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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています
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河﨑秋子 読書・研究ノート
■『鯨の岬』(集英社文庫、2022年6月)
■『颶風の王』(角川書店、2015年7月)
■『肉弾』(角川書店、2017年10月)
■『鳩護(はともり)』(徳間書店、2020年10月)
■『土に贖う』(集英社、2019年9月)
■『締め殺しの樹』(小学館、2021年12月)
■『介護者D』(朝日新聞出版、2022年9月)
■『清浄島』(双葉社、2022年10月)
■『ともぐい』(新潮社、2023年11月)
New! 直木賞受賞作!
第46回北海道新聞文学賞(小説部門)受賞作「東陬遺事」所収
■『鯨の岬』(集英社文庫、2022年6月)
2011年度第46回北海道新聞文学賞(小説部門)受賞の「東陬遺事」と、書き下ろしの「鯨の岬」2作を収載。
河﨑秋子は2000年代に次々と現れる北海道の若い才能を代表する作家であった。この時期には、朝倉かすみ(第37回)、有田美江(第38回)、草野ゆき子(第40回)、まさきとしか(第41回)、内山りょう(第43回)ら女性作家が北海道新聞文学賞本賞を得ている。
河﨑秋子が同賞に顔を出すのは第44回(2010年度)からで、6編に絞られた最終候補作に「熊爪譚」が残り、本賞の出なかった第45回には「北夷風人」が唯一の佳作に選ばれている。そして、第46回に「東陬遺事」が本賞となる。つまり、ホップ、ステップ、ジャンプの見事な飛躍で頂点に立ったのである。私は内山りょうの受賞作と河﨑秋子の最初の候補作を選考側の当事者の一人として関わったが、河﨑秋子の独特の世界観とタイトルに象徴される語彙感覚においては当初から他の作品を圧倒するものがあったことを覚えている。
「東陬遺事」の舞台は北海道東部(東蝦夷地)の中でも最東端の一つである野付半島にあった野付通行屋。時はロシアが南下を強め蝦夷地近海もうかがうようになっていた。東蝦夷地が幕府直轄から松前藩に戻って5年くらいなので、文政9年(1826年)ころと設定されている。幕府の役人である山田平左衛門はネモロからクナシリ、エトロフの詳細な検分と資源調査のために東蝦夷地にやってきたのである。平左衛門は野付通行屋で通詞を務める加藤伝兵衛、役所の下働きで馬の世話や鳥の捕獲をしている弥輔、女中たづ、その娘りん、などと親しく接するようになる。
平左衛門と彼らの交流のエピソードが連ねられていくが、平左衛門が当地を去る日が近づいてきた中で、逃げ出した馬を追って氷結の海へ出た弥輔の死が起き、最後には別れを告げたたづが炎上した番屋で命を落とす。平左衛門は開かれた世界への関心を持っているたづの娘りんを連れて、野付を離れる……。
モデルは特に書かれていないが、伝兵衛は野付通行屋の実在の通詞として活躍し文書も残した3代目加賀伝蔵(1804~1874)、そして交流のあった松浦武四郎(1818~1888)らがモチーフとなっていることは間違いない。
野付半島は砂嘴である。「そういえばこの砂嘴は、とうとうと流れて海に注ぐ川が、蝦夷地の深部から運んできた砂や石が集積して出来たものである。そうであるのだとしたら、石や砂と同じに、深くこの地に根ざす彼らの痛苦も眼窩から零れ落ちて、この湾にじわじわち染み入ってくるのではあるまいか、そうして濁酒の滓のように、音もなく凝結しては沈殿し、いずれこの内海をさえ埋め尽くしてしまう……。」という妄想が語られるが、平左衛門の心をよぎるのは僻陬の地に生まれついたものがかかえる業の深さのようなものであった。ちなみに、弥輔とたづは兄妹である。
