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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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岡部隆志著『北村透谷の回復―憑依と覚醒―』について

 新聞記者という仕事を始めてから十九年になる。因果な商売などとはいうまい。良いこともあれば、悪いこともあった。要するに、世の中一般の仕事と異なる特別なものではないのだ。ただ、ひとつ言えること。それは、僕が書くことの怖さ、文を売ることの怖さを時として忘れていることがあるのに気づく時、自分の仕事がとても怖いものに思える。

 何のためにものを書くのか?そうした自問は僕たちが絶対に忘れてはならないことのはずだ。一冊の評論を久しぶりに読んでいるうちに、僕の脳裏を苦い自問が走った。

 岡部隆志著『北村透谷の回復―憑依と覚醒―』(三一書房、二四〇〇円)。
 著者は一九四九年生まれ。典型的な全共闘世代であり、その闘士である。静かな農村地帯であった三里塚の地に国際空港なるものを押しつけたことが発端となった三里塚闘争で建設に反対する地元の青年行動隊員らとともに不当に逮捕され、以後、裁判が結審し解放されるまでを永く被告として過ごした。アバウトに言えば二十歳の若者が権力の拘束を離れた時、彼は白髪のめだつ三十代の中年になっていたということだ。
 そうした理不尽すぎる体験を持つ著者が静かに口を開きそして透谷を語る。

 透谷は、近代における悩みの型をほとんど最初に実践して完成してしまった男なのです。透谷以来、青年は、自己の悩みについて考えるときに、その悩みは、すでに透谷が悩んでしまっているという事実を必ず発見します。だから、透谷が気になるのです。たぶんわたしも同じです。「君は透谷のように生きることを願うか」を宿命の問いとして出したのは桶谷ですが、わたしにとっては、「俺はどうして透谷のたどったところをたどっているのだろう」という自問の方がふさわしいのかも知れません。

 おおげさに言うなら、透谷は、「言」に身を売り続けながら何の痛みも感じなくなったわれわれの罪を、一身に負って磔になったキリストなのかも知れない。いや、われわれの知の共同体における「供儀」の犠牲者と言っていいかも知れない。

 岡部さんの透谷論のユニークさは流布されているような近代の自我に葛藤し、そうした青年の叫びを弾圧する権力と闘う象徴としてのみ透谷を語り、自己の見果てぬ夢を代行させるのではなく、あくまで等身大の存在として透谷を引きつけようとしていることだ。

 透谷の自家撞着にこだわることで表現の水路を切り開こうとしていることである。その胆力に読者は圧倒されるだろう。



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