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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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「踊るシネマの世界」へ 
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

WEEKLY  TODAY'S CINEMA 6  2005~2006

【きょうの映画】
★★★
*56 「クラッシュ」(ポール・ハギス監督。ドン・チードル。マット・デイロン。ライアン・フィリップ。サンドラ・ブロック)
 アカデミー賞作品賞。人種のるつぼ。アメリカ・ロサンゼルス。そこで起きた一つの交通事故と殺人事件を通じて、さまざまな人間たちがかかわりあうことによって起こる「クラッシュ」(衝突)を描き出していく。すばらしい俳優たちの演技と極めて抑制された演出によって、しみじみと心に染みる傑作となった。
 監督のポール・ハギスはクリント・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」の製作・脚本で脚光を浴びた人物だそうだ。本作でも見事なリアリズムのあふれた映像を生み出してみせた。
 黒人とメキシコ女(本当は違うけど)の刑事&愛人コンビ。彼らが遭遇した殺人事件の犠牲者は彼の弟だった。そして、その犯人は黒人差別に向き合う正義感あふれた青年だったという皮肉、さらに交通事故の背後にはさまざまな言葉をルーツに持つ人々がぶつかりあっている。貧しい白人の鍵屋と純真な娘、イラク人として差別されることを恨んでいる雑貨屋の主人、病気の父親にはやさしいが黒人には差別主義者としてたち現れる警官、人気のを気にする地方検事とナーバスな妻、黒人であることを忘れたいテレビディレクターなどなど。登場人物は多数で、しかも微妙にからみあっている。
 この物語では「神の視点」ではなく、つまり、人間を裁くのではなく、だれもが正しさとひきょうさを持ち合わせた存在として描かれている。どんなに悪人に見えても、100%の悪人はいない。困っている人間を見れば命を懸けて助ける。一方で、どんなに善人であろうと、ひょんなことから殺人を犯してしまう。その複雑さこそが人間の真相なのだ。私たちはそのような関係の中で、断片的な顔をぶつけ合って(クラッシュ)して生きている。それが、コミュニケーションなのだ。
 天使の町・ロスはさまざまに描かれてきた。この映画で、守護マントを持った少女が発射された銃の存在を無化する。必ずしもハッピーエンドではないけれど、それでも、この映画は私たちの心に救いを与えてくれるだろう。

★★
*57 「子ぎつねヘレン」(河野圭太監督。大沢たかお。松雪泰子。深沢嵐。小林涼子。阿部サダヲ。吉田日出子。藤村俊二)
 竹田津実氏の原作「子ぎつねヘレンがのこしたもの」の映画化。
 写真家の母の都合で1人、東京から北海道の知人宅に預けられている少年、太一。彼は学校からの帰り道、道端にうずくまる1匹の子ギツネを見つけた。母ギツネとはぐれた姿に思わず自分自身と重ね合わせ、扱いに迷っているうちに預けられている森の動物診療所に連れてくることになった。動きのおかしい子ギツネは目も耳も不自由で、まるでヘレン・ケラーのようだった。そこで、子ギツネにヘレンと名づけ、太一は自分がサリバン先生のようにヘレンの面倒を見ることにした。しかし、脳にダメージを受けているヘレンは元気になったのもつかの間、次第に命を縮めていた。太一はヘレンに北海道の夏を感じさせてやりたいと思った…。
 泣けますなあ。だんだん、周りに年寄りが増えてなんのために生きるのか、わからなくなってきています。それだけに、この映画を見ると、「自分でミルクを飲めないからって、生きていちゃダメなのか」という太一君の叫びが響きます。命の大切さというものをあらためて教えられます。
 北海道の大自然もいいですね。キタキツネの生態も生き生きと映し出されています。子ギツネがいいのはもちろんですが、ワンちゃんのロッシのとぼけた演技も光ります。いわゆる狂言回しのポジションで、楽しませてくれます。登場人物では脇役ですが吉田日出子や藤村俊二がいい味を出しています。もちろん、太一役の深沢嵐君は最後に母ギツネに代わってヘレンを見守ります。子役と動物にはかなわないというのは、凡庸ですが、真実ですね。 

