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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

 シネマ・グラフィティ・ノート 1999年 その4  

65 「虹の岬」
奥村正彦監督。三国連太郎。原田美枝子。内野聖陽。中江有里。夏八木勲。すまけい。
 原作が辻井喬。西武セゾンのボスということで、なぜか朝日だの毎日だのの大新聞が内容のない論評を書かせている。困ったものだ。俵万智。岡井隆だったかな。
 映画は歌人で実業家だった川田順と人妻・森祥子の老いらくの恋物語。やたら住友住友とでてきて、三井三菱はくそみそなのは何故? まあ、いいや。
 客もあまり入っていない。なんで2人が恋愛関係になるのかわからない。下世話な印象のほうが正しい感じがするのは何故か。要するに軍国主義も戦後民主主義も芸の世界も、認識がみんな甘いのだ。オレは軍国主義をこのようにはバカにはしない。同じように戦後民主主義に、無内容な日本的美学を対置したりもしない。芸術を老いらくでやられては困るのだ。
 もっと根へ根へと下降して時代を捉えられていないのでは。

66 「愛する者よ、列車に乗れ」
パトリス・シェロー監督。ジャン・ルイ・トランティニャン。シャルル・ベルリング。ヴァンサン・ベレーズ。
 画家・ジャン・バチストの死が呼び起こす人間模様。パリ・オーステルリッツ駅からリモージュ墓地へ。巨大な存在が喪失された時に浮上する操り人形のような関係の連鎖。
 ムダな説明を省き、感情のうねりがぶつかりあって物語が進行する。同性愛あり、遺産相続あり、近親憎悪あり、嫉妬あり。むき出しの人間性だけを鷲掴みにした映画。
 いい映画なんだけれど、ちょっと疲れた。もう少し叙述的部分がないと厳しい。

67 「ライフ・イズ・ビューティフル」
ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演。ニコレッタ・ブラスキ。ジョルジオ・カンタリーニ。
 今年のアカデミー賞でロベルト・ベニーニが主演男優賞を獲得した。
 イタリアのユダヤ人グイドが「素敵なお姫さま」ドーラに恋をして結婚。子供にも恵まれるが、戦争に入る中でユダヤ人のため家族は収容所に送られる。だが、グイドはいつも想像力という希望を失わず、幼いジョズエを守り抜く。そして戦争が終わる最後の日に家族を残して殺されてしまうのだ。
 ユダヤ人の映画は正直いってしんどいし、バイアスがかかっているので、嫌いだ。だが、この作品はよくできている。ベニーニがまさにユーモアたっぷりに人生の意味を素晴らしさを語ってみせる。そこが普遍的に心を打つのだ。
 ハッピーエンドを予想したが、必ずしもそうはならなかったのも心にしみた。人生は美しく素晴らしいが、決してみんながそうならないのだから。ベニーニは言葉も演技も本当に抜群に光っている。

68 「ガッジョ・ディーロ」
トニー・ガトリフ監督・脚本・音楽。ロマン・デュリス。ローナ・ハートナー。イジドール・サーバン。
 幻の歌姫を求めてロマ=ジプシー民族の村にたどり着いたフランス人青年ステファン。彼は息子を警察に捉えられた老人イシドールからひょんなことから知り合う。村では「ガッジョ・ディーロ」(よそ者)の彼に奇異の目を向けるが、ロマの言葉を習いながら次第に村人たちと親しんでいく。そしてベルギー人と結婚している人妻サビーナと恋に落ちる。
 この映画のいいところは、青年がいわゆるバカたれ文化人類学者的な原住民の歴史やら音楽やらを記録・収集しているうちに、その虚しさに気づくことだ。
 もっともそれは悲劇的な事件の最後に辿りつくのだが、それでも彼が収集したテープを埋葬してロマの追悼の踊りをするシーン。あそこで、感激した。差別の根がとても深い。それをなんともしようがない歴史をヨーロッパは背負っている。だから自由だとか平等だとか、ことさらに叫ばなければならないのだ。それでも迫害されても陽気に音楽を奏でるロマたちに感動を覚えた。

