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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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勝手にwebいまさら探検隊column

勝手にweb「つぶやき」と「いまさら探検隊」6    2005〜2006

<札幌にも耐震偽装マンション>
 びっくりしました。その一方で、やっぱり、と思った人も多かったのではないでしょうか。「札幌にも耐震偽装マンション」がありました。新聞が7日朝刊で大きく報じたことから、たちまち全国をかけめぐる大ニュースとなりました。
 内輪の話で恐縮ですが、この話の入り口をつかんだのは通信社です。そこで、「30棟ほど強度不足のマンションが札幌にあるらしい」との記事が配信されたのです。もちろん、その前段のマンション耐震強度不足関係の記事は新聞社が特ダネとして報道していたものです。それを追いかけ取材しているうちに通信社記者がさらに大きなニュースをつかんで、「抜いた」わけです。立派です。でも、びっくりしました。
 それを受けて、その「30棟ほどのマンションの内容はどんなものか」と、取材。その結果、実は棟数は33であること、そのうち5棟で「耐震強度偽装」をしていたことが突き止められました。ここで単なる「強度不足」問題が、「偽装」疑惑へと跳ね上がったのです。それで、他紙の追随を許さないニュースとして報道されたわけです。取材はまさに総力戦で、思い浮かぶ限りの対象先にアンテナを張り巡らし、現地に走ります。本当に地元紙のプライドをかけた取材でした。
 今回の耐震偽装は東京などと異なり、業者とどっぷり癒着し、検査機関をも巻き込んだコストカットのために安全性を犠牲にした悪質な手法とはいささか趣が違います。問題の建築士の話によると、いわば構造計算の知識不足を、低層建築を手がけてきた経験知でおぎなった、ずさんな手法です。ただ、元請けの建築主や建築事務所がこの事実を知っていながら、仕事をさせていたとすれば、本人以上に責任は重大です。
 幸い、今回の建築士の偽装物件からは、立ち退きを迫られるような事態には至っていないようです。現在的にはそれだけが救いです。北海道の人はおおらかで、結構、丼勘定をしがちですが、マンションなどでそれは許されません。札幌市や道などの関係機関も偽装を見抜けなかった責任をかみしめ、対策を考えてほしいものです。
   (問題建築がありそうだな、って勘は当たるものですね)(2006.03.10)

<動き出した女性作家たち>
 「春眠暁を覚えず」と言いますね。眠いです。私は朝寝大好き人間でして、休日にはとにかく寝ているのが至福の時間であります。ただ、寝ていると体の中のエネルギーが充満してくるのか、次は、いろんなことをしっかりやらなくてはならんな、と思います。でも、また寝てしまいます。困ったもんです。そんな自堕落な生活を送っているのに、あちこちから「本を出しました」とか「雑誌に作品を発表しましたので、よろしく」みたいな連絡が入り始めました。なんだかなあ。
 一人は、札幌在住の女流作家。小説誌に匿名で官能系の作品を書き下ろしたとのことです。もちろん、新進作家として注目されてきた人ですので、出来栄えは文句なしです。札幌に生きる少し不安定な女性2人の生活と心模様が印象的に描かれています。その作品は彼女には一種の気分転換のようなもので、本格的な仕事としては、長編に取り組んでいる真っ最中だそう。圧倒されました。
 続いて、女性のノンフィクション作家から転居のあいさつ状が届きました。センスのいいはがきにひと言添え書きがあります。読むと、先ごろ出した単行本がある文学賞の候補になっているらしいのです。この人は札幌出身。受賞は時の運ですが、今、大きくステップしようとしていることは間違いありません。
 もう1人はいろんなことがあって(別に私が当事者ではありません。念のため)疎遠になっていた作家志望だった女性です。その人から突然電話がかかってきて、「今度、単行本が出ることになりました」と言うのです。版元は東京・神田にある大手出版社。本名でなくペンネームで、作品は出されるとのことです。プロデューサーがスゴイ。小泉首相が愛読したとかで話題になった本も面倒見た人です。その人からも電話があり、「素晴らしい作品が北海道から生まれましたよ」と真顔(たぶん)で言うので、私はますます驚いてしまいました。
 みんな頑張っていますよねえ。さて私、54歳。紅顔の美少年のころ(冗談、念のため)、文学の夢を抱いたことがありました。スタートは早かったのでありますが、記者の迷宮に紛れ込み、いまだ五里霧中の状態で、ゴールから遠いところをさ迷っております。気がつくと、みんなにドンドン追い抜かれています。しかも、こちらはだんだん大脳細胞が死につつあります。早く眠りから覚めないと、また、大変なことになります。でも、まだ布団の中か。Z〜z〜。
  (後から来たのに、追い越され……って、水戸黄門の歌かよ)(2006.03.17)

