シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。
シネマ・グラフィティ・ノート 1999年 その9
*151 「悪魔のくちづけ」
フィリップ・ルスロ監督。ユアン・マクレガー。ピート・ポスルウェイト。グレタ・スカッキ。カーメン・チャップリン。
さて勢いでユアン・マクレガーを続けて見ました。
今回は17世紀の英国の領主の邸宅に立派な庭を造る設計技師役に挑んでいます。イギリスでは自然を徹底的に改造して庭園にするんだなあ、と驚かされます。そこに愛と嫉妬と人間のしがらみが複雑に顔をのぞかせます。領主の妻と娘がいろいろと意味ありげなのですが、残念ながら、どうもうまく像を結びません。
つまり妻は本当に領主に不満を持っていて「不貞」を働いているのか。娘は自然の落とし子のようですが、何に不満を抱いているのか。なんかミステリアスというか中途半端なのです。
ちなみに娘役のカーメン・チャップリンはかの名優の孫娘だそうです。目がとても印象的でな女優さんでした。ユアン・マクレガーは悩み方がどこか中途半端で、もっと台本が良ければ、と思いました。
*152 「金融腐蝕列島 呪縛」
原田真人監督。役所広司。椎名桔平。若村麻由美。風吹ジュン。仲代達矢。高杉良原作。
総会屋への不正融資が発覚した朝日中央銀行。旧来の護送船団無責任体制で太平楽を決め込んでいる経営トップ。それに敢然と立ち向かう4人組「紅衛兵」ならぬ中間管理職。一部の理解ある役員、責任をとって自殺する役員など。そしてスクープを狙うキャスター。走り出したら止まらない地検特捜部。さまざまな人間模様を通じて日本株式会社の姿が活写される。
役所広司は何をやっても本当にうまい役者だ。彼の同僚とのやりとり、上役への気遣い、家族へのやさしさ。本当にリアルである。
映画はある種の高いテンションを維持していて最後まで一気に見せる。それにしても、佐高信もあんなクサイ演技していいのだろうか。
*153 「ヤジャマン 踊るマハラジャ2」
R・V・ウダヤクマール監督。 ラジニカーント。ミーナ。ナポレオンン。イシュワーリャ。
1992年インド。
タミルナードゥ州の小さな村の長者で尊敬を集めるヤジャマン。しかし、彼に嫉妬心を抱くいとこに数々のいやがらせを受ける。だが、彼はひたすら耐え、最後に悪人を成敗する。
いやあ、先に公開された「ムトウ 踊るマハラジャ」に比べると見劣りします。ムトウより古い作品だそうで、ミーナちゃんは17歳とか。でもダイナマイトボディです。スパースターは相変わらずタオル一本を振り回しますが、決めのポーズは今ひとつ。
マサラ・ムービーお約束の歌って踊ってですが、いささかストーリーが単純で大味です。でもきらびやかなインド日用品、カラフルな衣装が目を奪って飽きさせません。たとえば、仏像が結構出てきますが、おっぱいのある仏像なんか、魅力的です。
*154 「8月のクリスマス」
ホ・ジノ監督。ハン・ソッキュ。シム・ウナ。シン・グ。
難病で命短い写真屋の青年とミニパトの婦警のほのかな恋物語。単純なストーリーだが、ひとつひとつのシークエンスがしっかりしていて説得力がある。
なんでミニパトの婦警があんなにブラ勤しているのか? 限られた命の人間がどうしてあんなに元気なのか? いろんな部分が疑問ではあるけれど、でも、そんなことを超えて役者がいきいきとしている。ちょっとしたカメラアングルが光っている。
写真館の撮影室のおばあさんの葬式写真撮影、ヒロイン・タリムのカット、主人公・ジョンウォンの遺影。そんなこんなの写真が小道具として生きている。
とぼけた父親の天然ボケの面白さ。覚え立てのハングルを読む楽しみもアルニダ。
*155 「秘密」
滝田洋二郎監督。小林薫。広末涼子。岸本加世子。大杉漣。東野圭吾原作。
これは夫婦愛の物語であり、しかし、大変な女性映画である。
ストーリーは単純で、交通事故に母娘が遭い、母親は死に、娘は生き残る。いや、死んだのは娘の精神であり、母親の体である。すなわち娘の体に母親の精神が宿ったのである。それを知っているのは、本人以外は夫(父親)だけである。ここに微妙なエロス的緊張が生まれる。夫は妻ならぬ娘ならぬ女性と危うい関係を生きるのである。
