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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています
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シン・たかお=うどイズム β
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勝手にwebいまさら探検隊
column
勝手にweb「つぶやき」と「いまさら探検隊」5 2005〜2006
<塀の中のホリエモンと想像力>
ライブドア社長だった堀江貴文さんが証券取引法違反(偽計取引、風説の流布)の疑いで23日夜逮捕され、堀江容疑者として東京拘置所に収監されてしまいました。事情聴取から逮捕までのスピードがあまりにも速いという見方もありますが、東京株式市場へ与える混乱を配慮するだろうなあ、と私は思っておりましたので、この動きはいわば「想定の範囲内」でした。
それにしても、塀の中のホリエモンは過酷な取り調べの合間に、何を思っていることでしょうか。さすがに、どこでもドアがあればいいなあ、なんては思わないでしょうが、携帯とパソコンがあれば「社長日記」を書けるし、株の動きも見られるのに、と思っているのでしょうか。こうした塀の中に拘束することの最大の狙いは、人間を日常から分離して特定のストーリーを許容するようにすることでしょうから、外部との交通は厳しく制限されます。
昔の−と言っても戦前ですが、自由主義やマルクス主義的な思想を持っているが故に、治安維持法で拘束された青年たちのことを思い出しました。彼らは今よりも厳しい取り調べの中で、自分の宇宙を守る哲学を醸成させていたことでしょう。後に戦後文学の傑作の1つとなる「死霊」の作家、埴谷雄高もそうした青年でした。もちろん、多くの人は転向していくわけですが、思想の問題に大衆的動向との緊張感を複眼的に持つべきだったと総括したのが吉本隆明さんでした。この「大衆的動向」という言葉を、現在ならどう翻訳すべきか考えさせられます。
誤解のないように言っておけば、私はまったく堀江容疑者を擁護しているわけではなくホリエモンが一流の現代経営者であるならば、自らの陥った試練から思想的に学ぶだろうということを期待しているだけです。ボーダレスの時代に入りました。それは国家と資本の問題にとどまらず、労働力や生産点、さらに社会、文化、価値などの個別領域で複合的に発生しています。ホリエモンとはそうしたボーダレスの時代における「逸脱者」であり「越境者」であったように思います。
マージナルな領域の冒険者こそ高い倫理性と思想性が求められているはずです。拘禁生活の中でこそ、ぜひとも初発の想像力を発揮してもらいたいものです。容疑事実を否定して戦うのならば簡単に保釈はされないでしょうし、「ホリエモンの獄中闘争日記」を書くくらいの覚悟をしてもらいたいところです。
1日で100億円やら1000億円やらの金が失われるだの儲かるだの、といった株式市場でのマネーゲームの現実離れした話を聞いていると、生涯賃金が1億円かよくて2億円という庶民にはなんのことやら分かりません。地道に生きることの価値観がそこでは崩壊しています。その意味で、この国の歪みはとてつもなく深刻なように思います。
(ホリエモンの新しさってのは何だったのでしょうか)
【いまさら探検隊】★
<28>「サッポロさとらんど」=札幌市東区丘珠町
第57回さっぽろ雪まつり(2月6日開幕)の新しい会場だそうである。2005年9月17日の北海道新聞<もっと知りたい>の記事によると、「さとらんどは、正式には札幌市農業体験交流施設といい、都市と農業の共存に向けた拠点として、札幌市が1995年7月に開設。愛称の『サッポロさとらんど』は一般公募で選ばれた。ふるさとの『さと』と、英語で大地を意味する『ランド』を組み合わせ、市民に愛される里になる願いが込められている。/74・3ヘクタールの敷地には、市民が収穫を体験する畑が広がり、家畜と触れ合う牧場、収穫した作物の加工ができる施設もある。『さとの広場』などは夏場、親子連れの歓声が絶えない」とある。