★★★
*58 「ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!(吹き替え版)」(ニック・パーク&スティーブ・ボックス監督)
 クレイ・アニメーションの傑作シリーズです。見事、第78回アカデミー賞の長編アニメーション作品賞をとりました。ドリームワークス・アニメの作品です。
 さて、発明家のウォレスと忠犬グルミット。年に1度の巨大野菜コンテストが迫っているので、町の人に頼まれて、野菜を食い荒らすウサギ回収の仕事を請け負っていた。名コンビの仕事は順調で、自宅の地下は捕らえたウサギで満杯状態。そこである日、野菜嫌いのウォレスの想念をウサギに移す実験をしたところ、ウサギとウォレスの様子に変化が起こった。巨大ウサギのハッチが誕生した一方で、月夜になると巨大なウサギ男が現れて、野菜を食い散らかすようになったのだ。事件の真相に気づいたグルミットが奔走するが、ウォレスにつきまとう人間ヴィクターと犬のフィリップも現れて大混乱。緊張が一段落したところで、コンテストが始まったが。さあ…。
 グルミットは良いやつです。主人を守るために、けなげに尽くします。そして、自分がコンテスト用に育てていた巨大ウリを、ウサギ男をおびき寄せるエサとして投げ出すのです。ウォレスは能天気ですが、憎めません。この場合、キャラクターがいかに描かれるかが問題なのですが、登場人物もしっかりしています。黒柳徹子さんもびっくりのユニーク頭のレディ・トッティントン、ウォレスが気に入らないので追いかけるのは、やはり頭に秘密を持つヴィクター、そしてグルミットのライバル犬フィリップ、そして俗人そのものの教会の神父など。
 町の人からは悪役のウサギですが、ウォレスとグルミットのコンビは退治してもウサギを大切にしています。やさしいのです。そこが、本当に心にしみてくるのです。ハッピーエンドとなりますが、とっても自然です。絵とは違い、クレイ・アニメは質感があります。そうした特性がよく生かされています。ウォレスとグルミットのコンビが最高なのはもちろんですが、2人の自宅や車をはじめとしてレトロな趣味が生きていて、それがいいですね。

★★★☆
*59 「愛より強い旅」(トニー・ガトリフ監督。ロマン・デュリス。ルブナ・アザバル)
 「ガッジョ・ディーロ」の監督がまたしても、民族色豊かな作品を作り出した。本作で第57回カンヌ国際映画祭最優秀監督賞を受賞した。
 ザノは音楽の好きな26歳、パリでの生活に満たされていない。ある日、恋人のナイマとともにアルジェリアに向かって旅立つ。彼はフランスとかかわりの深いアルジェリアに生まれたが、その記憶はさだかでないのだ。音楽を愛し、反植民地主義者だった父親の面影を訪ねるルーツと自分探しの旅である。わずかなカネとわずかな荷物。行程の多くを歩く奇妙な見聞録の始まり。ロマ民族とフラメンコのスペイン・アンダルシア、モロッコ、そしてアルジェリアへ。その土地に生きるさまざま人々に出会う。そして、2人は民衆の感性のその下にある崇高なものに触れる。
 私は「ガッジョ・ディーロ」を99年4月26日に見ている。その映画を見てまもなく、病に倒れ一カ月近く入院した。別に映画が悪いわけじゃないけど懐かしい。幻の歌姫を求めてロマの村にたどり着いたフランス人青年ステファンを今回と同じくロマン・デュリスが演じている。「ガッジョ・ディーロ」(よそ者)と奇異の目を向けられても、次第に村人たちと親しんでいく青年。文化人類学者のように先住民族の歴史やら音楽やらを記録・収集しているうちにそのむなしさに気づくところがいい。収集したテープを埋葬してロマの追悼の踊りをするシーンに感激した。
 本作のザノもナイマも反発し引かれあうが本質的には根無し草だ。ゲバラのイラストを手にしているアナキストかもしれない。そこで、彼は第3世界の民衆を抑圧されていると叫ぶのではなく、彼らよりも生きる知恵のない自分に気づくのだ。ラストシーンはまたしても感動的だ。霊媒師のような女性に導かれるナイマは魂を失っている自分を指摘される。ザノもまた音楽に深層の情動を揺すられる。トランス状態になって無意識で踊る2人と民衆たちの姿が数分にわたって続く。それは映画を飛び出して、観客を巻き込もうとする監督のアジテーションのようでもある。すごい映画である。
 
