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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

 シネマ・グラフィティ・ノート 1999年 その7  

111 「家族シネマ」 
パク・チョルス監督。柳愛里。梁石日。伊佐山ひろ子。
 原作は柳美里の芥川賞受賞小説。家族が解体している在日朝鮮人の一家を通じて、自分たちのアイデンティティーを探そうとする姿と困難をドキュメンタリータッチで描く。韓国人スタッフによる日本語映画である。
 柳愛里も伊佐山ひろ子も梁石日も、個性的でエゴむき出し状態になった家族を好演している。だが、結局、この映画が何に迫ろうとしたのか、よくわからない。在日の相克の部分もうまく伝わらないし。普遍的部分もよく見えない。ある種の不幸を伝えてはいるが、だからこそ映画に文学で表現した以上の何かがあるか疑わしい。

112 「あの、夏の日」
大林宣彦監督。小林桂樹。厚木拓郎。勝野雅奈恵。菅井きん。松田美由紀。
 ボケタ少年とボケかかった祖父との夏の日の冒険物語。老人の心の中に残っていたしこりを2人で解いていく。
 大林作品は決してきらいじゃないが、時々むかつく。あふれるナルシシズム、センチメンタリズム、ノスタルジーそして幼児性。どれも過剰だ。たぶんオレもナルシシストだから、それは近親憎悪に近いのだが。
 尾道は相変わらず美しい。物語もよくできている。だが、ねっとりした叙情がいやだ。そして、文明のしっぽだの文化の頭だの、目一杯の能書きを押しつけられたら尾道も迷惑だろう。そうは思わないか。少し油取りをして、カロリーを減らしたらどうだろうか。無理とは思うけど。

113 「アイズ・ワイド・シャット」
スタンリー・キューブリック監督。トム・クルーズ。ニコール・キッドマン。
 「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリック監督の遺作。トム・クルーズとニコール・キッドマンのセックス・シーンが前評判になり18歳以上の年齢制限も課された。
 まあ、エマニュエル夫人じゃないが、それなりの期待からかキューブリック・マニアの男どもに混じって女性客も入っている。でも、セックスシーンはそれほどでもないし、陰毛こそ見えたりするが乱交パーティーとてあまり参考にはならない。
 なにしろテーマは愛なのだ。男と女の性行動の議論から始まって男の心の中に幻想が肥大化していく精神分析映画といってよい。なぞの秘密パーティーにしろ売春婦との出会い、早熟の少女にしろ主人公の男性医師の幻想の産物以外のものではない。性幻想には「死」がつきものなのは当然か。
 さて映画の出来はどうか、なんてワシが言っていいのかな。まあ、怖いものなしだから、言ってしまうと。性衝動を分析した映画としてはダメでしょう。なにしろ、トム・クルーズが美男すぎて、いかにも簡単にモテてしまいそう。これじゃ、男の悶えが伝わって来ない。ゲイのホテルマンの方がワンシーンだけど、いい味出していたし。ニコール・キッドマンをせめて不倫妻にしてくれなくちゃ、なあ。
 嫉妬や倒錯も今の時代じゃ、現実味がないのよ。などと巨匠を惜しみつつモヤモヤが残ったのでした。

114「ピカチュウたんけんたい」
湯山邦彦監督。ナレーター・さとう珠緒。
 ピカチュウがトゲピーを探して野生のポケモンのいる地底国へ。そこで仲間と力を合わせて嵐と立ち向かう。友情の大切さを教える作品。

*115 「幻のポケモン ルギア爆誕」
湯山邦彦監督。
 さとしたちの一行が冒険をしているとき。ポケモン・トレーナーならぬポケモン・コレクターが火と雷と氷の神のポケモンを収集しようとした。このため地球のバランスは崩れ、それを救うため幻のポケモン・ルギアが海底深くから誕生することとなった。しかし、それはコレクターの思うつぼであり、3大ポケモンたちとルギアの争いは深刻な事態を迎えていた。
 どうすればいいのか。伝承は言う。「優れた操り人この世界を救う」。すなわち、われらがピカチュウコンビ出番です。
 テーマは「共生」です。みんなお互いを認めあって生きていこう。です。そのバランスを崩したら、世の中おしまいよ、ってわけです。それはいいのですが、表現がなんとも単調で盛り上がりません。
 残念です。去年は自らの存在の意味を問い返して優れたレベルを示したのに。今ひとつですから、動員力はやや落ちているのではないでしょうか。それにしてもポケットモンスターって、冷静に考えると「異形のもの」の世界ですね。みんなフリークですよね。
 共生ってのはわかりやすいというより切実なテーマなんですね。