69 「スタートレック 叛乱」
ジョナサン・フレイクス監督。パトリック・スチュアート。ジョナサン・フレイクス。ブレント・スパイナー。
 「ガッジョ・ディーロ」を最後に3週間の長きに渡って病獄に入った。体調を整えるリハビリ中とあって、とりあえず軽い作品からという選択だ。テレビドラマとして固定ファンをつかんでいるだけに、映画も極めて安定した面白さだ。
 物語はアンドロイドのデータの叛乱から始まって、叛乱に次ぐ叛乱の連続で最後に大団円でTO BE CONTINUED となる。
 科学技術を拒否した宇宙の民族というのが面白い。これが物質の影響を受けて長寿になった。それで長寿への欲望がきっかけに争いになるわけだが、背景には世代間闘争があったりして。固いことはともかく、楽な気持ちで見られる作品。

70 「恋に落ちたシェイクスピア」
ジョン・マッデン監督。ジョゼフ・ファインズ。グウィネス・パルトロウ。ジュディ・デンチ。
 この作品でグウィネス・パルトロウはアカデミー主演女優賞を獲得した。あたしゃ、どうもこのお嬢さんが今ひとつ好きじゃなかったのですが、女(ヴィオラ)としてはやっぱり好きになれませんでしたが、男役(トマス・ケント)としては結構良かった。本当に頑張って、いい味だしてましたからアカデミーは当然でしょう。
 物語はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」が出来るまでを恋物語として作り上げ、同時にロミジュリの原作に重ね合わさせた。台本が大変うまくできていて飽きさせませんし、本当に楽しめます。イギリスのエリザベス女王が結構笑える役で、狂言回しの片棒を担いでいるなんていいな。本当に小さな処までよくできています。
 でも本当の感動ってなかった。なぜだろう?

71 「RONIN」
ジョン・フランケンハイマー監督。ロバート・デ・ニーロ。ジャン・レノ。ナターシャ・マケルホーン。
 ジャン・レノとデ・ニーロ。うーん。男臭いぞ。
 案の定、物語も日本の江戸時代の「四十七士」の「浪人」の意地がモチーフ。はみ出したプロの男たちの「稼業」への固執がだんだん深みへとはまっていく。
 おもしろいか、というとそれほどでもない。この監督は面白さよりも自分のテーゼに生きているんだな、きっと。はまらなければ、つまらないな。あたし? 今ひとつでした。
 ジャン・レノにはもう少しニヒルになってもらいたかったのだな。

72 「ワンダフルライフ」
是枝裕和監督。ARTA。小田エリカ。寺島進。内藤剛志。谷啓。由利徹。香川京子。白川和子。
 人間は死んだら天国に行く前に猶予の時間を与えられる。その間に人生の中で一番の思い出を選び、旅立つことができる。その手助けをするのが、実は一番の思い出を選ぶことが、できなかった「浮遊霊」たちだ。そうして22人の半死者たちの思いで探しが始まる。だが、人は人生でそれが一番楽しかった、などという時間を簡単に決めることなどできるだろうか?
 2時間弱のこの映画はいささか鈍い。たぶんおもしろいのだが、少しだれてくるのだ。そこが物足りなかったが、見終わって自分の一番の時間は何だったのか考えさせられた。
 いろいろな出演者がいて楽しい。特に由利徹さんの痛々しい姿も印象的だった。それでいて女の話を地でしているのがいい。オレは無神論者だから、死ねば死にきり。
 そう言ってしまうと、身も蓋もないか。

73 「菊次郎の夏」
北野武監督。ビートたけし。関口雄介。岸本加世子。吉行和子。細川ふみえ。麿赤児。グレート義太夫。井手らっきょ。
 「HANA−BI」に続く北野武監督作品。物語は夏休みに母親を探す少年と一緒に旅をする大人の少年の物語。「HANA−BI」で生と死を考えたたけしが、今度は自分の心の原郷を探そうとしている。
 たけしは僕たちが馬鹿にしがちな日本をまじめに映し出している。たとえば混沌とした門前町・浅草。下町然とした家並み。競輪場。お祭り。天狗。入れ墨。それが多分、欧米で評価される理由かもしれない。たけしの演技は例によってぎこちなく、ぶっきらぼうに近い。少年との2人旅もなんかしっくり来ない。
 最初は日本の点描のようにぽつりぽつり物語は進む。しかし、目的地の豊橋に近づくころから急にいきいきしてくる。たけし軍団が加わり、川辺でキャンプに興じる時には「少年たち」が本当に時間を忘れて輝き出すのだ。
 テーマは母離れかもしれないが、本当は少年の日々への先祖帰りの気持ちかもしれない。だから、母は捨てられないし、むしろ母へと回帰していく。その先に見ているのはたぶん「死」だ。
 たけしは「HANA−BI」と変わっていないのかもしれない。

