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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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見逃しミーハーシネマ館  1999〜2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃に、ビデオも借りまくっていた。

 ビデオ・グラフィティ・ノート 2001-1   1~15  

*<1>「ジュブナイル」
山崎貴監督。香取慎悟。酒井美紀。鈴木杏。猿渡雄弥。緒川たまき。吉岡秀隆。
 2000年夏、4人の少年少女たちが遭遇する未知との冒険。ジュブナイル−少年たちのことです。蛇足まで。少年の前に現れたのはテトラという超小型ロボット。だが、その時、宇宙からボイド人が地球にやってきた。少年たちはテトラとテトラの作ったガンゲリオンとともに、ボイド人と戦う。
 キーワードは<タイムマシン>か。いずれにしても子供映画のレベルは超えていません。天才役の香取慎悟君。まあ奇人ぶりは出ていましたが。

*<2>「風雲 ストームライーダーズ」
アンドリュー・ラウ監督。アーロン・クォック。イーキン・チェン。千葉真一。
 雄覇は占い師の言葉で「風雲を味方に付ければ龍となる」との啓示を受けた。すなわち、天下を取れるというものだった。彼らの手によって勝利を収めていく雄覇だったが、天下統一の直前、今度は2人に滅ぼされるという占いを受ける。3人は策略と死闘へと突き進む。
 香港映画らしいカンフー・ワイヤー・アクションやら特撮あり。物語はいささか長くくどいのが玉に瑕。それでもアイデアてんこもり、教訓ありで楽しめる。

*<3>「キャリー2」
カット・シーア監督。エミリー・バーグル。エイミー・アーヴィング。ミーナ・スヴァーリ。
 ブライアン・デ・パルマ監督の名作「キャリー」の続編か。99年米国ですから、23年ぶりか。
 前作はいじめられたキャリーがついに卒業パーティーで爆発した。今回はアメラグの後のパーティーで大爆発する。なんか今更キャリーの名前を出して、続編を作る意味がさっぱりわからない。キャリーを下敷きにしている分、キャリーの異母姉妹のレイチェルのインパクト不足。
 収穫と言えば、「アメリカン・ビューティー」のミーナ・スヴァーリがチョイ役で出ていたこと。それほどの美少女じゃないが、印象的ではありました。

*<4>「ロッタちゃんと赤いじてんしゃ」
ヨハンナ・ハルド監督。グレタ・ハヴネショルド。リン・クロッペスタット。
 1992年スウェーデン。リンドグレーン原作。 「ロッタちゃん はじめてのおつかい」の姉妹編。
 えっへん、わたしはロッタちゃん。相変わらず子ブタ(くまぶた?)のぬいぐるみ・バムセを手に堂々と歩き回ります。
 「バムセ 水に落ちる」「誕生日の赤い自転車」「田舎はイヤ」。いい加減なネーミングですが、3つの物語からなっています。
 「だって、やなんだも」という強情娘。でも、最後は「私が悪いの」となるので、憎めません。この手の映画は癖になります。

*<5>「ファントム」
ジョー・チャペル監督。ベン・アフレック。
 1998年米国。
 人類の前に立ちはだかる「太古の敵」。彼らは地の底にひっそりと眠っていたはずだが、米国の田舎町に突如現れ、人間を捕食し始めていた。彼らの存在を予言していた博士と、勇敢な警官、姉妹の戦いが続く。
 ミステリータッチからホラー、SFへの展開。少し地味づくりですが、もっと面白くできた題材と思います。

*<6>「ザ・ハリケーン」
ノーマン・ジェイソン監督。デンゼル・ワシントン。ジョン・ハンナ。デボラ・カーラ・アンガー。
 黒人ボクサーの「ルービン・ハリケーン・カーター」。彼は絶頂の最中に殺人事件の容疑者にされ、終身刑の判決を受ける。それは人種的偏見に満ちた権力犯罪だった。再審請求も実らず、支援者も去っていく。そんなとき、彼の自伝を中古本セールで買った少年が手紙を出す。そしてカナダ人の環境保護活動家らと自由への闘いが再開される。
 ストーリーをいうと、いささか陳腐というか硬い。だが、デンゼル・ワシントンの抑えた演技がその表層的な印象を一掃する。人種的差別がいかに不当か、心に響く。

*<7>「ショー・ミー・ラヴ」
ルーカス・ムーディソン監督。アレクサンドラ・ダールストレム。レベッカ・リリエベリ。
 スウェーデンの若い女の子の物語。エリンとアグネス。何不自由ないはずなのに、なんかいけない。男はみんなバカばっか。25年後の幸せよりも今すぐの幸せが欲しい。
 んで、2人は・・・。ちょいとですね。

*<8>「極道の妻たち リベンジ」
関本郁夫監督。高島礼子。池上季実子。田中健。火野正平。石立鉄男。裕木奈江。
 やくざの女たちを描くシリーズ。今回は組の親分と若頭を殺された女2人が復讐を企てる。内容は今更ですし、役者の面白さだけですか。火野正平、石立鉄男、本田博太郎なんかはピタリです。主役の高島礼子は切れ味いまひとつ、池上季実子は衰えた感じ。警察権力が全く介入せず、やくざの美学に絞った作品です。