確かに、夏場は歓声が絶えないかもしれないが、冬場はどうなのでしょう。なんでも見てやろう族の私ですので、スローペースで除雪が進む道路を横目に、初めて行ってみました。私が訪れた時は、滑り台や迷路の製作の途中でした。確かに、広い! 大がかりな催しをやるには十分です。それから。うーん。広いだけに吹きさらしで寒い! 写真を撮ろうとしましたが、手がかじかんでしまい、家族でパチリというには厳しいのですね。そして、時折、突風やら雪が激しく舞います。昔、青森の五所川原というところに行った時、「名物はなんですか」と聞いたら地元の新聞記者に「地吹雪かな、なははは」と冗談ともつかぬ調子で答えられたことを思い出しました。ここも、そういう意味で北海道の厳しさを観光客に知ってもらうにはいいところですね。たぶん。
滑り台や迷路らしきものが作られつつあるのを見ながら感じたのは、一種の孤独です。ものを作ることはそれを見てもらうのも喜びだと思うのですが、時期が早かったせいか、そこには「工事」の関係者しかいませんでした。寂しいですよねえ。市民のまつりというなら、完成に至る過程も大切です。雪まつり期間中には地下鉄駅からシャトルバスが走るようですが、印象としては交通の便が良くないですから、結構大変だとも思いました。雪まつりとの相乗効果の期待が地元にはあるでしょうから、ぜひ成功してもらいたいとは思いますが、好天を祈りつつも大丈夫かな、という一抹の不安を覚えるのは私だけでしょうか。(2006.01.27)
<さっぽろ雪まつり「さとらんど」の挑戦>
さっぽろ雪まつりが6日から始まります。今年は大通、ススキノに加え、新たな会場として札幌市農業体験交流施設「サッポロさとらんど」(札幌市東区)が仲間入りします。昨年までの陸自駐屯地内の真駒内会場(同市南区)に代わるものです。
前回の「いまさら探検隊」で少しきついことを書いたので、今回は反省して少し前向きに発言しようと思います。さとらんどが新会場に選ばれた一番の理由はその広さだ。中島公園と円山公園も候補地だったが、ゆったりとして広場があり、休憩所にも使える施設を備えた点が評価されたものです。
確かに、「さとらんど」には難点があります。市街地から遠いことです。実際に車で現地を訪れたのですが、積雪で道は狭く雪が降ると着くまでが一苦労だろうと思った、と書いたとおりです。子連れなら、移動だけで疲れてしまいそうです。期間中、地下鉄駅などから往復運行するシャトルバスが頼みの綱ですが、これにはツアー客には使いやすいとの見方もありますので期待したいところです。
課題もあるわけですが、それは期待の裏返しでもあります。先日、JR北海道の坂本真一会長と懇談の機会を得ましたが、「逆風でも風があるうちはチャンスだ。無風(無気力・無関心)のほうが怖い」という発言をされていたのが印象に残りました。
雪まつりもそうです。原点は手づくりの試行でした。1950年、大通公園で中高生による六基の雪像から出発したものが、掛け値なしに今や日本を代表する冬の国際的観光イベントになりました。初めてずくしの「さとらんど」からの挑戦が注目されるゆえんであります。(札幌五輪は34年前の今ごろでしょうか。懐かしいですね)
【いまさら探検隊】★
<29>「北海道新聞本社」=中央区大通西3の6
北海道新聞は1942年の創刊です。元号で言えば、昭和17年、軍国主義の時代の戦時統制の一環で「1県1紙」の方針が示され、北海道各地にあった11地方紙が統合して1紙になったものです。沿革をさかのぼると、1987年(明治20年)に札幌で創刊されている「北海新聞」が源流となるそうです。北海道における新聞の役割が明治の自由民権運動などと連動して、ずいぶん早かったのに驚くと同時に、国家権力や戦争との関わりも浮かび上がってきます。
