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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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 シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

 シネマ・グラフィティ・ノート 1999年 その1

1 「ワイルド・マン・ブルース」
バーバラ・コップル監督。ウディ・アレン。
 ジャズメン・ウディの欧州ツアーを追うドキュメント。この天才はまじめな努力家でもあることを、なかなかクールなクラリネット演奏ぶりに現れている。演技なのか地なのか。さすがに凄い。この物語のおもしろさは異質な土地と人間との出会いが生む掛け合いの妙である。
 最後にユダヤ人の母親と父親が出てくる。これが最高にいかれていて面白い。アレン以上といえば失礼か。

2 「マイ・フレンド・メモリー」
ピーター・チェルソム監督。シャロン・ストーン。エルデン・ヘンソン。キーラン・カルキン。
 難病で知的な少年と頭が弱いけど体の大きな少年コンビによる勇者フリークの物語。
 この映画で面白いと思ったのは、父親が不在(欠落)していることだ。そして最後は厄介者の父親との闘いが最大のテーマになる。
 家族の解体がとめどなく進むアメリカの現実がよくわかる。<個>まで解体した後で、どうやって紐帯を作り直すか。
 それはフィクションという迂回路を経ずしては困難であることを象徴している。
 もうひとつ差別に対して過剰な自己規制をしていないところが凄い。差別の食物連鎖みたいなところを平然と踏み越えている。
 それに馬と騎士の、足と頭の2人で1人なんて、うーむだよ。
 あと主人公を頭の弱い少年にしたことがいい。彼は単に頭が弱いのではなく、父親の母親殺しが一種の失語症の原点になっている。
 そこがうまく描けている。抑制的でいて説得的。少年が死ぬラストシーン、そして新しい出発も。
 「結構、泣ける」という人もいたが、オレは泣かなかった。でも心には響いた。
 シャロン・ストーンも少年達もいい演技をしている。監督の力量というものか。

3 「ジョーブラックをよろしく」
マーティン・ブレスト監督。ブラッド・ピット。アンソニー・ホプキンス。クレア・フォラーニ。
 3時間1分という長さ。でも結構飽きない。ブラピ賛美映画という見方もあるが、そうじゃない。生きることの意味をまじめに問うているのが、いい。
 アンソニー・ホプキンスが語る言葉を陳腐だという奴は人生から感動も愛も見いだせない人種だ。稲妻に打たれない奴は金の計算だけをすればいい。
 <永遠>や<絶対>も惑う。
 つまり価値の混乱状況の中でまじめに「生きるってことはいいことじゃないか」と言っているのだ。
 オレは最後のハッピーエンドでホッとした。もしあのまま死神青年が消えていたら。困惑しただろう。父娘のダンスの場面で「世界はなんて素晴らしいんだ」って曲がかかる。テーマがぴたりはまっている。そして「虹を越えていこう」でフィナーレ。パーフェクト。
 映画の画面はゆったりと流れる。だから時間がかかる。それもすてきだ。たまにピーナッツバターをなめながら人生を考えてみたい。

4 「宋家の3姉妹」
メイベル・チャン監督。ミシェル・ヨー。マギー・チャン。ヴィヴィアン・スー。
 中国現代史を語る上で欠かせない、宋一族の3姉妹とその両親、夫たちの物語。
 孔子の末裔の金融家と結婚した長女、中国革命の父・孫文と結婚した次女、そして蒋介石と結婚した3女。激動の時代を生きた姉妹の姿ををじっくりと描いている。
 原作がどこにポイントを置いているのか知らないが、映画的には次女と3女の確執にポイントを置き、印象的には国共合作をいとわず、民族の独立を考えた孫文−宋慶齢のラインに同情的に見える。だってかなり蒋介石に対して批判的というか否定的だし。
 96年製作。日本・香港合作ということは香港返還を前にした配慮か。
 関係ないが、宋家はクリスチャンで、大富豪。娘は米国に留学。一説にはフリーメーソンという説が一時はやったなあ。まあガセだろうが、でも3人が中国の国民党・共産党・香港に影響力を持ったことを考えると、なんか立派な家族の物語というよりは別の意味もあるように感じたのはうがちすぎか。

