「戦後的なるもの」は既に完全に死んだ。
終戦から四十年―。変わらないほうが不思議なのだ。たとえば、私の心の中に残っている戦後の原像とは、貧しい食生活、石ころだらけの道路、まさ屋根の掘っ立て小屋、緑豊かな牧場と防風林、魚でいっぱいだった小川……。今ではそのどれもが私の住む世界からは消えてしまった。下部構造が上部構造を決定するならば――などと大仰なことを言わなくても、このような激変の中を同じ理念や価値観が続くほうがおかしいのだ。私たちはきっと、状況の中を浮遊し、新たな価値観形成の過渡にある。
「平和と民主主義」を中核とした戦後憲法を掲げて曲がりなりにも城内平和≠守り続けてきた、この四十年間を私は必ずしも全否定するものではない。しかし、私たちが平和・繁栄・幸福を謳歌している間に、他の国では、どれだけ多くの人が飢えに苦しみ、血を流し続けていたことか。このことの落差は大きい。私たちがもし戦後四十年を語るならば、必ずやそのことを勘定に入れねばならないように思われる。私たちが、自分たちの国の戦争の傷跡に感傷する時、同時に他の国の人たちの戦争の重みを考え合わせねばならない。さもなくば、私たちの感傷は再び何の反省もなく、自らの利益のみを第一義とする誤りへと私たちを連れて行くに違いないのだ。価値観が解体しつつある現在、その種の感傷こそ最もそうでないように見えて最も危険な侵略鼓舞のパトスとなり得るように思われる。
このことは、次のような自戒を私にもたらす。私たちは今から十数年前の社会的激動期に、プロレタリア国際主義の旗を掲げ、民族国家併存空間の突破―世界同時革命の必要性(現実性)を叫んだことがあった。もちろんそれは周知のように、一方では民族主義的に歪曲された根拠地論に後退し、他方では運動表現の組織的基盤を喪失し、共に壊滅した。私はそれらを今、思想論として十分に再提起することはできないけれど、方向性に於いては決して誤っていなかったという確信は変わっていない。《国家》という幻想の垣根を取り払うことをしない限り、私たちはついに《世界性》を獲得することはできない。そして《国家》という垣根を支える基盤こそナショナリズムであり、それはイデオロギー以上に強固な、《同胞への感傷》―即ち《やさしさ》なのだ。それらとの対決は、ますます重い課題である。
T
最近、映画を見ていて不覚にも泣いてしまった。自分のことながら「こいつは危ないな」と思ったのだが、事実なのだからどうしようもない。その映画とは「夢千代日記」と「ビルマの竪琴」という作品である。
「夢千代日記」は早坂暁の脚本で、吉永小百合主演で評判になったNHKのテレビドラマの映画化である。監督は「キューポラのある街」の浦山桐郎。吉永小百合は第二次世界大戦の最後の年、広島に落とされた原爆のため胎内被曝した女性である。山陰の温泉町で、母から受け継いだ芸者置屋の「はる屋」の主人・夢千代である。今回の映画では、病院であと半年の生命と宣告された夢千代が、生命の灯を限りなく燃やすことで、周囲の人物を襲っている生と死のドラマを浮き上がらせ、最後にひとつの愛に走り死んでいく。一方の「ビルマの竪琴」は故竹山道雄の名作を市川崑監督が自ら約三十年ぶりに再映画化した。こちらは第二次世界大戦の最後の年、南方ビルマ(ミャンマー)戦線を転進する日本軍兵士を襲った運命のドラマである。竪琴のうまい一人の兵士、即ち水島上等兵(中井貴一)が僧となって、戦友たちと別れ、同胞たちの遺骨を埋葬するためビルマに一人残るという物語は、竹山の作品が戦後のベスセラーだけによく知られているはずである。
これらの映画のどこが私を泣かせたのかと言えば、核心についてはうまく言い表せない。たとえば、具体的に私が泣かされたのは「夢千代日記」では次のような場面である。死期がさし迫っていることを知っている夢千代。彼女は仏壇の前で、母に語りかける。そして、原爆症でやつれてしまう前に《美しい》うちの自分を葬式用の写真に撮ろうと、セルフタイマーをセットする。「生きたい」という心の切なさ、その顔は本当にかなしいほどに美しい。また「ビルマの竪琴」では、オウムによって語られる「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンニカエロウ」「アア、ヤッパリ、ジブンハ、カエルワケニハ、イカナイ」という会話であり、戦友たちが日本へ帰るという」前日、姿を現した水島上等兵が、ついに一言も語らず竪琴で「仰げば尊し」を奏で、森の中へと去って行く最後の場面である。さらに、ビルマ人の村で、敵に囲まれた緊張感の中で日本兵が歌う「はにゅうの宿」と、それに応え英語で「はにゅうの宿」を歌うイギリス軍兵士の出会い≠ヘゾッとするほどに力が抜けるのだ。
私を泣かせるのは、夢千代の必死の生きざまであり、異郷の地で歌を通じて共感し合う人間の心かもしれぬ。いや、まだ違う。両者を流れる人間的な、人間らしさを求めてやまぬ《気分》のようなものが、私を泣かせるといったほうがいいかもしれない。