従業員数は約1600人。発行部数は朝刊で約122万部です。会社の体制は1本社=札幌、10支社(函館、旭川、釧路、帯広、室蘭、苫小牧、小樽、北見、東京、大阪)1総局(岩見沢)38支局(森、八雲、木古内、江差、せたな、伊達、千歳、倶知安、余市、岩内、江別、栗山、夕張、滝川、芦別、静内、浦河、深川、士別、名寄、稚内、枝幸、留萌、羽幌、天塩、遠軽、美幌、網走、紋別、富良野、新得、池田、本別、広尾、厚岸、弟子屈、根室、中標津)10海外駐在(ソウル、北京、シンガポール、モスクワ、ユジノサハリンスク、カイロ、パリ、ロンドン、ワシントン、ポートランド)。これを見ると、やはり新聞社らしく取材部門が軸の組織であることがわかります。ちなみに数字はアバウトな目安です。支局や海外駐在は結構変動があります。あくまで私が手帳などを見てカウントしたので、若干多かったり少なかったりしているかもしれません。念のため。
札幌圏部は部長ほか部次長(デスク)5人、部員22人と江別支局2人、千歳支局4人という体制です。ずいぶん大人数だなあと思われるかもしれませんが、毎日担当する紙面数は、朝刊が札幌版、石狩・当別版、北広島版、江別版、千歳・恵庭版、恵庭・千歳版、札幌圏版2枚、Oh!さっぽろ面の合計9カ面、夕刊が情報らんど面、マイたうん札幌圏版の2カ面の総計11カ面に及びます。もちろん、これには全道版への出稿はカウントされませんので、単純に割ると、3人で1カ面を作っている計算です。部長やデスクはほとんどニュース原稿を書きませんので、部員換算ではもっと忙しいはずです。
新聞記者の仕事はテレビではトップ屋まがいの事件記者と、政治家にまとわりつく政治記者が取り上げられがちですが、水谷豊かだれかが主演でドラマをやっていたと思うのですが、地域の支社・支局(通信部)といった庶民と向かい合う場所で、地域ニュースを発掘して、生活者の息遣いを伝えている記者のほうが多いのです。私どもの部署も札幌にありますが、そうした前線記者の職場です。このほか、内勤といって、紙面レイアウトをする整理部記者(現在は編集本部というオシャレな名称に変わってしまいました)や校閲記者もおります。
何がニュースかというのは難しいことです。「新しさ」「人間性」「社会性」「記録性」「国際性」がニュースの基準だという定義もありますが、要は地域に暮らしている人の関心事たり得ることの紹介を通じて、地域に元気を与えたり問題提起をしていくことが大きな仕事だと思っています。その際、もっとも問われるのが記者個人の意識・感性です。どんな面白そうな素材があろうとも、記者の情熱なくしては感動を発信することはできません。私は、新聞記者は組織に規定されつつも、最終的には個人の力量こそがカギを握ると思っています。ですから、若い記者には常にものを見る目・感じる心を磨きあげてもらいたいと思っています。研鑚が大事というと、いささか抹香くさくなりますが、そこが原点だと思います。絶望したりすることの多い世の中ですが、その部分には楽観的・楽天的で、どんな素晴らしい記事が書かれるか楽しみでもあります。(2006.02.03)
追記:最近のホームページによると、社員数1,293人。発行部数は86万1,500部。
札幌本社のほか、11支社(函館、旭川、釧路、小樽、室蘭、帯広、北見、苫小牧、岩見沢、東京、大阪)、38支局(森、八雲、木古内、江差、せたな、伊達、千歳、倶知安、余市、岩内、江別、栗山、夕張、滝川、芦別、静内、浦河、深川、士別、名寄、稚内、枝幸、留萌、羽幌、天塩、遠軽、美幌、網走、紋別、富良野、新得、池田、本別、広尾、厚岸、弟子屈、根室、中標津)、6海外駐在(ロンドン、モスクワ、北京、ソウル、ユジノサハリンスク、ワシントン)となっています。
<市民スポーツ賞とオリンピック>