地元・別海町で羊飼いをしていただけに、河﨑さんは根室の風物を極めて的確に描いているのも本作の特徴だ。特産の鮭漁や鰊漁に駆り出されている蝦夷(えみし、アイヌ民族)の文化や暮らしも紹介されており、彼らの存在があってこその野付半島の賑わいであることが知れる。印象的な場面はいくつもあるが、弥輔の父親が氷原を歩いて最中に満月を見上げていて命を失い、弥輔は凍傷で足を悪くしたといい、それを語って聞かす住職の「美しすぎるものというのは、時に人にとって毒となります」という言葉は「人の道理では易々と組み伏せられぬ困苦というのは存外、因果のかたちをとって足元にごろごろ転がっているのかも知れません」という警句とともに、平左衛門が痛感する哀しい別れの伏線となっていた。また、弥輔の鶴をなぐって捕獲するという姿は、『土に購う』の「南北海鳥異聞」の鳥捕獲人・弥平に重なっている。
「鯨の岬」は札幌の西郊・手稲に二世帯住宅に暮らす初老のとなった奈津子の過去をたどる物語。小学3年生の孫・蒼空(そら)が見ていた「クジラ爆発」の動画から、小学6年生のころに体験したクジラの爆発の臭いを思い出す。そして、釧路の施設に入っている母を見舞うことになったのをきっかけに、近郊の霧多布(浜中町)に足を延ばすことになる。霧多布は教員だった父親の転勤で、奈津子が小学3年生の昭和37年に移り住んだ町だった。霧多布にはクジラの解体処理工場があり、町ではクジラが身近な食料で、クジラの油かすを食べすぎてお腹をこわした失敗した情けない思い出もあった。奈津子にはヨッちゃんというともだちがいたこと、クジラが爆発すると肉や血が飛び散って大変なことになるということを覚えていた。だが、奈津子のセンチメンタルジャーニーはヨッちゃんの存在もクジラ工場も手がかりがないままに終わる。
しかし、姉との電話や母との話で、とんでもない勘違いをしていたことを知る。自分は小学校6年生の時には霧多布にはいなかったこと、爆発したのはクジラではなかったことも……。奈津子はいやなことを忘れるために記憶をすり替えていたのだった。
半世紀前の真実を知ったからと言って、なにも取り返すことはできない。たぶん、父親がモルタルを塗り重ねるように、奈津子が惨禍を忘れるように諭してくれていたことを確認する。奈津子は思わぬところであらわれた傷口と自分の心持ちに泣くのだった。
確かに、人間は心の平安を保つために、何かを欺いて生きているのかもしれない。
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三浦綾子文学賞受賞作
■『颶風の王』(角川書店、2015年7月)
2014年に三浦綾子文学賞受賞。もう昔のことで忘れてしまったが、頼まれて応募作の下読みをお手伝いしたことがあり、河﨑秋子さんの受賞と聞いて、喜ばしく思ったことを覚えている。また、私は1975年から二年間、根室で新聞記者をしており、「海担当」として沿岸の漁協・漁港を取材しており、中古のスバル・レオーネという車で、花咲港や落石の港などをまわった。半島の沖にあるユルリ、モユルリの島を横目で見ていたことも懐かしい。
本作は三部構成で、第一章「乱神」(馬の子、応報、彼岸、受肉)第二章「オヨバヌ」(辺境の風、生業、境目の日、無力、業果)第三章「凱風」(忘却、一歩、旅路、弥終の島)よりなる。
なさぬ仲の小作の吉治と馬のアオとともに駆け落ちした庄屋の娘ミネが追っ手により吉治を失い、足を折ったアオと雪崩の雪洞に閉じ込められる。ミネとアオはお互いの髪や肉を食べ合いながら命をつなぎ、生き残ったミネは助け出され、吉治の子であり、アオの身をもらった捨造を産む。正気を失い座敷牢に閉じ込められて生きていたミネであったが、余され者とされていた捨造が「開拓民募集」の新聞を見て東北(福島)の地から北海道へ渡ろうとした時、彼女と馬の波乱の出来事を綴った手記を手渡す。以上が第一章。
第二章は捨造の孫の和子の物語となる。馬とともに北海道に来た捨造はさまざまな苦難を経て、最東端の根室半島(落石近辺)で馬を育てて暮らしている。捨造は馬育技術を息子に伝えたが第二次大戦で息子は死に、孫娘の和子が受け継いだ。貧しいながら平穏に見えた捨造一家の暮らしは昭和30年の夏、崩壊する。愛馬ワカを含む7頭の馬を漁師が昆布干場として使っていた沖合の「花島」に働きに出していたが、台風で島は大きな崖崩れに見舞われ、船着場へ戻る道はなくなる。馬は置き去りとなり、馬を失った一家は落魄の中、息子の嫁豊子の実家を頼って小豆作付で活気のあった十勝へ移る。
