東欧崩壊の歴史的地殻変動の時代を実感しながら、私達が思い至ったことは、ようやくにして思想を含め人間の表現というものが、掛け値なしに一切のタブーから自由の地平に躍り出たということであった。だがしかし、自由であることは、人間がそのままで特権的ななにものかでありうることをなんら保証するものではない。表現者としての私達は怠惰であることを拒否するならば、時代と相向かい研鑽を重ねることによって、自らの表現の水路を切り開く以外にないのだ。
そのために表現者はいかにあるべきなのか。
いつもポレミークでありながら、しかしどこかで俗流的である印象を拭えなかった奥野健男の自選評論集『文学は死滅するか』(学芸書林、一八六〇円)を今回読みながら私が考えたことは、意外にも私達の現在と同じような問題意識を持ち、どんづまりの文学状況を突破していこうとする、切実なひとつの情熱の発見であった。同論集に収められているのは一九六三年に書かれた『文学は可能か』を中心とした、文学状況論である。いかにも歯切れの良すぎる奥野節への懐疑を留保するならば、そこにあふれているのは、様々な試みを通じて文学を活性化しようという若き評論家の姿である。
年表をひもといてみるとわかるが、奥野はその年、戦後まもない時期に、平野謙や荒正人らの近代文学派と、中野重治らとの間で繰り広げられた「政治と文学」論争の第二幕ともいうべき「戦後文学」論争の主役を担っている。六〇年安保を「擬制の終焉」と総括した吉本隆明にならえば、奥野は「政治の終焉」の季節の中で、文学の在り方に何らかの方向性を示そうとしていることで、私達の現在に繋がっている。ここでは奥野の表現をたどりながら、彼の問題意識そして目指したところを確認してみたいと思う。
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一九六三年の奥野健男を襲っているものは、高度成長経済政策のもと、進行する大衆社会時代を迎え深刻化する人間存在の疎外論的状況であった。
ぼくらは状況の中にはいればはいるほど、その状況の総体としての姿、本質がわからなくなるというディレンマに陥っている。現代に忠実に生きようとすればするほど、疎外の中に埋まっていくという事態に直面している。個人の脈絡ある思考、内的必然性、主体的な倫理感、正義感によって、現代社会の現象を考え、判断し、参加し、規制することが、今までの方法では不可能になった。個人と社会、内部と外部の間には直接的なつながりが失われてしまったのだ。逆に言えば、人間ひとりひとりは、その人間の全体=全人間的なかたちでは、社会全体に何の責任も義務もない無縁な存在になってしまった。自己の特殊な技能的部分でしか、世界とつながることができなくなった。
(「純文学は可能か」)
これは確かに何を今更という様な情況認識であるかもしれない。しかし、こうした奥野のモチーフが目指すところは、一切の教条への懐疑であったろう。なにか出来合いの思想の鋳型に現実をあてはめ、それで自足するのではなく、自らの限界に自覚的であること、そこに奥野の当時の、そして今なお評価しうる新しさがある。時代の困難に自覚的であること、なおかつ絶望的な情況を超えようとする明るさを馬鹿にしてはなるまい。ところで「疎外論」的状況では、私達が捉えられるのは私達自身を襲っている空洞の切実さであり、決して社会の全体像ではない。確かに「この空虚感は資本主義社会の矛盾のためだ」と言うことはできる。しかし、それで一体私達は何を批判したというのだろうか。政治運動ならば、とにもかくにも革命を、とでも叫べばなにがしかの共感を得られるかも知れない。しかし、言語を通じて観念世界を構築する文学にとっては、その空虚感あるいは世界と自己との乖離感を丹念にたどらなければ、何も表現したことにはならないのだ。
それが意図的なものであったか、あるいはその論理の赴く必然的帰結であったかは定かでないが、奥野がプロレタリア・レアリズムの系譜を引く、「政治文学」批判へと進むことは理解しやすいところである。
大正・昭和の文学理念の中心軸であった「政治と文学」理論の破産は決定的である。「政治と文学」の関係をめぐって熱っぽくたたかわされた数々の議論は、今日の状況や文学をを考える上に、三文の値打ちさえ持っていない。それらの議論をふりかえることは、人間とは時代の制約の中ではめくらも同然になるものだという教訓を引き出すのに役立つぐらいなものである。時代の状況は完全に変わったのだ。ぼくらは未だかつて経験したことのない政治状況の中にいるということを強く認識する必要がある。
プロレタリア文学、政治文学は主題の積極性を競い、題材主義になる。圧迫され搾取されている状況を描けば、すぐれているとされた。作者はここで主体的に考え、想像する必要はなかった。