2月13日午前10時から札幌市民スポーツ賞の贈呈式があって、会場のホテル・ライフォート札幌へ行ってきました。あまり誉められたこともなく過ごしてきたので晴れがましいことの苦手な私ですから、なんだかとっても緊張しましたが、今回は特に出番もなかったので、比較的冷静でいられました。
平成17年度(2005年度)の受賞者は札幌家庭婦人バレーボール連盟の会長をしている作山幸子さん(75)、札幌スキー連盟顧問の坂井敏夫さん(83)、札幌スケート連盟会長の宮坂久雄さん(73)、高校ボクシング・ライト級優勝者の鈴木康弘さん(18)、同ウェルター級優勝者の組沢成海さん(18)、それに札幌市発寒体育振興会(目黒清会長)の5人と1団体です。基本的には長年各種スポーツの振興に尽力してきた人と地域団体、それに全国トップレベルの成績を挙げた人が対象となります。
同賞は1972年の冬季五輪札幌大会の開催を受けて、73年から設立されているものだそうです。そんなわけですから、今回の受賞者の坂井さんは受賞スピーチで、札幌五輪の誘致活動に飛び回っていたころの思い出を語ってました。インスブルック(1964年、第9回大会)に札幌のPRに行った時、米国選手がヨーロッパに敬意を表して外套を脱いだこと、日の丸を持って会場に行ったら地元紙に日本人は国旗を粗末にしていると酷評されたこと、さらに立候補の結果が札幌支持わずか数票の惨敗に終わったたため、日本でも1700万円も使ってなんだ、という感じで批判されたことを紹介していました。
それでもめげずに再立候補して、1972年の第11回大会の招致につながったというわけです。当時の原田与作市長の功績大、というのが坂井さんの結論のようでした。札幌では今度は夏の五輪の開催を、という声が挙がっていますが、ご存じのとおり賛否が相半ばしています。表彰式には上田文雄市長の出席しておりましたが、どんなふうに聞いていたのか、ちょっぴり気になりました。私は徹底的に議論を尽くすこと、さらにスポーツだけを考えるだけでなく世界の平和について考えてもらいたい、と考えています。
日本時間11日からトリノ冬季五輪が始まりましたが、日本選手は序盤振るいません。でも、「日本ガンバレ」だけがオリンピックじゃないはずです。世界のアスリートの生み出す最高の技術の美しさ素晴らしさをもっともっと堪能したいと思います。スポーツは勝ち負けですが、人間の能力を豊かにする挑戦として意義がありますよね。
(「とはいえ、はは、原〜田ぁ〜、と叫んじゃいましたが)
【いまさら探検隊】★
<30>「札幌市民会館」=中央区北1西1
満身創痍(そうい)という言葉があるが、まさにぴったりだ。札幌市民会館。1958年のオープンで、すでに47歳。日本の建造物としては、いささかお年寄りだ。鉄筋コンクリート地下1階地上5階建て、1590席の大ホールと9つの会議室を持つ。北海道厚生年金会館ととともに、比較的大きな貸ホールとしては最も人気のある施設といえよう。しかし、もうガタガタ。お疲れさまと言ってやりたいが、なかなか大変だ。
報道によると、近年は雨漏りが激しく、補修が追いつかない状態だったという。市が昨年12月にまとめた耐震調査結果では、耐震強度の数値が市の基準の3分の1しかない個所が見つかった。すなわち、マンション、ホテルの耐震偽装問題が世上をにぎわしていたが、それとは関係なく、市民会館は老朽化で「耐震性に疑問あり」との診断が出されていたわけである。応急処置を重ねても焼け石に水というわけで、市は来年1月末で営業をストップし、同4月にも解体する。そして、10年後をめどに新しい市民会館を建設するのだという。
そんな背景もあってか、音楽などの関係者からは、「イベントの解約でトラブルが起きているらしい」などといった風説が流布されるというおまけもあった。新会館ができるのが、10年後となれば、「空白期間はどうすればいいの」という意見が当然ながら起きている。「相棒」の厚生年金会館は、年金保険料を湯水のように使ってきたお役所仕事のあり方に厳しい批判が寄せられ、運営の変更を余儀なくされ、存続がどうなるか結論が出ておりませんので、関係者の不安が募るのは当然だろう。
