のクリスマス」のホ・ジノ。1999年にハン・ソッキュとシム・ウナの共演で公開された作品は素晴らしかった。難病で命短い写真屋の青年とミニパトの婦警のほのかな恋物語。写真館の撮影室のおばあさんの葬式写真撮影、ヒロイン・タリムのカット、主人公・ジョンウォンの遺影。単純なストーリーだが、ひとつひとつのシークエンスがしっかりしていて韓国映画の底力を見せつけたものだ。ならば、見なくてはならんわけだ。
 ヨン様は、今回は悲しみの貴公子、涙の貴公子で。感情が画面いっぱいにあふれてくる。とはいえ、ヨン様はちょっと、タバコをスパスパ吸いすぎで、愛煙家は喜ぶかもしれんが、いささか現代性に欠ける。もっとも、商売が舞台監督ということだから、芸術家は機関車のように煙をはかなきゃならないという意味か。やっぱり古いぞ。
 さて、2人の恋は儚く終わったかに見える。だが、ラストのシーンで、2人の愛は続いているようにも感じられた。四月に雪は降らないわけで、その奇跡が起こるとしたら、愛の力でしょうが…。余韻が残るところはホ・ジの監督、さすがか。 

★★
*16 「忍 SHINOBI」(下山天監督。仲間由紀恵。オダギリジョー。椎名桔平。黒谷友香。沢尻エリカ)
 山田風太郎の「甲賀忍法帖」の映画化。ロミオとジュリエットの忍者版か。
 自らの身体能力を高め、人間兵器として縦横に駆けめぐる異能の者たち。その両雄、伊賀の里・鍔隠れの朧と甲賀の里・卍谷は争うことを禁じられていた。しかし、彼らの破壊力のすさまじさを脅威に感じた徳川幕府は彼らを相戦わせ、共に葬り去ろうと策略をめぐらす。選ばれた5人の対決を罠に、両里を抹殺しようとしたのだ。
 女忍者・朧と甲賀弦之介は初めて会った時に恋に落ちた。しかし、2人は対立する忍びの一族だった。たださえ秘めた恋なのに、両一族は徳川によって相互に殺しあわねばならなくなっていた。戦うよりも陰謀の裏を探ろうとする弦之介。彼に導かれ、駿府に向けたロード・バトルが始まった。恋する2人の運命はいかに?
 仲間由紀恵。小さいけれどパワフル。なんか、どんどんスターになっちゃった。結構、期待に応えてくれるところがいい。オダギリジョー。自然体でいて風格がある不思議なキャラだ。あ、沢尻エリカも。って「パッチギ」のキャストじゃん、この2人。死なない椎名桔平、人を愛するこのできない体を生きる黒谷友香を含め登場人物たちがそれぞれに個性的で、いずれも定められた星の下で生きる宿命が印象深く描かれている。この宿命は案外、今の人間にも当てはまることではなかろうか。
 非情な運命は愛する者たちをも襲うのは当然だろう。ラスト。自分の才能を破砕して、権力に従順を誓い、二つの里を救おうとする朧の選択は重い。しかし、どうせならもっとデスペレートな最後があってもよかったと思うのは、わがまま観客のないものねだりか。個人の力の限界をいささか感じさせられる。忍術を中心とした多彩な異能の世界を堪能すべきという映画なのかもしれない。

★★☆
*17 「ターネーション」(ジョナサン・カウエット監督・編集・主演)
 ターネーションとは「天罰」「破滅」「地獄に落ちる」「永遠の断罪」という意味だそうだ。1999年のコロラド州コロバイン高校の乱射事件をモチーフに映画化した傑作「エレファント」のガス・ヴァン・サントがエクゼクティブ・プロデューサーに名を連ねているように、31歳の映画青年がつくった自らの半生を見据えたドキュメンタリーだ。
 母親と自己の再結合−家族の回復がテーマだ。ゲイである自分の来し方、モデルだった母親が治療と称する電気ショックにより人間性が破壊されている姿を執拗に描く。驚いたことは、2点ある。まず、カウエットは子供のころから、随分たくさんの家族映像を撮っていたコレクターであること。しかも、女装の演技まで出てくる。母親や祖父母に対しても早い時点で演技をつけており、監督志向が天性のものであることがわかる。そして最後に出る「iMovie」による編集という一行だ。パンフによれば、マックのソフトで、予算218ドルという低予算で編集したというのだ。パソコンで、この映画がつくられたというのはすごい!
 内容的には、家族の対立と和解、再生が今ひとつ説明不足。ビデオクリップぽい映像は、ドキュメンタリーとしてはいささか物足りなくも感じた。