しかも、その圧迫され搾取されている民衆を解放する道も決っていた。前衛の観点、マルクス主義の立場に立ち、裁断し、誘導すればよかった。要するに、マルキシズムのレールにのせてしまえば、それで正しいと安心し自足できた。ここでも自分で考え判断する必要はない、現実の日本の民衆を救えなくても、いつかは救えるはずだという現実離れした信仰があった。
(「『政治と文学』理論の破産」)
疎外の自覚から出発したした奥野の目には、善意ではあれ予定調和的なマルクス主義的文学・論は状況の未知に対して決定的に無自覚であるように見えた。彼は極めて率直にそのことを指摘した。そこに彼の批評家としての真骨頂がある。即ち「普通」の批評家なら言い淀む左翼批判を彼はなんのてらいもなく言ってのける。
つねに政治は文学より優位概念であった。文学は政治に従属して来た。政治にいかにして役立つか、奉仕するか、忠誠を誓うかによって、文学の価値が決定されて来た。もちろんこの場合の奉仕すべき政治とは、国家の権力を握っている体制側の政治、現実の政治ではない。それを倒すべき反体制政治運動であり、理念としての政治思想である。つまりマルキシズムの思想であり、実践運動であり、日本共産党であった。 (同前)
奥野はいわゆる「党文学者」であった小林多喜二を文学者の主体性を失った悲惨な例として指摘するとともに戦後の「近代文学派」とそれに対応する文学者らを「政治」コンプレックスから、抜け出せていない、と批判する。そして最後に、一時は最も優れた戦後文学者であったはずの野間宏の『わが塔はそこに立つ』を引き、文学者の主体性を捨て、戦前の「政治隷属」に戻ってしまった「政治文学」の典型として集中砲火を浴びせるのだ。その一方で、安部公房の『砂の女』や三島由紀夫の『美しい星』を「政治の中の文学」から「文学の中の政治」にコペルニクス的転換を図った小説として絶賛するのである。
こうした奥野の批判に対して、新日本文学会系の武井昭夫らは「奥野がここででっちあげているような粗雑な『政治と文学』理論を今日だれが主張しているというのか。せいぜいのところ蔵原惟人とか津田孝といった共産党の文化官僚をさがしだせるぐらいのものだろう」と、鋭く反発したことはいうまでもない。
いささか一本調子な奥野の論だけに、論争は奥野に不利なように見える。しかし、ここに頼もしい助っ人が現われる。いうまでもなく、わが吉本隆明その人である。
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吉本隆明が奥野健男の「『政治と文学』理論の破産」を受けて書いた文章としては「『政治と文学』なんてものはない」「『政治文学』への挽歌」をあげることができるだろう。吉本は奥野の文章が大仰に指摘するような「『砂の女』『美しい星』を評価するか、それとも『わが塔はそこに立つ』『海鳴りの底から』を評価するか、そのどちらの方向に荷担するかによって、評者自身の現代への認識力、文学観が問われる」というような先走り部分には周到に価値判断を避けつつ、しかし、奥野の提起した「政治と文学」理論の破産という状況に極めてラジカルに切り込んで見せた。
とくにここいく年か、急進的な翼が、国家独占との正面からの対決に一時的な敗退を喫していらい、もはやその翼の再起が不可能であるかのように、安堵の胸をなでおろして、逃亡さきから復帰したスターリン主義右翼、いわゆる構改派は、論壇と文壇の安定ムードにたすけられて、公然と進歩的衛生無害の口舌を販りはじめてきている。この間、かれらの狡猾な変身を眼底に視すえながら、わたしたちは都市の舗装路のうえに、たたかいの死者の埋められた「砦」をつくるため、いささか、辛苦をなめてきた。そしてこの「砦」は、すでにどんな場所でも、かれらを徹底的に批判しうるまでに成長したのである。いまわたしは、積年の対立を解決するために、かれらとの不可避のたたかいに赴かなければならない。
(「政治文学」への挽歌」)
ここには全学連主流派とともに、六〇年安保を闘った吉本の前衛を超える大衆の成熟=擬制の終焉への確信と既成左翼への憤怒が満ち溢れている。それゆえにかいささか挑発的に、かつて「文学者の戦争責任」をともに遂行しながら、古典左翼陣営へと後退してしまった武井昭夫に批判の刃を向けることになる。
