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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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 とぎれとぎれの感想〜補遺


  久しぶりに状況論でもやろうか。昨年からの天安門事件・東欧崩壊をメルクマールとした「社会主義」の解体状況は大変心地いいもので、僕たちがもう少し若いころに主張してきたことが、おそまきながら実現したことだけは間違いない気がする。
  おいおい、そんなことばかり言っていると、また、札付の反共主義者だなんて、代々木の小便小僧たちにレツテルを張られてしまうぞ。
  構うものか。僕らが頑張っていたころ、自主独立だ、ルーマニアは友党だ、なんて世界の現実勢力を盾に、民衆を恫喝してきた連中が、何を言おうともう勝負はついていることは明らかだ。空論とは何か。彼らに聞いてみたい。
  ところで、いよいよ天皇の「即位の礼」やら「大嘗祭」が迫ってきたね。せっかく世の中、風通しが良くなってきたのに、妙に張りきるおじさん達がいて、困ってしまう。いやな感じ。天皇バンザイをさせられるのだけは御免こうむりたい。
  労働組合が「皇室報道を考える」というブックレットを発行した。その中で「冷静な皇室報道を求めるアピール」というのが載っていて、即位の礼などについて「これらは一見、皇室の長い伝統に則った儀式とされていますが、実はかなりの部分が天皇絶対主義の明治憲法下で新たにつくられたものです。国民が主権者となった戦後の新憲法下で、そのまま踏襲されることは肯定できません。天皇家の私的行為であるべき大嘗祭が国費で行なわれることは、政治と宗教の分離を定めた新憲法に抵触している恐れもあります。こうした一連の皇室行事に対して、新聞は儀式の表面的な報道に終始することなく、その底流に流れる真実を知らせる義務があります」と書かれている。
  それはそれで結構なんじゃないの?
  どうだろうなあ。結局、何かものを言おうとするとき、根拠となるのは「憲法」なんだよな。要するに「憲法違反」。だからダメという論理だ。僕らなんかは、憲法を根拠にしてことの善し悪しをほとんど考えてきたことがないから、いわゆる法レベルで「価値判断」をすることに違和感を禁じえない。その論理だと、「お前達のやっていることは憲法違反だぞ」と言われた時、反論できなくなってしまう。それほど憲法は至上の価値だろうか。
  法というものは、一見どんなに民主的であろうとも、共同幻想である。そうであるかぎり、個人の幻想とは逆立せざるを得ないということか。
  早い話がそういうことだ。僕の実感では、即位の礼や大嘗祭は憲法違反だからダメというより、僕らの日常性に対して、本来疎遠なのに一種の強力(暴力)として現われて来る。そのことが限りなく不快だし、そういった強力(暴力)に対して、その共同幻想性を批判しなくてはならないと思う。
  戦後という時代は、垂直的な共同幻想から、大衆が自立することを選んだ時代だったと思う。そうした一種の成熟が簡単に崩れるとは思えない。
  僕もそう思う。しかし、自立というものは常に自覚的でなければ大勢に流されてしまうものだ。僕らの思想性は本当の意味で試されつつあることを改めて確認しておきたい。
                  
            (1990年執筆)


  前号は手抜きでひどかったね。今号こそと期待してたら、また雑談でお茶を濁そうというのかい。数少ない読者も怒るんじゃないか?
  それを言われたら面目ない。弁解の材料はいろいろあるんだけれど、はっきり言えば今月はほとんど本を読まなかった。だから君のおしゃべりを枕に何か語れればと思ったんだ。
  ほう、所感派に転向というわけだ。いつもは僕が来ると邪魔者扱いしていたのに調子がいいんだからなあ。湾岸戦争も終わったことだし何か感想でもないのか。

