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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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 何を読んだか 1993−1

 某月某日 神津陽ほか著『途上にて』(総合企画、2000円)。いつの頃だったか神津さんの呼びかけで企画された「メッセージ」シリーズがようやくIさんやOさんら編集委員の力で実現にこぎつけた。中心は全共闘−旧共産同(叛旗派)に結集して後退戦をくぐり抜けた活動家たち。それになぜか、僕のような政治的なメンバーではないが、同様な問題意識を持って同時代を生きていたものが例外的に加わっている。組織内部にほとんど関係を持っていなかった僕のような人間には、今回の本を読んで、内部の人間のこだわり、党派性のようなものを改めて感じた。

》榊 書こうとするとねぇ、誰が読むのかなっていう目を意識するでしょ、ひとつは。いや、するよ。大体書くって時はどういう対象に書くのかってあるよ。
 板橋 そういう書き言葉はねぇ、終わったと考えた方がいいんだって。本当の意味では書かなくていいんだ。 (中略)
 板橋 逆に言えば話し言葉で流通範囲だとか関係づけの範囲をどこまでもっていけるのかと、互助会っていうのはそういう言葉でそうなんだよ。言葉が通じ合う関係だけ大事にしょうとね。老後は、最後はこの範囲の中でしゃべり言葉でしゃべる。
                   (座談会ー我らの所業終わるところ)

 要するに党派が解体した時点で「書き言葉」は終わった。今、書き言葉でどういうものいえるか。という痛烈な問題意識がある。これに対して、共同体験を軸にした「話し言葉」の世界こそが大切にしたいものだというわけだ。とすれば、そう簡単に新たな「メッセージ」などおいそれと書けるわけがない。神津さんが企画を呼びかけたところで、実際の作業が簡単に動かなかったのも当然というものだ。               
 僕のように組織に直接関係を持っていない人間には、こういう発言はつらいものがある。新聞「叛旗」がどれほどの人たちに読まれていたかは知らない。だが、中枢活動家の自負とは別に、地方にあった多くの全共闘系活動家大衆は僕のような「書き言葉」の「叛旗」だったのではないか。そうした注目者・購読者たちにどのような<現在>を伝えられるかどうか。僕にはそこだけが今回の試みに感じた最大の魅力であった。     
 それぞれの参加者たちは自らの現在に引きつけてメッセージを発している。こころゆすられるものもあれば、そうでないものもある。そうだ。誰にもまた20年の時が流れたが、その時間はそれぞれに固有の影を落としているからだ。共同性に最も拘ったものたちの、新しい共同性を獲得できぬままの発語は引き裂かれざるを得ない。「途上にて」を読みながら感じたのは身辺雑事にも貫かれている党派意識のようなものであった。それはある意味ではまだ党派の残り香が強烈に存在していた「MESSAGE FROM THE THIRTY」以上に激しいもので、[THIRTY]のほうがある種の普遍性を持っていたように思う。  
 なぜ書くのか。書くことの普遍性をお前は本当に突き詰めているのか。そうした自問の果てに、かろうじてこの「途上にて」の発語はなされている。そうした微妙なバランスが痛いほど伝わってくるのだ。とすれば、この本はどのように同世代あるいは若い世代に読まれるのだろうか。「叛旗」も結局、思い出の中にしか存在しないと映るのかどうか。あるいは今なお「叛旗的なるもの」は健在であると映るか。未だ「途上」である。     

 某月某日 日本の保守系論客の発言を見ていると、結局、政治(イデオロギー分野)に強くこだわっている部分と、経済(物質交通過程)にこだわっている部分とに2分されていることがわかる。この両者をトータルにとらえきり、その思想を解体できるならば、私たちは現在の困難を意外に簡単に超えることができるような気がする。もちろん、この簡単というのは論理的に、という意味で具体的過程は膨大な困難が伴うことは言うまでもない。政治的なこだわりを持っているのはたとえば、江藤淳のような人であり経済主義者の典型は卑屈な対米従属論者のバブル仕掛人・長谷川慶太郎のような人物である。彼らのどちらが優れているかということは言えない。ただ、現在のような経済過程の世界性が一層明確になっている状況では、長谷川のような部分の発言の方が少しは分かりやすい、という程度のことである。      
 政治主義は日本の官僚機構を見ると、たとえば外務省や文部省がその傾向が強い。文部省にあっては近年国際化というようなことを言い出しているが、教科書の第二次大戦の扱い一つを見ても国際化とは無縁の「皇国イデオロギー」の残りかすを拭いきれていない。外務省にあっては、妙なプライドだけがあって機動性や柔軟性を常に忘れている。
 伊藤憲一『二つの衝撃と日本』(PHP研究所、1400円)もそうした外務官僚の発想を典型的に示す本であった。伊藤が強調していることは、2つに尽きる。要するに、日米同盟を政治的リーダーシップの観点から堅持せよ、ソ連(ロシア)に対しては北方領土問題をまず認識せしめよ、というものある。                    

