シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。
シネマ・グラフィティ・ノート 2000年 その11
*136<349>「ミュージック・オブ・ハート」
ウェス・クレイブン監督。メリル・ストリープ。アンジェラ・バセット。グロリア・エステファン。
感動の音楽映画らしいが、どうもですね。
メリル・ストリープ、いいですよ。音楽は、やはり心を慰めますね。映画は、なんだかなあ。一種のプロパガンダですか?
「ウィー・シャル・オーバー・カム」なんか懐かしいですし。そりゃ、カーネギー・ホール出演はうれしいでしょうが、話はなんかみんな食い足りないし。こんなふうに良き市民をつくりたいのかなあ、米国は。
*137<350>「マルコヴィッチの穴」
スパイク・ジョーンズ監督。ジョン・キューザック。キャメロン・ディアス。キャスリー・キーナー。
とにかく凄い。アイデアも凄いし、役者も凄い。
キャメロン・ディアス! 「メリーに首ったけ」も頑張ってましたが、今回はそれ以上です。人間なんて傀儡だわな。人間は他人になろうとして自分を失っているのさ。とかなんとでも言えましょうが、大好きな彼女が実は傀儡だとしたら? 困りますね。
キャスリー・キーナー。よく見たのは初めてですが、魅力的でした。
*138<351>「X−メン」
ブライアン・シンガー監督。ヒュー・ジャックマン。アンナ・パキン。イアン・マッケラン。
大人気のアメリカン・コミックの映画化だそうな。超能力を持つミュータントたち。彼らは人類と共存するのか、人類を支配するのか。共存派のプロフェッサーXによって組織されたX−メンが陰謀と戦う。
面白い映画だし、一種の文明の批評になっている。でもなんか盛り上がらない。悩みも恋も。だから食い足りない。超能力がいいことかどうかわからんが、いらないなあ。舌が伸びても手が武器になっても困る。
*139<352>「五条霊戦記」
石井聰互監督。隆大介。浅野忠信。永瀬正敏。岸部一徳。船木誠勝。
これって弁慶と牛若丸の童謡でおなじみの京は五条の橋の上での決闘物語。でも、牛若ならぬ遮那王は剣の道に狂い、平家の武士を斬りまくる鬼に。これに対して弁慶は仏門に入っていたが、啓示を受け鬼退治にやってくる。義経は飽きもせず、次から次に人斬りばかりするのか。弁慶はなぜ五条の橋にこだわるのか。よくわからない。
で、結局2人はお互いの気を感じながら、最後の決闘に赴く。目の色を見ていると、完全に同性愛だもんなあ。ネタはいっぱいなのに物足りない。変な出来の映画だ。
*140<353>「インビジブル」
ポール・バーホーベン監督。ケビン・ベーコン。エリザベス・シュー。
透明人間です。でも彼は透明人間の悲哀なんてなく、自ら好んで透明になりました。しかも、透明人間になってやりたいことは、きれいな女性のおっぱいを触ること。
なんか志が低いんだなあ。透明人間になって自分のスケベ心を満たしたいっていうのを、
ここまであからさまにされると、何か情けなくなります。まあ透明人間になるシーンのSFXだけがウリです。
*141<354>「バトルフィールド・アース」
ロジャー・クリスチャン監督。ジョン・トラボルタ。バリー・ペッパー。フォレスト・ウィテカー。
1000年後の地球。そこは異星人に支配され、人間は動物扱いされていた。忍従を強いられた人間動物が先人の金塊や核兵器などを駆使。異星人を撃退する姿を描く。
なにしろ、ジョン・トラボルタ。どこにいるんだ?っていう悪役です。話は荒唐無稽ですし、アメリカ的ないい加減さがいっぱい。「なんじゃ、それ」って言いながら見る映画でしょう。
*142<355>「キッド」
ジョン・タートルトーブ監督。ブルース・ウィリス。スペンサー・ブレスリン。エミリー・モーティマー。
40歳の男の前に8歳の自分が現れたら? そんな莫迦な! あり得ないのだけれど、ありそうに描いた佳作です。
人間だれでも、今の自分は昔考えていた自分と違うと思っているはず。そのことを聞かれたらなんと答えようか。ちょっと辛いモノがあります。同じように自分が8歳の頃の自分の時代に戻れたら。これも感慨深い。
ウォルト・ディズニー映画ですから軽いけれど、よくできています。
*143<356>「ナッティ・プロフェッサー2 クランプ家の面々」
ピーター・シーガル監督。エディ・マーフィ。ジャネット・ジャクソン。ラリー・ミラー。