116 「プリンス・オブ・エジプト」
ブレンダ・チャップマンほか監督。
 ご存じ「エクソダス」のアニメ化。モーゼが海を割ってヘブライ人をエジプトから脱出させる物語である。
 ドリームワークスが「十戒」に挑戦したわけだが、そこのところの宗教臭さがなくなってしまった。で、エンターテインメントだ。しかし、宗教臭いほど分かり易いが、この曖昧な選民思想、悩めるモーゼが今ひとつよろしくない。
 オレはこの選民思想がナチズムと同じくらい大嫌いだ。だってよ、自分の民を救うためにはエジプトなんてどうなってもいい。赤ん坊は皆殺しだよ、っていう過ぎ越す神なんてオレは許さない。これを思想として曖昧化した「プリンス・オブ・エジプト」なんてインチキだ。
 その一点でオレは乗れなかった。

117 「バッファロー’66」  
ビンセント・ギャロ監督・脚本・音楽・主演。クリスティーナ・リッチ。アンジェリカ・ヒューストン。ベン・ギャザラ。
 ビリーは身代わりとなって入っていた刑務所を出ると古里バッファローに向かった。途中で見栄をはり、自分は政府機関の人間で若妻を連れてホテルにいると言ってしまった。そこで急遽、若妻としてレイラを脅迫、一緒の旅が始まった。ついていない男の幸せ物語だな。
 この映画で面白かったのは、ビリーのトイレ癖である。いやあ、なぜか急に催してしまい、トイレを探し回ることは私もよくある。しかも、やっと見つけた時に限って故障していたり、肝心のものがでなかったりするのだ。トイレとバスのシーンがいっぱい出てくるが、とても印象的だった。
 ビリーは家庭的に恵まれていない。母親は子供よりもアメラグが大事。父親は冷たい。ずっと思い続けている彼女はあばずれときている。彼は愛に飢えているのだ。そこに無垢なほどにやさしいレイラが登場するのだから。うーんだ。
 でも、彼は私と同じく純愛に生きているから。すぐ寝る男じゃないところがいい。愛に飢えているけど、でもよくみると周りはみんないいひとばかり。そういうふうに描いたところがいい。
 そして、夜の道を歩く赤いブーツ。カッコイイのだ。
 ラストシーン。甘い? でもいい。若者映画なんだぜ。

118 「フラミンゴの季節」
シーロ・カペラッリ監督。ダニエル・クスニエスカ。アンヘラ・モリーナ。ルイサ・カルクーミ。
 南米パタゴニア地方の小さな村にフラミンゴの飛来する季節がやってきた。橋を架け、船を渡す工事のために測量技師もやってきた。すると、静かな村の人々が動き出した。一儲けしようとする金持ち連中。村から脱出しようするゲイの男。誰とでも寝ると噂されている美しい洋品店の女。父親を殺されたらしいインディオの女。
 先行き不透明の混乱の季節。だが、そうした騒ぎもひとつの地震が計画を予算不足で吹っ飛ばしてしまう。フラミンゴが帰るように、技師は帰っていく。
 インディオの女性がいい。ルイサ・カルクーミは少数民族の権利のために闘っている女優、詩人、歌手だという。日曜のミサに訴えていく場面、行方不明になった父を弔うため、シャツをナイフで切り裂く場面。印象的だ。
 登場人物がみな個性的で、見事に性格典型を描いているのは監督の力量か。パタゴニアの大地への愛憎が伝わる佳作である。

119 「スモーク・シグナルズ」
クリス・エア監督。アダム・ビーチ。エバン・アダムス。イレーヌ・ベダード。ゲイリー・ファーマー。
 インディアン居留地で1976年の米国独立記念日に火事があった。その時、奇跡的に助かったのが「トーマス」であり、もう一人の「ビクター」だ。22歳になった2人は行方不明になっていたビクターの父親の死を知らされ、居留地を出てアリゾナまで、旅に出る。
 映画はいわゆるロードムービー風だ。彼らは新しい発見をすると同時に、私たちに新しい事実を教えてくれる。テーマは不幸な事件を心の傷とした父親が妻子を捨てて出奔する。その父と子が和解できるかどうかである。
 火事で奇跡的に助かったトーマス役のエバン・アダムスがいい。彼のうるさいほどの語り部ぶりは、文字を持たなかった民族の個性を感じさせる。監督はネイティブ・アメリカンの人だという。インディアンの姿をこれほどに淡々と、しかしポイントを押さえて描いたのは見事である。