(武井らは)政治に体重をかけているか、文学に体重をかけているかにちがいはあっても、それらが、どちらも「政治文学」という範疇でしか生きられない虚弱児童であることにかわりない。そして、この「政治文学」という範疇こそ、スターリン=ジュダーノフの社会主義リアリズム論によって、はじめて各国に産み落とされた半端者の世界にほかならぬ。かれらは、政治そのものを実践的にとりあげるのでもなく、芸術そのものを実践的に展開するのでもなく時と場所に応じて恣意的に政治的「勘」と文学的「勘」をつなぎあわせて、政治そのものと文学そのものとに土砂をかけてあるく怠けものの批評を長年試みてきたのである。いま、政治的にも芸術的にも「勘」を磨滅させてしまったかれらが、その積年の不毛さを芸術そのものと政治そのものから批判される事態にいたったのは、当然といわなければならぬ。 (同前)
これは実に大変厳しい指摘と言わざるを得ない。奥野は単に「文学」面で、政治的文学の無効を宣言したのに対して、吉本は「文学」的にはもちろんのこと「政治」的にも彼らの無効を宣言して見せたからである。思えば吉本は既に一九六二年に書いている。
現在わたしたちがまったくあたらしくもたねばならぬ時代的な要素は、いまこそ、どの時代のどの時期とも似ていないと意志的に思わねばならないという点にある。もちろん、こんなことをいえば、どんな時代のどんな時期でも、まったく過去の時代とは似ても似つかぬようにみえるものだ、という反駁を買うにちがいない。わたしのいう意味はそれとはちがっている。わたしたちを押し出し現実の情況に対面させる自己意力は、未知なもの、過去からの類推を拒否する方向こそが、たどりうる唯一の血路だというように囁いてやまないというほどの意味である。(中略)
わたしたちはいまや当初に強いられた問いにかえらなければならない。文学者よ、この現実のなかをどこへ行こうとしているのか、と。タブーはふたつだ、わたしたちは「社会主義」へ行くにきまっていると答えることと、この社会の情況に満足していると答えることを禁じられているのである。すると、すべては決定的に未知であり、新しくはじめられるものとならなければならない。 (「戦後文学の転換」)
この文章を読み直して、私はうなづく。一見、奥野によって仕掛けられたかに見える「政治と文学」論争の、最初の一撃を放っていたのは実は吉本であったということを知るからである。野間宏を批判しながら述べる奥野の語り口は吉本のそれに驚くほどよく似ている。自らの果実を自ら放棄した戦後文学への吉本の渾心からの批判の文脈の上に、奥野の評論も書かれていたのである。
今やあらゆる既成概念を捨て、自分で考え、自分で判断し、自分で未来のヴィジョンをつくり出さねばならぬ。だが決定論、歴史的必然論の呪縛から解かれ、マルキシズムの政治へのコンプレックスから脱したということは、文学にとっては幸福なことだ。ぼくたちはロシヤ革命以前の、あらゆる可能性を文学が実験できる場所、ドストエフスキイの場所に立っているのだ。いやより複雑化した現実に対しているのだ。 (「『政治と文学』理論の破産」)
私達は吉本や奥野の文章が書かれてから既に四半世紀以上の時間がすぎていることに驚くべきだろうか。そして私達の直面している時代の壁が本質的な意味で変わっていないことを嘆くべきだろうか。私達も又、東欧崩壊という歴史的激動を横目に見ながら、今やすべては決定的に未知の時代を迎えようとしていることを指摘しているのだから。さらにまた、例によって市民づらをしたソフト・スターリニストたちは、かつての構造改革派同様に自分たちの依拠していた理念そのものが、終焉を宣せられていることを無視して、依然として、東欧民衆が新たな社会主義をめざしているかのような希望的観測をふりまき、未知の情況へ泥をかぶせようとしている事態はかつてと余りにも良く似ているのだ。
しかし、私達は断言することができる。情況の壁はかつてと変わらないようにみえて、しかし、確実に変わったのだと。ひとつは、どんなに市民主義を装おうとも、四十年を超えた東欧の社会主義の実験の失敗は誰の目にも明らかである。ソビエト・ロシアがそして中国が、革命の社会主義の祖国として、なにがしかの影響力を持つことはもはやありえない。だれが何と言おうと、そうしたセクトは完全に死んだのだ。そして、膨張する高度資本主義。無意識の最高の達成は今、爛熟し、死すべき運命の前に苦悶を深めている。かつては見えていなかったものを自らの眼力によって見抜かなければ言えなかったことが、現在は自明のものとして断言できるのだ。
ところで、未知の情況の前で奥野が構想した文学とはどういうものであったか。
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一九六三年に奥野は「性文学の質的転換」を書いた後に名高い「快感原則による文学」を書いている。周知のようにこれはフロイティズムの影響の下、芸術の根拠を論じたものである。
芸術や文学は、その根底を人間の「快感原則」に置いている。快感を求める本能から発生したものである。その意味で本来あそびであり、「現実原則」に照せば、生産に直接役立たない空の空なるものであり、有用性、有効性のない無用のものである。快感を得、たのしむために芸術、文学はつくられ、鑑賞されるのだ。