★★★
*60 「ブロークバック・マウンテン」(アン・リー監督。ヒース・レジャー。ジェイク・ギレンホール。アン・ハサウェイ。ミシェル・ウィリアムズ)
 本年度アカデミー賞監督賞受賞作である。なにせゲイのカウボーイ映画ということで、多くの人や国を驚かせた。個人的にはこういう映画をつくるのは勇気がいただろうなあと小心者としては思うのであるが、本当にじーんと染みる傑作だ。
 1963年ワイオミング州のブロークバック・マウンテン。貧しいカウボーイの青年イニスとロデオ乗りのジャックは雇われて、ひと夏、羊放牧のために山の中で暮らすことになる。厳しい大自然の中で、2人は次第に信頼を強め、同時に身も心も許す仲になる。しかし、当時は差別と偏見が社会にはまかり通っている。2人はいったん別れ、それぞれに家庭をつくり子供をもうけるが、その愛は20数年間変わらなかった。だが、一方は裕福ながら家庭の中で居場所を失っていき、他方は最底辺の生活の中でカウボーイの生活を続けていく。そして、悲劇は突然にやってくる…。
 監督のアン・リーは「グリーン・ディスティニー」とはうって変わった世界をつくり上げた。役者は「ブラザーズ・グリム」のヒース・レジャー。「オクトバー・スカイ(遠い空の向こうに)」「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」のジェイク・ギレンホール。静かな中に秘めた情熱を持った西部の男を見事に演じています。羊の群れとそれを包容する大自然も迫力満点です。妻となる女性は対照的ですが、とても印象深い演技をしています。また、「女は面白い男だからってほれるわけじゃない」みたいなセリフもあって、そうだよなあ、と無理やりに思う私でした。

★★
*61 「SPIRIT」(ロニー・ユー監督。ジェット・リー。中村獅童。原田真人。コリン・チョウ)
 中国・清朝末期。1900年代に活躍した伝説の武術家・フォ・ユァンジアの人生を描く。あらすじは以下のとおり。
 武術家の父親を持つ少年フォは勉強もそっちのけで武術の特訓を積んでいた。天津一となるはずの父親は相手を倒すよりも己を追求することを第一にし、敗れてしまう。その父を否定した少年は成長して勝負の鬼になり、次々と相手を倒していく。だが、ある時、けんかのはずみで、ライバルを死に至らしめたことから恨みを買い、最愛の子どもと母親は惨殺されてしまう。放浪先の村人や目の不自由な娘のやさしさ強さに触れ、青年は心をあらためる。再び戻った天津では外国人が中国人をあごで使っていた。上海では中国人を倒すレスラーが暴れていた。幼なじみの支援を受けた青年フォは上海に向かう。目標は勝つことではなく、武術を通じて独立自尊の精神を養い、中国人の誇りを回復することだった。その夢は実現するかに見えたが、日本を含む外国人勢力はフォをたたきつぶそうと画策していた。危うし、ジェット・リー。
 ストーリーはいささか教訓くさいですが、やはり見どころは、ジェット・リーのカンフー・アクションです。久しぶりに中国に戻ったリーは生き生きと伝説の武術家を熱演しています。小さいけれど、すごいな。フォはブルース・リーをはじめとした中国アクション・スターにとって神様ともいうべき存在だけに、やりがいがあったというところでしょうか。ライバルの日本人武道家、田中安野を中村獅童が演じています。原田真人がいかにも「悪よのう」という日本人役なのに対して、獅童は道を究める潔い男で、アジアではいつも日本人が悪役なのでつらい思いをしている私はいささかほっとしました。
 とはいえ、フォは卑劣な日本人のために毒殺されてしまいます。そこで、そのあだ討ちへとつながるのが、ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」というわけです。ミッシング・リングがつながったということでしょうか。
 