》アメリカをわれわれの望む「新世界秩序」の推進者に祭り立てる、誘導する、そしてそのためにはもちろんそういうアメリカのリーダーシップを支えてやる、これが賢明な日本の戦略として出てくるのではないか。
 個人において「人間の尊厳」にかかわる問題があるように、国家・国民にとっても「国家・国民の尊厳」にかかわる問題というものがあるように思う北方領土問題を「マテリアルな問題」だといって、ゼニ・カネのレベルでその価値を計算しようとする日本人がいる。わが子の価値をゼニ・カネで計算する親がいるであろうか。そんな親がいれば、そのひとの「人間としての尊厳」が問われるであろう。日本人は「武力行使」以外のあらゆる手段を尽くし、犠牲を払って、北方領土を取り返そうとしなければならない。それは日本の「国家・国民の尊厳」がかかっているからである。

 こういうもの言いを聞くと、うんざりする。そんなに「日本人の尊厳」が大切なら「憎きアメ公を今度は必ずたたきのめしてやる」と言うのが一番じゃないのかね、との半畳を入れてみたくなる。伊藤の発言は日本の外交の屈折をよく写している。             

 某月某日 加藤寛『混沌の中に日本が見える』(講談社、1600円)。ご存知・行革屋の大先生。この人は伊藤のように、北方領土が大事などとは言わないが、「行革の必要性は減っているどころか増大しているのである。不況打開のために、歳入不足のなかで、公共事業の前倒しをやり、さらに補正を組まなければならない。そればかりか、旧ソ連をはじめ環境問題をふくめ、日本の国際的貢献への融資の要望は、大きくはなれ小さくなることはあるまい」と叫ぶ。あーあイデオローグだな。

 某月某日 岡部隆志さんの『北村透谷の回復』(三一書房、2400円)。久しぶりに凄い本を読んだ。岡部さんは、全共闘世代の戦闘的活動家であり、激烈だった三里塚闘争の被告であった。僕が会ったのは判決が確定するころであったので、闘士というより伏し目がちの文学研究者の印象が強かった。吉本隆明さんに関する文章を書いていたことは知っていたが、関心が北村透谷に向かっていたことは、僕が学界の動きの方面は全く門外漢なので知らなかった。しかし、岡部さんにとって、北村透谷はやはり一度は書いておきたいテーマだったことは当然だった。
 透谷は自分である。もちろん、岡部さんは、はにかみながらそう言う。しかしサブタイトルにある「憑依と覚醒」とは透谷の自家撞着であり岡部さんのジレンマであった。ひとつの世界に踏み込む時訪れる至高の体験と批評意識のアンビバレンツ。神を見ながら帰依できない人間の身体性への自覚。こういう書き方がどうも、俗物的でいやなのだが、そういう一切を振り返る眼差しの中に、岡部さんがすっくと立ち上がっているのがわかるのだ。
 僕たちの北村透谷とは、早すぎた自意識の悲劇の象徴であり、しかし、そうであるが故に、彼の敗北を自己のものとして突き進むべき先達であった。だが、岡部さんはここで、透谷の敗北を美化するのではなく等身大の存在として静かに描き出している。    
                    
》透谷が自家撞着的世界をついにうまく生きることができなかったその結果の位置にわたしは今佇んでいると言ってもいいかも知れません。透谷が最初に生きざるを得なかった自家撞着の世界に佇んでいる、と言ってもいい。言わば、自身の中に、境界線の上の生を生きた自家撞着的透谷をよみがえらそうとしているのです。北村透谷の回復です。   

 ここに明治20年代の物語と昭和40年代の物語が別のものではないことが示されている。       
》ところで、わたしは透谷がわたしによりついてきた、と語りました。それは、透谷が、自己や世界というものを輪郭化しようとするその寸前のところでの生成の動きのようなものをわたしに明示した、ということなのです。言うなら、語ろうとすれば自家撞着にならざるを得ないような、思想が思想として生成される寸前の動きを明示したということかも知れません。はっきりいって、わたしは、透谷のその動きに目を見瞠ったのです。    

》人から後退と言われようと、わたしはわたしの自家撞着的世界にこだわるしかないのだと思っております。自家撞着的世界のまま、あいも変わらずわたしは自分の思想というものを語れないかも知れません。でもそれはそれで仕方ないでしょう。わたしが思想を語らなければ世界が不幸になるなんてことはないでしょうから。それはたくさんの思想家と言われる人達にまかせます。                      
》だから、透谷について書くことは、わたし自身がかかえた自家撞着を、空しさに襲われないように「言」としてわたし自身のなかによみがえらすことだと思っています。そうすることで、わたしなりの「言」の世界を考えて行きたいと思っています。

 この文章の後に最初の引用の文章がつながるのだが、岡部さんが透谷を超えているとすれば、その自家撞着に自覚的であることで表現の吃水線を引き寄せようとしていることだろう。70年代の全共闘反乱は多くの表現と多くの沈黙を生んだ。僕たちがやりすごしてきた部分を岡部さんは20年かけて確認し、断固として最前線に登場してきたのである。空の空の空なる事業の確認と決意性。70年代のもっとも重い傷痕を超えた最後の戦士の登場に僕らは戦慄すべきだろう。

