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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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見出し とぎれとぎれの感想〜中国残留孤児問題など  1987

    
 久しぶりだね。風邪でダウンしていたそうだが、結構元気そうじゃないか。
 冗談じゃない。頭はガンガンするし、気分も最低。だから君に来てもらって、雑談でお茶を濁すことにしたんじゃないか。君の卓見に期待してるよ。
 ついこの前まで東京・代々木の国立青少年センターで中国残留日本人孤児の肉親捜しの調査が続けられていたね。僕は「涙の再会シーン」をテレビで見せられながら複雑な思いを禁じ得なかった。こんなお涙頂戴の場面を流すことになんの意味があるんだ。肝心なことは何も伝えないで、涙腺ばかり刺激しやがって。

 同感だね。オレが一番に気に入らなかったのは「孤児」という呼びかただ。頭には白髪がいっぱいで、額には深いしわが刻まれている。子供ばかりか、もう孫までいる人だって少なくない。そんな人達を「孤児」と呼ぶのはどこか実感と違う。何か別の呼びかたがなかったのか。「孤児」という今は死語に近い言葉が、こんなに連発されると別の世界に紛れ込んだ気さえした。
 「孤児」もそうだが、僕には「残留」という言いかたも不愉快だった。残留とは自ら残り留どまることだ。しかし、彼らは終戦当時、みんな子供だった。自分の意志によって「残留」するはずがないんだ。ほとんどが放置され捨てられた人達だ。
 「残留」という言葉は「終戦」という言葉がそうである以上に無機的な響きがある。
 彼らを直接的に捨てたのは父であり多くは母親たちであった。しかし、その父や母を遠い中国大陸に連れて来たのは国家だ。国内の経済的矛盾を解決できず、そのために大陸侵略によって乗り切ろうとした国策によって貧しい農民たちはソ連国境線に開拓団員として送りだされた。その無責任な国策によって、開拓団員たちはどん底の運命に突き落とされ、その過程で「孤児」が生まれた。今再び、国家は責任を問われているのに、またもや知らん顔をしようとしている。
 肉親捜しのために国は援助しているんだろう?
 ほんの形式的部分だけさ。たとえば北海道に心当たりのある人がいる人がいるとするね。連絡などはやってくれるが対面のためにかかる経費はすべて個人負担さ。政府の責任ある人物の中には、子供を置いてきた親が悪いなんて、全くひどいことを口走った者さえいる。日本てのは本当にダメな国だぜ。

 そこだ。この国は異物に対しすぐ拒否反応を示す。
 拒否反応の裏返しが極度の崇拝だ。
 「残留孤児」だった人達の大量帰国が始まっているけれど、その人達の定住・自立はほとんどが失敗している。理由は色々あるが、四十数年間を中国式の生活習慣の中で過ごしてきた彼らは日本人ではあっても異文化を持った一種の異邦人のはずだ。にもかかわらず、この国はわずか数カ月の研修で日本式の生活になじむことを強要してしまう。
 当然、精神的にまいってしまうだろうね。
 この問題を肉親や身内だけで解決することなどできはしない。国家と共同体(市民社会)の質が問われている。残念ながらこの国の民衆は、小さな違いが許せなくなっている。
 「いじめ」が大人社会の差別の拡散が、子供社会に集中的に現れたものだったけれど、同じことが今度は中国からの帰国者とその周辺で起きつつある。
 アジアからの来日者には「じゃぱゆきさん」として見下し、アフリカや欧米人を見ると「エイズ」じゃないかと警戒する。未だに鎖国感覚で、太平の夢をむさぼってやがる。
 君は最近は「評論家」なんて肩書をつけているようだが、文学はこのあたりの問題を、どうとらえているんだ?
 中国残留孤児問題に関しては、ノンフィクションといかルポルタージュ関係の力作が圧倒的に多い。井手孫六さんや林郁さんの作品は心に迫るものがある。事実の重みの前でフィクションといったらいいのか、作家の想像力はまだ十分に発揮されていない。
 中国残留孤児の訪日調査は大掛かりなものは前回で終わるそうだ。しかし、国家の責任はもちろん、民衆の意識の成熟度が問われるのはこれからが本番だろう。そして文学者には多くの表現すべき「戦場」が残されているということだろうね。
     
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 島尾敏雄、鮎川信夫、磯田光一・・・。
 みんな死んでしまったね。
 バタバタという感じだ。様々な意味で彼らには期待していたところが多かっただけに残念な思いがいっぱいだ。
 僕は磯田光一という評論家のある種の平衡感覚というものを信じていた。「比較転向論序説」にしろ近年の「戦後史の空間」「左翼がサヨクになるとき」にしても不満がないわけではなかったが、それ以上に多くのことをおしえてくれた。
 「戦後史の空間」については、連合赤軍問題を取り扱った円地文子の「食卓のない家」を論じたところ、それに江藤淳が力を入れていた占領を巡る考えかたに関する部分に触発される点が多かった。オレのいくつかの評論を読んでくれている人にはわかってもらえると思う。