★★☆
*62 「プロデューサーズ」(スーザン・ストローマン監督。ネイサン・レイン。マシュー・ブロデリック。ユマ・サーマン。ウィル・フェレル)
 トニー賞12部門受賞のブロードウェー傑作ミュージカルの映画化。
 落ち目の大物演劇プロデューサー、マックスはおばあちゃんを相手になんとか糊口(ここう)をしのいでいる。会計士レオがやってきて帳簿を見ると、芝居が失敗するほどお金がもうかっていることがわかった。そこで、なるべくお金を集めて、早めにコケるのが一番と考えた。史上最低のミュージカルをやることにして、選んだ脚本が「春の日のヒトラー」というナチス信奉者のいかれた作品、ヒロインには英語も不自由なスウェーデン出身の女優もどき、さらに舞台はゲイこそすべてという演出家の一党に任せることにした。初日に幕を閉じれば、集めた200万ドルを持って高飛びして、リオでのんびり暮らす計画だった。ところが、ショービジネスは水物。踊るヒトラーと第3帝国は立派なパロディーになってしまったのだ。
 ミュージカルだが、もともとは映画作品。製作・脚本・音楽をメル・ブルックスが手がけている。映画も舞台の演出家が監督、ネイサン・レイン、マシュー・ブロデリックのコンビは舞台のキャストだそうだ。だから、非常に安定感がある。女優役のユマ・サーマン(ご存じ「キル・ビル」で大爆発)はスウェーデンなまり(本物?なわけないか)で2人を悩殺するし、「奥さまは魔女」(ニコール・キッドマン主演版)のダーリン、ウィル・フェレルもいかれたナチス信奉者役に不思議な(オフビートな)存在感を発揮してみせてくれる。メル・ブルックスはユダヤ系だから、ヒトラーをコケにせずにはすまないのは当然としても、一方でユダヤ系とおぼしき面々をも含めさまざまな差別を笑って見せるところがあり、才能満開だ。ショウビジネスでは「グッドラック(幸運を)」は禁句で「足を折れ(ブレイクアレッグ)」というのが一番だそうで、そのまま足を折って主役交代なんて、ベタなギャグもあって、楽しめます。

☆☆☆
*63 「寝ずの番」(マキノ雅彦監督。中井貴一。木村佳乃。笹野高史。岸部一徳。長門裕之。富司純子)
 中島らも原作とか。映画の世界にも歌舞伎と同じく「大名跡」というのがあるのか。日本映画の創始者マキノ省三を祖父に持つ津川雅彦がマキノの名前で第1回監督作品に挑んだ。うわさでは相当面白いということで、見たがすさまじく面白かった。
 上方落語界の重鎮・笑満亭橋鶴。手術のかいなく「時間の問題」という危篤状態。病室に集まった妻と弟子の前で「そ、○、が見たい」と言ったところから、大変です。もちろん、本当は「そとが見たい」と言ったらしいんだけど。いきなり大誤解でスタートして、下ネタあり、失敗話ありとの人情ストーリーが爆発します。しかも、通夜の席は無礼講の寝ずの番。封印されていた人間エネルギーがアナーキーに噴き出します。しかも、「リング」ならぬ死霊のほうも、次から次と移っていくので、「寝ずの番」は終わることなく続きます。死とエロスは隣り合わせとはよく言ったもので、通夜は一大祭典となります。
 出演者は喜劇というより、シリアス系中心の中井貴一、まだ清純派でもいける木村佳乃に、緋牡丹お竜で一世風靡(ふうび)の富司純子ら。それが無礼講で下ネタの春歌を歌いまくる。途中から売れっ子芸者だった富司純子のだんなを狙っていた鉄工所の元社長の堺正章も乱入して、前代未聞の歌合戦へとなだれ込む。普通は「だれか、止めろよ」と言うのでしょうが、なにしろ大名跡の演出ですから、こわいものなし。天皇崩御の日の落語高座の激しいネタまで飛び出して、役者とはかぶき者なりという反骨精神が横溢(おういつ)しています。
 どんなに面白くても、この作品はテレビではやれませんね。音が途切れて、ピーピー鳴ってしまうでしょう。木戸賃を払った大人のみが楽しめる艶笑(えんしょう)人情傑作として、語り継がれることでしょう。


