「踊るシネマの世界」へ
なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。
WEEKLY TODAY'S CINEMA 4 2005~2006
【きょうの映画】
☆☆☆☆
*35 「七人のマッハ!!!!!!!」(パンナー・リットグライ監督。ダン・チューボン。ゲーサリン・エータワッタクン。ピヤポン・ピウオン)
「マッハ!」を見た時の衝撃は今も変わらない。とにかく、香港、ハリウッドのワイヤーアクション系の格闘映画とは対極の、タイ製の痛いアクション映画。とりわけ、主演のトニー・ジャーがすごい。ブルース・リー亡き後、ジャッキー・チェンに引き継がれたカンフー武闘派は、ムエタイ戦士のトニー・ジャーによってパワーアップしたのである。その迫力は新しいスターの誕生を予感させた。
で、本作。その「マッハ」製作チームが作った新たなアクション映画である。麻薬取締刑事のデュー(ダン・チューボン)はヤン将軍を逮捕するが、慕っていた隊長を失ってしまう。失意のデューを励ますため、妹はトップ・アスリートとの村慰問に誘う。だが、そこで突然、麻薬組織の軍事組織が村を急襲、暴虐・殺戮の果てに村人を人質にヤン将軍の解放を政府に迫る。しかも、核ミサイルも保持していて、その照準はバンコクに向けられていた。武器を持つ組織に、タイ人の誇りを守ろうとするデューたちが立ち上がる。ムエタイ、サッカー、テコンドー、ラグビー、セパタクロー、体操、器械体操の7人を中心に村民の決起で麻薬組織軍を追い詰めていく。
器械体操によって機銃で武装した連中に勝てるか。なんて言いっこなし。物語は当然破天荒です。核ミサイルが気合でバンコクをそれるなんてことはあり得ないでしょうし。見るべきは、とにかくトリックなしの格闘シーンです。疾走するトラックから転落するの当たり前、本気で殴り合います。一応、ラストにメイキング・ビデオが流れるのですが、「もしかしたら、本当は撮影中にだれか死んでいる人もいるのじゃないか」と心配になります。それと麻薬軍の赤いネッカチーフ・ルックがなんとなくポル・ポト派を連想させて、生々しい殺戮シーンの連続になんとも言えず心が痛みました。それに都市と農村の豊かさの差異もひどく切ないものでした。
「マッハ!」では、リアルな武闘の中にジャッキー・チェンら先達へのオマージュが感じられたのですが、今回はその余裕はなし。とにかく長回しのカメラワークが緊張感を高めますし、めちゃくちゃな格闘(戦闘)映画という印象でした。ダン・チューボンはがんばって主役を張っていますが、早くトニー・ジャーの新作も見たい気もしました。
★★★
*36 「男たちの大和 YAMATO」(佐藤純弥監督。反町隆史。中村獅童。鈴木京香。仲代達矢)
辺見じゅんさんの名作ドキュメンタリーが原作。兄弟思いの辺見さんらしく製作に角川春樹とあるのが、なんとも感慨深い。主題歌を長淵剛が歌っており、まことに男くさい作品である。そして、すべての戦争映画は反戦映画であるというテーゼはこの映画においても証明されている。
話の運び手は、鹿児島県・枕崎の漁師の神尾(仲代達矢)と、大和沈没地点を訪ねようとする内田真貴子(鈴木京香)。2人の出会いから、60年前の悲劇の実相が浮かび上がってくる。15歳で少年兵となった神尾には大和に乗る内田、森脇という2人の先輩がまぶしく見えた。日本軍は昭和19年10月のレイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅的打撃を受ける。そして、昭和20年3月。サイパンを失って東京は大空襲、沖縄は米軍の上陸が始まろうとしていた。このため、大和は4月6日16時、沖縄に向けて出動するが、米軍はすべてを察知しており、翌7日、運命の時を迎える。
映画はだれかが言っていたが、まことに「タイタニック」のラストを思い出させる。そして、死のリアリズムの戦闘シーンは「プライベート・ライアン」「シン・レッド・ライン」を想起させる。母と子、恋人同士、夫婦などの訣れの場には涙を禁じ得ないのである。実写あり合成ありの映像はハリウッドの超大作ほどの質感はないが、十分に当時の雰囲気を再現していよう。