 某月某日 佐々淳行『東大落城』(文芸春秋社、1400円)。サブタイトルに「安田講堂攻防72時間」とある。昭和44年1月18日の東大安田決戦をピークとした学生反乱に対して、反革命=警察機動隊の一線指揮者として暗躍した著者の回想戦記。安田攻防を指揮したほか連合赤軍の浅間山荘事件にも関与、さらには初代の内閣安全保障室長を務めたそうで、警備・公安のプロのようだ。所詮、体制側であるからどうしょうもないのだが、視点として面白いと思ったのは、著者は安田決戦を一種の戦記として描き出していることで、戦国合戦ものと同様な世界になっていることである。もう一つは、学生は対決相手であるから一種の「連帯感」が感じられるのだが、教官を始めとした大学組織に対してその無責任ぶりに対して学生とは別の怒りを感じていることである。それは方向性はともかく、戦後の擬制に対する直感のように思われた。

》二機の法学研究室に対する“城攻め”は、午前九時に開始された。戦法は一機の列品館攻撃と同じだ。1階東西両側から三沢由之隊長指揮の下角田重勝、佐野行雄両副隊長の陣頭指揮で、警備車を横付けにして、破壊工作班が窓を破って突破口を開く作業が始まった。(中略)警備車と法研建物との間の約2メートルの隙間で、大楯を頭上にかざしてバリケード撤去作業に従事していた隊員の1人に、屋上の白ヘルが投下した大きな石塊が当たる。大楯はへし折れ、苦痛に顔をゆがめたその隊員は、落石で折れた太い角材や瓦れきの山の上に倒れ込む。警備車の中にいた同僚が飛び出し、倒れた隊員を車内にひきずりこむ。
 「大丈夫か?」          
 「大丈夫だ。もう少しで無試験で警部補に昇進するとこだった」と白い歯を見せる。     
》東大職員の傍観者ぶりが次第に気にさわりはじめた。(中略)ふり向いて見まわすと、機動隊が命がけの攻防戦を展開している安田講堂を背景にして、記念写真の撮りっこをしているグループがいるのに気づく。路面に腹這いになってカメラを構え、広場の瓦れきの山 や炎上する警備車、青、赤、白のヘルメット軍団をのせてそびえたつ安田講堂の全景を、同僚たちとともになんとか1枚の写真におさめようと苦心してファインダーをのぞいている男もいる。
 この逆の位置に同じように全共闘がいたというのが合戦の構図ということになろうか。

 それでは最後に、著者の全共闘運動の総括を聴こう。

》東大闘争をはじめとする全共闘活動は、新たなゲマインシャフト的価値観の確立を目指す「連帯」(ソリダリティ)闘争だったと思う。彼らはたしかに既成の運命共同体(ゲマインシャフト)的価値観、たとえば天皇制、日の丸、愛国心、古い家族制度などを否定する立場をとったが、同時に高度経済成長期に突入して急速に勢いを得てきた利益共同体(ゲゼルシャフト)的価値観、たとえば拝金思想、利潤追求、金権政治、マイホーム主義などにも強く反発し、“直接行動”によってそれらの価値観を破壊しようとした。(中略)だが、反社会的な違法行動によってその「新連帯意識」を醸成しようとした結果、前途有為の若い学生たちの間から1万名を超える被逮捕者、多くの怪我人を出した。しかも彼らは誰もその道義上の責任をとっていないし、自己批判の弁もない。
 
 結局「気持ちは分かるけど、やり方がよくない」ってことになるようだ。

 某月某日 吉本隆明『追悼私記』(JICC、1400円)。吉本隆明さんの友人・知人・身内の死に寄せた追悼の文章をまとめたもの。初期のものはすべて単行本で、中期のものはすべて「試行」で、最近のものは概ね新聞や雑誌で読んでいた。今回、1冊にまとめられたのを読んで、その時々とは別の感慨が浮かんでくるのに気がついた。それは、うまく言えないのだが吉本隆明の寂しさのようなものである。

》戦争中ファシズムの影響をかぶった真摯な人士にも、戦後スターリニズムの影響をかぶった真摯な人士にも共通した発想、純粋意識、宗教にも似た収劔の仕方を、小山俊一の晩年のエピグラムは表象しているんだ。それはスターリニズム的な発想が歴史から退場してゆく、いちばん真摯ですぐれた典型例だ。でもこれを超える倫理が見つけだされるほかないことも、好悪や個人的な愛惜を超えた問題だよ。 (小山俊一=純乎とした覚者の死)

》初期鮎川は、わたしたちの年代に、敗戦直後「祖国なき精神」と「デモクラシー」の重要さを教えてくれたんだ。わたしたちの年代は、それを骨髄に滲みとおるように学んで、そこから戦後を生きる望みをつないだ。だが、晩年の鮎川は祖国日本のナショナリティの手ばなしの擁護、天皇制の擁護に変わってしまった。埴谷雄高のスターリン体験先祖帰りとおなじように失望したな。(中略)
 おれは、孤立を支払い知友との断絶を支払ったが、公然と主張をとおした。反核、反公害、エコロジー宗派の反動たちは、おれが変節したなどとデマって気勢を殺したいのだろうが、どっこいこういう政治的な屑など自滅させるまでやるさ。(磯田光一鮎川信夫=ひとの死、思想の死)                  
》だいたい黒田喜夫が、地方の貧農の子供で喰いつめて窮乏に耐えて、都会へ家出してなどという閲歴を凄んでみせるのは、きみが喰いつめて郷里を追われて都会へ出てきた舟大工の三男坊の窮乏生活の苦悩の体験を凄んでみせるのとおなじじゃないか。また日本共産党の組織活動の体験を凄んでみせるのは「なかのものをくだらぬならず者にしてしまう」装置に青春を入れこんだ馬鹿さ加減を凄んでいるだけじゃないか。いい加減にしろ。
                       (黒田喜夫=倫理が痩せ細らせた)