<自転車は便利だけれど>
 ついに自転車を買いましたぞよ。質流れ品を扱うお店で、金12800円なり。ちゃんと変速装置もついておりまする。早速、札幌市内中心部で初乗りをしましたが、なかなかいいでがすよ。
 なんか語尾変化が変ですか。よし、すぐ3速にギア・チェンジ! はい、戻りました。でも、先日、チラシを見ていたら、生活用品の量販店で1万円を割る値段で出ており、いささかガックリしました。まあ、早く乗りたかったのだから、悔しい気もするけれど、仕方がないか。
 しかし、せっかく自転車に乗ったのもつかのま。また雪が降ったり、氷点下になったりで、安心して自転車が使えないのは困ったものです。まもなく4月、東京じゃ、梅が咲いたの、桜が咲いたのと、にぎやかなのに。北海道の冬はさすが根性があるというか、結構、ムラがあるというのか。なかなか春に居場所を譲ってくれません。
 自転車に乗っていて思うのですが、どうも自転車は市民の足としては必ずしも認知されていませんねということです。そりゃあ、自動車は便利です。体が不自由な人には欠かせません。だが、若い人なんかがなんでもかんでもエンジンカーというのはぜいたくだなあ。車を持っていない私が貧乏性だからでしょうか。みんながマイカーで都心に来るのは、交通の渋滞につながるし、エネルギーのムダだし、環境にも悪影響だし、どうなのかなあと思います。むしろ、自転車で移動したほうが、環境にやさしいし、健康にもいいはずです。
 ところが、河川敷などにサイクリング・ロードは整備されても、都心にはそんなスペースがありません。車道と歩道しかないから、自転車はある時は車道を走り、またある時は歩道を走るわけです。すると、自動車からはちょろちょろして危ないし、人間からはどこからでもぶつかってくるような迷惑な存在、というのが自転車であると、わかります。早い話が都心じゃ自転車は邪魔者です。
 今のような中途半端な扱いで自転車を街中を走らせるのは、どうなんでしょう。自転車の性能は生かせませんし、利用者にも歩行者にもみんなにストレスがたまります。小さい事故は結構起きているような気もします。むしろ自転車を禁止したほうが安全かもしれません。いや、それは困るなあ。あちこちで道路工事を盛んにやっていますが、自転車を配慮しているようには思えません。マチには歩くには遠いし、車に乗るには近すぎるところがあります。そこは自転車が便利です。繰り返しますが、最初からサイクリング・ロード以外では自転車に乗るな、というならすっきりしますが…。自転車の数に比べ駐輪場も絶対的に足りませんね。必要なところには無料でも有料でもきちんとつくったほうがいい。そこも考えてほしいのですが。無理でしょうか。
(極論というか逆説のようなことを書きましたが、結構マジです)(2006.03.24)