U
「夢千代日記」と「ビルマの竪琴」に通底するテーマは、一種の反戦の《こころ》である。
映画は原爆症の夢千代が、医者にあと半年の命と宣告されるところから始まるんです。こうなると、メルヘンのようなフワフワした感じでは最後まで引っ張っていけませんよね。ただ、私としてはテレビで何度も演じてきた役だから、映画で全く変えちゃうわけにはいかない。やはり、夢千代のキャラクターはテレビと同じにして、彼女の持っている温かさや柔らかさを出したいんです。そのうえで、極限状況に陥った人間の苦しさとか悲しさがリアルに出せればと思っているんです。(キネマ旬報誌・吉永小百合インタビューより)
メルヘンと言い切るのは少し問題があるかな。ある状況のもとでは、神ならぬ人間にも水島のような行為ができる。その精神を何度でも語りたいんだ。僕は主義者≠カゃないから、その意味ではあくまで人間的にとらえたい。だけど、反戦に通じるものは出てくると思うし、何遍、反戦、反戦といってもいい。いち人間としてはそう重いますから。
(上映用パンフレットでの市川崑監督の発言から)
二人の発言は、驚くほど似ている。《人間性》が醸し出すある種の《感情》。夢千代は苦しむ時、自ら見たはずがないにもかかわらず、自分の肉体に入り込みついには死に追いやろうとしている原爆を思い出さずにはいられない。この既視感覚は決して関係妄想ではない。彼女の《肉体》は《それ》を見たのである。だから「ピカがピカが……」という絶望的な怒りが口をついて出るのである。悲劇の根柢には、戦争――原爆投下というものが横たわっている。また、水島上等兵は、最後まで徹底抗戦を叫び続ける一部隊の説得に失敗、その部隊の全滅という地獄を見せられる。彼はすでに降伏し捕虜収容所へと移っている戦友と合流すべくムドンへ向かうのだが、その途中、ビルマの山野に野ざらしになっている無数の日本兵の死体をまたも見せつけられる。そして彼はついに、日本兵の霊を慰めるために僧侶となって、ビルマにとどまることを決意するのだ。
そこにあるのは《銃後》の地獄と《前線》の地獄である。市川崑監督が「何遍、反戦、反戦といってもいい」と言いたくなるのも当然かもしれない。しかし、私は、自ら不覚にも涙を流しながら、「待てよ」と立ち止まるのである。
V
この世には論理的には明快であっても、個人の体験に引き寄せれば不条理な世界というものがある。そして、その問題の解決策は依然として見出されていないと言ってよい。私はそれを《個》と《共同性》の難関という形で展開してきた。そして、それは、戦争という場に於いては《共同性―内―個》と《共同性―間―個》の問題として二重性を帯びて浮上してくるように思われる。《共同性―内―個》も《共同性―間―個》も《個》にとっては不満足な状態であることには変わりない。しかし、戦争は《個》の不満を《共同性―内―個》に繰り込み、一方、《共同性―間―個》に対しては、《個》を《共同性》の背後に追いやってしまうのである。夢千代も水島上等兵もそのような危うい場所にいるのではないか、というのが私の疑念であった。
「ビルマの竪琴」で、水島上等兵が、まさしく仏のようになって、《同胞》の供養に専念しようという決意を私は美しいと思う。しかし、ビルマの山野で、水島上等兵が見たのは、果たして日本兵の亡骸ばかりだったのであろうか、と私は問わねばならない。おそらく、そこには被侵略国たるビルマ民衆の亡骸もあったはずであるし、残忍な侵略者によって焼かれ破壊された家々や民衆の生活文化、さらには荒らされた自然や農地もあったはずである。何よりも水島の目に映ったのは、それらのビルマの生活者大衆の悲惨ではなかったのか。黒澤明監督のライフワーク「乱」が全くの失敗作に終わったのは「七人の侍」にはあった本当の主人公たる生活者大衆が忘れ去られていることであったように、ここでもそのことが忘れ去られている。それどころか、侵略者たちの亡骸を葬るためにビルマ民衆が協力する場面では、僧に偽装した水島上等兵の姿に、ビルマ民衆が何も知らされぬままに巻き込まれてしまうように描かれている。水島上等兵は人間的に素晴らしくあっても、ついには愛国主義の、即ち《国家》の壁を越えてはいないように見えるのだ。水島上等兵は依然として《共同性―内―個》の中から歩み出してはいない。
夢千代について私は何かを言おうとすると、どこかで言いよどんでしまう。私も《共同体―内―個》の世界を生きているのでは、という不安が私を襲う。私たちの身辺でも、多くの人たちが戦争の犠牲となっていることを知っている。「お気の毒に」というのが、私たちの言い得る最低限の感情水準であるとすれば、その水準はどこまで遠隔化できるかというのが私の問いである。
(文芸同人誌「詩と創作 黎」第36号=1985年夏号収載)
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