★☆★☆★
*18 「シン・シティ」(ロバート・ロドリゲス&フランク・ミラー監督。クエンティン・タランティーノ特別監督。ブルース・ウィリス。ジェシカ・アルバ。ミッキー・ローク)
 フランク・ミラーのアメコミの映画化。罪深い街に起きる3つの愛の物語。監督も3人いるが、メーンはいうまでもなくロドリゲス。「スパイキッズ」シリーズや「レジェンド・オブ・メキシコ/デスペラード」で絶好調のラテンのエースだ。
 エピソード1・仮出所中のマーブ。謎の美女ゴールディとの夢のような一夜を過ごすが彼女を殺した悪の組織との熾烈(しれつ)な復讐劇が始まる。
 エピソード2・男運の悪いシェリーのために手を貸すドワイト。だが、娼婦街で巻き込まれた事件の被害者ジャッキー・ボーイが刑事だったために、事態は混乱するが女性を守るために立ち上がる。
 エピソード3・老刑事ハーディガンは退職を前に11歳の少女ナンシーを殺人鬼から救う。だが、権力の罠にはまり8年間の刑務所生活を送るが、再び彼女のために戦う。
 フイルム・ノワールである。徹底的に業の深い悪の世界が描き出される。正義は悪の海に浮かぶ飛沫(ひまつ)のように揺れている。繰り返される凄惨な殺戮。修羅の迷宮。モノクロームの世界は時々、色づくがそれは腐った血の色だったりする。タランティーノの「キル・ビル」ワールドも時折顔をのぞかせるのはご愛敬か。残酷シーンが苦手な私であるが、監督は寸前のところ、映像美学に昇華してみせる。
 ミッキー・ロークもブルース・ウィリスも往年の代表作を上回る快演ぶりだ。さらにそれ以上に凄いのはジェシカ・アルバ、ブリタニー・マーフィ、ロザリオ・ドーソン、ジェイミー・キングという女性陣の美しさ。多くの役者がロドリゲス作品に出たがった理由がわかるというものだ。出て良かったどうか微妙なのはイライジャ・ウッドとニック・スタールくらいか。
 アメコミは形式美の世界だ。ゆえに思想も単純化する。力は正義というように。だが、この世界に私たちも生きることを強制されるとするといささか辛い。ここで、私たちは傍観者として取り残されることを強制されたままだ。


*19 「蝉しぐれ」(黒土三男監督。市川染五郎。木村佳乃。緒形拳。原田美枝子)
 原作・藤沢周平。「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」という日本回帰路線の延長線の作品である。それは貧しくも、誇りを失わず生きた男達の物語であったが、本作もそうした核心をはずさない。
 おなじみ海坂藩。下級武士の家に生まれた牧文四郎。父は藩のお世継ぎ争いに巻き込まれ、腹を切らされてしまう。熱い蝉しぐれの中、父の亡骸をただ一人運ぶ文四郎を助けてくれたのは隣家の幼なじみフクだけであった。文四郎は苦労の末、旧禄を回復されるが、新たな隠謀による試練が彼を襲う。フクは文四郎を思いながらも、今は藩主の側室になっていた。世継ぎの混乱を嫌う筆頭家老は文四郎にフクの幼子を奪うように命じたのだ。少年時代に別れた2人は、運命の嵐の中で再会する。私利私欲に走る筆頭家老一派との死闘が始まる。藩の運命は…。そして、思い続けた2人の運命は…。
 泣きなさい。そんな「涙、涙」攻撃が続く。なによりも文四郎は禁欲的だ。決して、緩まない。低きに流れないのだ。俗情に走らない。これはいいことか、悪いことか。現在のサラリーマン社会よりも厳しい上意下達の命令絶対の世界。身分社会。そこでは自己の自由な意志など微々たるものなのだ。だが、その中でも正邪はある。大義の私物化はあってはならない。そのモラルによって、一寸の虫にも五分の魂が生まれる。それがプライドである。文四郎は剣によって、その悪を切る。それは、現代を映す鏡でもある。
 染五郎は悪くはないが、美青年すぎる。もっと、野性味のある自然体の役者を選ぶと、違った印象になった気がする。子役の2人はとてもよかった。「北の国から」風に、成長した2人に、大人の2人を演じてもらいたい気もさせるほどの熱演だった。権力の暴虐に翻弄される文四郎だが、それを支えるのは仲間たちだ。その友情がとてもうまく描かれていたと思う。
 さて、俗人の私である。この禁欲映画のラスト、殿様が亡くなり出家する前のフクと文四郎が再会するシーン。きっとお茶飲み話だけじゃないよなあ、と想像する。一種の不倫かもしれないが、それが人間としては自然であろうと思う。なにしろこれは恋愛映画であるはずだ。ひとすじの愛の物語だ。プラトニック過ぎる男はつらいぞ。