120 「ハイ・アート」
リサ・チョロデンコ監督。ラダ・ミッチェル。アリ・シーディ。パトリシア・クラークソン。アン・ドゥオン。
 ニューヨークのフォトマガジン誌の編集アシスタントをしているシド。ひょんなことからカメラを捨てた写真家ルーシーに出ある出会う。ルーシーを雑誌に使ってもらうという企画が認められたときから、物語は動き出した。同性愛の世界に入り込む2人。
 ルーシーの写真手法とは愛するシドをプライベートフォトとして撮影することだった。そしてその作品は遺作としてシドに残されるのだった。
 ニューヨークのアートビジネスの世界が描かれヘロイン漬けの実態も浮かび上がる。
 ルーシーの愛の写真はなかなかいいが、結局それだけだな。
 レズビアンの世界にも興味がないし。孤独は伝わってくるけれど。
 女性監督の意気込みは分かるけど、もっと芸術と人生って違う描き方もあるんじゃない。ハイアートよりローライフのわしとしては。そう思う。

121 「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」
ガイ・リッチー監督。ジャイソン・フレミング。デクスター・フレッチャー。ニック・モーラン。ジャイソン・ステイサム。
 イギリス発のクライム・ムービー。「ロック、ストック&バレル」は「全て」の意味とか、「トゥー・スモーキング・バレルズ」で「2丁の銃口からの煙」。<さあ2丁の銃口から煙がばっちり出るぜって>、なところでしょうか。
 とにかく面白い。英語はよくわからないが、ノリが抜群にいい。そして音楽、映像、ストーリーそして役者たちのどれもキュートだ。久々にビンビン来る傑作だな。
 物語は一攫千金を狙った4人の若者たちが、逆にギャングに騙されて大金を借金するはめに。そこで、一発逆転の大作戦に打ってでるのだが、そこは蛇の道は蛇。次から次と、食えない奴らが登場する。4人組ピンチ!しかし、風が吹けば桶屋が儲かる。互い違いに歯車が見事にからまってメデタシメデタシ、たぶん。
 そりゃ世の中甘くはないけど、キツイやつらが必死でもがいているうちに転がる石のように物語はおもしろいように走り出す。
 キャラクターのどれもいい。4人組もアウトローの割には小綺麗でカッコイイ。でも律儀な子連れ取り立て屋が一番か。なんだかんだ失業しちゃったなんていいながら、キンピカのスポーツカーでこれからは金貸し業だなんて。でも、クラシックガンのカタログを返すなんてえらい。
 そして最後のドタバタ大団円。いけるね。こんなパンクな傑作を見られるなんて幸せですね。

122 「パラサイト」
ロバート・ロドリゲス監督。ジョシュ・ハートネット。ジャヨーダナ・ブリュスター。イライジャ・ウッド。アッシャー・レイモンド。
 脚本は「スクリーム」のケビン・ウィリアムソンとか。学園に寄生生物がやってきて、次々と人類を支配していく。その秘密に気づいた若者たちが立ち上がったが・・・。
 こりゃ、エイリアンとスクリームですね。結局。水の好きなこのパラサイトは今ひとつ凶悪さが不足しているし。寄生されると悩みもなく幸せになれるし。そこがダメだな。だから、邪悪な人間にはかなわない。特に脱水作用のある麻薬(コカイン)が苦手ってのはいかがなものか。そんなことでいいの?
 でもわたしにゃ分かりました。こりゃ、いい子ちゃんに対する批判ですね。この時代、麻薬の一発もやれない奴はエイリアンだって。そう見ると、アメリカの病み方がわかって笑えます。