  ない。
  ちぇつ、そっけないなあ。君は心情的にはフセイン支持だったんだろう?
  違うね。君はまだオレたちの原則が理解できていないらしいな。オレたちは自らの主体性において対象に関わるだけだ。その場合は他人の喧嘩でも断固として自分の問題として介入するさ。しかし、そうじゃない問題について、他人の喧嘩で一喜一憂するような代行主義とは縁を切ったんだ。部落問題なんかがそうだ。差別者か被差別者かの踏み絵をどんな場面でも強いて、何かを言ったつもりでいるような連中にはうんざりだった。日共系と解放同盟の現場でのトラブルが続いた時期、君のいうように心情的にはオレは解放同盟支持だったと言えるかも知れないが、根本的にはそれでは代行主義者の立場に陥ると思って拒否した。早い話がトラブルには主体的な関心がなかった。差別語の問題だけは表現者として避けられないから、問われれば対応しようと思った。
  それじゃあ、あんたが湾岸戦争で主体的に語るとすれば何なの?
  日本の問題だろうな。この国の「戦後」というものの世界史的意味を考えた。別にオレは平和憲法なんてどうでもいいと思っている。関係として考えれば「戦後」はまぎれもなく、二つの超大国の対立を映していただけだと思う。それは美化しても否定してもしょうがない。だけど「戦後」というものが大衆意識としては国際関係とは別に存在し受容されていたことは間違いないわけだ。そのレベルで大衆が「戦争」というものをどこまで「戦後」の体験の中に繰り込んでいたか。それは自分自身に問えばいいことでもあるわけで、オレはそこのところで「戦後」というものが大衆意識として既に死んでいると思った。「戦後」というものは、「戦争」というものを抱え込んでいたから力があったと思う。でも風化している。オレの中で「戦争」を主体化する体験は遠いものになっていた。自己批判とは別に「方法としての戦後」という「可能性」の論理はやはり無効になったような気がしてならない。「方法としての戦後」というのは「戦争」によって権力がご破産になった時点をゼロとして大衆の真制民主の成熟を情況に対する鏡として突き付けていこうとするものだと考えてもらっていい。それは二つの安保闘争には有効だったと思う。要するに「原像としての大衆」による権力無化という方向性は、今も間違ってはいないにしろ、相当迂回路が必要になっている。オレの思想が吉本隆明さんの後をモタモタ辿っているということはあるにしろ、何が「可能性」として存在しているかについては自信がない。「資本主義」の「死」を見据えながら「資本主義」の達成を賛美するという吉本さんなんかのラジカリズムまでは進めない。
  なんだか気勢があがらないな。もっとフットワーク軽くしようぜ。そんなに深刻に考えるなよ。困難はいつだって同じさ。僕らが迷っているのはまだ絶望していないからさ。明るく笑うニヒリストたちがどんなに「現在的」であるにしても、彼らは決して情況の血路を開くことはない。プラグマチックに情況を後追いしているだけじゃないか。湾岸戦争で費やされた膨大な言説の末路を見ろよ。彼らが何を語ったか。要するに彼らが情況の核心に全く無知であることをさらしただけじゃないのか。軍事にしろ政治にしろあるいは平和論にしろ、心に響く言説がないことに僕らの現在がある。
  長い弁解が続いたけれど、何か読んだ本はないの?                
  そうだなあ夫馬基彦という人の『菊とヒッピーと孤独』(福武書店、1400円)を読んだ。前に『楽平・シンジ』という本を読んだが、相変わらずひょうひょうとした感じが漂っていて、それなりに面白かった。
  ヒッピー小説なんて随分古いなあ。
  そうだね。昔はヒッピーも沢山いたよね。デモやるっていうと、あの人達もどこからかやってきて結構騒いでいたし、どこか時代に対する反発という意味では学生運動や反戦運動をやっていた人達と共通点がある。夫馬さんという人は学生会館闘争があったころの早稲田出身というから、革マル以外にもブントや解放派とかいた時代なのかな。だとしたら感性の解放派には結構ヒッピーぽい傾向があったから、モチーフは分かる気がする。勿論これはオレの想像だけれど。本には3編の作品が収められていて、ひとつは「その日のこと」というんだ。その日とはずばり昭和天皇の死んだ日のことなんだけど、朝、友人から天皇の死を知らされてからの彼の行動が淡々と書かれていて、最後に新宿の飲み屋でサラダを頭にかけられてしまう。そして電光ニュースを見ながら「殉死はないのか、殉死は。何で一人も死なないんだ!」とぶつぶついいながらその日が終わってしまうという内容だ。要するに天皇の死んだ日は庶民にとっては不条理な「サラダ記念日」ということなのかな。その鬱屈したところがよく書けていたと思う。
  つまらないこと言うなよ。僕らにとっても「その日」は結局なんだったかわからないところがある。夫馬さんという人は真面目だから、そのことをやはり書いておきたかったんだろうね。なしくずしにしちゃ駄目な問題を正視しているのは立派じゃないか。
  「ロナと青空」はヒッピーのそれからを書いたもの、「同伴者」というのは学生時代の友人が突然訪ねてきて突然死んでしまうという物語。どちらもそれぞれに面白かった。夫馬さんという人は小説では立松和平のような粘着質の部分が濾過されているけれど、相当に過去にこだわっている人だと感じた。派手さはないが、私小説の味がある。他人事だから言うけれど破滅的なところがあれば小説にもつと凄みがでるんだけれど。
  また勝手なことを言って。あんたはすぐ小説家を殺したがる。
  それから佐伯一麦という人の『ショート・サーキット』(福武書店、1500円)という作品も読んだ。こういう言い方をすると怒られるかもしれないが優れた労働者小説だと思った。電気工事の仕事をしている主人公の目で現代社会の病理を的確に描き出している。もちろん主人公がどんな仕事をしていてもいいわけだけれど、こんな視点もあったのか、と考えさせられるところがあるのがやはり強みだと思った。やはり3編の作品が収められているのだけれど「プレーリー・ドッグの街」という風俗嬢とのふれあいを軸にした作品が面白かった。視線というのは簡単に高さを変えられないのだろうが、この人は「死」のレベルまで届いているところがある。期待したい。
  読んだ小説を余り褒めるなよ。でもあんたは本質的には小説が好きなんだろうね。つまらない評論書いているけれど、小説にはかなわないところあるよね。

