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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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批評断想IDEA

 可能性の文学へ   1990

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 この国が近代の歴史をなんら総括することなく、「昭和」から「平成」へと沈黙を強いられながら、名前だけの世替わりをした過ぐる年、世界はまさしく馴れ合いを拒否して、新しい人間主体の社会のための戦いを開始した年として記憶されるだろう。中国の天安門で繰り広げられた学生たちの民主化闘争は、権力の私兵同然となり人民を忘れた解放軍の手で制圧されたが、学生達の要求は人民の心に深く響き再び噴出する日に向けて静かに力を蓄えている。そして東ヨーロッパ。劇的なベルリンの壁の崩壊に象徴されるように、戦後ソビエト・ロシアの手によって支えられて成立したスターリニスト権力は、各国民衆の連続決起によって、次々と打倒され解体されていった。この国でもそうであったが、国際共産主義運動の権威だけをよりどころに、民衆の自由な戦いを常に圧殺してきたスターリニスト傀儡たちが、自らの支配の歴史について、民衆の叛旗の前に何らの自己正当化もできず打倒されて行く様は、私達に少しではあるが、長く忘れていた歴史への信頼というものを回復させてくれたように思われる。一見、どんなに強大な権力であろうとも、民衆が自らの全存在を賭けて主体的に決起する時、必ずや打倒されるのである。
 「権力は告発されねばならぬ。反逆者が権力を手にしてデモクラットになったとき、格子なき牢獄国家が生まれた。革命家が権力を手にしてコミュニストになったとき、栄光の強制収容所が生まれた。独立の戦士が権力を手にして民族の英雄になったとき、侵略のナショナリズムが生まれた。かつて人間は権力をさまざまに告発してきたが、二十世紀の最大の逆説は、告発者もまた告発されるにいたったことだ」
 東欧崩壊を遠くに見ながら、私が思い浮かべていたのは、アナキスト松田道雄がアンソロジー「反逆」の冒頭に記したその一節であった。まもなく二十世紀が終わろうとしている時、松田の予言はまさに的中しつつある。
 東ヨーロッパでの戦いは、スターリニスト官僚による抑圧から、自由回復への戦いの始まり以外の何物でもない。別の言葉で言えば、「共産党」支配への決別宣言である。依然として残存する「共産党」分子たちが、社会党や民社党などを名乗ろうとも、歴史のゴミ箱へと捨てられるのは今や必然である。にもかかわらず、民衆は真の社会主義を求めているなどと勝手な憶測で、「社会主義」への幻想を、これらの国々に託して止まないこの国のマルクス主義者たちは、相も変わらぬ隠れスターリニスト(疑似前衛・進歩的文化人)であることを告白しているだけのことである。
 東ヨーロッパの民衆が資本主義を求めているのかどうかはよく分からないし、どうでもよいことのように思える。彼らが資本主義を望んだとしても、その先には豊かな生活というキャッチフレーズとは無縁の無数の量と質の貧困があり、富めるものと貧しきもの、支配するものと虐げられるものとが、生存競争の中でひしめいている社会の在り方を実感をもって知るだけだからである。つまり彼らも又遅かれ早かれ私達が戦後社会で経験してきた矛盾に突き当たるのだ。そこで彼らが絶望するか、再び人間主体の回復を求める戦いを開始するかはよくわからない。それは彼ら自身の問題であると言えるだけだ。
 明らかなことは、国家(「帝国主義体制」と「社会主義体制」)とによって分断されていた民衆間交通が拡大し、経済過程の世界性が、より現実的なものとなることを評価すべきであろう。逆説的に聞こえようが、それこそが資本主義の崩壊と真の社会主義社会への世界的移行の現実的与件であることは間違いない。ここに一国社会主義というスターリニストの経済過程を無視した幻想は崩壊し、わずかにトロツキーだけが予見していた社会主義の世界同時的成立の不可避性が証明されていくことであろう。付け加えておけば、安閑と平成の時代を迎えたこの国が、「社会主義」国が資本主義体制へとなだれ込んで来る中で、世界史の厳しさを思い知らされるだろうことは間違いない。要するにこれまでは「社会主義」体制のもとで遮られていた過渡期世界の矛盾を資本主義は正面から引き受けねばならなくなるのだ。第三世界諸国の絶望的な貧困と政治の腐敗になんらの特効薬を持ち得ないでいる「先進国」は自らの特権の足元を揺さぶられ苦しみを共有せざるを得ないのは必至である。