5 「ベルベット・ゴールドマイン」
トッド・ヘイズ監督。ユアン・マグレガー。ジョナサン・リース・マイヤーズ。クリスチャン・ベール。
 70年代、イギリスに吹き荒れたグラムロックのヒーローたちのその後を追う新聞記者。ラブ・アンド・ピースに批判的な70年代世代のロックによるセックスと文化の革命。
 同性愛や今風のビジュアルなバンドの姿が面白い。10年後のその後とは84年で、現在ではないことが不思議だ。世代的には彼らの音楽にあまり関心を持てなかった。そのせいか今ひとつ話題には乗れなかった。

*6 「恋の秋」
エリック・ロメール監督。マリー・リヴィエール。ベアトリス・ロマン。アレクシア・ポルタル。
 自然のままに農園でブドウを作っている中年女性・マガリ。町で本屋を開いている親友のイザベル。マガリの息子の恋人でマガリを慕っている女子大生ロジーヌ。イザベルとロジーヌがマガリのために恋人を探してやろうとするのだが。時間が穏やかに流れる。
 それぞれの人物の会話が深く味わいがある。冒頭の農園の場面でマガリとイザベルが交わすブドウ栽培の会話がいい。隣の畑は見事に虫も雑草もいないほど手入れされている。だがマガリは自然のままにあるがままに栽培している。農薬を使うと、収穫は増えるがブドウの味を変える。畑には野趣あふれた自然の草花も生える。それを<職人>としてのマガリは愛している。
 これはそのままマガリの人生観でありマガリ自身である。この誇り高い精神の持ち主に作為的に恋の相手を押しつけることなどできるはずがない。それでもその相手が素敵だったら。そこでの対応にこの物語の真骨頂がある。なんか時間が空間と調和している。
 ゆったりと味わい深く。心にしみる映像である。

7 「私の愛情の対象」
ニコラス・ハイトナー監督。ジェニファー・アニストン。ポール・ラッド。
 女は自己本位のボリシェビキ弁護士がたまらない。それで理解のあるゲイの小学校教師と同居するようになる。セックス抜きの愛情(友情)による男と女の<家族>は可能か?
 そりゃ無理でしょう。 家族という幻想。男と女を基盤にしている限り、女が男にだらしない男に我慢できるわきゃないでしょ。アメリカという国ではもうセックスと家族が分離し始めていることが大変うまく描かれている。
 <n個>の性がただ戯れているだけの家族幻想は可能か。男や女を超えて<人間>が愛し合う時代が来ている。ネックは出産の問題をどうするかだけか。
 これは女にとっても男にとっても<自然>と<人工>が境界線を失いつつあるわけで、思うにしんどい時代だ。ゆるやかな<友情>が<愛情>にとって変わると映画は言いたげだ。

8 「のど自慢」
井筒和幸監督。室井滋。大友康平。尾藤イサオ。伊藤歩。松田美由紀。竹中直人。北村和夫。
 「結構おもしろいぞ」との評判作。結論。おもしろかった。でも余韻は残らない。大衆笑劇場の世界。娯楽的楽しみに徹したからか。
 売れない演歌歌手の赤城麗子こと室井滋。なにをやってもダメだが楽観男の荒木圭介こと大友康平。姉が不倫に走って家出してしまった自信満々の女子高生、高橋里香こと伊藤歩。自閉的傾向の孫と暮らす耕太郎老人こと北村和夫。
 それぞれの<不幸>に大なり小なりの違いはあれど等身大の<日常>がそこにある。その彼らが<のど自慢>という<非日常>の場面に集中していく。そこがうまく描かれていて、おもしろいのだ。通俗というか大衆迎合というかそれに敢えて徹したところに井筒監督の挑戦がある。
 戦後大衆を引きつけてきた「のど自慢」の魅力はおそらく、かなり見事に掬いとられている。だが、さまざまな<不幸>をいっとき解放するだけの抑圧装置としての<のど自慢>についてはまったく視圏に入っていない。
 この<ハレ>の舞台によっては何も変わるものでないことにみんな気づいている。お楽しみが終われば当たり前のたまらない日常がまた続くばかりだ。
 擬制の解放装置。倒錯の抑圧装置。この点についてやや甘い。人生の応援歌?それは<のど自慢>という装置ではなく、たまらない日常という舞台の上にある。