私は昨年の「道厚生年金会館」紹介の項で述べているように(いまさら探検隊24)、文化施設を国や市が運営しなければならないという考えは思っておりません。民間の知恵で、運営できるのならそれのほうが利用者には便利になることは確実だからである。お役人にサービス業者としての自覚を持て、というのが基本的には無理なのだ。いずれにしても、マチの中心部の便利な施設が10年も使えなくなるのは、大きな問題である。行政は税制面の優遇も含めて、オフィスビルのデッド・スペースの活用を促す方策などを積極的に考えるべきであろう。(2006.02.15)
<事実と現実と無関心の間>
人間は結局はやじ馬なのか、と思うことがあります。だって、主体的に考えよう、と言われても、答えられないことって多いじゃない。たとえば、この地球上に60億人の人類がいるけれど、その3分の1は飢えている、とする。だけど、この問題を主体的に考えても、私に20億人を救うことなど、無理に決まっています。まじめに考えれば考えるほどニヒリズムに陥ってしまいます。それならば、テレビの24時間チャリティーショーかなにかで、なけなしの貯金をカンパすることに参加することで、免罪符を得たような気持ちになったほうが心休まります。
のっけから変な話でごめんなさい。世の中は不条理であっても、これを解くことはなかなか難しいな、と感じることが昨今多いからです。たとえば、耐震偽装建築問題。建築会社や検査会社や建築士が悪いことは決まっています。被害者は個人です。4000万円の借金を背負ってマンションを追い出される庶民です。許せません。法律はニセ物を売ったペテン師たちを裁くことはできても、被害を受けた庶民を救うことはできません。しかも、もし被害者を救うと決断すると、他の様々な建築被害や売買のペテンでだまされたすべての人を救わなければならなくなるから、法の下の平等は何もできません。
私が4000万円だまされたら、黙ってはいないでしょう。何をするかわからないな、と思うことがあります。私的な問題なら私的にケリをつけようとなるかもしれません。だって、経済生活的にはその時点で、庶民たる私の生命は奪われたも同然ですからね。耐震偽装問題の多くの被害者がまだ冷静なのは立派だとは思いますが、その裏で大きな怒りが内向していることは間違いありません。
先日、滋賀で幼稚園児2人が同級生の母親に刺され、死亡する事件がありました。母親は中国籍で日本での暮らしに悩み、子どもの教育に悩んでいたようです。だからと言って手近にいたからというだけで、2人の園児の命を奪っていいわけはありません。たまたま病気でその日の車に乗らなかった子ども1人は難を逃れましたが、いつものように車に乗せていれば、さらに悲劇は大きくなっていたでしょう。テレビを見ていて思うのは、追い詰められた母親の心の闇を照らし出すことはできても、亡くなった2つの命はもう2度と戻ってこないという残酷さです。このやるせなさはどうにもなりません。
フィリピンでのレイテ島での地滑り事故。数千人が不明になっていますが、私たちの身辺では現実感を持っては受けとめられていないように思われます。世界を考えることは私たちには身に余ることなのかもしれません。だけど…。だけど…。そんな思いがまだ未練のように残ります。人間は困難にぶち当たり、絶望しながらも、あるいは知らん顔をしながらもどこかで後ろ髪を引かれて生きています。矛盾だらけだけれど、やじ馬でしかないけれど、気になることは気になるのが人間です。私たちはそんなふうに生きています。
(「方丈記」を読むと、無常観のすごさがわかりますね)
【いまさら探検隊】★
<31>「旭川市科学館<サイパル>」=旭川市宮前通東(北彩都あさひかわシビックコア地区)