 最後の力作「左翼がサヨクになるとき」について言いたいことがあったら、話してくれ。
 端的に言えば、大西巨人の「天路の奈落」と島田雅彦の「優しいサヨクのための嬉遊曲」を一種の成熟した文学的肉眼で相対化したもので、試みとしては大変面白いとおもった。しかし、オレは大西巨人たちの理想主義、それと裏腹の党物神(正統派)意識とは最初から無縁のところから出発した世代だし、島田雅彦らの「優しいサヨク」など全く表層的なものだと思ってる。だから、磯田さんが「左翼」をまじめに検討してくれるのは結構だと考えるが、賛歌もレクイエムもオレの情況認識からはこっけいに見えるというわけだ。しかし、言うまでもないことだが、磯田さんの評論の中身はとても素晴らしい出来である。
 鮎川信夫という詩人は、僕には最後まで大変魅力的だった。晩年というのか最近は詩人をやめていたが、吉本隆明との対談や「時代を読む」や「疑似現実の神話はがし」などは面目躍如というところがあった。
 「ぼくはすこしずつやぶれてゆく天幕のかげで 膝をだいて眠るような夢をもたず いつわりの歴史をさかのぼって すこしずつ退却してゆく軍隊をもたない ・・・誰もぼくを許そうとするな ぼくのほそい指は どの方向にでもまげられる関節をもち 安全装置をはずした引金は ぼくひとりのものであり どこかの国境を守るためではない 勝利を信じないぼくは・・」(「兵士の歌」)。この感性は吉本隆明と同じだ。
 鮎川は保守的で常識的なところがあったが、言葉の真の意味で自我を何よりも大切にしていた。そして、その根底には戦争世代として国家によって生命を奪われた多くの仲間たちの像があり、それは最後まで、変わらなかった。ある意味では徹底的なニヒリストでもあった。
主 戦後は既に終わった、というのがオレの批評の枕言葉だけれど、それを対象化する作業はこれからだと思っている。とにかく磯田氏らの冥福を祈りたい。
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 少し報告をしておきたい。実は近くオレの吉本隆明論が一冊にまとめられることになった。「北方文芸」や思想誌の「クリティーク」などに発表していた論文にいくつかの書き下ろしを加えた内容だ。「クリティーク」を発行している青弓社が、面倒をみてくれることになった。
 第一評論集か、それはおめでとう。君は詩集「悲歌と断章」、詩論集「陥 の中の<近代>」と二冊の自著を持っていたが不特定多数の読者を対象に一般出版社からの評論集はこれが初めてだものね。
 ただ、誤解のないように言っておこう。オレは何よりもこの「黎」が自分の表現のホームグラウンドと思っている。今回の吉本隆明論にしても基本的視点は、この雑誌を読んでくれている人達には既知のもののはずである。オレは別の雑誌では、その成果というと大袈裟だが「黎」に書くことによって獲得したものを展開していると思っている。最近は詩を殆ど書いていないが、どこかの雑誌で書かせてくれるなら「歳時記」の世界を広げてみたいと思っている。
 君にとっては「黎」が吉本における「試行」と同じというわけだ。さっき、基本的視点は変わらないと言っていたが、ここで再確認してくれると有り難いが・・。
 オレは吉本隆明を最良の戦後思想者だと思って、そこから多くのことを学ぼうとしてきた。簡単に言えば吉本主義者の端くれというわけだ。ただ、最近の彼の言説には違和を感じることが多くなっていた。その違和の根拠を探ろうというのがオレの吉本論の端緒だった。次第に判ってきたのは吉本の時代的不幸というものだった。何しろ吉本は彼に匹敵する思想家を論敵に持つことができなかったんだな。その結果、情況的批判者として鋭い筆鋒を振るっていた吉本が自ら体系的思想家として振る舞わざるを得なくなっていった。そこから、彼の論理の空転が拡大してしまった。
 「『反核』異論」「マス・イメージ論」はもとより君の言いかたでは「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「心的現象論序説」の幻想論三部作まで問題になってしまう。
 もちろんだ。オレは吉本の概念を触れ回ってる、ヤツらを全く信用していない。共同幻想と自己幻想、対幻想を持ちだし、訳知り顔で政治や文学について、何かを語った気になっているヤツらは後を断たないが、いわゆるマルクス主義者がマルクスの思想と無縁なのと同じということになる。
 君の吉本論は結局、二重の戦いになるわけだね。一方で吉本の様々な言説の中からラディカリズムを救済するとともに、他方では吉本追随主義者への批判という具合に。
 後者についてはモチーフとしてはあるが、表現としては余り追究していない。ただ、前者に関しては「初期・吉本」の営為を、かなり意識的に強調した。
 君には大変な仕事だったろうが、読者にはどう映るか?きっと批判も多いだろうが、めげないで頑張ってくれたまえ。
 有り難う。吉本さんはオレにとっては神のような存在だった。その人についての本をまとめられるんだからこんなうれしいことはない。まだまだ書きたいことは、いっぱいある。次号ではこんな対談でお茶を濁さないように努力するよ。

(文芸同人誌「詩と創作 黎」第43号、1987年春季号所収)

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