第三章は帯広郊外で暮らす和子の孫松井ひかりが主人公。「馬ぁ、あれ、まだおるべか」という病室での和子のひとことを聞いたひかりが十勝の畜産大学の馬研究会の助けを得て、一般人の上陸が禁じられている花島に渡り、人間とは孤絶したまま生き残っていた野生馬と対面する。強風吹き付ける島で揺るぎない肉体と燃え尽きることのない意思によって凜と生きている姿を、ひかりは和子に伝えたいと思うのだった。
全編に貫かれている思想は、人間と動物(馬)と自然の入れ子のような「業」にも似た関係性である。雪洞の中に封じ込められたアオとミネは過酷な自然と動物と人間との関係性の象徴である。いわば、世界がつくった母胎のような空間で、自然は命を奪い、命を産むのだ。そして、和子が迷い込んだシマフクロウの森。「オヨバヌトコロ」。空と海と森には人の努力が及ばない、人の願いが及ばない場所でもある。「オヨバヌトコロ」があったからこそ、外国馬に比べて劣るとして去勢されていった日本の馬が「北海道」や「孤島」で生き残ったのである。それでも、人間の営みがすべて無為であったわけではない。和子の孫娘はオヨバヌトコロを訪ねて、それを体感するとともに及ぶものがあったことも知るのである。彼女の名前が「ひかり」というのは象徴的ではないか。
この物語は命の物語であるが、命とはまた死の物語である。ひとつあげれば、捨造は根室郊外を離れるとき、海に腰まで漬かり、小さな石くれを投げ、日本酒を注ぐ。それは跡継ぎとなることを期待されながら、馬たちとともに戦地に送られ、小さな石ころとなって帰ってきた息子への渾身の弔いであった。
本作は2016年にJRA賞馬事文化賞も受賞している。
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第21回(2019年)大藪春彦賞受賞
■『肉弾』(角川書店、2017年10月)
大学休学中の沢キミヤ(貴美也)は20歳。北関東の中核都市で建築会社を経営している父親の沢龍一郎に連れ出され、北海道・釧路空港に降りたった。モール泉の温泉宿に泊まった後、摩周湖近辺の山中に狩猟に入る。詳しいことを知らされないままの冒険行には案の定悲劇が待ち構えていた。二人は突如現れた熊(ヒグマ)に襲われる。龍一郎はライフル銃を放つが、巨体のヒグマには効かず、父親の肉体は引き裂かれてしまう。キミヤも絶体絶命だったが、そのとき、熊の背中には野生の犬たちが襲いかかっていた。窮地を脱したかに思えたが、犬たちはキミヤも襲ってきた。人と犬と熊の三つ巴の闘いとなったが、キミヤはからくも逃走を果たす。何事も中途半端に生きてきたキミヤだったが、生きるためには戦おうと決意する。まず、犬の群れとの対決を制し、犬たちと一緒に行動するようになる。そして、熊との生死をかけた肉弾戦に挑み、ついに共同で熊を倒す。キミヤと犬たちは命懸けの報酬である熊に食らいつくのだった……。
こうした人間と野生との壮絶な闘いを縦軸とすれば、キミヤと龍一郎、生母と養母など傷を抱えた複雑な親子関係、あるいは野生となった犬たちと人間をめぐる切ない出来事などがエピソードとして挟み込まれて、裾野を広げて物語はクライマックスへと進む。なによりも印象的な話は宿屋のオーナーが語る十勝地方だと思われる開拓地で起きたすべてを食い尽くすイナゴの襲来(蝗害)、そして飼育されていた豚が幼子を襲った惨劇である。動物と人間のいのちをめぐる抜き差しならぬ関係が単なるエピソードではない重さを持って描かれるのだ。
熊と人間の対決は哀しいながらもひとまずハッピーエンドとなるのだが、キミヤを救出に来たヘリコプターは犬たちのことには見向きもしない。飼い主に捨てられた犬たちはまたしても人間に捨てられる。だが、作者は物語を次のように結ぶ。
「嵐のように訪れた人間たちと機械が去り、同胞となった者もいなくなった。犬数頭と熊一頭の命が消えて、再び鳥や動物の気配が山へ戻ってくる。」
『颶風の王』で強調された「オヨバヌトコロ」という自然の結界をここでも思い出すことになるのだ。
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■『鳩護(はともり)』(徳間書店、2020年10月)