 三島由紀夫の死は、人間の観念の作用が、どこまでも退化しうることの怖ろしさを、あらためてまざまざと視せつけた。これはひとごとではない。この人間の観念的な可逆性はわたしを愕然とさせる。<文武両道><男の涙><天皇陛下万歳>等々。こういう言葉が、逆説でも比喩でもなく、まともに一級の知的作家の口からとびだしうることをみせつけられると、人間性の奇怪さ、文化的風土の不可解さに慄然とする。      (三島由紀夫=重く暗いしこり)

 どの追悼を読んでも本当のさわやかさはない。吉本隆明さんは、多くの人と出会っただのだろうが、それ以上に多くのつらい離別を繰り返していることがわかる。鮎川さんの晩年の頃の親米愛国の文章を僕は笑いながら読んだ。つまり鮎川さんは自らの思想表現の先鋭性を捨てたところで遊んでいるように見えた。それが吉本隆明には許せなかったとすれば、思想を生きる者の厳しさがひしひしと伝わってくるだけだ。小山俊一にしても吉本さんのある時期の「戦友」ではなかったのか。内村剛介しかり。            
 僕は以前、兵頭正俊にふれて吉本さんには人を見る目がないと感想を述べたことがある。兵頭の駄目さは最初からわかっていたのに、吉本さんは最大の賛辞の後に最大の罵倒をした。追悼とは何か。

 某月某日 滝村隆一+芹沢俊介『世紀末「時代」を読む』(春秋社、2200円)。ここで2人の論者が撃とうとしているのは、世紀末の日本にはびこる機能主義論理という論理である。芹沢さんは機能主義的論理という病いの問題点を次のように指摘する。

》「ひとつはもろもろの現実の事象に対する理解の仕方に認められる『非歴史的な把握』というかたちであり、もうひとつは『政治という枠組み』を徹底して無視するという態度である」。では、機能主義的論理に対する2人の基本的態度とは何か。私の見るところでは、「歴史的論理的」態度である。       

 要するに滝村さんは、良くも悪くもヘーゲル・マルクス流の方法論の癖が抜けていないのだ。だから、2人の石原慎太郎批判やかわぐちかいじ「沈黙の艦隊」批判、さらには柄谷行人や岩井克人批判は大変わかりやすくて、それなりに説得力があると思った。
 ただ、<情況>派である私は、くだらないものもまた時代の象徴であるし、歴史論理的な正当性みたいなものを余り信じていないんだなあ。だから、滝村理論の切れ味の鋭さに感心しつつも、「機能的論理」にある時代性を簡単には否定できないとも思った。

》滝村 これまでの日本は、アメリカの「核のカサ」のなかという政治学でいうところの対外主権の問題ですが、対外主権をもたなくても、対内主権だけでやってこれたんです。世界的にみてもちょっと例のないようなのん気な時代だったんです。そして対米従属・対内支配の装置として自民党があったんです。だから、対外的な問題が入ってきちゃうと、とくに対米関係が悪化したり、根本的に変化したりすると、たちまちなかの装置が全部ぶっ壊れちゃうんです。
                 (「対米従属・対内支配の装置としての自民党」)

 これは例の共同体<間>国家と共同体<内>国家という滝村の国家理論の応用編ということだろうが、やっぱりこれは構造改革派丸だしじゃないかしら。対内権力と対外権力という権力の二重性の指摘は解説としては面白いけれど、こいうのは機能主義じゃないのかしら。言っている意味はよくわかるが、二段階革命論にしかならないなあ、これじゃ。

》ある少数の業種の利害でもいいし、特定の地域の住民の利害でもいい、それがそのまま「国益」になって、国の予算というものを直接左右しているというのはけしからんという議論です。だけど、この論理をつきつめていくと、民間的な活動をしていない立場の人にしか「国益」は判定できないし、その人にしか利害の裁定権は打ち出されない。それは官僚以外ありえないんです。官僚とはそういう意味での利害にとらわれない、国家・社会の全体的なバランスを考えた統治のエキスパートである。この人の「平成維新」はこの発想が根本原理になっています。
                         (国民はみな社会的な個人である)

 これは大前研一批判である。「平成維新」のうさん臭さはいろいろなレベルで批判されている。僕はブルジョア功利主義に異和を唱えておいたが、国家意志の形成論から分析したのは滝村が初めてだろう。面白いと思った。

》民族を母体とした新しい歴史社会というものの、とりわけ社会構成としての枠組みは払拭できないし、おそらく完全になくなる(国家の死滅ということ)はありえないだろうということです。

ここで滝村さんは国家の死滅はありえない、と強調している。僕は芹沢さんじゃないが、ショックは受けないが、どうかなあ、と思った。もちろん国家の解体はきわめて困難であってもだ。滝村さんの結論は明らかにその国家論からの帰結であるだけに、重く聞いた。
    