それにしても、悲惨である。日本軍は1億総特攻の先駆けとして大和を単独で沖縄に向かわせるのである。なんという残虐なことか。3000人を死なせるという判断はどこから来るのか。この無謀が広島、長崎の悲劇を招き寄せるのである。そして、横行する精神主義とそれを正当化する恣意的な暴力・鉄拳制裁。覚悟を決めた兵士たちは、自らを納得させるために、次のように考える。進歩を忘れ、精神論ばかりの日本は敗れなければ目が覚めない。そのために我々は死ぬのだ、という決意は美しいが空しい。
戦争は必ず倒錯を生む。価値観は個人ではなく国家に収斂していく。本作は昭和への鎮魂歌であるにしても、愚行を繰り返してはならないと強調しなければならぬ。
★★★
*37 「キング・コング」(ピーター・ジャクソン監督。ナオミ・ワッツ。ジャック・ブラック。エイドリアン・ブロディ)
「ロード・オブ・ザ・リング」の監督による名作リメイク版です。
美女と野獣の物語。密林の王者が都会のブロンド娘に恋してしまい、野性を失います。だまされてニューヨークに連れてこられ見せ物にされます。しかし、恋のために野性を回復しようとしますが、都会では追いつめられるだけという「自然=野性と都市=文明」の悲劇の物語は今回もかっちりと押さえられています。何が新しいというと、映像でしょう。そして、「ジュラシックパーク」さながら繰り広げられる恐竜たちの格闘シーンでしょうか。
ラブストーリーとアドベンチャーを2つもろともたっぷり詰め込んだので、いささか長編になりすぎたというのが、トイレの近い私の不満でしょうか。3時間は長いですよねえ・でも、とても面白いのです。トイレを我慢するのはつらいが、飽きません。とりわけヒロインのナオミ・ワッツは本当によく走りました。密林でもニューヨークでも。彼女に一等賞をあげたいくらいです。もう少し美形なら、特別賞でしょう。残念ながら苦労が顔ににじみ出て、ピュアな美女でないのが惜しまれます。
登場人物の性格分けをしっかりやったのがいい。まず、映画監督役のジャック・ブラック。自己実現のためなら他人を犠牲にしてしまいます。利己的なのですが、どこかでその行為が社会のためになると信じている。次に、社会派の戯曲家のエイドリアン・ブロディ。本当はこの「戦場のいかれピアニスト」の善意のために、みんな不幸になるのに気づいていない。キング・コングの仇役で悲劇の引き金を引きますす。彼が余計なことをしなければ最小の犠牲で済んだはずです。まるで、善意で戦争をする米国民主党のような人権派だな。そして、ヒロイン役のナオミ・ワッツ。チャンスの前髪をつかむために全力を尽くすアメリカ娘。やさしいけれど結局、周りが見えていません。自己犠牲というような精神とは無縁です。そして、キング・コング。殺戮の限りを尽くした後に、なぜかブロンドの輝きに目がくらみます。若い頃は暴走族だったけど、純な娘に一直線なんて感じでしょうか。改心したわけじゃないが、自分の立場が分かっていません。
要するに、コングを含めすべての登場人物がアメリカ的なのです。その確執の果てに、悲劇が訪れる。原住民や恐竜やその他もろもろの生物は<異界>のものとして否定され顧みられません。できれば、コングでも飛行機によってでもよかったのですが、エンパイアステートビルも破壊してほしかったのですが、残念ながら、キング・コングが転落して終わってしまいます。転落シーンは、いつも感慨を呼びますね。「ダイ・ハード」のラストで悪役が落ちていく場面、あるいは「タイタニック」でディカプリオが海の底に消えていく場面。機銃掃射で息も絶えかかったコングの眼中に、写ったのは密林だったかニューヨークだったか、それとも美女アンのブロンドだったか。どうでもいいことですが、とても気になりました。
★★★☆
*38 「イン・ハー・シューズ」(カーティス・ハンソン監督。キャメロン・ディアス。トニ・コレット。シャーリー・マクレーン)
姉は優秀な弁護士。だけども恋には晩熟で、そんな自分の不満解消は素敵なシューズを買うこと。妹は美人だけれど、読書障害はあるし、全くのニート。姉の靴を履いて奔放な恋のアバンチュールに明け暮れている。そんな2人だけれど、反発しつつもどこかで頼りあっている。なぜなら、実の母は若くして事故死し、義母とはうまくいっていない。