★☆☆
*20 「おまけつき新婚生活」(ダニー・デヴィート監督。ベン・スティラー。ドリュー・バリモア。アイリーン・エッセル)
 ナンシーは出版社勤務のウェブ・デザイナー、夫は将来が楽しみな中堅作家のアレックス。収入も安定した新婚カップルが次に目指すのはマイホーム。それで、郊外のブルックリンに暖炉が3つもある素敵な家を見出した。さあ、しあわせな生活が始まるぞ、と思ったら、たった一つ、気がかりがあった。2世帯住宅のその家の2階にはとても高齢に見える謎のおばあちゃんが住んでいたのだ……。
 そのおばあちゃんに振り回され、なぜかタイミングよく現れる警察官や不動産屋らにとんでもない目に遭わされ、高い授業料を払わされる。殺意をいだくばかりか実際に犯罪に手を染めてしまうのですが、結果がよければいいようで。そこはそれ、楽しいアメリカ映画。不幸も結局はつかの間、ハッピーエンドが待っているわけですが。
 オープニングのナレーションとアニメが、わくわく感を誘います。おばあちゃん登場で、完全にコメディー・モードに突入していくのです。2人がシリアスになればなるほど、笑い指数がアップしていくという展開。最初に壊れていくのはアホ亭主ですが、ドリュー・バリモアの場合はドタバタ劇が人生に二重写しになって、はまり役だなあ、と思えてしまいます。おばあちゃんを見事に演じるのはアイリーン・エッセルさんという女優ですが、夜も日も明けずラジカセならぬテレビの騒音攻撃をするさまはわが国でもありがちな近隣トラブルのパターンですね。
 肩ひじを張らず、「どひゃあ」なんて言いながら、楽しむには最高の映画です。私が映画館に行ったのはレディース・デーでしたが、皆さん、声を出して笑ってましたよ。予告編には「エリザベス・ハーレーの明るい離婚計画」なんてのもやっていて、古くてすみませんが、映画ってのは、お色気ありの喜劇というジャンルはやはり捨てがたいものがありますね。

★☆
*21 「メトロで恋して」(アルノー・ビアール監督・脚本。ジュリアン・ボアセリエ。ジュリー・ガイエ)
 大人の恋物語。売れない役者のアントワーヌはメトロで美しいクララに出会う。彼女はTGV(フランスの新幹線のようなもの)のウェートレスをしながら文学に興味を持っている。2人はたちまち恋に落ち、理想のカップルの楽しい時間が始まる。しかし、変化は突然やって来る。クララは検査でHIV陽性だと判るのだ。それをきっかけに2人は別れることになるが…。思いを変えることのできない2人。男は愛する女性が病気であることが判ってもすべてを受け入れられるか?
 音楽はフランスで人気のバンジャマン&キララというカップルが担当しているそうで、ところどころにフレンチ・ポップスが流れる。20代から30代の女性を狙った作品ということか。ジュリー・ガイエという女優はちょっと故ダイアナ元皇太子妃によく似ていて(あそこまできつい感じではありませんが)、役柄はともかくセレブな恋愛をイメージさせます。オデオンとかセーヌ川とかモンパルナスとか、パリのランドマークも随所に紹介されているのはサービスか。
 それにしても、みんなタバコをプカプカ。「四月の雪」もそうだったが、芸能というか役者さんの世界は健康よりもストレス解消優先なのがよくわかります。判らないのはクララのHIVです。なんだか突然、難病がやってくるのが唐突すぎて、あまりにも説明不足です。比喩の世界なのかどうか不明ですが、こういう展開は反則のように思います。
 登場人物はみんな理解者で、腰がひけてしまうのはアントワーヌだけ。そこも違うような気がします。父と子の葛藤(かっとう)がいとも簡単に氷解するのも不自然です。人間にはいろんな困難があります。僕はそれを簡単に超えられるとは思いません。一冊のリルケの「マルテの手記」で寛大な人間になるのも軽いよな。善意ですべては解決できませんし、いささかムードだけで困難を乗り越える結末はどうでしょうか。結局は30過ぎても親離れせず姉離れできない男と恋しても、いいことはないような気がしますが、女性としてはやさしい男ならいいという結論でしょうか。