 某月某日 槌田敦『環境保護運動はどこが間違っているのか』(JICC、980円)。俗流エコロジストたちの主張している環境保護論を完膚なきまでに批判しつくした書として群を抜いている。もちろん、僕は槌田氏の指摘には全面的には賛成も支持もしない。それでも現状の環境保護論を粉砕するにはより多く傾注に値するものといえよう。
 槌田氏は「みんながエコロジカルな生活をすれば、ほんとうに地球は救えるのか」という問いに、明快にノンと答えてみせる。朝起きて水を節約し、食用油を流さないように心がけ、合成洗剤は使わず、読み終わった新聞は整理してリサイクルにまわします。買い物の時にはスーパーの容器やビニル袋はなるべく利用しないようにし、ヴァージンパルプを使った紙製品は買わないようにし、牛乳パックは集めておいて生協の回収に出すようにします。「動物工場」で大量の抗生物質を投与されたブロイラー、ハマチなどは買いません。熱帯林の破壊の上で作られるエビなども食べません。外出する時は車は使わず、自転車を利用、外食は自然食の店でします。電力消費量を減らすため電球のワット数を落とし、夜は出来るだけ早く寝ます。        
 ―そんな「エコロジカルな生活」をしたからといって地球が本当に救えると考えている人がいるかどうか。僕にはわかりません。言われていることは物は大切にしよう、早寝早起きをしよう、という程度の小さなモラル以外のことではないような気がします。しかし、世の中にはどうしても「エコロジカル」な生活こそ地球を救う方法だと考えている「運動主義者」がいることだけは否定できないようだ。とりわけ、僕たちと同年代の人たちのなかには、依然として共同運動への郷愁があるのか、生協運動に夫婦でのめりこんでいる人も少なくない。しかし、ちょっとでも冷静になればわかることだが、元来、社会や政治のシステムを根本的に変えない限り解決しない問題を小乗的な個人の倫理にすり替え、政治的・社会的レベルでの解決をめざすことを回避しているように見える。自然食ブームがかつてあったが、僕たちの汚染された日常になにか純粋なものを持ち込むことがどれほど効果的なのか、全体的な視野をかちとっていないことに呆れ、僕は世の中に純粋な・真空な「反スタ党」を造って行けば革命が起きると信じている宗派に対すると同様な退廃を感じたことを覚えている。
 槌田氏の結論は次の通りだ。 

》個人の倫理では、環境問題は解決しない。しかし、社会の倫理を強引に人々に押しつけるようなことをしたら、とても息苦しい社会になってしまう。だからこそ交渉のルールが必要になってくるし、また、これまで説明してきたように、経済原則を導入することによって、環境問題を解決する方向にごく自然にもっていくこともできるんです。(中略)
 今ほんとうに必要なのは、環境問題をめぐるさまざまな状況をきちんと把握して、その問題を社会のシステムの中で解決していく具体的なプログラムをつくり、その実現のために社会的・政治的な運動を展開していくことなんじゃないかと、僕は思います。
        
 結局、地域的な市民運動じゃなく政治運動こそが真の環境保護につながると、槌田氏は指摘している。さて、結論は納得したが各論の疑問も述べておこう。
 槌田氏は危険なゴミや自然に戻せないゴミは「海に捨てるのがいちばんいい」と言い、一方で、核のゴミについては、放射能をいっぱい持っているので「地上の建物に入れて保管するべきですね」といい、しかし核兵器につながるプルトニウムは「海洋投棄がいい」と述べる。この考え方はどこか現状追認的である。だって、やっぱりこの種のゴミはまず出さない・出させないのが原則だろうし、核のゴミと国家権力の強制で同居させられる住民感情を無視している。

 某月某日 丸谷才一『女ざかり』(文芸春秋、1700円)。なぜか業界関係者に話題沸騰の文壇の才人の書き下ろし長編小説。もちろん話題になったのは新聞社の政治権力との癒着体質をかなり明快に描いたためであるが、みんなが知っている論説(社説)の凡庸さをしっかりと挑発してみせたからにほかならない。      

》新聞の論説は読まれることまことにすくなく、一説によると全国の論説委員を合計した数しか読者がゐないといふ・・・                  

 という書評者が引用する部分を、僕も書き留めて置こう。もちろんこの丸谷の指摘は間違っている。
 なぜなら、社説の読者は論説委員よりもう少し多いからだ。つまり、僕の会社で言えば、論説委員の書いた素晴らしい社説は整理部のデスク、すなわち僕たちがまず第1に読んで出稿するからだ。そこで文字の誤りや事実関係の誤認を発見するとする。僕らは勝手に手を入れて直すことは出来ない。いちいち当該論説執筆者に連絡を取り、その上で赤字を直すというわけだ。それほど厳重な管理の上であの凡庸な膨大な社説が書かれているということに、丸谷は踏み込んでもらいたかった。
 もちろん、整理部のオペレーターらしい男が「論説は聖域。いぢるわけにゆかないのだ」と舌打ちする場面もないわけではないのだが、なんとも付け足し的であり、「聖域」の迷惑度に対する重みが伝わってこない。なんちゃって。
 ことほど左様に論説委員同様、表面的で紋切り型の認識を示す丸谷が持ち出すのが饒舌なお説教である。お題は文化人類学者顔負けの「贈与論」である。