74 「ソルジャー」
ポール・アンダーソン監督。カート・ラッセル。ジェイソン・スコット・リー。
 「ブレードランナー」のスタッフが結集した最強のSF大作というのがウリ。なんともにぎやかな戦闘映画だ。
 兵士たちは感情を捨て、殺人マシンと育て上げられる。だが、遺伝子操作から新しい世代の兵士たちが誕生して、古い兵士のトッドは廃棄物星に捨てられるのだ。そこで、質素に暮らす人々と触れ合い、人間的感情に目覚める。無慈悲な新兵士軍団との戦い。
 勝利はいずこに? と言っても、主役が勝ってしまうのは当然か。
 おもしろいけど、途中から荒削りになってしまった。もう少し膨らませたと思うのだけど。

75 「鉄道員(ぽっぽや)」
降旗康男監督。高倉健。大竹しのぶ。広末涼子。小林稔侍。田中好子。志村けん。吉岡秀隆。
 浅田次郎のベストセラー小説の映画化。鉄道一筋に生きてきた男・佐藤乙松を見舞った幸せの幻と死。浅田の小説は要するに怪談話である。怪談話とは愛の欠けたことが引き起こす人情話である。
 物語は広末が出てくる当たりから結構泣ける。男の生き様それは潔いが時代遅れで、家族から見れば身勝手である。その男の悔いがひととき幻を見させるのである。ちょうど男の死を待っているように。これって「ルル・オン・ザ・ブリッジ」だな。
 高倉健は衰えたりといえどいい味を出している。その高倉を元舎弟の小林稔侍が一生懸命支えているのが涙ぐましい。映画の中で江利チエミのヒット曲の「テネシーワルツ」が流れるのも泣ける。その意味で、これは高倉健の映画以外の何物でもない。
 しかし、映画界の零落を示すようにスポンサーがどんどん顔を出すのはテレビのタイアップドラマ然として、これも泣けるというより情けない。JRはともかく某リゾートの名前の連呼。そして夕刊を配っているかどうか怪しいA新聞。こんなにスポンサーのPRをしてどうするんだ。

76 「8mm」
ジョエル・シューマカー監督。ニコラス・ケイジ。ホアキン・フェニックス。ジェームズ・ガンドルフィーニ。キャサリン・キーナー。
 さて、困った映画である。ニコラス・ケイジが私立探偵になって少女を殺すスナッフ・フィルムの謎を追う。こわーい。ってのがテレビのCMだったが、この作品は怖くない。
 しかもネタが見事に時系列で進行して、犯人も依頼者にも全くひねりがない。
 なんでこういう映画を作ったのか、不思議なのだ。
 結局、普通の人も危ないよ。家族は大切にしなきゃ。ってのがメッセージか?アメリカの壊れ方を描くには迫力不足でなかろうか。と感じた。

77 「ヴァイラス」
ジョン・ブルーノ監督。ジェイミー・リー・カーティス。ウィリアム・ボールドウィン。ドナルド・サザーランド。
 ソ連の宇宙衛星「ミール」を謎の電気星雲?が襲い海上で観測していた船もともに被害を受けてしまう。そこからスタートして電磁波が知的生命体であったなら、どうなるか、という物語。
 当然、電気大好きなオタクだからロボットを作りコンピュータを操ってしまう。おまけに電気人間まで作ってしまったら。そりゃ大騒ぎさ。台風に追われて偶然、この観測船を発見した貨物船クルーの運命は。
 なんか前に「グリード」だったかな。めちゃくちゃな映画でしたが、それを思い出しました。
 怖い。でも途中で慣れてしまう。なんというか映画を作っているほうもメカ・オタクだから、物語よりもセットに凝ってしまうんだな。
 「ヴァイラス」とはいうまでもなく、ウィルスのことだ。それは電磁波生命体じゃなくて、実は、そう人間だってのが、まあこの映画の裏の怖さか。適当に短いので、一気に見られて気持ちよく排尿できるのが快感である。