ファンタジー長編である。主人公は小森椿。都内にある歴史ある中規模出版社のミニタウン誌の部署で働いている。同僚で2歳年上の福田は2児の母で結構な自己チューで面倒くさいので、椿は時折無意識に悪態を返してしまうことがある。自宅アパートで夜半、自堕落な時間を過ごしていると、窓からゴンという音がして、よく見るとベランダの床に真っ白い鳩が転がっていた。白鳩は椿の部屋から離れず、いつしか「ハト子」と呼ぶようになる。公園でハトにエサをやっているチューリップハットの男が椿に「猫背」と声をかけてきて、白鳩は「俺の鳩」だったが、今は「おまえの鳩だ」などという。男は幣巻(ぬさまき)と名乗り、鳩についての蘊蓄を語り、鳩料理を振る舞ってくれた後、「逃げられんよ、猫背、お前は俺の次の鳩護になるんだ」と告げる……。
というわけで、椿は「鳩護」にさせられてしまう。鳩護とは鳩の下僕となって、彼らの血統を守り、繁栄を手助けし、人間の役に立てる降りをして彼らの存在を保ち続ける奴隷なのだという。
そして、椿は初代から歴代の鳩護が体験したことを夢に見る一方、幣巻や彼の前の鳩護である矢形(やかた)や田野倉をめぐる奇妙なエピソードを聞かされる。そして、鳩を自分の利益だけのために使う矢形と夢の中で対決するのだった。
幣巻たちは鳩を使ったサラブレッドの種付けや競馬をめぐる奇想天外な出来事を語るところが、本作では大きなスペースが割かれている。このあたりに、畜産や馬事に詳しい河﨑さんらしさが出ている。
もっとも、「鳩護」の世界が創世記以来の壮大さを持っているはずであるが、具体性を持って現れるのはなんとも出来の悪い日本人ばかりで、「鳩護」のファンタジー感を弱々しくしているのが惜しい。
嬉しいことは参考文献として吉田和明『ノアの方舟と伝書鳩 紀元前 2348-47』と『戦争と伝書鳩 1870-1945』(いずれも社会評論社)が含まれていたことだ。吉田和明とは彼が小雑誌「テーゼ」を出していた頃からの知人で、しばらく仕事を頼んだりして付き合った。私が一時期全面的に年賀状を休止したことがあり、その頃から交流も絶えた。風の噂では亡くなったらしく、こんな場面で彼の本が役立っていることが嬉しくなった。
もうひとつ、新聞社が伝書鳩で写真を送っていたエピソードが出てくるが、一時期親しくしていただいた九州の西日本新聞社(福岡)が本社の屋上に鳩小屋を持っていたそうで、グーグルなどで「西日本新聞社 鳩」で検索すると、いくつか「へえ」という話題を知ることができると思う。
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第39回(2020年)新田次郎文学賞受賞
■『土に贖う』(集英社、2019年9月)
本作は「蛹の家」「頸、冷える」「翠に蔓延る」「南北海鳥異聞」「うまねむる」「土に贖う」「温む骨」の7編からなる。
「蛹の家」は明治30年代からの札幌の養蚕業、「頸、冷える」は根室中部でのミンク養殖業、「翆に蔓延る」は北見の薄荷(ハッカ)生産農家、「南北海鳥異聞」はアホウドリからハクチョウまでを追った鳥類捕獲人、「うまねむる」は札幌近郊・江別での馬農家と蹄鉄屋、「土に贖う」はやはり江別・野幌地区のレンガ工場の労働者、「温む骨」は銀行破綻後に野幌粘土で魂を受けとめる器をつくろうとしている陶芸家―の物語である。
本作は北海道の産業興亡史でもある。1869年 (明治2年)に太政官布告により「蝦夷地」は「北海道」となり、開拓使が設置された。「富国強兵」が近代国家の第一目標であるが故に、広大な海岸線による漁場を持ち、農地化・都市化が進まず、山野には豊富な天然資源が眠る北海道はその最前線となった。
幕府側についた東北諸藩の武士団や失業士族が開拓の主役であったが、1875年 (明治8年) からは「屯田兵」制度による集団移住が各地で加速した。さらに伊藤博文、金子堅太郎らは集治監を建設し、北海道開拓の動脈とも言うべき道路建設や鉱山労働に自由民権運動に参加した囚人らを充てることとした。
こうした苦闘の上に、さまざまな産業が育成され、花開いたが、その盛況も長くは続かなかった。その原因は戦争であったり、不況であったり、おおまかには環境の変化だったりするが、ある種の無常感は共通しているように思われる。