》「社会学に交換理論といふのがあつて、人間は贈り物をもらったら、きっとお返しをする、というのからはじまって、何でも物のやりとりで説明するんですな。もちろんさういふ面もあります。お中元とか、歳暮とかね。一般に近代生活のなかに残つてゐる古代的局面として要約されるせう。クリスマス・カードやクリスマス・プレゼントもそうでせう。日本人がはじめてあったときの名刺のやりとり、あれなんか典型的ですな」
「それぢやあ、政治家が選挙民を買収して、投票してもらふのは?」と浦野が訊ねた。
「それはもうはつきり互酬。贈り物のやりとりです。でもねえ、変な学説もあるんですよ。代議士が選挙民から票をもらったから、そのお返しに選挙民に利益をもたらすといふのはどうでせうか。もちろん、さういふ場合もあります。お返しに橋をかけたり鉄道を引いたりする。闇将軍の場合なんかまさしくそれです。・・・」(中略)
「それはわかりましたけど、でも新聞社の場合はどうなんでせうか?」
「新聞社が政府から補助金をもらふときですね。やはり何かお返しをするでせうな、贈り物に対して。これは否定しがたい。ただしそのお返しは、政府に対するおべつか、阿諛追従だけとは限らないでせう。もつと別のお返しもあり得るんぢやないでせうか?」
「と言ひますと?」          
「つまり、直言、忠言、諌言。政府の欠点を批判し、悪政を正す。それもお返しになるはずですよ」   
「まあ」
「すなくともわたしはさう考へたい。楽天的にすぎるかもしれないけれど」      
                     
 あーあ、疲れた。長いお説教が繰り返し登場し、物語はそのテーマに沿って展開していく。教養小説だね、これは。そして美しい日本語かなにか知らないけれど、旧仮名遣いは疲れるのでやめてもらいたいものだ。    チクリチクリとあらゆる権威的なものをおちょくりながら、最後は大団円。文壇政治家の本領発揮というところか。

 某月某日 島田荘司『暗闇坂の人喰いの木』(講談社、1100円)。久しぶりに島田荘司の世界。もっともこの先品は以前単行本で出ていたのを、今回新書版のノベルスに収めたものだ。物語は横浜の「くらやみ坂」と呼ばれるかつての処刑場の後に残る大楠の木のそばで次々と人が死んでいく。そして、その木を調べてみると、たくさんの子供達が木に食べられていたことが分かる。この猟奇事件に立ち向かうのは、我らがそううつ症の名探偵・御手洗潔である。事件は遠くイギリスで起こった幼女殺しと日本の事件が結びつき、猟奇犯罪の舞台裏がドラマティックに解きほぐされていく。結局、例によって「くらやみ坂」に残る言い伝えは物語の雰囲気を盛り上げる小道具のようなもので、島田の筆先は日本的近代の歪みと犯罪者を囲む家族の葛藤に迫っていく。謎解きのキーワードは「遺伝」というところか。

》「つまり、遺伝という現象に関しては、人間はまだ何も知っていないということです。DNAという存在すら知らなったダーウィンの古典的学説が、未だに博物館に入らず、現役でいる。またたとえば突然変異という現象が、進化に貢献しているか否かといった根本的な点でさえ、現在の最先端の遺伝子工学の権威でもまだ解らないのです。だから、時の政治的イデオロギーさえここに割り込む余地が生じる。遺伝に関しては、人間の空想がまだいくらでも許されるのです。そしてこのくらいは言えるでしょう。八千代さんも、その種の空想家であったと」 
        
 それにしても島田は恐ろしくマニアックな世界と社会派的関心の領域に引き裂かれている。この傾向は当分続くのだろうが、難しいところだ。           

 某月某日 島田荘司『眩暈』(講談社、2000円)。名作「占星術殺人事件」から12年、この小説を愛読する青年が引き起こす両性具有の人間の創造と、目撃する世界の終末の光景。物語の謎は小説を読んでいただくとして、ここでも島田荘司の最近の傾向は明瞭に現れており底流にあるのは「薬害」であり「公害」ある。
 「いつか香織さんが、海の水は綺麗みたいなことを言ったけど、これも全然違う。東京湾の水なんか特に、流れ込む生活排水と、重化学工場の排水で、魚も、海苔も、どんどん汚染されて、漁業なんてできなくなっている」といった公害問題の基礎知識みたいなくだりがどんどん飛び出してくる。
 島田は本当に社会派になってしまったのだろうか。もっとも次の部分はどう聞けばいいのだろうか。
     
》「あの教師は、思想に問題があってね、この地へとばされてきたのさ」
「思想に問題というと?」
「筋金入りのアカなんですよ」
「どうして解ったんだ?」
「簡単なことだよ石岡君、あの仏頂面、職員室の中で、ほかの先生と全然うちとけているふうじゃなかった。彼のデスクの周りは、まるで天塩高校職員室のブラックホールというところだ。これに加えて、机の上の書類だ。共産思想の本ばかりだった。こういう人物が心を開くのは、同志に対してだけさ」
「はあ、なるほど」           
 藤谷が感心の声をあげた。 
「石岡君、よく憶えておきたまえ。開拓地というのはね、問題思想と犯罪者が流れ着く場所なんだよ。これは歴史の定理だ」