<エープリルフール>
 ここだけの話として聞いていただきたい。
 日中共同の極秘プロジェクト「M復活作戦」があるという。これは北京に保存されている故毛沢東主席(1893年−1976年)の遺体からDNAを取り出し、クローン技術によって強力な指導者(毛主席のクローン)を再生させようというものだ。強力な指導者の不在による社会の乱れに危機感を抱く中国と、中国人密航者らの犯罪に手を焼く日本の思惑が一致したものだという。
 それから不人気の2千円札をめぐる話もある。日本銀行と財務省はあまりに市中に出回らない流通の現実を変えるため、1900円を出せば2千円札と交換OKという特別両替制度の導入の方針を考えているらしい。前代未聞の「紙幣ディスカウント」だが、日銀は「2千円札生き残りのための最後の手段」と見込んでいるという。
 もう一つ。長寿姉妹として一世を風靡(ふうび)した双子「きんさん」「ぎんさん」が本当は三つ子で、もうひとりの妹「どうさん」がいた。どうさんは親類の家に養女に出され、その後ひっそりとブラジルで暮らしていたというのだ−。
 いずれもすごく注目される話だ。東京のある新聞が2001年4月1日に報じた特ダネである。
 だが、しか〜し、4月1日である。そうです。実はこれらはエープリルフールの「冗談ニュース」として特報2カ面を使い掲載されたのです。早い話がウソ。その当時、私は東京の新聞社内の事務局に出向していました。ですから、新聞社には記事の賛否を含めて大反響があったことを身近で見ています。
 不謹慎かもしれないが、面白い。事実、万能細胞やらなにやらが話題になる時代ですしクローン人間はもはや現実的にありそう。2千円札だって、金券並みに安くしてくれなきゃ、まぎらわしいし自販機では対象外のところも多いし、使いたくないとみんな思っているはずです。きんさんぎんさんどうさんは、発想がユニークな上に、移民があった時代の日本と農家に生まれた女性たちの苦労を伝える切実さがありました。
 ウソはいかん。怒る人が多いのも確かです。しかし、しかめっ面でいるより、たまには腹の底から笑えるホラ話も楽しみたい。だって、昔話や落語のように日本にも虚構を楽しむ伝統文化が連綿とあったわけですから。
  (この話は実は別のコラムで書こうとしたもの。本当です!)(2006.03.31)

<エープリルフール余話>
 4月1日付の「Oh!さっぽろ」面でメーン記事はエープリルフール作品でした。札幌市の市電が藻岩山のロープウェーまでシームレスでつながるという世界で初めての試みのお話です。もちろん、それは冗談話なのですが、最初からウソとわかってはつまらないので、いかにも本当のように技術面など細部をつめて書くのが記者の力量です。一読者として私は、「それもできないこともないよなぁ」ということで、だまされました。
 「冗談記事」の掲載までは結構、議論しました。私は前回書いたように東京の新聞のエープリルフール特集を見ていましたので、基本的には賛成でした。ただ、北海道の読者はきまじめですから、不快に思う人がいることは確実です。そういう印象を持つ読者をなるべく減らせるならばOKと思いました。最終的には編集責任者にも説明をした上で、ゴーサインを出しました。冗談記事を載せるのは楽しいようですが、実に大変です。
 その結果、読者からの電話は1日だけで約60件にのぼりました。幸いなことに大半が「面白かった」と理解を示しましたが、「うそかほんとかわかりにくかった」という疑問の声、「新聞にはふさわしくない」との批判の声も少なからずありました。また、4日の紙面で「1日の記事は冗談でした」というコラムをあらためて載せたところ、「今まで本当だと思っていたのに」という「がっかり」や「許せない」という否定的な声が数件来ました。やはり「冗談」というのが、わかりにくかった点を反省しなければなりません。
 また「全部読み終わってから冗談だとわかった。疲れます。こういうことはやめてほしい」「エープリルフールだからと言って、冗談記事など必要がない」といった批判の意見は、ふだん道新を信頼して読んでくれているがゆえの苦言であったと思います。このあたりは私たちに対する強い期待であることをしっかり受け止めて、ふだんの紙面では役に立ち、分かりやすい記事を掲載していきたいと思います。一層のご理解をお願いします。
(読者の声をしっかり聞かせていただいたエープリルフールでした)(2006.04.07)

