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作家断想WRITERS

喜多由布子の方へ

喜多由布子 彗星のごとく

 夜行性の街すすきの。昼下がりのすすきのは、午睡(ごすい)する猫ほどにも動いていない。
 堂島(どうじま)圭吾(けいご)はメイン通りを抜け、何本目かの中通りに入った。名の知れた寿司屋の前を通る。二階建ての寿司屋はネオンサインだらけのビルにはさまれ、埋もれていた。
 すすきのの雑居ビルには居酒屋やスナック、高級とうたうクラブといっしょにピンクサロンやソープ店が同居している。この街で遊ぶ人間はそれに疑問を抱くこともしない。札幌で生まれ育った人間や夜の遊びをすすきのでおぼえた連中にとっては、繁華街のあるビルとはこういうものなのだ。 
 ――いいかげんで寛容な街が薄野(すすきの)なんだ。

 喜多由布子(ゆうこ)の単行本デビュー作「アイスグリーンの恋人」(集英社、二〇〇六年)の書き出しである。東京以北最大の歓楽街といわれる札幌・ススキノを舞台にした作品は少なくないが、大人のメルヘンのようなこの純愛小説は、その街に生きる男の背中を追うように物語が動き出していく。
 その男・堂島圭吾はアイスホッケーの名選手だったが、交通事故で片腕と恋人を失ってしまい、今はススキノで金融業をしている。そんな男が出会ったのが元恋人と似た面影を持ち、着物の仕立てをしながらクラブのまかないを手伝っている美里だった。彼女は苦労して育ち、妹を火事で失っていた…。
 
 風のなかに葉ずれの音がかすかに聞こえる。初夏の陽射しが街路樹に落ち、緑の上で躍っている。ライラックは花の盛りで、紫や白の花がそこそこに見えた。甘い香りをただよわすニセアカシアの花がぽつりぽつりと降ってくる。道路の脇に花が散りしくさまは夏の雪のように見える。

 ライラックが満開だった季節にススキノで出会った二人。同じような心の傷を持つだけに、次第に気持ちを寄り添わせていく。そうあって欲しいと願う読者の思いに応えるようなさわやかなストーリーとなった。
 本の帯を書いたのは恋愛小説の達人である渡辺淳一さんだった。「テンポのいいみずみずしい文章はさまざまな人の心のひだに分け入り、強くたしかに北国の愛をつむぎだす」と絶賛し、「彗星のように登場した、期待の上流作家である」と熱く注目した。
 喜多由布子(本名・杉山真弓)は一九六〇年、渡島管内八雲町生まれ、室蘭育ち。同人誌の編集をしながら執筆を始め、九三年、第九回日大文芸賞、二〇〇四年、「帰っておいで」で、女性作家を育てるためにつくられていた「らいらっく文学賞」を受賞した。その直後に、カメラを持ってススキノを歩きまわり、二か月で書き上げたのが本作だ。念入りな取材の中で「一途な美里のような女性がススキノにはいるかもしれませんね」と感じたそうだ。夜の顔を持つススキノの底に流れる「純」なものが本作を生んだのだろう。
 第二作は地の果てで成長する少女を描いた「知床の少女」、第三作では再び舞台を札幌に戻した恋愛小説「秋から、はじまる」で、ひたむきに生きる女性を描いて好評を得た。
 その後、「凍裂」「隣人」など社会的テーマの作品にも挑戦していたが、二〇一三年五月一六日に急逝。五十三歳の若さだった。