**映画ファンの私としてはなるべく早めにシネマコラムを載せたいと思うのですが、上映期間が短くて評が出るころには終わってしまうこともあります。その時はビデオ・DVD鑑賞の参考にしていただければと思います。どうかご容赦ください。

★☆
*22 「ステルス」(ロブ・コーエン監督。ジェイミー・フォクス。ジョシュ・ルーカス。ジェシカ・ビール)
 超音速の見えない戦闘機ステルス。そのパイロットに3人が選ばれ、迫り来る危機と戦う任務が与えられた。しかし、そこに人工頭脳だけで飛ぶ無人機エディが加わったことから、トラブルに。学習し進化する人工頭脳は敵を叩くことに冷酷となり、次第に暴走していく。3人はそれを食い止めようとするが、逆に追いつめられていく。地球の平和は守られるのか。
 ヤンゴン、タジキスタン、ロシア、北朝鮮と、国境も領空も関係なく平気で飛び回り米軍機はミサイルを放つ。ちょっとだけ、パキスタンの村あたりに死の灰が流れることに心を痛めるけれど、やってしまったら遅いぞなもし。38度線は停戦ラインのはず。そこでヘリを落とすわミサイル撃つわじゃ、かの将軍様でなくても怒るぞ。そして、パイロットの男女には激しい恋も芽生えたりするのだ。あれ? それって、まるで「チーム・アメリカ ワールドポリス」のパロディの世界と同じじゃありませんか。パロディでもシリアスでも米軍のやることは同じかよおーっつ。
 ジェイミー・フォクス。確かトム・クルーズの「コラテラル」で花開き、「レイ」でアカデミー賞受賞だったはず。それなのに、割と軽い扱いで消えていきます。単なる女好きのいい奴で終わったな。めっけもんはジェシカ・ビールさん。硬派なのに色っぽくて、なかなかやります。「シン・シティ」のジェシカ・アルバ同様、ナイスです。昔からスポーツカーには水着美女って、のが男性誌の定番ですから、これは王道行ってます。
 内容はハチャメチャですが、映像は見応えあります。空中給油機のガスが漏れ、サークル状に炎の走る爆発シーンとか、マッハで飛ぶステルスの自在な滑空、宇宙から地上を一気に鳥瞰する視点、さらに、ジェシカさんの38度線上でのギリギリ脱出ショーなど。いろんな映画のごちゃ混ぜですが、結構楽しめることは間違いなし。どうせなら、空中戦なんかもっと派手にやってくれると、世界危機の実感が沸いたのですが……。

★☆
*23 「容疑者 室井慎次」(君塚良一監督。柳葉敏郎。田中麗奈。哀川翔)
 長ロングランの本作。映画ファンなら、たいていの人が見たことだろう。もう十分立派な大ヒットなので、野暮を承知で辛口の感想をひとこと。
 シリーズのキャラクターが次々と独立しているのは「踊る大捜査線」の人気を示すバロメーターであろう。すごいことだ。「交渉人 真下正義」でユースケ・サンタマリアが主役を張ったが、スピンオフ作品の波は止まらず、今度は柳葉敏郎だ。男気あふれる好漢ではあるが、なんか暑苦しいというか濃い〜ぞという印象があるのが柳葉敏郎。これが織田裕二抜きの映画でどこまで、シリアスからギャグまで、振幅の大きいドラマを展開できるかどうかに注目した。
 物語の展開はとりあえずメチャクチャである。
 新宿で起きた殺人事件の有力容疑者は警察官だった。ところが、取り調べ中に逃走した被疑者は突然の事故で死んでしまう。その過程で暴力捜査が行われたとの訴えがあり、警視庁・管理官の責任者の室井さん(柳葉)が逮捕されてしまうのだ。でもなあ。普通、検察だってそんなふうに乱暴なことはしないでしょ。と突っ込んでも仕方ない。その後も、警察庁上層部の恣意(しい)的な圧力合戦があったり、オタク集団のような弁護士が警察権力を操ったりと、マンガそのものだ。
 極端化が笑いを生むというのは、「踊る」シリーズを貫くドラマツルギーの核心であることはよくわかる。でもなあ、ラスト。冤罪であることがわかったからとはいえ、逮捕された本店(警察庁・警視庁)幹部の室井さんが、どこかの県警の幹部にいきなり転出なんてこともないでしょう。リアリズムとは別の方向のギャグ映画なので、まじめに文句言っても仕方ないんだけど。どうなのかなあ。
 個人的には大好きな田中麗奈ちゃんに「がんばっていきまっしょい!」と声を掛けてやりたいが、ちっとも弁護士らしくないので(それもカリカチュアですから−と軽くいなされて終わりそうなのだが)、困っちゃう。結局、柳葉敏郎の苦みばしった顔と立ち姿が何度も何度もアップにされる。ユースケの「交渉人」のような活劇シーンもなし、「踊る」本編のように警察社会=企業社会の自虐ギャグ合戦も弱い。それならば何を見るか。コート姿の似合う柳葉ちゃんである。イメージショットだけではドラマは転がらないけれど、男くさい彼の魅力を堪能するスター映画としては面白い。それはそれで悪くはない作戦であって、見事な大ヒットをもたらしたのだが…。

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