<春には晴れやかさが似合う>
 3月17日号で「動きだした女性作家たち」という原稿を書きました。とりあえず、谷口の知り合いだから、たいしたもんじゃないのではないか、誇大宣伝だろう、と思われた人もいらっしゃると思います。でも、これが本当にすごいことになった。
 まず、転居あいさつ状をくださった札幌出身の女性ノンフィクション作家。この人がある文学賞の候補となっていると書きましたが、なんととってしまいました。名前は梯久美子さん。「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」(新潮社)が第37回大宅壮一ノンフィクション賞になったのです。今回は「メディアの支配者」の中川一徳さんら有力候補がノミネートされていたので、なかなか大変だと思っていたのですが、見事に受賞してしまいました。大宅壮一賞です! 芥川賞と同じくらいすごいのです。
 梯さんは1961年熊本県生まれ。北大卒業後、出版社勤務を経て編集プロダクションを設立、雑誌、書籍の編集を手がけてきました。両親ら家族はまだ札幌にいらっしゃるそうです。この本は知人の新潮社編集者のNさんが送ってくれたので、以前web書評しています。 最初の大きな仕事が形になり、社会的に評価されるというのは簡単にはできないことですし、本当に素晴らしいことです。梯さん、おめでとうございます。お祝いの電話をしてみましたら、東京支社の記者が取材していることを知っておられ、とても喜んでいました。
 また、疎遠になっていた作家志望だった女性が東京の大手出版社から小説本を出すとも書きましたが、それが、今回のコラムの「きょうの本」の「アイスグリーンの恋人」の喜多由布子さんです。こちらもご本人と名編集者の川端さんから連絡をいただき、出版を楽しみに待っていました。詳しい書評は下記を読んでいただくことにして、この調子で書ければ、売れっ子作家になるかもしれません。早く道新本紙でも取り上げてほしいと思っています。
(知り合いががんばると元気をもらいますね)(2006.04.14)

<新しいことをやってみたい春>
 私は「凝り性の飽き性」です。よく言えば、集中力があるほうである。しかし、持続力がまったくない。まあ世間的には三日坊主なのです。
 新しいパソコンを買う。箱を開いたら、一週間は寝ないで、自分に使いやすい設定とソフト導入に没頭します。だが、それが一段落すると関心は希薄になり、極端な場合はパソコンを触るのも面倒になります。昔、ヨガや太極拳もやりました。あやしげなカルト教祖じゃないので「空中浮遊」こそ無理でしたが、<気>が体の中を抜けるイメージはわかった(気がしました)。でも、そこで飽きました。パチンコやコーヒー、お酒にもはまりました。気に入った喫茶店や居酒屋は、毎日行かないと落ち着かないのです。でも、ある日、ぷっつりやめてしまう。
 作家もそうです。伊藤整に興味を持つと、古里・小樽市塩谷のゴロダの丘(ちょっと音が「ゴルゴダ」似で気に入っています)にまで行き、古書店では全集も買いました。ひととおり読み終わると、卒業気分になりました。英語も満足に話せないのに中国語、韓国語、ロシア語、ドイツ語、フランス語など、手を出した外国語は数知れず。もちろん、何ひとつものになっていません。今春も早速、NHKのハングル講座のテキストを買ってきました。パチンコも「冬ソナ」がブームで役に立つかもしれないし(冬ソナの韓国原題は「キョウルヨンガ」というのが分かりました。パチンコ台に書いてありました。真ん中のチャッカ−には「スタート」とハングルでありました)。
 困った性格ですけれど、実は悪いことばかりではありません。なんでも挑戦するので、中途半端に終わるとはいえ、雑学の幅が広がります。すると、とりあえず話題には不自由しないのです。三日坊主のミーハーも、結構役に立つよ、と能天気にも思っています。世の中、挑戦して悪いことって、ないですよ。
(MS−DOSはパソコンに挑戦する感じがありましたよね)(2006.04.21)

<文学賞の現在を考える>
 4月12日の道新に次のような記事が載っていました。
 【旭川】旭川文化団体協議会(相川正志会長)は11日、優れた現代詩集に贈る「小熊(おぐま)秀雄賞」を今年募集する第40回限りで終了すると発表した。協賛企業の減少や旭川市の補助金削減などで運営資金150万円の捻出(ねんしゅつ)が困難になったため。協議会は昨年、道内の小中高生を対象にした小熊秀雄記念青少年詩大賞も廃止しており、詩人・小熊秀雄(1901−40年)の名前を冠した賞は、ゆかりの地・旭川からすべて消える。
 小熊は小樽生まれで20歳から8年間、新聞記者として旭川で過ごし詩や童話を発表。その足跡を記念し68年、同文学賞が創設され、全国的に知られる賞に成長した。
 しかし、景気低迷を受け、協賛企業は95年の約100社が現在、18社に。市からの補助金も財政難で削減され、ピーク時の25%減の60万円となった。2004年から賞金を20万円減とするなどしたが昨年で繰越金が底を突き、協議会は継続は困難と判断した。