9 「おもちゃ」
深作欣二監督。宮本真希。富司純子。津川雅彦。南果歩。喜多嶋舞。
 昭和33年の売春防止法のころから、昭和が終わるころまでの京都の花街の物語。芸者置屋の下働きの娘・時子が舞妓・おもちゃになるまでの物語。
 新人の宮本真希ちゃんが本当に動いてよくやっている。藤純子さんじゃなかった富司純子さんんも色香は衰えたりというものの、いい味だしている。監督の絵も晴れやかさとしっとりとした部分がうまく描かれていていい。なんとも言えぬ余韻も残って伝わる。
 しかし。なんで今頃「舞妓さん」の物語なのか? 女は体制に抑圧されながらも、したたかに矜持を持って生きてきた。なにも怖いものはあらしまへん。だけど。そういう映画なのか。
 それとも西陣で見事な帯をつくる職人が娘を舞妓に出すほど生活苦にあえいでいる逆説。
 「貧乏だったから、金のために生きます」。
 そう時子に語らせることによって新藤兼人原作らしい社会派の姿勢は貫かれたというのか?
 どうもそこのところがわからない。
 物語を昭和の安保前の混乱期から末期に設定したとしても、そこからどうも普遍的な=情況的な課題が見えてこないのだ。若い娘達は今、時子たちの苦労と習練とは無縁のところにいる。
 その仕切線を超えるインパクトがなければ、彼女らにこの物語はどれほど響くか疑問だ。
 失礼な言い方だが、底辺のルンプロ労働者の階級的怒りも、制約に満ちた社会に対する女性解放の共感も組織できない<花街>の映画は結局じょうずに作られた風俗映画に止まってしまったように思われる。

10 「ビッグ・ヒット」
カーク・ウォン監督。マーク・ウォルバーグ。ルー・ダイヤモンド・フィリップス。チャイナ・チャウ。
 香港テイストのアクション・コメディ。ハードなアクションはあるが、結局は楽しいラブ・コメディになっている。
 ヒットマンは5年間に100人は始末するほど殺しは得意だが、なぜか女には弱い。なぜって、嫌われたくないから。みんなに。ん。何言ってるんだか。おかしい奴。
 おかげで女にまきあげられるので金はいつもなくて、ゲルピン状態。かなりの重労働が報われてないのだ。それから誘拐はちょっと苦手。
 大金狙った日本人のニシ電気社長の娘がチャイナ・チャウ。あまりグラマーでも美人でもないのだけど、なんかエッチぽいというかアブナイ。ストーリーはどうでもいいのかなあ。
 つまらないというかゲロゲロのギャグもわんさかだし。
 最後は主役の2人が恋に落ち、危険を乗り越え2人でグッバイだからなあ。
 まあ女も魅力的だし、男たちも個性的なのがこの映画を楽しくしている。

11 「ラッシュ・アワー」
ブレット・ラトナー監督。クリス・タッカー。ジャッキー・チェン。
 ジャッキーの映画は面白いのだけれど、どうしても動きすぎてバタクサかった。カンフー・スターではあるけれど、ブルース・リーみたいな単独者の迫力がなかった。
 で、本作では、おしゃべり男の黒人刑事・カーター(クリス・タッカー)と香港警察の刑事リーとしてコンビを組んだ。
 とにかくクリス・タッカーはうるさい。でしゃばりだ。ジャッキー以上に軽い。その結果、ジャッキーの演技がおさえられることになり、コンビは見事に成功した。プロレスでよくシングルでは今ひとつなのに、タッグを組むといい試合を見せる選手がいる。
 それだな。ジャッキーは今後、いい相手を探すともっといいかもしれない。
 中国領事の娘が誘拐され、2人がFBI幹部からのけものにされながら、ド派手なアクションでついに犯人を追いつめる。マイナーな2人がコンビを組むというのはよくある話。でも黒人と中国人というのが単なるはみ出し者の物語でない厚味とリアリティを出した。
 アメリカで見たわけじゃないが、黒人や中国人に大いに受けただろうと想像される。でも逆に言えば、黒人も中国人も本当の意味ではマイナーじゃなく、大きなマーケットになる多数派であることを今回の映画の成功は証明したのかもしれない。