どれも心にしみる短編であるが、最も印象に残るのは「頸、冷える」である。
第1幕。道東の空港(根室中標津空港)に降りたった男がタクシーで野付半島の入口から南方にある茨散沼(ばらさんとう)へ向かう。男は野生のキツネやミンクの話をするうちに、運転手から「昔は根室地方にもミンクの養殖場があった」と聞かされる。
第2幕。沢田孝文青年は根室の隣町(別海)で父親の後を継ぎミンク養殖をしている。彼のもとには近くの農家の久美子と修平の小学生姉弟が遊びにきている。孝文が丁寧に育てたミンクは根室のミンク毛皮工房で評判が良く、網元の息子圭佑が孝文のミンクで結婚相手にコートを贈ろうとする。だが、順調なのはここまで。根室の工房からもらったミンクのキーホルダーの試作品を小学生姉弟にプレゼントするが、「毛皮のものはろくでもない」と姉弟の祖母に捨てられてしまう。孝文と姉弟は大げんかをする。さらに、ミンクのコートを注文した圭佑が結氷した風蓮湖をバイクで走っていて命を失ってしまう。孝文が根室から自宅に戻ると、ミンク飼育小屋は鍵がはずされていて、ミンクはすべて逃げ出してしまっていた。
第3幕。タクシーを降りた男に戻る。彼は茨散沼近辺を歩き、ミンク小屋の跡を探そうとしていたが、何も見つからない……。
もし、なにごともなかったとしても、ミンク養殖業がそのまま続いていたかどうかはわからない。生産過剰や需要の変化などで、一大産地であった根室をはじめとしてミンク業者は次々と姿を消したのだから。
ミンク養殖を始めた孝文の父親はシベリアに抑留されており、強制労働と酷寒に耐えたのは毛皮を張った上着のおかげだったと言っていた。一方、毛皮を「ろくでない」といった姉弟の祖母は愛猫を「お国のために」と供出させられ、殺されていた。「戦争」がもたらしたふたつの体験が孝文と子どもたちのすれ違いを生んだことは哀しい。
私が根室で勤務していたころ、まだ牧場からミンクが逃げ出したとか、野生化したミンクにより水産被害が出ている、などのニュースを聞いたような気がする。そんな懐かしさと哀しさを思い出したのであった。もうひとつ、私の伯父は馬喰であり、隣の本家はかつて馬牧場をやっており、私の子供の頃はまだ馬を飼っていた。私は隣の大爺さんに可愛がられ、編んでもらった草鞋を履いて馬に乗った。近くには馬市場もあった。北海道の昭和20年代30年代にはまだ馬文化が残っており、「うまねむる」はその世代には文句なく懐かしい物語である。
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第167回(2022年上半期)直木三十五賞候補作
■『締め殺しの樹』(小学館、2021年12月)
標題がおどろおどろしく難しい。「締め殺しの樹」とはお釈迦様が悟りを開いたと言われる菩提樹の別名。蔓性の植物で、「絡み付いてね。栄養を奪いながら、芯にある木を締め付けていく。最後に締め付けて締め付けて、元の木を殺してしまう。その頃には、芯となる木がなくても蔓が自立するほどに太くなっているから、芯が枯れて朽ち果てて、中心に空洞ができるの。それが菩提樹。別名をシメゴロシノキ」と説明されている。
本作は繁茂して絞め殺す寄生樹よりも、締め殺され、「空虚な中心」となってしまう元の樹にスポットを当てた物語となっている。
全体は2部構成で、第1部(捻じ花、蔓梅擬き、山葡萄)が橋宮ミサエ、第2部(無花果、菩提樹)が吉岡雄介が主人公で、2人は母子である。
ミサエは根室の町に生まれるが、親との縁が薄く、祖母の手で育てられるが、4歳の時に祖母方の本家である新潟・新発田の橋宮家に引き取られるが、10歳の時、売られるように根室でも草分けの屯田兵である吉岡家に奉公に入る。ミサエは家事から家畜の世話、農作業まで、厳しい大婆、当主の光大郎、その妻タカ乃、子供の一郎、保子らに酷使される。それを見かねた薬売りの小山田、仁春寺の住職の口添えで学校に通えるようになる。その後、小山田の手引きで札幌・創成川沿いの本間家の薬問屋で働き、看護婦の資格を取る。そして、小山田が戦後開拓で根室に入った縁で、開拓保健婦となり、9年ぶりに再び根室に戻ることになる。