2月12日、旭川市は冬まつりの最終日で盛り上がっておりました。本当は、道立美術館で開かれている「小野州一展」を見るつもりだったのですが、車で移動しておりましたので、たどり着けず。それから、西神楽の農家の人たちが毎年開いている「風の宴」を訪ねることにしておりましたが、時間が合わず。結局、今年できた「風のささやき」を買って帰ってきました。夢民村の島さん、ごめんなさい。
で、なんとか行けたのが昨年夏、私が旭川を離れてまもなく完成した「旭川市科学館<サイパル>」でありました。そこは、旭川駅の裏で、旭川市が「北彩都」地区として再開発に力を入れているエリアです。もともと、青少年科学館んは旭橋の近くにあったのですが、老朽化が激しく、改築が必要となっておりました。そこで、北彩都の中核施設の一つとして、移転・新築となったわけです。
さて、愛称「サイパル」は同館のホームページによると、「建物の規模は,旧青少年科学館のおよそ2倍。最先端の科学技術を駆使した展示を楽しめる常設展示室,170人収容で美しい星空投影やフルドーム映像が楽しめるプラネタリウム、口径65cm反射望遠鏡等を設置した2基の天文台など設備もすべて一新し、理科実験室、電子工作室、木工室、パソコン学習室、レファレンスルーム、野外自然観察空間など、科学に関することなら何でも楽しめる国内有数の科学館です」だそうです。
「科学する心」を刺激する施設であることは言うまでもありませんが、最近の展示の目玉は宮崎駿のアニメ映画「ハウルの動く城」の立体模型です。400円(プラネタリウムを見るなら500円)を払って中に入ると、真っ先に目に飛び込んできます。これも資料によると、「金属,プラスチック,木片など様々な素材を使用して製作されています。底辺部分の直径が約4メートル,高さは7.5メートルと迫力満点です。展示期間は10月22日(土)から2006年4月9日(日)までの予定です」とのことですが、なかなかに迫力とオーラがあります。それは写真を見ていただくとわかると思います。
私はクマと人間の大きさの違いを立体画像で見たり、残影を撮ったり、暗い通路をさ迷って遊んだりしました。それから売店でマスコット・キャラクターの「コロックル」を記念に買いました。ちなみに、科学館と旭山動物園とを見て回れる共通パスポート1800円(大人)というのもあります。いまや大人気の旭山動物園を見るのと一緒に訪れて損はないでしょうね。(2006.02.20)
<五輪の後は二輪でGO!>
終わりました、トリノ五輪。私はあまりテレビは見ませんでした。序盤でのビッグマウスの若者たちが本番舞台からボロボロ状態転落して、私のナショナリズムはびゅーんと飛んでしまいました。それから、なんとなく見入ってしまったのが、カーリングくらい。最後に、荒川静香選手の女子フィギュアでの金メダルはよかったと思うのですが、あれだけ盛り上げられると、いささか食傷気味でした。最後の最後に、男子アルペン回転競技を夜更かしで見たのが、私が一番真面目に見たテレビでしょうか。みんなメダルに届きそうだったのに最高で4位。本当に残念でしたねえ。本当にレベルの高い戦いは百分の一秒の争いだとわかりました。よく頑張ったと思います。
さて、五輪が終わって脱力モードの私ですが、まわりを見渡すと、「あっ、春」って感じですね。道路を占拠していた積雪はみるみる減ってます。まあ、春は行きつ戻りつ、と言いますので、簡単には乾いた路面が顔を出さないかもしれません。でも、なんか「うずうず」してきます。少しはマチ歩きを再開しなくては、という気持ちになりますね。そこで、二輪車の登場でしょう。
私は札幌でも東京でも旭川でも自転車に乗っておりました。エンジン付きの自動車を持っていないせいもありますが、自転車は小回りが効いてとても便利です。でも、悩みは盗難です。札幌ではかなり高変速の自転車を買い、マンションの中の自室ドア前に置いていたのですが、一瞬の隙を突かれ盗まれてしまいました。続いて東京では規定の立派な駐輪場から中学生に盗まれて、登録番号から本所警察まで引き取りに呼び出されたこともあります。旭川では転勤そうそうに盗まれました。(その代わり、知り合いから年季の入ったボロ自転車を無料でいただきました。一応、ベ○ツと呼んで乗ってました)