喜多由布子のプロフィル覚え 
 一九六〇年年二月十五日、二海郡八雲町に生まれる。旧名・長谷川真弓。高校時代は少女漫画を書いていた。一九七九年札幌丘珠高校卒業。酒造会社に勤務する。一九九三年第九回日大文芸賞受賞。一九九七年十一月二十八日、文芸同人誌「黎」文学会主宰いのうえひょうの出版祝賀会が札幌のホテル・アルファサッポロで開かれる。編集を手伝っていた喜多由布子も出席。以降、「黎」文学会の編集事務などを手伝う。一九九八年五月九日、体調を壊し、入院。五月二十日退院。十二月、人形浄瑠璃の会に参加。二〇〇〇年、小説「かわらない道」で第四回フェリシモ文学賞優秀賞受賞。二〇〇一年十月十九日、小説「SEND WORD」で札幌市民芸術祭奨励賞を受賞し、さっぽろ市民文芸第十八号に作品掲載。朝倉賢は選評で「大賞に、という声もあった。四十枚の短編の中に六つの掌編ともいえる短かい話をオムニバスふうにしつらえた巧緻なもの。文章も繊細である。凡手ではない」と評している。
 二〇〇四年六月八日、小説「帰っておいで」で第25回らいらっく文学賞(朝日新聞社)受賞。全国から三百五十四編の応募があった。七月四日、小説「帰っておいで」での全文紹介(朝日新聞別刷り特集)。二〇〇六年四月、集英社「青春と読書」にエッセー「泣いて笑って…通信教育の四年間」執筆。四月四日,朝日新聞北海道版に「らいらっく文学賞・喜多由布子さん すすきの舞台『第1作』。あす全国発売 純愛物語で文壇入り」との記事が写真入りで掲載される。四月十日、『アイスグリーンの恋人』(集英社)を出版。初の単行本。帯には「著者はらいらっく文学賞を受賞し、彗星のように登場した、期待の女流作家である」とあり、渡辺淳一が「札幌すすき野を舞台に、レディースローンを営む元足巣ホッケーの名選手と、そこに十万円を借りにくる、一途な眼差しのヒロイン、美里との出会い、テンポのいいみずみずしい文章はさまざまな人の心のひだに分け入り、強くたしかに北国の愛をつむぎだす」とある。四月二十八日、北海道新聞札幌版に「札幌の主婦・作家の喜多由布子さん『アイスグリーンの恋人』 ススキノ舞台に初の書き下ろし 渡辺淳一さん絶賛」の記事が写真入りでカラーで掲載される(谷口孝男が執筆)。六月十日、札幌グランドホテル別館4F「ひなげし」で「喜多由布子さんの出版を祝う会」が開催される。代表は神谷忠孝北海道大学名誉教授。
 二〇〇七年十一月一日、『知床の少女』(講談社)を出版。単行本二冊目。帯は渡辺淳一で「『都会に住むすべての人に読んでもらいたい、一途でさわやかなビルドゥングスロマン(成長物語)である』と書いている。二〇〇八年一月二十七日、北海道新聞ほん面に「知床の少女」の書評「成長の物語 さわやかに」(田中哲実)掲載。
 二〇〇九年三月十四日、文藝春秋から単行本の出版が決まり、知人などに連絡を入れる。九月二十一日、北海道新聞朝刊文化面のエッセー欄「北の地から北の地へ」に「夢をはぐぐむ 子どもに元気を与えられる地 よいネタいっぱい宣伝したい」を執筆。十月十日、『秋から、はじまる』(文藝春秋)を出版。単行本三冊目。帯は渡辺淳一で「ここには人を愛することの美しさがある」と記している。十月十八日、北海道新聞「ほん」面「訪問」欄に「秋から、はじまる」を書いた喜多由布子のインタビューが紹介される。十二月四日、北海道新聞夕刊「カルチャープラス」面「こだわり選書」欄で評論家の北上次郎が「秋から、はじまる」を紹介。「しばらく要注意の作家とマークしておきたい」と評している。
 二〇一〇年一月二十日、「凍裂」(講談社)を出版。単行本四冊目。六月三十日、札幌の居酒屋「花筏」で新聞社の知人の送別会。喜多由布子をはじめ、桜木紫乃、乾ルカなど道内の女性作家が参加。喜多は渡辺淳一や編集者とのやりとりを快活に話し、すすきのの居酒屋「七七屋」での二次会に参加。二〇一一年十月六日、『隣人』(講談社)を出版。単行本五冊目。十二月四日、北海道新聞「ほっかいどうの本」に「隣人」書評(菊地貴子)掲載。二〇一二年一月十七日、北海道新聞小樽・後志版に「らんこし米、マチのPR任せて 私設応援団旗揚げ 札幌の作家・喜多さんら6人の記事。前年秋開催された「米−1(ワン)グランプリ」で審査員を務めた六人で「札幌蘭越会」を作った。喜多由布子は「野菜ソムリエの資格を持ち、食にも造詣が深い」とある。
 二〇一三年五月十六日、札幌市内の自宅で死去。五十三歳。戒名は「英真喜覚信女」。喪主は長女の麻利江さんが務めた。(北海道新聞掲載六月四日に死亡記事)
 二〇一四年五月十五日、札幌・白石の葬祭場で一周忌法要営む。二〇一五年五月十六日、北海道立文学館で、喜多由布子原作映画のメイキング上映会。杉山りょう監督の映画作品「帰っておいで」(主演・奥かおる)が制作される。

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