123 「恋は嵐のように」
ブロンウェン・ヒューズ監督。サンドラ・ブロック。ベン・アフレック。モーラ・タイニー。
 ベンは本の帯のコピーライター。ニューヨークからサバナへ結婚のための飛行機に乗ったときかときから不幸が始まる。サラというトンデいるが、魅力的な女性と出会ってしまった。
 すると。飛行機は事故を起こすし、同乗したレンタカーの男は麻薬犯罪者。不動産ツアーに加わったもののニセカップルであることがばれる。金をかせごうとすると、ストリップをさせられる羽目に。花嫁の親からは嫌われ、新たな恋敵も現れる。
 揺れる男心。さて、恋のゆくえは?結婚前は男も不安らしい。マリッジブルー?いやあ、独身という特権の喪失が決定的か。
 でもなあ。映画とはいえ、ベンはなんとも主体性がない。ストーリーにもひねりがないけど。とにかくこれでは結婚は牢獄だ、というのは格言どおりか。目の前の女に振り回されていいなりになっていいのか。ダメ男の至福ってかあ。まあ、それも楽でいけど。
 映画の登場人物が結婚に懐疑的なのがいい。私も言っておきたい。「結婚して幸せになると錯覚するくらいなら、不幸でも純愛をしたほうがいい」。

124 「クンドゥン」
マーティン・スコセッシ監督。メリッサ・マシスン脚本。フィリップ・グラス音楽。テンジン・トゥタブ・ツァロン。ギュルメ・テトン。
 クンドゥンとは法王猊下の意味だとか。ダライ・ラマ14世を題材に描く歴史人間ドラマの大作。それにしても、アメリカはチベットが好きなようだ。あの「セブン・イヤーズ・イン・チベット」を持ち出すまでもなく。人権と反中国、そして密教を伝えた人類文化の高地への一種の侮蔑と畏敬とが混ぜ合わさっている。で、ダライ・ラマだ。
 監督はチベットと人間ダライ・ラマを描いたつもりのようだが、当然ながらワシはブッディストではあるが、いかがわしく思ってみた。やはり選ばれた人間の尊大さは、どう見てもアジア的未開性以外のものではない。僧侶が支配する社会は法が支配する社会に変わるのは必然であり、この後は私見であるが、法が支配する社会は最終的に高度な道徳の支配する社会にいくだろう。
 ダライ・ラマを運命の人にする一方で、中国共産党や毛沢東の描き方が偏向している。ワシは新左翼時代から反毛沢東派であるが、映画は些細なレベルで矮小化している、と思う。宗教的国家の重苦しさが最後まで残った。ワシには正直退屈な「米国製人権映画」でしかなかった。

125 「Uボート ディレクターズカット」
ウォルフガング・ペーターゼン監督。ユルゲン・プロホノフ。ヘルベルト・グレーネマイヤー。クラウス・ヴェンネマン。
 1981年、西ドイツ映画。原題は「DAS BOOT」。今や「エアフォース・ワン」でしられるペーターゼン監督の出世作を自ら再編集、1997年に上映時間3時間半の巨編に仕立て直した。時は1941年。フランス基地から出港した潜水艦。第2次世界大戦で勇名をはせたUボートの姿を通じ、戦争と人間を描く。ちなみに4万人のUボート兵士のうち3万人が戻らなかったという。
 海の底に潜み、敵艦を見つけ攻撃をする。その気分は?「暗く、静か」だ。映画はひたすら潜水艦の内部と乗組員の姿を追う。意外なほどに戦闘シーンは少ない。同時に葛藤も少ない。あるのは運命だけだ。運命に生き死ぬものたち。カメラはそれを非常なほどに粘り強く映し出す。
 いささか長く、盛り上がりもない。強いて言えば臨場感というより一緒に潜水艦の中にいるような息苦しさを覚えたのだ。

126 「ウィズ・ユー」
ティモン・ハットン監督。エヴァン・レイチェル・ウッド。メアリー・スチュアート・マスターソン。ケヴィン・ベイコン。
 原題は「DIGGING TO CHINA」。地球の裏側・中国まで穴を掘ってしまいそうな少女の物語。
 モーテルを経営する家庭で暮らす少女と知的障害のある青年の出会い。少女はUFOを信じ、穴を掘り、ウサギの巣に入ってしまう変わった子供だ。彼女はだから、知的障害がある青年を特別視することなく受け入れる。青年も少女とふれあううちに、生きている楽しさを知る。しかし、別れの日はついに来る。
 物語はさほど感動的でない。障害者とのふれあいを描いた映画はもっといいものがたくさんある。少女がちょっと大人過ぎるのが不満だ。でもいいのだ。どこがといえば色彩なのだ。
 監督はひとつひとつの色にこだわっているように見える。モーテル、遊園地、学校、風船。一番はファッションだ。少女の衣装がいい。なんでこんなに可愛いのだろう、というくらいオシャレだ。そしてそれをナチュラルに着ているのが新鮮だ。