 そうかなあ。これは偏見だよね。島田先生。さしずめ僕なんかは開拓地の生まれの典型だもんな。とすれば、問題思想と犯罪者の業を背負っている、ということかなあ。今回の物語にも相変わらず、怪奇趣味があふれミイラなども登場する。僕にはいささか気持ち悪かったが。

 某月某日 高坂正尭『日本存亡のとき』(講談社、1600円)。久々に保守派の大先生の書き下ろし論文集。高坂氏は最近はテレビ桟敷での「そやけどね」の一言おじさんに徹している。胡散臭い・日共=民青体質がぬけきらない高野孟や優れたドキュメンタリー作家から政治家のヨイショ芸人に成り上がった田原総一朗の間で、ぶつぶつ関西弁を浮いた感じで話しているのを見ていると、なんだか静かに大学で研究でもしていればいいのに、無惨に思えてくる。
 もっとも、この高坂先生、新保守のブレーンとして、ジャーナリスティックな方面が本舞台だったので、いささか芸が衰えたとしても、テレビに出れるだけで本望なのかもしれない。
 今回の、書き下ろし論文で、高坂先生が一貫して強調していることは、「このままでは日本はえらいことでっせ」という危機感である。何がえらいことなのか。
  
》 成功はすばらしいものだが、厄介なものでもある。というのは、成功は次の時代における成功を難しくさせるところがあるからである。それも、増長や慢心が最大の障害ではない。もちろん、それは必ずおこる。 (中略)
 成功した体制を変えることは難しい。
 人々には自信があるし、それに体制には既得権益がつきものである。その既得権益は成功ゆえに、自分たちの役割と権利に正当な理由があると信じている。だから、体制を変える必要が生じても、それは容易には変化しない。だからこそ、成功したものが続けて成功するのは難しいのである。逆にいえば、敗戦など大きな失敗をした国が、次の段階で目ざましい成功をおさめるのである。われわれはこの逆の面をやってのけた。そのことを思うなら、現在の課題の困難さを認識し、それと必死で取り組むべきである。
 
 つまり、日本は戦後、前例のない経済的繁栄という成功をおさめたが、
  ・・冷戦の崩壊に伴う世界の新多局化 
  ・・日本の世界に占める位置の増大 
  ・・戦後日本独特の孤立主義――以上の3つのあらたな情況の前に、未曽有の難関に直面しており、その問題をクリアできない限り、日本の繁栄は維持できなくなるだろう、というわけである。
 そこで、高坂先生、戦後の世界の歴史を振り返りながら、処方箋を示そうというのが本書のメーンテーマである。すなわち、超帝国主義国家(そういう言いかたは勿論してません、念のため)米国の戦後の圧倒的優位性と特殊アジア・日本でのプレゼンスの特徴を分析した上で、自由主義の旗手から、いくつかの国際対応の失敗・産業界の競争力の低下を迎える中で、米国は孤立主義(至上主義)に回帰し、日本などへの風当たりが強まって来ていることを批評的に指摘。返す刀で、日本が米国に国際的責任をおしつけるだけでなく「国際的貢献」を探究すべきであることが、提唱される。

》国家はある程度以上の力を持つようになると、その利害関係が広範に広がり、自国の安全や繁栄として明確に定義できるものだけを求めているのでは、その利益を十分に守ることができなくなる。つまり、自国の特定の利益ではなく、国際関係のあり方に関心を持たざるをえないし、国際関係のあり方に影響を与えようとしなければならないのである。

 この論理からは、当然、PKOを始めたとした国際貢献、積極的な軍事・経済・開発外交が是とされる。ああーあ新保守主義者よ!

 某月某日 アレクサンドル・パノフの『不信から信頼へ』(サイマル出版会、1900円)。サブ・タイトルに「北方領土交渉の内幕」とあるように、ロシア(ソ連)側から見た北方領土問題を中心にした対日交渉の裏面史である。
 著者のパノフ氏はロシア外務省前アジア太平洋地域局長で、現在は駐韓国ロシア大使。経歴を見ると、1944年生まれ。68年にモスクワ大学を卒業し、ソ連外務省入り。68年から71年まで在日本ソ連大使館員。その後、大学に戻ったり、国連ソ連代表部に勤務したりしているが、83年から88年にかけて在日本ソ連大使館参事官を務めている。言ってみれば日本通であるとともに、ソ連のアジア太平洋地域の外交問題の事務方の実質的責任者ということになろうか。
 そうした著者を得て書かれたこの本には、日本にまさるとも劣らないソ連外交のいい加減さが、よく示されている。パノフは赴任が決まった駐日大使が、自分の活動のための助言を得ようと上司にうかがいをたてたところたらい回しにされ最後にフルシチョフのところまでおしつけられたあげく「君がわれわれにどうすべきか勧告してくれ」と言われたというエピソードを紹介した後、次のように述べている。

》この話は、当時のソ連指導部に、対日政策についての首尾一貫したビジョンの概念が存在していなかったことを物語っている。それは、1960年代初めだけでなく、その以前の時期にも、それ以降の時期にもなかった。
 この場合、日本に対してみられる日本の対外政策の傾向は、アジア太平洋地域に対しても、例外ではなかったことを指摘しておく必要がある。(中略)
 主要な注意は、米国、西欧諸国、イデオロギー上の同盟諸国との関係に集中されていた。
 