 驚きました。由緒ある文学賞がこんなにも簡単に消えていくのですから。残念でなりません。運営費用は150万円。60万は旭川市が補助していますので、実際に集めなければならないのは、そう多くないはずです。それが難しいので、この優れた詩人の名を冠した文学賞をやめざるを得ないというのですから、悔しいですね。実行委員会があり、イベントをやるならば、100万円程度なら十分集められる金額です。それができないというのですから、誠に深刻です。旭川は往時の繁栄はありませんが、まだまだ底力はみなぎっています。それでも不可能というのは、経済的というよりもマンパワーの問題のように思います。
 記事が出てほどなく、旭川の友人(わが社とは別のマスコミ関係者です)から電話があり、「オレたちでなんとかしたいんだが」との声がマチにはあるそうです。また、同じく旭川の文学関係者にただしたところ、「賞というものは簡単にだれかに交代するというふうにはできないものなので、今は見守るしかありません」との声を聞きました。協賛企業が減っているのは事実でしょうが、私がそのことで、「どうして手を貸さないのか」と、ある企業に文句を言ったところ、「文書が来ないので、協力もできないんです」との返答でした。やはり運営主体の高齢化などの問題がありそうです。
 ちなみに、私は先日、同じ旭川の三浦綾子記念文学館の賛助会員(個人1口2000円)になりました。入会すると入館料が無料になりますし、さまざまな特典もあります。そちらも運営は大変ですが、一生懸命がんばっています。旭川には井上靖の文学館もありますし、中原悌二郎の美術館もあります。こうした文学館と小熊秀雄文学賞も力を合わせ、文学のマチ旭川をもっとPRしたらどうなのでしょう。何かできるはずです。文学賞の衰退が言われますが、なんだか歯がゆく思われます。(追記:ご存知のように、小熊秀雄文学賞はその後、市民の手で復活して現在に至っています)(2006.05.12)

<「なんもさ」人生 晴れたり曇ったり>
 私事で恐縮ですが、って、まあ、このコラムはほとんど私事ばかりなんですが、実は4月から毎週土曜日の新聞夕刊「土曜ひろば」で「なんもさ万華鏡」というコラムを書いています。評判はというと、話術のおもしろさのほうが有名なマジシャンのマギー四郎さんではありませんが、「このネタはどこそこのマチの一部でウケているの」みたいなレベルかな、と思っています。それでも、図々しくも似顔絵入りで、知り合いからは「そっくりだ」「よく描きすぎだ」「ちょっと老けたみたい」などと冷やかされつつも、話のネタにされています。
 で、話のネタですが、どんなふうに読まれているか、やはり少しだけ気になっていたのですが、先日(5月8日)の夕刊文化面「道内文学」のコーナーを担当されている妹尾雄太郎さんが拙稿に言及しているので驚きました。「春は生活環境が変わり、ストレスが溜まりやすい季節である」との所感から、「そんなおり、本紙土曜夕刊で『谷口孝男のなんもさ万華鏡』という欄の文章に出会い、ふっと気分が軽くなった。この人は以前『黎』という同人誌で活躍されていたように記憶する。『<なんもさ>は北海道弁の代表格であるが、とりわけ、その突き抜けた語感、前向きな精神性において卓越している』という言葉に共感する」と記されています。
 「道内文学(創作・評論)」の中で論評されるとは思っていませんでしたが、拙稿を踏まえ、妹尾さんが「言葉の持つ言霊的な力はあなどれない」と書いているのを見て、一番いいところが伝わっているのを知り、うれしくなりました。そうなんです。世の中は物質的に変わるものですが、精神性(言霊、幻想、イメージ)から先に変わることもあるのです。私は、文章の書き手として、そのことを切に願っているわけですから、なにごとも分かる人には分かるのだなあ、と思いました。ついでに、昔、関係していた同人誌のことも覚えていてくださって感心しました。もっとも「同人誌ライター」ではなく、本業は「新聞ライター」なのですが、そこの知名度がいまひとつだったのも残念ながら厳然たる事実と知りました。
 私のライター人生はいわゆる外勤記者と内勤記者が半々です。内勤記者時代は原稿を書きたくてうずうずしていました。でも、世の中思うようには行きません。かといって、外勤に出たからと言って、自分の書きたいことを取材できる部門を担当するとも限りません。だから、ライターとしては晴れたり曇ったりというよりも、ほとんどが曇りのち雨から雪の人生です。幸い、札幌圏部長になってから、冠付きの紙面コラムを持てた上に、このホームページのコラムも書いています。なんだか、ずいぶんチャンスを与えてもらいました。もっともこの先は再び下り坂でしょうから、もう少しがんばりたいと思っています。
(年を取ると、「方丈記」なんか読みたくなる気持ちが分かりますね)(2006.05.19)