このことは、文学の根本が自己表出の欲求であるということとも関連する。自分の肉体的、生理的、心理的な快感から、あるいは恐怖感から、思わず発するよろこびの声であり、叫び声であり、自己表現である。身体の内部にわき起こるリズムや、イメージを、言語により表出するたのしみのために書くのである。
ところが近代以後の文学には、そういうたのしみが、あそびが次第に稀薄になって来ている。実際の生活、現実社会が「快感原則」から遠のき、「現実原則」に支配されているならば、せめて表現による架空の世界である文学においては、「快感原則」を追求すべきである。幸にも文学を産む人間の想像力だけは、「現実原則」の支配から自由なのであるから。
この「快感原則による文学」という文章は考えようによっては、山賊鍋のようなすごい文章である。私達はそこに、当然フロイトの精神分析の影響を見ることができる。本人の言うところによれば、マルクーゼの「エロスと文明」の社会理論も考慮されている。さらにまた伊藤整の「生命の理論」の影響下にあることはいうまでもあるまい。それに加え、たとえば「空の空なるもの」という言い方は、明らかに「人生相渉論争」の北村透谷の文学論のそれであるし、「文学の根本が自己表出の欲求」とは「言語にとって美とはなにか」の吉本隆明の基本的タームであることは言うまでもないだろう。
しかしそれにしても「快感原則」とは、感性的にはよくわかるが、結局は人間の無意識的な・本能への過度な意味付与あるいは賛美でしかないのではなかろうか。様々な思想家の発言を援用しようとも、人間の思考の産物である文学をいかにも非合理化しすぎているように見えるのである。奥野自身もこのことを自覚してか、その年の最後の論文「リアリズムを超えて」で次のように修正を加えている。
ぼくは文学、芸術の根本は快感原則に発しているよろこび、たのしみであり、遊びであるといった。だが快感や遊びは、それ自体では美に、芸術にならない。それを感動に、美に、芸術に昇華するためには、どうしても抵抗物が必要なのだ。アランがいみじくもいったように、「抵抗だけが美を創る」のだ。それがないと、とりとめのない野放図な情念や妄想や錯乱にとどまってしまう。その抵抗物は、外界の現実とは限らない。必然性のある芸術の形式や制約や伝統出もいいし、材料の抵抗でもいいし、自己の内的な精神秩序や倫理や超自我でもよい。それらとの葛藤やたたかいを通じてはじめて感動的な作品が生まれる。
これは、結局リアリズムや過剰なロマンチシズムの否定であり、実験的な純文学論へ通ずる。
現代文学の使命は、作家の内的世界の自由な想像力と表現力により、疎外の中にいる人々に疎外のない社会を、人生に垣間見せ、人間本来の感動――全人間的な美を味わせることにあるのだ。 (中略)
純文学とは思考の、感情の実験室だとぼくは考える。現実の世界の一切の制約、秩序や倫理や習慣から、インデペンデントな自立した自由の世界である。そこにおいては作家の内的世界の主体的な責任における限り一切のことが許される。どんなことを表現してもよい。そういう徹底的な自覚のみが、この現代という深い疎外状況の中で、純文学を可能ならしむるのだ。
(「純文学は可能か」)
私はこの文章を奥野の「純文学は可能か」から始めたが、一連の「政治と文学」批判、「快感原則」の文学の提唱とたどり、どうやら振り出しに戻ったようだ。
様々なポレミークな評論の表層にとらわれないならば、私達は奥野の文章の根底に「純文学」への熱い思いを見ることができる。
ここ数ヶ月、私もまた「純文学」を通じ文学の可能性について考えてきた。その時、私の意識には全く奥野の営為など浮かんでいなかった。しかし、偶然にも奥野の評論集を読み、実はまさしく彼の、一九六三年の闘いを私はどこかで追体験していたのである。もちろん、私自身は彼の「快感原則」による文学論を受け入れる気にはならない。
しかし、「純文学」の実験の彼方に文学の可能性を見るという方向性は支持したいと思う。そして、情況論の段階は既に終わり、作家達の研鑽と、それを支持し共に歩む批評家の文学的探究こそが問われている、と言わねばならない。
「純文学」に何が可能か、という文章に今回『文学は死滅するか』というタイトルをつけた奥野の気持ちが私には痛いほどよくわかる。有名であれ無名であれ、新たな表現領域を開きつつある文学者にとって、切実な提言が満ちている論集と言えよう。
(文芸同人誌「詩と創作 黎」第56号、1990年夏季号所収)
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