12 「ルル・オン・ザ・ブリッジ」
ポール・オースター監督・脚本。ミラ・ソルヴィーノ。ハーヴェイ・カイテル。ヴァネッサ・レッドグレイヴ。
 ジャズ・サックス奏者イージー。彼がトイレで用をたしポートレートを見てから演奏に戻ったところ、一発の銃弾が彼の胸を打ち抜く。瀕死の彼は生きているのか死んでいるのか。存在しているのか、存在していないのか? そんな彼が女優を夢見るセリアと不思議な石が縁で恋に落ちる。
 石の力で夢が実現するセリア。その一方で、イージーの回りにはまさにパンドラの箱を開けたように不可解な事件が起きる。ダブリンの橋の上で石を捨てたルルは身を投げる。
 2人の恋が終わった時、瀕死だったイージーは救急車の中で息をひきとる。
 <石>が結んだ恋物語は一瞬の夢だった。
 人生は一刻の夢?
 あなたは本当に生きているの?
 恋しているの?
 すべては幻。
 この監督は夢見るニヒリストである。スリリングな世界にこそ私たちは生きている。
 最初はなんというつまらないオチだろうと思った。
 しかし、この夢見るニヒリストの紡いだ世界に僕は感動を覚えた。
 だまされたと思ってこの映画を見る。ポール・オースターはただ者ではない。

13 「メリーに首ったけ」
ボビー・ファレリー、ピーター・ファレリー監督。キャメロン・ディアス。ベン・スティラー。マット・ディロン。リー・エバンス。
 メリーがハイスクール時代から大好きだったテッド。でも卒業パーティーの日に、逸物をチャックにはさんでしまって哀れ恋はジ・エンド。それから13年。忘れられずにマイアミにメリーを探すことにしたが。
 食わせ物の私立探偵。体の不自由な建築家。蕁麻疹に悩むストーカー男。フットボール選手。次々と現れる「メリーに首ったけ」男たち。壮絶な足のひっぱりあい。そして、なんともドジばかりのテッドはどうする? とにかく明るく笑える。
 キャメロン・ディアス。顔はタイプじゃないが、性格と体はいいなあ。「おいおいそこまでやるか?」と言いたいところだが、まさにそこまでやってしまうところが凄い。ギブス犬も、ヘアークリームも。そりゃあ、もう、大笑い。
 まじめな教育ママ(本当にいるかなあ、そんな人)はぶっ倒れるな。アメリカ人はかわいい娘が好きなんだ。日本人もか。じゃあ、これはヒット確実。髪たてたキャメロンは最高ですな。

14 「狂わせたいの」
石橋義正監督・脚本・制作・撮影・照明・編集・美術・出演。その他。
 山本リンダの歌をバックに次々と繰り広げられるアナーキーなナンセンスなエピソード。
 ほこら女。電車女。タクシー女。居酒屋女。アブナイ女医。面会女。エロチシズムあふれる美意識。タイミングよく繰り出される70年代ポップスがばっちり決まっている。
 不条理ってほど上品じゃない。断片的なコントが不連続の連続で展開されていく。最後の牢獄生活と面会女の繰り返しはナンセンスの極でしょうか。
 カルトですが、歌謡映画、お笑いコント映画としても楽しめます。

15 「死国」
長崎俊一監督。夏川結衣。筒井道隆。栗山千明。大杉漣。根岸季衣。佐藤允。坂東真砂子原作。
 この世で、いちばん死に近い場所が四国=死国だとか。88カ所巡りのお遍路は実は黄泉の国と生の国を分かつ結界を作るものとか。しかし、仮に88カ所巡りを逆にたどったなら(逆打ち)、黄泉の国との境は開かれ死者は戻ってくる。四国の急峻な地形とお遍路を見ると、確かに怪しい。そんな雰囲気がうまく作品に生きている。
 怪奇映画は必ず恋愛映画(愛の亡霊たちの映画)である。この作品も、結局は三角関係の中で主人公を除く2人が「心中」して終わる。民俗的な風習と現代的気分がうまく組み合わさっているのがいい。物語的には破綻だらけだけれど、それでも一瞬一瞬の画面が迫力いっぱい。
 夏川結衣ちゃんも濡れ場頑張って結構でした。考えてみれば筒井道隆君にはおいしい役でしたねえ。まあ、いっか。「リング2」の併映作としては十分元が取れます。役を選ばない大杉漣さんはまたしても植物状態の人間役で見せてくれました。