<文章の書き方の基本について>
 札幌圏部にも4月から新人記者が来ました。秋田出身の好青年で、ゆったりとした話しぶりは、将来の大物ぶりを予感させます。早速、高校野球の取材に駆り出されましたが、なかなか元気に原稿を書いています。
 原稿と言えば、文章を書くために大切なのはなんでしょうか。旭川報道部長時代に「あなたもコラムニスト」という講座を始めて、講師をしました。その際に、林望さんの「文章術の千本ノック」という本を参考にしました。今回はそのエッセンス7つを以下に紹介しますね。
1・文字を惜しめ  あれを書きたい、これも書きたいと思ってやっていると、結局何を言いたいのか分からない文章になってしまう。
2・文章の第一要件は「客観性」  文章は、その文章がどのようなものであれ、客観的な「批判」というプロセスを通過したものでないと、他人には読むには耐えない。
3・エッセーと観察  着眼がいかに卓抜であるかということが、文章の命。着眼と観察、そしてそれを描写していく力などが総合していく力などが大切。
4・文章のヘソ  一番大切なことは、人に読んでもらうということ。書き出しというもの、これが非常に大切なものになってくる。書き出しには「つかみ」が必要。
5・文章の訓練  絵をかくのだって、デッサンの練習をしない人は上達しません。景色を見たら、その場ですぐに書きとめる。それを面倒がってはいけません。
6・文章とユーモア  ユーモアというのは、文章を楽しく読ませるための調味料。
7・悪口は書くな  何かの事象について批判を加えるとしても、救いのない文章は読んだ後の感じがすごく悪い。

 書き写していて、自分がほとんど林さんの言い付けを守っていないことに気づきます。最近は「だらだら調」で、まとまりもいまひとつですし。文章道というのは確かに近いようで遠い。いずれにしろ、継続は力と言います。日記でもそうですが、まず自分が感じたことがあったら、労を惜しまず書き始めることが大切ですね。下手でも書いていくうちになんとかなるものです。たぶん。
(「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」とは「土佐日記」ですが、最近は女性ライターのほうが元気ですね)(2006.05.26)