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 小気味の良い東欧崩壊を枕に、私達が語るべきは文学の現在である。既に、文学の衰退が指摘されて久しいが私はさわやかに「解体するものは徹底的に解体するがよいのだ」と告げることが出来る。
 この国で文学はいささか過大に評価されすぎてきた。そのために文学者は本来どうでもいいことに神経を擦り減らし、研究者も又どうでもいいことに知恵をしぼらねばならなかった。かつて社会主義リアリズムやらマルクス主義文学理論やらが大手を振るってまかり通っていた時代に、「文学は言語でつくった芸術だ」という、だれもが認める原点から自らの文学理論を作り上げて行ったのは吉本隆明であった。今ようやく文学は、そうした自由の地平に躍り出たことを最終的に確認することが出来るはずである。
 この国で文学とは、思想の対偶であることを必然づけられていた。文学者は思想家であらねばならなかった。近代文学史を見てみるが良い。例えば北村透谷は自由民権思想とキリスト教の受容の形のひとつの典型であったし、白樺派は人類主義によるコスモポリタニズムの実践家であった。辻潤や吉行エイスケはアナキストでありダダイストであった。野間宏や椎名麟三は実存主義の、大江健三郎は実存主義から構造主義の、すぐれた表現者である。何よりも忘れてはいけないのはプロレタリア文学グループである。彼らはマルクス主義の表現者であり、実践家であった。
 この国の近代の文学者は多かれ少なかれ、マルクス主義の影響下にあった。なぜならマルクス主義こそが、封建性を色濃く残し矛盾に満ちた社会に対して、唯一体系的な批判を展開出来る思想であったからだ。思想家でもある文学者たちは、マルクス主義の方法論を借りて日本社会を批判し、それを認めなければ反動的といわれかねなかった。まして多くの同僚・知識人が運動に参加する状況の中で、様々な理由で実践に参加出来なかった文学者たちは心に負い目を持ち、彼らを支持した。
 プロレタリア文学の特徴は、蔵原理論に代表されるように、前衛至上主義である。要するに、文学者はプロレタリア前衛の目を持ち、プロレタリア前衛の戦いを、プロレタリアリアリズムによって描かねばならないというもので、最終的に総ての価値は「前衛党」すなわち「共産党」に収斂する。このような政治主義に対して、ほとんどの文学者が真っ向から違和を唱えることは長く出来なかった。これに対して戦後、人間主義の立場から批判を加えようとした平野謙や荒正人らの近代文学グループは、党官僚の中野重治によって恫喝を加えられ、沈黙せざるを得なかった。彼らを根底から批判できたのは、戦争中、最も傷ついた世代である吉本隆明らが、戦中派の全体重をかけて文学者の戦争責任(社会主義者の二段階転向)を告発し、一方で、六〇年安保全学連が前衛主義者を超える新たな大衆運動を実現してからである。
 そうした流れのうえに、現在の東欧諸国でのマルクス主義の解体を重ね合わすとき、文学を縛り付けていたつまらない倫理や善意、進歩主義、素材主義という鎖が完全に吹き飛ばされたということがよく分かる。私達の世代まではまだ、どこかでマルクス主義を密輸入し、その正当性を信じていたところがある。しかし、今後、文学はそうしたマルクス主義的なものを完全に吹き飛ばしてしまうだろう。同時にマルクス主義に全く影響を受けないで自己形成をしてきた世代によって新しい文学は書かれることになるだろう。
 遠慮はいらない。文学に政治的価値なんてないのだ。誤解を避けるために言っておけば、政治には政治的価値があるし、思想には思想的価値があるだけだ。そこでマルクスの思想が他の思想にはたして劣っているかあるいは優れているかどうかが検証されればよいのだ。
 ともかく近代は今ようやく振り出しに戻ったのだ。人間的自然によって獲得した認識に自由に表現を与えれば良いのだ。そして思想などというあやしげなものではなく、言語表現として言語表現としてだけ優れたものに、芸術的価値がある。文学研究者もまた、社会科学的常識と芸術は異なるのだという当たり前の地点から、近代文学を読み直すが良いのだ。文学は今、東欧崩壊を横目に真の自立の可能性の時代に歩みつつある。