 要するに、日本が思っているほどにはソ連は日本を重視しておらず、ビビッドな情況認識などまったくなかったというわけだ。
 まあ、そんなもんだろうなあ、とは思っていても、当事者から「ソ連にとって日本なんてどうでもよかったのでござんす」と言われちゃうと、正直がっくり来ます。それじゃあ現在の日本に対するあれやこれやの注文は、結局、日本が経済大国になったから、一応考慮しましょ、っていう態度かしら。
 それでソ連の対日認識の根底にあるものは何か。結局、日露戦争での敗北ということになる。

》1945年9月2日に日本が無条件降伏条約に調印したとき、スターリンはソ連国民へのアピールで「露日戦争時における1904年のロシア軍の敗北は、国民の意識に辛い思い出を残した」と述べている。

》スターリンやその側近の人びとの意識のなかで、1904年のロシアへの背信的攻撃、第2次世界大戦の直前とその過程での反ソ的行動に対する“日本制裁”が優先課題の一つだった、という事実に異議を唱えることはできまい。

 これもまた、悪魔の国際共産主義運動の総本山が解体したからといって、そこまであからさまに言っていいのかなあ、という代物である。第2次世界大戦におけるソ連の参戦の世界史的意味が見事に歪小化されている。これがソ連=ロシアの対日政策の基本だとしたら情けない。タイトルに「不信から信頼へ」とあるが、オレは不信が一段と募った。

 某月某日 例によって極度のスランプ状態でまともに本が読めなくなっている。もっぱらパソコン関係の本ばかり、買ってきては睡眠薬代わりに読んでいる。
 パソコンの世界というのはちょっと考えられないほど、ハイパーリアルである。とにかく進化というのが考えられないほど速い。4年ほど前に、東芝が「ダイナブック」というノートパソコンを発売した。これはメモリー1・5メガバイトで、フロッピーディスクを1枚(1メガ)挿入出来るドライブを持っていた。そしてCPUが8086という16ビットのコンピュータであった。当時、ワープロこそ軽量化していたが、コンピュータなど戦後早々のテレビじゃないが、ドンと神棚に置かれているべき存在と思われていた。そこに、ワープロ並の19万8000円(この価格付けが日本的で泣かせるデショ!)で、しかも重さ2・7キロのA4サイズのコンピュータが誕生したのだから、ビジネスマンを中心に爆発的に売れたのは当然であった。1・5メガのメモリーといっても基本システムに640キロバイト取られるため、実際にアプリーケーションとして使えるソフトはワープロに表計算、そしてスケジューラを合わせ持った統合ソフト(たとえばビジコンポ)1本というところであった。それでも、画期的であったことはいうまでもない。コンピュータが本当に、パーソナルになった歴史的年として1989年6月は記録に残るであろう。もちろんこの年、世界は大きな事件を体験していたわけだが・・。
 ところが歴史がそうであったようにパソコンもすさまじい変貌の手を休めなかった。
 当時最高速だったCPUは半年後には8086から80286に、1年半後には386へ、3年後には486へと移行、ペンティアム(586)登場も遠くないだろう。単純に言えば、計算速度がこの4年間で5倍速くなったといえる。つまり100メートル10秒で走っていた奴が、今はわずか2、3秒で走って涼しい顔をしているのだ!
 そしてメモリーはどうか。1・5メガはラムカードとハードディスクの低価格・高機能化によって現在200メガバイト搭載がノートパソコンでも当たり前になっている。ちなみに、日本語の場合、2バイトで1文字と計算すると、こちらも単純化すれば1メガでは約50万字、100メガで5000万字の容量があることになる。400字詰め原稿用紙で、100メガなら12万5000枚ということになる。200メガなら30万枚近くになるかもしれない。これだけの原稿を書き切る小説家が果たしているだろうか。単行本ならば、300冊程度を簡単にパソコンは持って歩けるのだ。かつて芥川は「人生は1行のボードレールにしかず」と述べたが、現在は「人生は1枚のハードディスクにしかず」となるかもしれない。    
 ハイパーリアルで疲れた頭を休めるには時代小説がいい。藤沢周平「用心棒日月抄」シリーズ3冊「日月抄」(新潮文庫、520円)「孤剣」(同、480円)「刺客」(同440円)と初期の「又蔵の火」(文春文庫440円)を読む。用心棒シリーズはこの作家の円熟期の作品らしく、ゆったりと構え、それでいて登場人物、あらすじ、ディテイルのどれをとっても全くスキがない。第1作の方は赤穂浪士の討ち入り劇が底流を貫いているのだが、やはり浪人となった主人公・青江又八郎は彼らに組するわけではないが、静かに時代の動きというものを見ている。2作以降はお家乗っ取りに絡む激闘と密命を帯びた娘佐知との交情に軸芯が移る。痛快である。 
 「又蔵の火」は暗い。こんなに暗い時代小説があっていいのか、というほど絶望的色彩が濃い。それでいて、登場人物を含めどこか温かいのがいい。東北人の作者の心象を見た。           

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