16 「リング2」
中田秀夫監督。中谷美紀。佐藤仁美。深田恭子。松島菜々子。真田広之。柳ユーレイ。鈴木光司原作。
 恐怖シリーズ第2弾。面白いか面白くないかはともかくとして、中高生の学生さんで映画館はいっぱい。学校では「怖かった」「たいしたことない」などと話題になっているのだろうなあ、と推測します。私が見に行った日は超満員で、1本目の「死国」では立ち見を強いられました。ちょっと久しぶりの活気で、なんかパワーが会場に溢れていることに感動しました。
 物語は「リング」の登場人物がそのまま引き継がれます。しかし、主役は高山竜二(真田広之)と浅川玲子(松島菜々子)の息子・陽一と高山の助手・高野舞(中谷美紀)に変わります。
 陽一は貞子の怨霊の霊媒となって、怒りを帯びた超能力者なのです。
 相変わらず、神経に触る怖さがあります。昔、観念が物質に変わるというのは観念論の最たるものだと、哲学者の三浦つとむ先生が言っていましたが、これはそうした退行現象の典型。
 でも、そのチンケな作品がウケるのは、だれかが恐怖を求めているという風潮とすれば、このブームの根柢にある現在の病理こそを問わねばならないでしょう。

17 「CUBE」
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督。モーリス・ディーン・ウイント。ニコール・デボアー。デヴィット・ヒューレット。
 カナダ映画だそうな。しかも低予算。だから装置は立方体しか登場しない。
 ルービック・キューブのような立方体の中に閉じこめられた6人の男女。不条理といえば不条理なゲームの始まり。果たして脱出できるのか。知的なレベルの高い謎解きはまあ、どうでもいい。人間性が赤裸々に感情を含め露出するのが面白い。人間の業の深さが強烈に描かれている。
 当然ながら救いなど誰にも来やしない。

18 「ヴァンパイア 最期の聖戦」 
ジョン・カーペンター監督。ジェームズ・ウッズ。ダニエル・ボールドウイン。シェリル・リー。トーマス・イアン・グリフィス。
 伝説のヴァンパイアの魔鬼ヴァレック(グリフィス)と、始末人クロウ(ウッズ)の壮絶な闘い。ホラー映画のノリは全くなく、舞台を北米大陸に取ったこともあって完全にマカロニ・ウエスタン風のノリ。まったく西部劇だね。
 始末人クロウが完全に賞金稼ぎの迫力に対して、ヴァレックはバイセクシャルのロックシンガーの雰囲気。にもかかわらず残虐さはどちらも劣らず。信仰者がヴァンパイアとその加担者になるというところに、キリスト教信仰の振幅の大きさを感じさせる。

19 「たどんとちくわ」
椎名誠原作。市川準監督。役所広司。真田広之。根津甚八。田口トモロヲ。
 「たどん」という言葉にキレるタクシードライバーと、好物の「ちくわ」をめぐるトラブルからキレていく作家。日常性にはいくつもの落とし穴があいている。その落とし穴にはかならず誘因がある。その瞬間人間は別の世界に移っていく。<キレる>。結構、こわい。
 映画は真田広之さんがメチャクチャやります。カラフルです。あの当たりの演出はちょっと漫画的だよな。感動? ないな。アイデアのおもしろさ。それに尽きる。

20 「ニンゲン合格」
黒沢清監督。西島秀俊。役所広司。りりィ。菅田俊。大杉漣。
 評判作を創ってる監督だそうだが、今ひとつ、わからない。
 家族解体。10年を交通事故で記憶を失い過ごして復帰した青年。24歳の彼が見たものは両親の離婚。妹の出奔。見知らぬ中年男。落ちぶれた運転者だった。彼は自然体で家族を回復しようとするが、なせぬままに終わる。物語はそれだけ。
 芝居が一種のやる気なさを描こうとしているためか、異常にかったるい。しかも画面が暗く、重い。正直言って、もう少し空気の入ったニンゲンが出てきてもいいのではないだろうか。
 家族の解体はすでにくるべきところまできてしまった。他者もまた同じように関係の希薄な存在でしかない。夢か? 現実か? 紛れもなく青年は現実を生きているのだが。
 もう少し現実は起伏があるのではと思った。

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