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 文学はこれまで表現の中心点にあった。だが、そうした特権はもはや通じない。私達の近代において、言語表現(主要に小説)は共同体に収斂されていた人間存在に、自由と解放へと導くイメージを与えるとともに、そうした問題を考え得る唯一の表現形式であった。しかし、科学技術の発達とそれにともなう高度情報化社会の成熟は文学からその特権を奪ってしまいつつある。映画はその刺客のトップバッターであったろう。そして漫画、アニメーションが続いた。それらは文学こそが最も考えていたと思われていた「いかに生くべきか」という問題は勿論のこと、表現を通じて得られる人間の感動(快感)においてすら文学を超えようとしている。映画にしろ漫画にしろアニメにしろ、そのいずれもが言葉を抜きには成立しないと言ってもむなしくなるばかりである。それらが文学とは別の表現力によって新しい世界を作り出しているものであることは自明だからだ。
 サブ・カルチャー(漫画、アニメ)がカルチャー(文学)を圧倒しつつあるのだ。卑近な例だが、もし私自身が「海燕」や「新潮」などの文芸誌と大友克洋や山上たつひこの連載が載っている漫画本や「少年ジャンプ」を与えられたならば、間違いなく漫画本をまず選ぶであろう。ビデオがあればまずそちらを見、文芸誌を読むためにビデオを止めるということも間違ってもないだろう。悔しくも今、文学はそういう場所にいる。書店にしても漫画本のコーナーに人だかりができてないことはなくても、文芸書のコーナーには人だかりができていることは絶対と言ってありえない。
 かつて同人誌と言えば、例外なく文学以外のなにものでもなかった。しかし、今、若者の間で同人誌と言えば間違いなく漫画(コミック)の方が多数派であろう。実際、文学同人誌はよほど有能なオルガナイザーの主宰者が押し売りでもしなければ、お金を払って買う人はいないであろう。これに対してコミックは人気のあるものにはプレミアすら付き、その交換会が場所によっては万余の若者を集めるほどの盛況ぶりである。
 こうした事態は、文学の衰退に拍車をかけるものいがいの何物でもない。少なくとも、かつては文学が独占していたであろう才能は、より多くサブ・カルチャーへと流出しているからである。そして、文学の支持者にはだれが残ったか。紙魚のように本にのろわれた微熱の抜けない病気持ちの男とカルチャーセンターに通うオバタリアンの元文学少女たちばかりである。それは、宮廷の奥深くでわが国最高の物語を生み出した平安時代の風景に似ていなくもない。
 近年の文学作品のベストセラーというものを思い浮かべてみるが良い。あの俵万智の「サラダ記念日」、村上春樹の「ノルウェイの森」、そして吉本ばななの「キッチン」。これらに共通するのは圧倒的に読者が少女から女学生、OLに至る若い女性たちであるということだ。作者の意図をあらかじめ無視するならば、これらの作品に漂っているのは「ピュア」なものへの憧れである。一言でいうなら、それは少女趣味の世界である。だからこそ女性たちは「文学」であるにもかかわらず、これらの作品を求めたのである。それは結局のところ、反動的な時代気分のファッションでしかない。
 こうした絶対絶命の中で、文学はそれでもなお可能性があるのか。

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 私達にとって「文学」とは「純文学」以外のなにものでもなかった。しかし、現代の若い世代にとって文学とは主要に「SF」であるかもしれない。そして彼らは言うだろう。そこにはロマンもある、科学文明もある、苦悩もある、悲しみもある、戦いもある、愛もそして喜びもある、そう人生があるよ、と。これに対して、私達は「文学」について何を語れるだろうか。「そんな完全栄養食品のようなものばかり読んでいたら精神的なデブになってしまうぞ。たまに退屈で面白くもないし、なんの役にもたたないものを読んでシェイプアップしろよ」とでも言うべきだろうか。