話は2つ。エディ・マーフィ扮するクランプ教授が若返りのクスリを発明した。それをめぐってテンヤワンヤ。クランプ教授には分身のバディがいる。彼の妨害を超えて幸せを掴めるか。
あとはセックスと尾籠な話があきれるほどでてきてウンザリ。いってみれば人間の欲望がストレートに出てくるという物語。エディ・マーフィはなんと一人九役もこなしているとか。こんな映画が楽しいかい?っていうのも野暮というものか。
*144<357>「サルサ!」
ジョイス・シャルマン・ブニュエル監督。ヴァンサン・ルクール。クリスティアンヌ・グゥ。
これはなかなかの映画です。セクシーで、楽しいってことはいうまでもありません。でも、凄いのはニセ物が本物になろうとするスリルです。というか周縁が核心を揺するエナジーですよ。僕も過激な心を捨てて、いい人になろうとしてますから。ユダほど信心深い人はいないのかもしれないし。いろいろ考えさせられますよ。
できすぎのストーリー(爺さんと婆さんと息子と孫と)やノリノリの音楽もいいけれど。キューバものでも「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」とは毛色が違うね。サルサだけならは「ダンス・ウィズ・ミー」も良かったなあと思う。
*145<358>「倦怠」
セドリック・カーン監督。シャルル・ベルリング。ソフィー・ギルマン。アリエル・ドンバール。
哲学教師のマルタン。奔放な妻との関係に行き詰まっている。ふとしたことから知り合った17歳の少女セシリア。彼女は即物的なセックスしかしない。彼女への問いは実はマルタン自身のものである。それでもエンドレスな問いと同じようにセックスもエンドレスに続く。虚しい。でも、それが生きているということだ。
17歳を演じるソフィー・ギルマン。これは肉厚なまさに恐ろしい存在。はまり役というべきか。セックスを意識性抜きの作業としてみせる演技力。そこまで哲学=セックスしたら、死ぬぞ! と言ってやりたい。
*146<359>「薔薇の眠り」
アラン・ベルリネール監督。デミ・ムーア。ステラン・スカルスゲールド。ウィリアム・フィッチナー。
私って誰? 一人はニューヨークで出版プロモーターをしているやり手女性。もう一人はフランスの田舎で2人の子供と暮らすウィドウ。2人とも恋人に恵まれ幸せな生活をしている。でも2人は眠りが来る度に入れ替わっている一人の私。私って誰? というわけだ。
かったるいぜ。そんなに幸せなら、愛されているなら両方生きればいいでしょう。まあ、心の傷が原因な訳だが。全く主人公に共感できないのは大半はデミ・ムーアのせいか。
*147<360>「スペース・カウボーイ」
クリント・イーストウッド監督・主演。トミー・リー・ジョーンズ。ドナルド・サザーランド。
1958年に米国初の宇宙飛行士になり損ねたジイさん4人組。40年後にやってきましたアナログ技術保持者の出番。地上のコントロールが不能になった旧ソ連の通信衛星の修理です。
裏では冷戦時代の醜い米ソ補完スパイ関係が蠢いている。それでもハードコアでハートウオームなカウボーイたち。昔取った杵柄でやってみせます。ジイさんはロマンチストでもあるのだ。(年寄のファンタジーってか)くさいけれど、さすがに見せます。
*148<361>「セクシャル・イノセンス」
マイク・フィギス監督。ジュリアン・サンズ。サフロン・バロウズ。ステファノ・ディオニジ。
5歳の時の老人と黒人少女の性愛から始まってドキュメンタリーを作っている今の関係まで。失われていく無垢の性の喪失を描いた映像詩。
でも、エデンの園を追放されたアダムとイブを待っているのが、権力とマスコミという皮肉を含めて、断片的すぎる。結局、わからんのだ。アフリカの砂漠での命の等価交換という悲劇的な最期にしても。思いこみとうぬぼれが痛々しい作品に思える。
*149<362>「カオス」
中田秀夫監督。中谷美紀。萩原聖人。光石研。国村隼。
「リング2」の中田さん。
でも映像に全く緊張感がなくなんとも困った。中谷美紀にしろ萩原聖人にしろ想定内の演技だし。狂言誘拐が引き込む<魔>の時間。
その時間ホールに落ちていく登場人物たち。だから? なんなんだろう。ミステリーもなければエロスもない。これをなんといおうか。
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