<神は細部に、常民は草の根に存す>
 記者になりたてのころ、先輩のひとことに支えられた話を新聞のコラムに書いたことがあります。
 それは、小樽支社報道部に赴任したものの、胸に影が出て、何ごとにも自信が持てず、仕事もスランプに陥った時のことです。その時、他社の先輩記者に「考えすぎるな、仕事は体で覚えろ、まず健康だ」と諭され、前のめりで転びそうなところを救われたというものです。今回は少し続きを述べます。
 小樽支社に1年いた私は次に日本東端のマチ・根室に赴任しました。しかし、自分の生き方には自信が持てないままでした。訳のわからないまま浜まわりをして漁業記事を書いていました。それではいい原稿を書けるはずがありません。その時、「漁師と付き合うにはもっと肩の力を抜けよ」と声をかけてくれた人がいました。地元紙記者のMさんでした。私より少し年上で、根室のマチの裏表に精通しています。車に乗せてもらったり、一緒に密漁の張り込みに行ったりもしました。なんでこんなにも優しいのか、と思うほど邪心のない人でした。彼がいなければ、私は根室で新聞記者をやめていたように思います。
 長く生きて来るとわかるのですが、どんな場所であろうと世の中には素晴らしい人が必ずいます。彼らは決して「自分が自分が」などとは目立ちたがりません。でも、しっかり地に足をつけています。会社の内外などに関係なく、職業人として大切なことを教えてくれます。よく「先輩に恵まれない」「上司に恵まれない」などという嘆き節を聞くことがあります。でも、それは違いますね。素晴らしい人間は必ずいるものなのです。
 私は「常民」という柳田国男(民俗学者)の言葉を思い出します。難しい言葉ですが、より良く生き暮らすための意味と経験や知識を伝承している人間だと、理解しています。そうした優れた職業人は私たちの隣にいて見守ってくれています。けれども、そのことに気づかないまま過ごしていることが多いのですが…。確かに、世の中はすさみつつありますが、社会や人間はそう捨てたものではありません。
(昔、モーニング娘。の「Do it Now !」という歌が好きでした。関係ない?)
(2006.06.23)

<だいせんじがけだらなよさ>
 1年間、務めた札幌での部長の職を7月1日付で解かれることになりました。なんだか、あっという間に過ぎてしまいました。気分的には「頼むから、もう1年やらせてよ」という感じなんですが、「長く置くだけムダじゃあ」と言われるのも事実か。宮仕えの身であります。とりあえず本欄を読みつづけてくださったみなさまには、あらためてお礼申し上げます。
 私の好きな言葉があります。カール・マルクスがルーゲという人に送った手紙の一節です。「そしてそれでもなお私が絶望しないならば、私を希望で充たすものは、現在そのものの絶望的状態なのです」というものです。私は無神論者で、神を信じていませんから、最終的には人間を信じています。人間の個の力とその総合力としての共同性を信頼しています。なんどもなんども挫折を繰り返してきた私の人生ですが、それでもくじけないでここまで来られたのは、20歳の時に出合ったマルクスの言葉のおかげだと思っています。別のマニュスクリプトで、「人間は受苦的存在であるがゆえに、情熱的存在である」とも書いています。疎外され、苦しんでいることを感じたなら、その状況を変えよう、困っている人を助けよう、自分自身をしっかりさせよう、という人間の自己回復力を信じた決意の言葉だと、私は受けとめました。誤解がないように言っておけば、私は「マルクス・レーニン主義」を名乗る党派や組織は苦手です。それでも、マルクスの言葉には感動しました。
 私が新聞記者という仕事を選び、ものを書きつづけている根底には、会ったこともない哲学者マルクスから学んだ人間への信頼、決して現状に妥協してはいけない、甘えてはいけない、屈してもならない、という思いが支えとしてあります。この先も、その初心は持ちつづけたいと思っています。
 東北に生まれた詩人の言葉も思い出します。彼は「自分には身を捨てるほどの祖国が、本当にあるのか」とマッチをするつかの間に思ったものだと歌った早熟の天才歌人です。「時には母のない子のように」黙って海も見つめていました。ロマンチストなのです。だから言いました。「だいせんじがけだらなよさ」。意味が不明という方は、もう一度ご覧いただいて、右から逆さにお読みください。では、原文へ。

 さみしくなると言ってみる
 ひとりぼっちのおまじない
 わかれた人の思い出を
 わすれるためのおまじない

 だいせんじがけだらなよさ
 だいせんじがけだらなよさ
             (寺山修司)

 つたない文章を書きつづけてきました。早くやめろ、と思われたみなさん、ご迷惑をおかけしました。お許しください。ご愛読いただいたみなさんには、あらためて伏してお礼申し上げます。本当にこれでおしまいです。新聞を今後ともよろしく応援願います(これも本当です)。時間が来ました。タイム&ゲーム・イズ・オーバー。宮沢賢治にならい世界と衆生への愛を込めて。さようなら。
(マトリックスのような新職場では甘えをリセットして0からがんばります。またいつの日にか)(2006.06.30)


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