 たぶん現在は、書かれなくてもいいのに書かれ、書かれなくてもいいことが書かれ、書けば疲労するだけで、無益なのに書かれている。これが言葉の概念に封じこめられた生命を、そこなわないで済むなどとは信じられない。現在のなかに枯草のように乾いた渇望がひろがって、病態をつくっている。

 文字による語の大量生産体制の出現は、ひろがってゆく一方の過剰生産の系列をうみだした。それは必然的に[概念]のなかに封じこまれた生命の貧困化を代償にするほか、源泉はどこにもなかった。現在ではほとんどすべての文字、それを組みあげた語は、自然としての生命などを土壌に使わずに、人工的に培養しているといったほうがいい。
                 (吉本隆明「言葉からの触手」)

 この吉本の言葉に、オリジナリティの喪失、氾濫するコピーというイメージを重ねたなら「シミュラークルの時代」という現在が見えてくる。私達はあるがままの現実をではなくあるがままの擬現実を生きている。そこでは言葉は〈像〉を失い、衰退していくばかりのように見える。
 〈像〉を失っていく言葉とは、個性の縮小という人間存在の危機に対応している。言葉はもはや固有性の主張が難しくなっている。権威というものが、たとえばこの国の首相がAであれBであれCであれ目まぐるしく変わろうと権威の属性には変化がないように、言葉も又、だれが述べ書き記そうと関係無いように見える。かつて吉本隆明が「現在という作者」という言い方を現代表現に対してしたことがあったが、事態はその通りである。まさしく「シミュラークルの時代」なのだ。
 コピーとオリジナルの境界線の喪失、コピーの優位性。
 批評家にとっては、そうした時代と言葉の命運を見定め、紋切り型ではあれ、なにかを語ることは出来る。しかし、言語表現者自体はどうなるのだ。私達はここで近代日本の文学の足取りを振り返って見るべきかもしれない。そして、はっきりと言うべきなのだ。
 この国では文学とは婦女童蒙の慰みものとしてさげすまれながらスタートし、逃亡奴隷たちの狭い世界の中で細々と育てられてきたものだ、と。そこでの異常なほどの自己研鑽と自己暴露と自己破壊とが、逆説的ではあれ市民社会の日常を暮らす生活者の鏡となり、文学は人生をより生きるための思索のための表現として受け入れられ発展して来たのだと。私小説家たちの最後を見よ。誰が世俗的な栄光を手にしたか。私小説とは歪んだ日本的近代の中から生まれた。私小説家の絶望は実は日本的近代社会の絶望とパラレルであったがゆえに、かれらのマイナーな文学は力をもち得たのだ。
 田中英光という太宰治の弟子にあたる文学者に触れ、伊藤整は書いている。

 田中英光の小説を、つぎつぎに読んでゆくと、われわれ読者は、その失われた生活、すなわち友人、妻、家族、恋人などの一つ一つが、平凡であるけれども、弱い人間にとっていかに必要な幸福であるか、ということが分かる。それらの党(共産党)または仲間、妻または愛人、そういうものから全部切り離されてしまって、本当に孤独になった人間は、生きてゆくかいがなくなるものだ、ということが分かる。そうして普通の生活者ならば何でもなく思っているような朝の食卓の場面とか、子供が母親に縋りついて甘える場面などというものが、逆にこの破滅生活の描写を通して、その一つ一つが人生の宝石であるかのような強い感銘をもつて、われわれを動かすようになる。
             (伊藤整「文学入門」)