なんで自転車ドロボーって多いのでしょうか。管理の問題もあるかもしれませんが、盗むほうにも罪の意識が薄いような気がします。映画でも自転車を盗まれるのは結構ありますよね。
昨年は旭川から持ってきたオンボロ自転車が壊れたので、雪が積もるのに合わせて廃棄しました。だから、今は自転車がありません。いつも通りかかる中古品店の前にはお安くしときますよって感じで、一輪二輪三輪と並んでいます。欲しいなあ。坂道もあれば、少し遠出をすることもあるので、簡易でも三段階くらいの変速ギアがついているとうれしいなあ。後は値段だなあ、なんて目が移ります。私は貧乏性なので、スタイルなんかよりも実用性第一でいきます。
近日中には、なんとか買うつもりです。まだ寒いので少し厚着をして、デジタルカメラ片手に出かけたいと思っています。わくわくしますね。レッツーGOです。
(女子のスピードスケート選手には夏は自転車選手という人が多いとか)
【いまさら探検隊】★
<32>「JR札幌駅付近」=札幌市(中央区・北区)
仕事やら遊びやらで、JRを使う機会が結構ある。いつも感心するのは、JR札幌駅。私の記憶では昔は結構地味だった駅舎が、今ではものすごくモダンになってしまいましたね。それがいいか悪いかは別にして、便利になったことは確かです。
以下はインターネットでアクセスできるフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』に掲載されているJR札幌駅に関する基本知識です。ウィキペディアによると、札幌駅は「1880年(明治13年)、手宮・札幌間に開通した幌内鉄道の終点に、札幌停車場として開業した。当初の建物は仮のもので、1881年(明治14年)12月に木造平屋建て211.3坪の新しい駅舎が完成し、翌1882年(明治15年)1月から使用された。同年6月には札幌から江別まで、12月には幌内まで、冬季を除く運行が始まった。当初は駅ではなく停車場、その長を場長と称した」とあります。今から126年前に誕生したわけですね。
その後は1881年(明治14年)12月2代目の駅舎、1907年12月5日3代目の駅舎となります。1952年(昭和27年)10月14日に4代目駅舎の開業式が行われました。つまり、それが私などが子供の頃から見てきた札幌駅です。ステーションデパートなんかがあり、私の記憶では映画館もあって、時間つぶしをしたこともありました。駅前には今は大型電器店に変わりましたが、そごうデパートなんかも建てられました。そして、2003年3月6日にJRタワーオープンとなりました。
「外観デザインは、3代目駅舎の明治洋風建築のディテールや温かみのある色彩などに、4代目駅舎の水平線を強調したイメージをプラス。駅とともに歩んできた札幌の「街の記憶」を大切にしました。また正面中央部には、世界的に活躍されている北海道出身の彫刻家・デザイナー五十嵐威暢氏デザインによる「星の大時計」を、駅の象徴として配置しています」とJRタワーのホームページに記されています。なによりもJRタワーは地上38階、地下4階の大商業施設です。ホテル、シネマコンプレックスと百貨店がセットになっています。
オープン当時、私は旭川におりました。だから、JRタワーの登場は道内他地域の経済地盤低下に拍車をかけると心配したように思います。その懸念は今も変わっておりません。札幌志向が強まることは一つの施設の責任ではありません。人間が便利なものにあこがれるのは世の常ですから。札幌駅は以前にもまして魅力的になり、名実とも札幌の顔、表玄関となりました。にぎやかですが、半面、牧歌的な雰囲気はなくなりました。都市の中核部分とはそういうものかもしれません。(2006.03.03)
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