78 「ラストサマー2」
ダニー・キャノン監督。ジェニファー・ラヴ・ヒューイット。ブランディ。フレディ・プリンズJr。メキー・ファイファー。
 さて、かの「ラストサマー」。結構面白かった。
 I STILL KNOW WHAT YOU DID LAST SUMMER なんていっちゃって、結局、陳腐なんだけど悪夢は最後まで続いたので、当然、パート2ありと思っていたら、やっぱり。生き残ったジェニファーら2人がさてどうなるか。
 案の定、殺してしまったはずの人物が生きていてまた復讐を始めてしまう。次から次と。これじゃ、無関係な人まで狙っているから困ります。犯人はまあ見当がつくよね。
 怖い? 結構こわい。怖いぞ、と思わせて怖くするのだが、結構体調が悪いと来ます。
 ジェニファーちゃんがいろいろ見せてくれるのだが、ちょっと物足りない。それにアメリカの学生さんの脳天気ぶりには疲れるな。ラジオに興奮して、間違った答えで遊んじゃって。まあ、罰が当たって当然だわなって。か。

79 「ペイバック」
ブライアン・ヘルゲランド監督。メル・ギブソン。グレッグ・ヘンリー。マリア・ベロ。デボラ・カラ・アンガー。
 最終兵器シリーズを見ていて、マッドマックスおじさんも老いたなあ、と心配してました。でも今回はとりあえずハードボイルドだぞ、ってノリでがんばってました。ちょっと顔色が悪いのが心配でしたが。アウトローを生きる男がダチ公と女房に裏切られて殺されかかっては世間が許しても、男の背中が許しません。
 ごめんなすって、きっちりとおとしまえつけてもらいます。男は奪われた金を返していただくべくドスじゃなかったマグナムを手にリベンジのペイバック闘争に突入します。ハードボイルドなノリで途中までクール。でもチャイナマフィアがからみ、不良警官が辛み始めてから、なんかイケイケドンドンになってしまうんだなあ。そこがちょっとおしゃれじゃない。でもその分見せ場もいっぱい。結構です。

80 「ブレイド」
スティーヴン・ノリントン監督。ウェズリー・スナイプス。スティーヴン・ドーフ。クリス・クリストファーソン。
 いやあ。面白い。設定にしても映像にしてお最高ですな。まあ、ヴァンパイア物語なんですけど。ブレイドはヴァンパイアの血を受けているののですが、昼間でも平気です。自分を不幸に陥れたヴァンパイアと闘う男です。対するヴァンパイアのフロストも人間上がりの外道ヴァンパイア。その2人の対照的なライバルの人物もうまく描かれています。
 結局、はぐれものの2人の内ゲバってことになります。これはなかなかに来ますね。こういうシチュエーションはだんだん切なくなります。ブレイドは吸血鬼になった母親を殺して決戦へと進むわけ。でも愛はあるんだな。そこがわかる。
 アメコミが原作らしいけれど、ところどころに日本の武士道テイストみたいのが出てくるの。ちょっと不思議な感じがしますが。本当にSFXが良くできていて楽しい映画でもあります。

81 「タンゴ」
カルロス・サウラ監督。ミゲル・アンヘル・ソラ。セシリア・ナロバ。ミア・マエストロ。カルロス・リバローラ。
 実はワシはタンゴ・ファンである。タンゴは凄いというか、なんかいいぞ、とずっと思ってきた。官能的であること。それでいて、どこかでポリティカルであること。この映画を見て、その深さがよくわかった。
 タンゴにはアルゼンチン人の血が流れていると同時に多数の血がその前に流されているのだ。傷を負った映画監督マリオが「タンゴ」という舞台をつくりあげていく過程と、彼の過去を忘れることができない苦悩、若い女性ダンサーとの恋愛が同時進行していく。
 軍事政権による民衆圧殺。これをヨーロッパ亡命でやりすごしたマリオの悔い。戻った彼の目の前に残されていたのは、友人たちの骸であった。スポンサーに媚びず自分のコンセプトを貫くマリオ。そしてパトロンがマフィア事業家と知りつつ若いダンサーと恋に落ちる。男だねえ。
 凄いのはやっぱりタンゴの音楽と踊りだな。男と女が一歩も引かずに向き合い踊る真剣勝負は感動的だ。中途半端な恋は甘い。そう思うね。日本人は何やってんのか? まあ、幸せなほうがいいか? 子供を抱え新大陸に渡ってきた移民群衆のダンスの迫力。女と男と女のトリオの火花ちらすダンス。シルバーエイジの巨匠と若い女性との絶妙の絡み。
 とにかくミュージカルっちゅうのか歌謡映画っちゅうのか。きっちりと生きないと世界に笑われると知るべし。