まあ、ありがちなアメリカのお話です。ただ、脚本と役者と画像がとてもいいので、見ていて、とても気持ちのいい仕上がりになっているのですね。NYやフィラデルフィアからフロリダの舞台が移ることで、本当に心模様が変わるのがわかりますね。
フロリダには母のおかあさんが高齢者センターで暮らしているのです。そこが、いわゆる日本的な老人ホームの暗さがなくて、本当に自分の後半の生活をエンジョイしているのが伝わってくるのです。プータローの妹はこの転地療養で、さまざまな人生の先達に出会い、自分の欠点を克服していくのです。
アメリカ映画ですから、セックスもあり、お約束のユダヤ教あり、ちょっとしたスノッブな会話もいっぱいでてきます。本来なら、鼻につきそうなそれらにアイテムがほどよく香辛料になって効いています。この映画に命を吹き込んでいるのは役者ですね。キャメロン・ディアスは意外にも詩を読みます。なんか沁みます。そして、シャーリー・マクレーンが祖母役で、本当にベテランの演技を見せます。
シンデレラも靴物語ですが、この映画も最後は祖母の履いた靴で姉が結婚式をします。幸せの靴を履こうとする女性たちを応援する映画だとわかります。そんなわけで、昨年の公開時にはずいぶんヒットしたようです。私は遅れて、ようやく2番館の名画劇場で見ましたが、オススメです。DVDになりましたら、ぜひどうぞ。
★★☆
*39 「秘密のかけら」(アトム・エゴヤン監督。ケビン・ベーコン。コリン・ファース。アリソン・ローマン)
1972年のロス。なんだか、麻薬っぽい匂いがしますね。さて、出版界での成功を目指している女性ジャーナリストのカレン。彼女はかつて一世を風靡したお笑いデュオのラリー&ヴィンスの暴露話を取材していた。特に、話の肝(きも)は15年前に起きた美しい女子大生の死亡事件。だが、それは最大のタブー。調べていくに連れて、カレンは当時のショウビズ界の人間関係と迷宮へと引き込まれていく。
監督のアトム・エゴヤンは「スウィート・ヒアアフター」で知られています。あの映画も、バス事故をめぐる不思議な人間関係を描いた作品(難解)でした。今回も一種の「藪の中」の事件を通じて、2人のコンビと1人の執事の作り出した<共犯幻想>の世界を浮かび上がらせました。
この作品ではケビン・ベーコンが例によって脱ぎまくります。そんなに体を見せたいのかい、と言いたくなるほどのサービスぶりです。そんな気分が現場にあふれているのか、コリン・ファースやアリソン・ローマン、さらに「不思議の国のアリス」役の女性などがにぎやかに熱演してくれます。そのあたりは、ちょっと過剰です。
「秘密のかけら」も元をただせば、薬物を使用していることによる事故でした。薬物依存というのは、緩慢な死への願望でしょうから、結局、死をもって解決する者もいれば、死後に真相を明かそうという態度が多くのことがらの結論になるのは当然でしょう。ですから、物語は結局、「藪の中」を脱しきれません。その場所が心地いいと言えばいいのですが。
★★
*40 「ALWAYS 3丁目の夕日」(山崎貴監督・脚本・VFX。吉岡秀隆。薬師丸ひろ子。堤真一。小雪。三浦友和)
「イン・ハー・シューズ」と本作も同じく2番館で見ました。西岸良平の漫画の映画化。昭和33年の東京。見上げる空には赤い鉄塔が組まれ、東京タワーが生まれようとしていた。そこにやってくる青森からの集団就職の子供たち。その1人、六子は港区の町工場・鈴木オートで働くことになった。自動車会社という触れ込みだったが、頑固なおやじと人のよさそうな妻、さらに腕白小僧がいるだけの町工場であった。工場向かいには文学青年の茶川がおり、近くの飲み屋には訳ありげなおかみのヒロミがいた。そこに、母親が逃げてしまい身寄りのない少年、淳之介が連れられた来た−。
懐かしい昭和30年代。戦争の傷をみんな背負いながらも、物質的な豊かさが戻りつつあり、もはや戦後ではない、という希望にあふれた時代。そんな日本のエネルギーが底流にはみなぎっている。まあ、そんな時代もあったよね。人情物語といってはそれまでだが、その時代を特撮をふんだんに使いリアルに表現したところがすごい。
山崎貴は香取慎吾の「Juvenile(ジュブナイル)」や金城武・鈴木杏の「Returner(リターナー)」で知られる。VFXを駆使した表現力に定評があり、本作では、その力で懐かしい街並みを見事に表現した。古い東京の下町に浮かび上がる東京タワーはなんか焼け跡に出現した夢や希望のシンボルであることがわります。