*64 「雪に願うこと」(根岸吉太郎監督。伊勢谷友介。佐藤浩市。小泉今日子。吹石一恵)
 帯広在住の作家、鳴海章さんの小説「輓馬」を映画化した。ばん馬を通じて、人生につまずいた青年が立ち直っていく姿を描いた感動作である。
 雪。タクシーの中でぼうぜんとタバコをくゆらす青年。そこから映画はスタートする。続いて、ばんえい競馬場。必死に走るばん馬のレース。なけなしの金をかけた青年は無一文同然になって、競馬場の厩舎(きゅうしゃ)へ。13年間も会っていない調教師の兄を訪ねる。彼は会社の社長をしていたが、失敗して逃げ帰ってきたのだ。馬と暮らす生活の中で、青年の心は変わっていく。厳しいが優しい兄、ひたむきな女たち、粗野だが親切な厩舎の男たち、そしてなにより体重1トンにもなろうという威厳あふれた馬たち。青年は後がないばん馬「ウンリュウ」に自分を重ね合わせ、あらためて人生を踏み出していく。
 本作は小泉今日子主演の「風花」の相米慎二監督と鳴海章氏のコンビの第2弾となるはずであったが、相米監督の死去で根岸吉太郎がメガホンを取った。相米の傑作「あ、春」の延長線にもあり佐藤浩市、山崎努らが好演している。ばん馬の姿をこれほど真正面から取り上げた映画はおそらくないと思う。主演の伊勢谷友介は「CASSHERN」(紀里谷和明監督)で苦悩する新造人間を演じたが、今回も背伸びして都会に出て挫折した青年にリアリティーを持たせている。物語的にはもう少しメリハリをつけた演出をしたほうがいい部分もありとの印象も持ったが、躍動するばん馬の巨体は北海道の歴史文化を描いた作品として、いつまでも残ることだろう。