*<9>「うずまき」
Higuchinsky監督。初音映莉子。フィーファン。高橋恵子。大杉漣。でんでん。
 これはなんと言ったらいいか。ホラーというより上に「ア」をつけてやりたい。ここまで三流ギャグで映画を思いこみシュールで作ってしまったら、快感でしょう。うずまきに憑かれたら、怖い? そういうあんたがってところか。

*<10>「ムッソリーニとお茶を」
フランコ・ゼフィレッリ監督。シェール。ジュディ・デンチ。ジョーン・プローライト。
 フィレンツエに住み着いたイギリス・アメリカのレディたちと孤独な少年の物語。
 ムッソリーニのファシスト党が支配を強めていく1930−40年代のイタリア。レディたちはムッソリーニのテロに対しても人間を信頼して動じない。この類い希な意志力はムッソリーニに直訴しお茶を飲むほどに。収容所に入れられても、決して屈しない。
 これはブルジョア・コスモポリタニズムの勝利の映画ですね。美術品や友情は守れても、大衆は守れない。それでもいいか。そんな感じですか。

*<11>「ショーガール」
ポール・バーホーベン監督。エリザベス・バークレー。カイル・マクラクラン。ジーナ・ガーション。
 1995年米国。
 「トータル・リコール」「氷の微笑」「スターシップ・トゥルーパーズ」のポール・バーホーベン作品。
 噂にたがわぬインパクトある画像。圧倒されました。ノエミ役のエリザベス・バークレー。本当に体当たりの熱演。対するジーナ・ガーション。クールな感じがいけてました。ラスベガスのショービジネスの世界の裏側と苛酷さ、頽廃。一人の女性の生き様に重ね合わせて描きます。それ自体はよくある話ですが、登場人物の迫力がレベルを超えている気がします。

*<11>「2001年宇宙の旅」
スタンリー・キューブリック監督。ケア・ダレー。ゲーリー・ロックウッド。ウィリアム・シルベスター。
 1968年米国。
 アーサー・C・クラーク原作・脚本。キューブリックは監督・製作・脚本も担当した。
 もちろん20年以上も前に見ているが、再びこの2001年に見ることにした。新鮮さに変わりはなく映画としての完成度の高さに改めて感心した。知=神の象徴たる黒石坂(モノリス)。<見者>のように人類の歴史を知っている。人間は400万年前から2001年の今まで何も変わっていない。変わったというのは人工知能の登場か。
 この映画の見どころは素晴らしいスペースオペラと同時にコンピュータHAL9000と人間の攻防である。感情を持ったコンピュータとの問題はSF的には依然大きなテーマであろう。全編に流れるゆったりとしたクラシック。優雅で見事に効果的である。

*<12>「最終絶叫計画」
キーネン・アイボリー・ウェイアンズ監督。アンナ・ファリス。シャノン・エリザベス。ジョン・エイブラハムズ。
 「スクリーム」と「ラストサマー」のパロディ。その他、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」「マトリックス」など、おいしいところいただきました。それにしても無内容な映画でした。

*<13>「ドグマ」
ケビン・スミス監督。マット・デイモン。ベン・アフレック。リンダ・フィオレンティーノ。サルマ・ハエック。
 「グッド・ウィル・ハンティング」のコンビに、「チェイシング・エイミー」の監督が組んだ。
 神様の天上から追放された2人の悪天使。カトリックがイメージチェンジ作戦でとった天国に至れる新方針に大喜び。ところが、これを阻もうとするキリストの末裔やら使徒やらが勢揃い。一方、切れた2人は罪を犯した人間(犯してない人間などほとんどいない)を大量虐殺し始める。キリストの末裔らは2人の暴走を止められるか?
 なんとも能書きの多い映画でした。しかも、宗教色(カトリック、ユダヤ教)が濃厚で辟易します。反カトリックなのか、なんか馬鹿馬鹿しい空騒ぎのような気がします。
 
*<14>「コード」
シドニー・J・フューリー監督。ダリル・ハンナ。ジェニファー・ティリー。ヴィンセント・ギャロ。
 子供ができない夫婦。人工受精で赤ちゃんを授かろうとしたが。病院の医師夫婦の陰謀によって、誘拐された。彼女が産むのは、誘拐夫婦の子供だった(実は一つ違うのだけれど)。監禁生活に耐える若妻、狂っていく誘拐犯の女。頼りない警察、死んだことになった妻への思いだけが募る夫。なんとも盛り上がらない展開の中で、結末がやってくる。
 雰囲気としては、キャシー・ベイツの「ミザリー」でしょうか。残念ながら、ジェニファー・ティリーにはその迫力なく、演出も冴えません。ヴィンセント・ギャロもぎこちないだけの男になっています。

*<15>「ハリウッド・ミューズ」
アルバート・ブルックス監督・脚本・出演。シャロン・ストーン。アンディ・マクダウェル。
 ハリウッド映画の裏方たち。みんな悩んでいる。いつまでもヒットが続くわけじゃないし。そんなスランプの脚本家や監督を助ける創造の女神がいるとしたら。そいつは贅沢で高ピーで、精神的な病を持っているというのだ。それがシャロン・ストーン。
 でも今頃わかったが、彼女はそんなにうまくない。というよりは最近は太りすぎだし、「背信の行方」もそうでしたが、演技にどうも魅力を感じません。

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