本作は2005年の邦画の代表作になった。私としては過去の作品ではありアニメではあるけれど「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」の1970年代ノスタルジアのほうが、問題提起を含め、優れていたと思う。こちらは昭和30年代の共同体への愛惜にとどまっている。そこが物足りなかったと言えば言えます。
★★
*41 「THE有頂天ホテル」(三谷幸喜監督・脚本。役所広司。松たか子。佐藤浩市。香取慎吾)
さて、三谷幸喜である。すごい。何がって、テレビの「古畑任三郎」シリーズの特別編をイチローやら大物スターを起用して大ヒットさせるは、とにかく才能があふれている。しかも、宣伝にも積極的で本作の公開前のテレビ出演は涙ぐましいというより、見事なほどの露出サービスぶりであった。
これまでも映画監督としても、なかなかであった。鈴木京香起用の「ラヂオの時間」では業界のプロたちによって脚本がどんどん変わっていくとんでもストーリー展開、ココリコの田中直樹と八木亜希子による「みんなのいえ」では建築アーチストと大工の対立をもとにプロたちのプライドを見事に描いている。三作目の本作では、ホテルマンたちの誇りを描いているが、ひとつのプラットホームに多くの人が集まって起きるトラブルの織物(群像劇)を鮮やかに仕立てて見せた。
舞台は大晦日のホテル。新年を迎える直前のにぎわいに満ちていたが、集まった人々はみな悩みや難問を抱えていた。ホテル一信頼の厚い副支配人は万事順調にことを進めていたが、十数年前に別れた前妻が出現したことから、とんだ意地を張ることになった。一番、順調なはずの彼にトラブルが見舞ったように、総支配人は白粉を塗ってしまい身を隠す羽目に、今年の顔のはずの男は愛人問題でてんやわんや、若手の有力政治家は金銭収賄スキャンダルでマスコミに追われて籠もっていた。演歌歌手はスランプのどん底でもがき、ベルボーイの青年は歌手の夢を諦めようとしていた。
それにしても、昔懐かし東映オールスターの忠臣蔵みたいに、一流の役者が勢揃いしている。そのキャストだけで、目がくらみそうだ。しかも本作の中で役所広司が触れてように名作「グランドホテル」(グレタ・ガルボ主演、ドリュー・バリモアの父君らが出演)にオマージュを捧げているのだ。あれやこれやのエピソードは独立しているが、どこかでつながっており、最後に新しい出発に向かうというのは「グランドホテル」と同じと言えようか。それにしても、入り組んだ話をまとめあげる三谷幸喜の力量はただならぬものがある。面白かったか、と問われれば、その通りと答える作品ではある。
★★★
*42 「SAYURI」(ロブ・マーシャル監督。チャン・ツィイー。渡辺謙。ミシェル・ヨー。役所広司。桃井かおり。工藤夕貴。コン・リー)
2005年の映画見落としシリーズの年越し鑑賞です。製作はスティーブン・スピルバーグです。監督のロブ・マーシャルはアカデミー賞をいっぱい獲った「シカゴ」でメガホンを撮りました。そして、チャン・ツィイーを始めとしたアジアン・ビューティーが勢ぞろいしています。
物語は「ある芸者の思い出」と原題にあるとおりです。貧しい漁村に生まれた姉妹。金のために京都の置屋に売られ、姉は女郎にさせられますが、妹は器量が良かったことが幸いして芸者の道を歩みます。妹の名は千代。その瞳は不思議なみずみずしい美しさを持っていたのです。花街を彩る置屋の女将、先輩の芸者(初桃、豆葉)、同僚(おかぼ)たちに囲まれ、そしてだんな衆(会長さん、男爵ら)と係わりながら、芸者として伝説の存在になっていきます。
外国人の見た日本ってのはだいたい変なのですが、この映画は芸者の踊りを除くと結構よく捉えていたと思います。特に日本の近代は農村漁村では娘を売り飛ばさざるを得ないほど貧しかったことを私たちは忘れていました。そして、戦争と敗戦が人間の精神を大きく変えてしまったこともそうです。その中で、芸者という華やかな存在が個を殺して成り立っていること、前近代的慣習がまかり通る世界で育てられたものであることを映し出しています。日本の近代は歪んでいますね、やっぱり。それを学べました。