82 「奇蹟の輝き」
ヴィンセント・ウォード監督。ロビン・ウィリアムズ。アナベラ・シオラ。キューバ・グッディングJr。マックス・フォン・シドー。
 ロビン・ウィリアムズは若い役がすきだなあ。「パッチ・アダムス」でも医学生なんかやっていたが、冒頭の恋に落ちる姿はなんか好きじゃないぞ。
 死んだら人は天国か地獄に行くらしい。本当にこりゃキリスト教もオウムだなあ。
 死ねば死にきり。それでいいのに。自分のイメージで天国は作られるらしく、ここで死んだロビン・ウィリアムスは妻の油絵の中にいる。
 この映画のみどころはその色使いだ。ともかく、極楽鳥の世界というのかカラフルなのだ。一方、地獄はすさんでいるけど。死んでまで夫は妻に愛しているよと言わなければならない。
 この映画のテーマは家族愛だけど。天国が胡散臭いように愛も胡散臭い。そこまで言わなければ愛が信じられないアメリカの病理がきつい。

83 「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」
スティーブン・ソマズ監督。ブレンダン・フレイザー。レイチェル・ワイズ。ジョン・ハナ。アーノルド・ボスルー。ジョナサン・ハイド。
 原題は「THE MUMMY」か。要するにミイラ男だな。
 「ハムナプトラ」はまさに幻の都。呪いを秘めた死者の都でもある。例によって墓に埋められた秘宝(古代遺跡を含む)に魅せられた欧米人がハムナプトラに行き、呪いの封印を解いてしまう。さあ、邪悪な呪術師イムホテップがミイラから蘇り悪をなす。壮絶な闘いが始まる。
 「インディー・ジョーンズ」から10年って宣伝でいうけど、確かにSFX技術が進んだのは解るが、映画としては「インディー」のほうがはるかにいいね。
 このミイラ男は仕掛けが大きい割には話がせこくて。それにまさに差別的なシーンがいっぱいで。まあ、1920年代だとすれば帝国主義が差別的なのは当然だけど。
 狂言回しの男がミイラ男に助けを乞う。どの宗教もだめだが、ダビデの星を見せたところで「奴隷」の言葉を使うなら助けてやるってのは。へえーだな。

84 「永遠と一日」
テオ・アンゲロプロス監督。ブルーノ・ガンツ。イザベル・ルノー。アキレアス・スケヴィス。
 カンヌ映画祭のグランプリ作品。不治の病に冒された老詩人アレクサンドレの最後の一日。
 愛に満ちた妻との過去を振り返り、未来を探そうとするアルバニア難民の少年と今を生きる。老詩人は言葉を買った19世紀の詩人を思い出しながら問う。
 「明日の時の長さは」
 答えは? 「永遠と一日」。そう妻アンナが答える。永遠は現在・過去・未来、常にうつろわぬもの。一日とは生きてある今。そういう意味だろうか。
 この映画のテーマは愛である。本当は「愛」の不在である。だから永遠には一日足りないのである。だから老詩人は明日をではなく今日を生きる。不思議な映画である。
 これが優れた作品であるかどうかは不思議だけれど。

85 「グッバイ・モロッコ」
ギリーズ・マッキノン監督。ケイト・ウィンスレット。サイード・タグマウイ。ベラ・リザ。キャリー・ムーラン。
 1970年代は何を残したのか。オレはどうも自信がない。特にこのところ見聞する全共闘世代の生き様の情けなさにため息がでる。それでもオレは世代的部分を擁護するのだが。
 「HIDEOUS KINKY」という迷路という言葉遊びの原題を持つエスター・フロイトの作品を映画化した本作。2人の子持ちのイギリス女がモロッコのマラケシュにやってきてイスラム原理主義に惹かれている。周りにはモロッコの民衆もいるが、一通りドロップアウトしたヒッピーやらなにやらが居る。地元の青年と恋してでも結局、エグザイルリターンだもんな。
 何やってんだ。
 72年オレは20歳だった。女は25歳なんだ。全く。西欧からアジア、アフリカへの逃避は本当にくだらない。西欧的な生活がいやだからと結局はインチキ臭い神秘主義に落ちていく。おい。それはオウム真理教と同じパターンじゃないか。オレはこうした後遺症をまだたくさん抱えている世代だ。なんてこった。
 バカ女の目を覚ますのは2人の娘だ。これもいやだ。子供が子供らしくないのだ。天真爛漫なようで説教臭いのだ。啓蒙主義が妙なところで顔を出している。地元の青年の犠牲で帰るイギリスってなんだ。毛沢東なら彼らの甘えを許さなかったな。徹底的に下放にすべきだ。
 この澱のような不快感が世代的なものだろうか。

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