その後、「親代わり」を自称する吉岡夫婦の紹介で銀行員の木田浩司と結婚し、道子をもうける。だが、道子は吉岡家の長女敏子や小山田家の一人息子俊之らにいじめられ、わずか10歳で山葡萄の蔓で首を括り亡くなってしまう。ミサエは木田と離婚するが、赤ん坊を宿しており、男の子雄介を産む。雄介は吉岡家の一郎の嫁ハナの懇請で、吉岡家にもらわれる。だんだん心が弱ってきたミサエだったが、新しい住職の妻のユリから「あなたは、自分で思っているほど、哀れでも可哀相でもないんですよ」と言われ、「まだ死ぬべき時ではない」と思うのだった。
以上が第1部。第2部では吉岡家にもらわれている雄介の物語で、実母のミサエは雄介が高校2年生の春、乳ガンのため亡くなっている。雄介は屯田兵の末裔である吉岡の家を受け継ぐため、北大を受験し農学部に進んだ。彼の対立者として現れるのは、ミサエの恩人である小山田の息子俊之。同じ北大出身であることを利用しつつ、雄介にさまざまな精神的ダメージを与えようとする。俊之の冷徹さに、実姉の道子を自殺に追い込んだのは彼であったと確信するのだった。雄介は「いずれ全てが枯れ果てる時が来るのだとしても、俺は、絞め殺しの樹だけが残された場所で、生きる」と決意する。
エッジの効いた内容が特徴の河﨑さんの小説の中で、本作はどちらかと言えば、テレビの連続ドラマを見ているように次から次と不幸が襲ってきて飽きさせない。かなりの長編であるが、意外とすんなり読める。一方で、ミサエの不幸は一面では自ら選んで呼び寄せているようでもある。不正確な言い方かも知れないが、「恐怖突入」的である。「締め殺しの樹」側が全然魅力的でないことも惜しい気がした。作中に「白猫」が登場するのだが、この猫たちの意味もまだうまく読み解けないでいる。
根室は水産都市であるが、根室半島の付け根側では農業も行われ、たとえば旧和田村地区には屯田兵も入植し、酪農などを営んでいる。モデルにはこのあたりが想定されているのかなあ、と読んだ。
河﨑秋子のストーリーテラーとしての才能が見事に発揮されており、三浦綾子文学賞受賞の作家に相応しい作品だと言えよう。
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■『介護者D』(朝日新聞出版、2022年9月)
河﨑秋子さんは自然や野生動物、あるいは農畜産業を中心とした生産点を題材にした作品を多く書いているが、本作は都会の市民生活者の現代的日常にスポットを当てている。おりしも、新型コロナウイルス感染症が蔓延し、マスク着用とソーシャルディスタンスが求められていた時代を舞台にしているだけに、市民意識と世相の記録にもなっている。
猿渡琴美は30歳。東京で派遣社員をしていたが、66歳になる父親の猿渡義純が脳梗塞で倒れてしまう。幸い左足に麻痺が残った程度で終わったが、なんでも人頼りにしたくない父親が「雪かきに来てくれないか」とのメールを寄越したため、札幌に戻ってきたのであった。元教員で塾を経営していた父親はなにごとにも厳しい。頼みの綱だった母親の今日子は5年前に轢き逃げに遭い亡くなっていた。妹の美紅(みく)はシングルマザーで、一人息子の健とサンフランシスコで暮らしていて当てにならない。父親の無聊を慰めているのはチワワとプードルの雑種犬で10歳のトトだけだった。
琴美には唯一の趣味があった。東京時代から「アルティメットパレット」という10代前半から20前後の少女6人で構成する女性アイドルグループのファンで、とりわけ、「ゆな」こと13歳の斎藤ゆなが「推し」だった。彼女に元気を与えられ、小さなゆなが飛躍するのを見守りたいと思って、応援しているのだった。
こうして、雪かき要員として始まった琴美の札幌での介護者生活とコロナ禍の下で少女アイドルを追っかける「推し活」の様子が綴られていく。