チャン・ツィイーをいじめるコン・リー、それを助けるミシェル・ヨー。中国人の女優が日本人を演じているのですが、みんな違和感ありません。渡辺謙さんはすっかりハリウッドスターになりました。彼の英語にも慣れましたね。子役の大後寿々花ちゃんかな。いいですね、本当に目がいい。それから音楽(ジョン・ウィリアムズ)。少しうるさいですが、ジャポニスムをうまく旋律化していました。
★
*43 「フライトプラン」(ロベルト・シュベンケ監督。ジョディ・フォスター。ショーン・ビーン。ピーター・サースガード。エリカ・クリステンセン)
ベルリン発ニューヨーク行きの最新鋭航空機。その高度1万メートルの密室、そこから忽然(こつぜん)と1人の少女が消えてしまう。そんなことって、あるのか? あるはずがない。自分の心が滅入っていても、それは事実ではない。−そんなふうに母親は、孤立無援の中、立ち上がる。彼女の仕事は航空機設計。豊富な飛行機の知識だけが見えない敵と戦う武器だ。
この設定って、同じジョディ・フォスターの「パニック・ルーム」を思い出しますよね。あちらは、ニューヨークのど真ん中に引っ越してきた母娘が遭遇する危機でした。監督はデビット・フィンチャーでしたっけ。外部との接触が不可能な密室の中で、息詰まる駆け引きが続くストレートな展開ですが、面白かったですよね。
こちらはどうでしょう。確かに謎解きの面白さはあります。夫はなぜ死んだのか。娘はどうして消えたのか。425人の乗員・乗客はなぜ娘を見ていないのか。犯人は最後まで正体を現さないので、ジョディの「変人」ぶりだけが際だってしまいます。完全にジョディのための映画ですね。あれでジョディの妄想だったらという結末ならどうしょうと、心配しました。ジョディのやつれたアップが別の意味で結構怖いんですよねえ。
爆発物を仕込んでいるのに、飛行機も中途半端にしか壊れないんですねえ。最後の対決が間延びしているし、犯人の仲間は勝手に逃げるし。ヤマ場がとっても物足りなかったですよ。「最新鋭の巨大旅客機は今、命をかけた戦場と化した」とキャッチコピーにありますが、いささか大げさです。正直、爆発物の持ち込みにしても、犯行計画がチンケすぎましたので、腰砕けに終わりました。
★
*44 「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」(ジョン・マッデン監督。グウィネス・パルトロウ。アンソニー・ホプキンス。ジェイク・ギレンホール)
ジョン・マッデン監督は「恋におちたシェイクスピア」でパルトロウとコンビを組んでいる。本作では天才数学者の血を引く娘の役をパルトロウが全力で演じている。
2006年アカデミー賞最有力などという前宣伝に乗せられて、見ました。どっこい、文系頭の私にはなんだかとっても理屈くさい映画で、いささか感動できませんでしたね。同じ天才数学者の悲劇ならば、ラッセル・クロウ、エド・ハリス、ジェニファー・コネリーで作られた「ビューティフル・マインド」(ロン・ハワード監督)のほうが、はるかに面白かったような気がします。
天才数学者である父親は5年間の錯乱と隠遁生活の中で、死んだ。それを看取った娘のキャサリンはその衝撃から抜け出せないでいた。ニューヨークから姉のクレアがやってきて葬儀が行われた。なんでもてきぱきと処理する姉に、キャサリンはついて行けない。そんな彼女を慰めるのは、若き数学者のハルだったが、父親の引き出しから世界的な証明式が見つかったことから、仲違いしてしまう。なぜなら、その世界的な数式の解明者は父ではなくキャサリンだったからだった。
天才の悲劇を同じように背負い、人間不信、自分の生活の崩壊の中で、キャサリンが立ち上がる姿を印象的に描く。しかし、それだけである。もっと周囲の人物やら状況を描いてくれるといいのだが、核心のみをストレートに描いている。まるで、日本の古い私小説のようです。エンターテイメント系の作品とは違うにしても、なんだかサブテーマが弱くて、「これで終わりかよお」という物足りなさは起こってくる。まあ、グウィネス・パルトロウのファンにはそれなりに楽しめるのでしょうが、なんか「華」がありません。そこが不満でした。
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