★☆
*65 「クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ踊れ!アミーゴ!」(ムトウユージ監督。声:矢島晶子。ならはしみき。藤原啓治)
 毎年楽しみにしているクレヨンしんちゃんです。
 今回は春日部都市伝説。夜道を歩いていると、何者かにつけねらわれ、ニセモノに入れ替わられてしまうというもの。笑い話のようだが、どうやら本当らしい。大手スーパーに入ると、いつしかニセモノが父ちゃん母ちゃんと入れ替わろうとしていた。マチの中も幼稚園も既にニセモノでいっぱいだった。もう、だれが本物でだれがニセモノか、わからなくなっちゃったぞ。だけど、ニセモノはサンバが大好きなのだ。野原一家はかろうじて魔手を逃れ、なぞの美少女ジャッキーとともにカスカベ山に向かう。だが、そこで待ち受けていたのはアミーゴ・スズキだった。コンニャクローンを使いサンバを通じて世界征服を狙っていたのだ。世界サンバ化計画だ。マッドサイエンティストのまじめな野望らしいぞ。アミーゴ・スズキ対しんちゃん・ジャッキー連合によるサンバ最終決戦の始まり、勝つのはどっちだ?
 しんちゃんはいつも子供の視点で世界と立ち向かう。それがラジカルであり、ヒューマニスティックな自己実現となってきた。今回はやや家族愛に偏っているので、しんちゃんの活躍がストレートには出てこない。それでも随所に笑いいっぱいで、楽しめる。サンバで世界征服って、悪くないかもしれないなあ。
 ちなみに、2005年には「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」(水島努監督)が封切りされました。その時も原稿を書いたのにボツになったので再録します。
 アニメは日本のサブカルの代表だ。邦画賛美のタランティーノの「キル・ビル」でも、女ヤクザのエピソードはアニメで描かれていた。今春公開された押井守の「イノセンス」は本欄で触れなかったが、難解な哲学的せりふは評価が分かれても、どのシーンを取っても映像美には息をのむ。すごいです。/だが!しかし! 日本のメッセージ・アニメと言えば「クレヨンしんちゃん」抜きに語れないのは常識である。大人も楽しめるではなく、大人こそ見るべし!なのだ。/しんちゃんの1番の傑作はたぶん2001年公開の「オトナ帝国の逆襲」(原恵一監督)だった。1970代のノスタルジーに浸る大人たちに対し、「子供の未来を奪うな」と、しんちゃんが転んでも転んでも疾走する姿には涙があふれるだろう。/で、本作。映画の魔力が、野原一家を西部劇の世界に誘う。そこにいると、いつしか現実の記憶を失い安住してしまうのだ。その魔界からいかに脱出するか? もちろん希望の星は、「かすかべ防衛隊」である。/幸せって何。現実って何。本当の自分って何。ってな具合に現代的テーマをびしびしと投げ込んでくる。もし世の中なんて何も変わらんさ、とあきらめているならば、しんちゃんに「逃げるな、ひきょー者」って笑われちゃうぞ。
 「クレヨンしんちゃん」、ネタ的に外れることはあっても、見るべし!!


*66 「春が来れば」(リュ・ジャンハ監督。チェ・ミンシク。チャン・シニョン。キム・ホジョン)
 監督のリュ・ジャンハは「八月のクリスマス」「四月の雪」のホ・ジノの助監督を務めたそうだ。
 恋も仕事も行き詰まりのトランペッターのヒョヌ。オーディションには落ち、恋人のヨニは春には結婚するというので、流れて流れて炭鉱町の中学校の臨時教員へ。そこで、ブラスバンドを指導して、大会で優勝させる仕事を請け負った。生徒たちのやる気はあれども、斜陽の炭鉱町は悩みがいっぱい。そんな中で、やさしい薬剤師の女の子スヨンや、土地のおばあちゃんたちに励まされ、ヒョヌのすさんだ心も癒やされていく。そして、困難を乗り越え、大会へと進む。
 中年ダメ男の再起の物語を熱く描く人間ドラマというところでしょうか。炭鉱町のブラスバンドと言えば、労働者映画の本場、イギリスの「ブラス!」を思い出します。こちらも、坑道の入り口付近で、雨の中、生徒たちが生演奏で鉱員たちを慰労する感動的な場面があります。まあ、インスピレーションを受けたのでしょう。韓国映画に詳しくないのですが、出演者はおばあちゃん役、子役を含め、いずれも名優さんだそうで、じっくりと見せます。最近はヨンさま系のトレンディードラマ系の顔が増えましたが、がっしりと、こちらはトラディショナルです。
 春になれば、いいことあるさ。そんな感じって、どこでもあるんですね。それから、チェ・ジウの「連理の枝」もそうでしたが、韓国では日常生活にラーメン(インスタント?)が欠かせないというのもわかりました。「ラーメン小池さん」ではありませんが、ヒョヌは朝から晩までラーメン生活。胃腸が悪くなり便秘がちなのもわかります。中国を起源に持ち、日本=北海道で開花したラーメンは今や世界食です。ちなみに、韓国は1人当たりのインスタントラーメン消費量が1年間75個で、世界一だとか。日本の日清食品のインスタントラーメンは1958年生まれ。韓国は63年生まれだそうで、日本の明星食品が技術を無償提供して協力したそうです(韓国・中央日報コラムから)。映画には関係ない話ですが。

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