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《愛を愛として交換するために》−小嵐九八郎「せつない手紙」考

 二〇〇〇年だというのに「瑞々しい感性の解放を」などという気恥ずかしいスローガン入り年賀状を書いてしまった。「今頃、感性がどうのなんて言う奴は信じられない」という人がいたら、ゴメン。じゃあ、あんたは何を信じているの? 世の中そんなに単純にいかんよな。でも単純化すれば感性!

 マルクスの人生論を覚えているかい? 僕はマルクス主義なんて大嫌いだが、彼の言葉はいつまでも心の奥に響いている。
 「君が芸術を楽しみたいと欲するなら、君は芸術的教養をつんだ人間でなければならない。君が他の人間に感化をおよぼしたいと欲するなら、君は実際に他の人間を励まし前進させるような態度で彼らに働きかける人間でなければならない。(中略)もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、すなわち、もし君の愛が愛として相手の愛を生みださなければ、もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君の愛は無力であり、一つの不幸である」。(『経済学・哲学草稿』)

 きついよね。「五感の形成は全世界史の労作」と喝破した巨人でなければ言えないよ。「一つの不幸」を生きていた二〇歳の僕はしばらく立ち直れなかった。僕はいつも、人間は受苦的であるがゆえに情熱的だとか、個人的存在は社会的・類的存在である―とかいう言葉遊びに近い弁証法に魅せられてきた。そして僕はマルクスが言っていることは畢竟、人間的感性を解放せよ、なりと誤読してきた。その命題に落とし前をつけなきゃ、とも思っている。

 実は僕の好きなマルクスの言葉を巧みに織り込んでいるのが小嵐九八郎さんの『せつない手紙』なんだ。年賀状から恋文までとか言って、刑務所への手紙、獄中からの手紙、妻への置き手紙なんかの書き方を紹介する本って珍しいと思う。一番心をうたれたのはチェ・ゲバラがカストロに送った永訣の手紙だったけれど。小嵐はこの本で手紙の書き方を教えるふりをしながら、実は奥さんを口説き直しているのも魅力的である。「愛を愛として交換」するために。みんな気づいていると思うけど、介護保険制度にしろ援助交際にしろセクハラにしろ金融自由化論にしろ、錦の御旗グローバリズムが対幻想領域を侵食しつつあるんだ。世界資本主義はアジア的・アフリカ的領域を解体しようとしているわけさ。だからね。今こそ! 愛の初期マルクスだ。

 小嵐には『風に葬え』『見上げればあ、雲』など、組織からはぐれてしまった過激な男の人情小説がある。そこにはマルクスやローザから「任侠道」まで踏み込んだ党派の感性が鮮烈に表現されている。小嵐のいた組織の現役たちは、仲間同士の壮絶な殺戮戦にまで追い込まれているという。本当は小嵐の本を読みながら、僕はそのことが、とてもせつなかったのだけれど。
         
  (「暗射」のために執筆))

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