  そうなんだ。黒古一夫さんの『村上春樹と同時代の文学』(河合出版、1500円)という評論集を読ませてもらった。大変ポレミークな論集で、黒古さんの手抜きしない時代との対し方が伝わってくるいい本だと思った。でも違うな、というところも多かった。オレは北海道の人間だから、分かるのだけれど、この地方が中央に対して特別な位相にあると考えるのはハッタリでしかない。小桧山博さんという小説家を好きな人が多いようだが、オレは好きな一方で、決定的に違うと思うところもあるんだ。大江健三郎に対して違うというのとは全く別なレベルで違和を覚えるところもあるんだ。オレたちは余り物事を図式化しないほうがいいと思っている。
                            
  (1991年執筆)


 某月某日 高田明和『心のストレスがとれる本』(光文社、770円)、吉永良正『奇想、天外に挑む』(光文社、770円)。気楽にカッパの2本立て。前者は期待したほどの内容なし。経営者向け講談という感じで、やたら俗物の引用が多いので閉口する。宇宙論のほうは、
いつもチャレンジはするのだが、よくわからない。この本もそうであった。    
 某月某日 夏目房之介『消えた魔球』(双葉社、1000円)。夏目という人は漫画による漫画批評のできる稀有な才能の人だ。有名なスポーツ漫画を自らの似せ絵で分析し批評するというのはそれだけで凄い。音楽を音楽で批評する人なんて見たことがないもんな。ひとつの結論はスポーツ漫画も長い伝統の上に書き続けられてきたということ。あの「巨人の星」は「ちかいの魔球」のぶったくりであることなど。これはある意味では、漫画ファンには常識に属することではあるが、具体的に分析されると納得する。  
 それはともかく夏目の結論は興味深い。  
                     
》梶原一騎は「巨人の星」で「週刊少年マガジン」の黄金期を築いた功労者である。(中略) このことはさらにもうひとつの方向から見ることができる。「マガジン」の劇画路線が一方で反手塚治虫路線でもあったことを考えれば、その勝利は当時の手塚漫画に対するアンチテーゼの主流化でもあったのだ。
                
 夏目自身は手塚派(テレ派)に属すると言っており、彼が梶原派(本気派)の再評価を求める意味は大きい。私自身は手塚漫画の愛好者ではあったが、戦後民主主義へのコミット、科学万能主義への賛歌は好きになれなかった。かといって体育会系のノリの梶原にも今一つなじめなかった。出口は見つけにくい。     
 某月某日 末永史の『家庭の主婦的恋愛』(新潮社、1100円)。どうやら本当の家庭の主婦漫画家らしい人による私小説風の連作漫画集。うるさくない線使いで独特の味がある。「はる子のお見合考」という一編に、楽しい会話があった。

》「近頃男はどれも似たりよったりに思えちゃって燃えないの」
 「年のせいよ でも今30代とか40代の男って話にならないね疲れてて」
 「50代までいくといるわよステキな人が」
 「吉本さんとか・・・・」
 「吉本隆明?」
 「身のこなしが軽くて少年みたいな人なんだ」
 
 まさか吉本さんが50代で、キャリアウーマンの憧れになっているとは思わないが、それにしても時代は変わっちゃいました。長谷邦夫構成『コミック スウェデンボルグの『大霊界』(徳間書店、1200円)。まあ、漫画ですが、大川隆法の霊言よりは「リアリティ」ありました。
 某月某日 阿部保『雪の露台』(弥生書房、2000円)。阿部さんは昭和7年から詩を書き続けて現在80歳を越える。詩人仲間に伊藤整、春山行夫などもいた。私はひょんなことから親しくさせていただいているが、活躍の様子は心強いものがある。
 
      雪の札幌
  さらさらと銀の細かな 雪がふる
  時計台、
  白い屋根、
  明るい飾窓の上に、
  雪がふり今日も暮れる、札幌、
  薄野街頭に立っていると、何という
  烈しい郷愁に魂の焼かれることであろう
 
 詩人は健在である。

                                 (1991年執筆)

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