介護生活の一方、スーパーでの中学生時代の友人だった佐原(現・頼永)栄子との再会もある。栄子は父親の塾の生徒の中でも最も優秀でエイコというより、「A子」という存在だった。何事に要領の良い妹の美紅もAランクで、琴美はも不器用で「D」だったことを今も引きずっているので、行き違いもある。自宅で介護をしている人同士の語りの場となっている「ひまわりクラブ」に参加したり、出会い系アプリを使ってデートをしてみるがもろもろ不適合で失敗となる。さらに「テレフォンオペレーター」の仕事だけは適性があると札幌駅前のオフィスに勤めたものコロナ禍で業務は縮小、結局やめてしまう。父親だけと思っていた介護、実は飼い犬のほうが深刻であったりもする。潔癖な性格の教育者であったはずの父親の秘めたる「推し活」に娘として戸惑いもする。
すべてがうまくいかないようであったが、父親という人間の奥行きを知るとともに、ライブ活動が制約される中で解散に追い込まれた「アルティメットパレット」の最後の舞台で遭遇する小さな奇跡が琴美に勇気を与える。妹の美紅とはトラブルもあるが、アイドルの「ゆな」との「推し活」と実は心の中ではつながっていたこともわかる。父親の晩年を見守りながら、琴美は新しい一歩を踏み出そうとする―。
コロナ禍の生活と心もよう、そして高齢社会の到来、SNSを使いながら繋がりあう人間関係など、現代的テーマがてんこ盛りである。いつもはある種の非情さが徹底している河﨑文学の世界であるが、本作では意外なことにアットホームである。昔風の言葉でたとえれば、ちょっと「中間小説」「新聞小説」的な展開の気がした。ちなみに、さまざまな読み方が可能だろうが、父親よりもはるかに高齢者である私としては、結構楽しみながらも、身につまされるところも大であった。
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■『清浄島』(双葉社、2022年10月)
昔風に言えば実録小説(ドキュメント・ノベル)というべきか。
昭和29年(1954年)に北海道の北西に浮かぶ礼文島を調査に訪れた北海道立衛生研究所の研究員、土橋義明を主人公に当時は腹の膨れる奇病、風土病と思われていたエキノコックス症(1983年まではエヒノコックス)根絶との苦闘の様子を描いている。
私も1970年代にエキノコックス感染の多発した根室で働いていたことがあり、暮らし始めたときは「生水は飲むな」「野生動物のフンに触るな」「注意しないと10年後には大変な病気になるぞ」と警告されたことを思い出す。
エキノコックスは寄生虫で、幼虫は中間宿主(ネズミ)の肝臓に寄生し、そのネズミを捕食した終宿主(キツネや犬、ネコ)の腸内で成虫となり大量の卵を産む。その卵がフンとともに排出され、幼虫になって……というサイクルを繰り返す。これで完結した世界に人間が関わることで悲劇が起きる。キツネなどのフンに汚れた山菜や山水などを人間が飲食すると、体内に寄生虫が入ってしまう。すると、長い時間をかけて肝臓、肺臓、腎臓、脳などで包虫が発育し、諸症状を引き起す。治療の決定打はなく、気がついたときには手遅れとなってしまうのだ。ただ、人間では成虫にならないので人間同士の感染はない。
エキノコックス症の患者は当初はなぜか礼文島関係者に集中していたことから、道立衛生研究所や北海道大学などが礼文島での調査・対策に乗り出したのが今から70年前のことである。期待を担ってこの礼文島に派遣された土橋義明は偏見と不安にさらされた住民たちの心を少しずつ開きながら、野犬などを捕獲・解剖して汚染の実態に迫っていく。
結論を言えば、土橋の地道な活動の頭越しに後から来た大規模な本体部隊はジェノサイドともいうべき形で、終宿主となりうる動物たちを感染の有無にかかわらず一掃する作戦を取る。住民のやるせない思いを残したまま、「清浄島」を実現していくのである。
その一方、昭和40年代になると、道北の礼文島からは遠く離れた道東の根室地方で新たな感染者が続発する。さらにはキツネの活動する全道各地、あるいは道外にも発症者が見られるようになり、それが現状となっていく。
礼文島のエキノコックスは千島列島からネズミ退治のために移入したキツネが持ち込んだと言われ、道東のエキノコックスも千島列島経由で流氷などを伝ってやってきたり、養殖のために持ち込んだりしたキツネが原因とみられる。根は共通しているのだ。