 今、太宰治のように田中英光のように葛西善蔵のように地獄を生きつつ表現を続けている文学者はどれほどいるのか、などというアナクロニズムな問いはやめよう。しかし、近代文学の活力の原像はそこにあったのだということだけは確認しておいた方がよい。
 そうした文学は戦後社会において、たとえば芥川賞その他の活況で商業主義の大波に文学がなにか公然の素晴らしいものであるかのような錯覚を作者・読者に与え、一方でそうした風潮への迎合が作家の基盤たる同人誌の足元をすくってしまったのだ。大衆的基盤を失い、伝統という権威にすがりついて辛くも延命している歌舞伎よりも、それは悲惨な光景だ。そして、付け加えれば、かつての私小説が持ったような現代社会とのパラレルな関係は情報化社会におけるサブ・カルチャーの氾濫やシミュレーションの跋扈の中で、針路を見失ってしまっているのだ。
 だが、マルクスの言葉ではないが、私達が敗北主義へと逃亡することを拒否するならば、絶望的状況と見える事態の中にこそ、希望は潜勢力として存在している。なぜならサブ・カルチャーの時代は実はサブ・カルチャーにとって危機なのだ。たとえば、私達はある時期熱狂的にテレビの面白さを支持した。それは近年の流れで言えば、フジテレビのひょうきん路線があり、次いで猟奇・実話・芸能バラエテイーのワイドショー路線があり、最後にテレビ朝日のニュースステーション路線にたどりついてしまった。これはリアリズムの勝利ではなくシミュラークルの勝利であることはあきらかである。だが、そのいまや各局で花盛りのニュース番組を見ながら私達は何を見ているのか。そこには習慣があるだけで実は何も見ていないのではないか。
 私達は本当はあふれる情報にうんざりしているのだ。私達は一見多様化しているように見えながら、画一的である情報社会に何故支配されねばならないのか。その情報によってひととき何かを語るとではたして何を得たというのか、その情報を知らないために私達は脱落者になるのか。誰かが既に叫んでいる。「否!」と。この心理は決定的である。結論的に言うならばサブ・カルチャーもまた現在の目まぐるしい速さの中で使い捨てられ、一方で飽和状態に達しつつある。
 とすれば、ここでも文学は必ずしも悲観すべき状況にあるのではなく再び表現の中核として何かをなしうる状況にあるといってよいだろう。問題はおそらく陳腐なほどのシンプルな問いに戻る。
 私達は「何故書くのか」。
 この問いに最もラジカルに答えることが出来たとき、その文学はかつての文学が得たであろう力を再び獲得することだろう。そのためには研鑽が求められるだけだ。私はここで、文学の方法として、「物語」と「記録」という二つの方向に文学再生の迂回路が存在すると述べてもよかった。しかし、それは形式主義的である。問題は依然として現代を生きる「作者」の創造力と想像力の中にあるのだ。
 文学は旧来の偽善的な思想から解き放たれて、表現自体の水準を問われる場所にいる。「ある時代の表現を、はじめに次の時代へ転移させるものは、必ず文学体の表現である。これからもそうである」と、吉本隆明は「言語にとって美とはなにか」のひとつの結語部分に記している。私自身の理解によれば、新しい文学の可能性を切り開くものはSFや推理小説やその他の読み物ではなく必ず「純文学」であるということだ。「純文学」という言葉が死語であるとするならば、要するに他者を積極的に想定するのではなく、自分自身のぎりぎりのところから生み出されて来る表現(小説)に文学の可能性は存在しているのだ。この結論は一見陳腐で現代思想の到達点を無視しているように見えたとしても、「現在」というものに、人間存在の歴史性を預託しない限り、「私」は死なない。ちょうど「共同性」が死なないように。
 東欧崩壊の中で、マルクスの人気は落ちるいっぽうである。結構なことであり、バニティフェアには高らかに別れを告げるがよいのだ。しかし、それでもなおマルクスという人間存在の「私性」は残る。

 批判の武器はもちろん武器の批判のかわりをすることができず、物質的な力は物質的な力でたおすよりほかにない。しかし、理論もそれが大衆の心をつかむやいなや、物質的な力になる。理論はヒューマニスティックに表明されると大衆の心をつかみうるようになり、そしてラディカルになるとヒューマニスティックに表明されるのである。ラディカルということは、ものごとを根本からつかむということである。だが人間にとつての根本は、人間そのものである。
                  (K・マルクス「ヘーゲル法哲学批判」)

 どうということのないマルクスの文章がこの論文の終わりである。マルクスの言う「ヒューマニスティック」そして「ラディカル」「人間そのもの」という言葉の積み重ねをいつも考えてきた。彼の脳裏をよぎったのは所詮、革命理論のことだったのかもしれない。しかし、私の心に浮かぶのは文学の可能性のようなものである。私は人間存在そのものを根本からつかみ描き出す文学を求め続けたいと思っている。

             (文芸同人誌「詩と創作 黎」第55号、1990年春季号所収)
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