127 「エントラップメント」
ジョン・アミエル監督。ショーン・コネリー。キャサリン・ジータ・ジョーンズ。ヴィング・レイムズ。ウィル・パットン。
 天才的な泥棒の男と女。訳あって、コンビを組み大きなヤマに挑むことに。だが、女には保険会社がバックに。男には怪しげな宅配屋がくっついている。仕組まれた罠。騙されているのは誰だ、ってなところ。
 娯楽大作のノリだが、正直面白くない。中国の秘宝マスク奪取もクアラルンプールの銀行襲撃も。なんか盛り上がらない。予告編で見せたキャサリンの体くねくねシーンも今ひとつだなあ。あれって、男が女を調教する悦楽の表現だな。
 60の男でも頑張れば、いい女にモテるよ。そう見れば、熟年おじさんには、うれしい話だ。でもショーン・コネリーになれるか?うーん、無理だね。
 やっぱ、オモロクナイ映画なのだ。まあ、クアラルンプールでは世界一のツインビルを見物できるぞってのがメッセージか。

128 「輝きの海」
ビーバン・キドロン監督。レイチェル・ワイズ。ヴァンサン・ペレーズ。イアン・マッケラン。キャシー・ベイツ。
 原題は「SWEPT FROM THE SEA」。海から流されてきたものというような意味だろうか。イングランド・コーンウォール地方を舞台にした純愛物語。
 エイミーは複雑な家庭の事情で親からも愛されていない。そんな彼女の威厳と美しさを見抜いたのが難破船でただ一人生き残ったヤンコだった。だが、彼も閉鎖的な村社会の異形の者として疎外されている。わずかな人々の支えで2人は家庭を持ち子供にも恵まれた。しかし、まもなく肺炎のためヤンコは倒れ、エイミーは彼を肝心の時に見放してしまう。
 レイチェル・ワイズがいい。「アイ・ウォント・ユー」「ハムナプトラ」とそれぞれ良かったが、この役は特に良い。孤独と美しさと意志の強さ、そしてある種の狂気を見事に演じている。そして、イアン・マッケラン。「ゴールデンボーイ」では困ったナチスおやじだったが、倫理的な医師を好演している。ヤンコとの関係もちょっとホモセクシャルな感じを匂わせているし。キャシー・ベイツも、人生の陰影をよく表現している。これらの人物ががっちり絡みあっているだけに、この映画は人間の生きる意味を鮮明に描き出している。

129 「ファミリー・ゲーム 双子の天使」
ナンシー・マイヤーズ監督。デニス・クエイド。ナターシャ・リチャードソン。リンゼイ・ローハン。
 こちらも罠だ。「THE PARENT TRAP」だもんな。離れ離れだった11歳になる双子がキャンプで出会ってしまった。2人はそれぞれ離婚した父親、母親に会いたいので、入れ替わる。そして父親が若い女によろめき再婚を考えたとき、別れた両親を再婚させようと策略をめぐらす。
 いやあディズニーだもんな。上手に作っているよ。面白い。うまい。楽しめます。「主人は主人」「召使いは召使い」と階級の違いもちゃんと保守派ディズニーらしく描いている。
 でもなあ、オレは子供2人はかわいいけど、だんだん憎らしくなってきたぞ。こんなに大人の世界に口を出す双子はうるさくていやだな。若くて打算的で性格の悪い美人をそんなにいじめなくても良いと思うのだが。

130 「アドレナリンドライブ」
矢口史靖監督。石田ひかり。安藤政信。松重豊。ジョビジョバ。
 優柔不断のおにいちゃんが決断したものは。そうガス爆発で全員が死亡した組事務所から裏金2億円をいただくことだった。
 相棒となるのは単調な日常に飽きている冴えない看護婦さん。2人はやくざに追われるうちにちょっと恋も芽生えて。ネバーエンディングのバトルがアドレナリンをドクドク分泌していく。
 安藤政信は「キッズリターン」の一人。でも、それなりに役者っぽくなっています。石田ひかりは代表作ってなんだっけ。NHKか。ブスからイケイケっぽくなるところは快感だなあ。ジョビジョバ一派のくだらないギャグも笑える。「がんばっていきまっしょい」の真野きりな。これも笑える。
 雑なつくりもあるが、飽きさせない。このノリのよさ。監督の勢いを感じた。

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