本作の内容を紹介するよりも、エキノコックスの説明が中心となってしまったが、作者のテーマは明確だろう。新型コロナウイルス感染症(covid19)が猖獗を極めていた2020年代の世界-日本にあって、感染症との闘いの難しさ、終わりなき闘いへの覚悟、疫病の最前線で試行錯誤しながら解決策を見出そうとする研究者や関係者の人間的苦悩、未来に対する責任のようなものをエキノコックスを題材に描き出そうとしているのである。
礼文島では成功した宿主になる虞のある動物の根絶は現在では不可能であろう。ペットがかけがいのない家族となっている状況で、かわいい犬のチロやネコのミーちゃんを感染症根絶のために解剖させてくださいとはいかないからだ。礼文島では土橋義明や地元役場の山田、町議の大久保、診療所の長谷川医師らの地道な活動と地域への愛があってそれらは可能となった。国や道の政策を生かす政治家や研究者の覚悟が問われるのだ。
河﨑秋子の本作は感染症と人間との闘いを過去から未来へとつなぐための貴重なドキュメントというべきであろう。同時に作者の取材力と、それをもとにした文筆力も光る。
第170回(2023年下半期)
直木三十五賞受賞作
■『ともぐい』(新潮社、2023年11月)
「東陬遺事」で北海道東部の僻陬の地に生まれついたものがかかえる業の深さと自然の苛烈さを描き出した河﨑秋子ワールド全開の衝撃作である。なにが衝撃かというと、いのち=生きることと死ぬこと=を「ともぐい」というイメージの中に描き出しているからである。それはある意味で野蛮であり、またある意味では聖なる儀式のようでもある。河﨑秋子さんの死生観は宗教的幻想と紙一重でありながら、根源の方へ遠くまで行こうとしているようにも思える。
あらすじはこうだ。明治の終わり、日露戦争を前にしたざわつきが聞こえ始めた北海道東部・白糠のマチの奥に、世事とは無縁に生きている「野人」の熊撃ち・熊爪が暮らしていた。熊爪にとっては「生き物とは山と森に生きるものが全てだ」った。
彼が人間界との窓口にしているのはマチのはずれ近くにある「かどやのみせ」店主の井之上良輔。良輔は白糠の町一番の金持ちだったが、熊爪の話を面白いと聞いてくれる人物だった。ふじ乃という妻がいるが、熊爪は苦手だった。良輔のところにはもう一人、「白い女」がいた。熊爪を見ると「血の臭いがする」と言う。ふじ乃が陽子(はるこ)と呼ぶのを聞いた。
熊爪の暮らしが狂い始めたのは阿寒湖のほとりの集落から「穴持たず」の熊を追って大怪我をしている太一という男を助けてからだった。手負いとなり人間を襲う危険のある「穴持たず」の熊と対決するために熊爪は村田銃を手に狩猟犬と山中へ入っていく あまり詳しく紹介すると読む楽しみを奪うので、熊爪と「穴持たず」の対決の行方が運命を変えてゆくことになる、とだけに止め、彼の残した対照的な二つの言葉を記しておこう。「人にも熊にもなれんかった、ただの、なんでもねえ、はんぱもんになった」「俺は、生き果たしたのだ。そして、殺されて初めてちゃんと死ねる」
本作のタイトルは『ともぐい』であるが、漢字に直せば「共」「喰い」である。共とは個ではなくペアである。ペアは対立しているとともに共鳴している。物語は強烈な個性の持ち主である熊爪が主人公であるが、常にペアとなって話は展開していく。熊爪と「穴持たず」、熊爪と良輔、良輔とふじ乃、ふじ乃と陽子、熊爪と陽子、熊爪と養父、陽子と母、「穴持たず」と赤毛、熊爪と赤毛、獣と人、自然と人間……。
太極図 wikipediaより
私が思い浮かべたのは古代中国に由来を持つ陰陽、太極のイメージである。陰と陽は対立しつつも一体なのである。そして、弁証法的に言えば、陰は陽に、陽は陰に相互浸透していく。それを「喰らう」と河﨑秋子は捉え返したと言えるだろう。
世界は対立しつつ、混淆し、死を迎えるとともに再生していく。主人公は熊爪と書いてきたが、最終的には「白い女」陽子の流浪と忘れられることが語られる。陽子の子供たちは私たちのそばにいるかもしれない。ぜんぜん的外れなことを言うようだが、青春小説や「新世紀エヴァンゲリオン」のように、自己防御の壁(ATフィールド)を超えて、人はいかに生くべきかを問うているように思えた。
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