だが、私は考えた。どーも、本当のテーマはそこじゃないな、と。ワシはフェミニズムには鼻が利くのだな。
これは、40歳の女が17歳の娘をやり直すのがこの物語なのだ。あんなこともこんなことも<40=17歳>女性には未来が、可能性が開けている。そして案の定、青春をやり直した妻は青春を生き直して新たな結婚を選んでいくのである。夫はいいように翻弄され、禁欲を強いられ、<娘>を送り出していくのである。あああ、である。
広末の実話もどきの部分(学生生活や私生活スキャンダル)が結構、笑えて楽しい。あ、演技は悪くないです。「鉄道員(ぽっぽや)」としゃべり方同じだけれどね。
*156 「ホーンティング」
ヤン・デ・ボン監督。リーアム・ニーソン。キャサリン・ゼタ=ジョーンズ。オーエン・ウィルソン。リリ・テイラー。
お化け屋敷の物語です。不眠症のモニターとして3人の男女が丘の上の家に集められた。しかし、計画した博士は心霊恐怖の実験をたくらんでいたのだ。博士の計画通りに恐怖のシナリオはスタートしたかに見えたが。その館には悪霊が棲み着いていたのだ。しかも、子供たちの霊を道連れにして。
監督は「ツイスター」や「スピード」で一世風靡のヤン・デ・ボン。しかし、残念ながら本作はSFXと音響効果を駆使した化け物屋敷物語にはなったが、傑作とは言い難い。なにしろ仕掛けは十分なのだが、どうも恐怖というものを勘違いしているのかあえて恐怖のテイストをはぐらかしているのだ。虚仮威しの仕掛けに走り、怖さを抑えたカッコイイねって楽しむホラー映画ってところか。
*157 「葡萄酒色の人生 ロートレック」
ロジェ・プランション監督。レジス・ロワイエ。エルザ・ジルベルシュタイン。アネモーヌ。クロード・リッシュ。
画家というよりはアートデザイナーの先駆者ともいうべきロートレックの物語。ルノワール、ドガ、ゴッホなど高名な画家たち、さらに愛人シュザンヌ・バランドンなど彼の人生を彩った人物がずらり登場してくる。
ロートレックがよくわかる映画である。でも、物語としては中途半端なのだ。絵の世界の葛藤も人生の葛藤もにぎやかな割に盛り上がらない。結局、体に弱さを持った道楽息子が放蕩の限りを尽くし破滅していくことがわかるだけだ。
教科書ではわからない貴族社会とパリの売春宿、ムーラン・ルージュがきらびやかですごいものだったことを知らされるのが見どころか。ゴッホが出てきたが、彼が天才であったことを見抜いたことはわかるが、なんか説得力がないのだ。
*158 「グッバイ・ラバー」
ローランド・ジョフィ監督。パトリシア・アークエット。ダーモット・マルロニー。エレン・デジエネス。メアリー・ルイズ・パーカー。
サンドラは困った女です。夫の兄と浮気はするし、不動産屋の物件の中でSMプレーに走ります。そして欲は人一倍。そのせいか、教会の奉仕活動には熱心です。その彼女が保険金殺人を企んだら。さあ、欲をかいた連中がゴキブリホイホイに引き寄せられるように集まって。テンヤワンヤ−というお話です。
この映画、「サウンド・オブ・ミュージック」がお気に入りの変態サンドラ=パトリシアに感情移入できるかできないかで、感想は変わってくるような気がしました。
私は気に入りました。こんな悪い女に弱いからですね。たぶん、いじめられて破滅させられるのだろうけど。この映画は変態癖とか欲望を刺激します。危険な娯楽映画ですね。
*159 「trancemission」
高橋栄樹監督。ザ・イエロー・モンキー。村上淳。川合千春。
困った映画です。なにしろ、ストーリーのない一種の病気的な映画ですから。
何か判らない未来商品のトレード(先物取引)をしている青年が主人公。彼女の紅茶を飲んだときから、誘拐され頭脳改造を施される。しかし、彼は何度も抵抗する。その度にアジトに戻され、頭脳をいじられる。そんな時、電波を遮断することを教えられた。だが、それも長続きしなかった。さあ、どうする。ってな話が続きます。だからどうなんだ、ってな感じがします。
正直、イエロ・モンキーがよく判りませんので、彼らがなにやら怪しげな技術者として出てきても「変な奴ら」ってなイメージしか浮かびません。ビデオコラージュって感じでしょうか。
たぶん、はまればいいのでしょうが、全くはまらなかったので、疲労感が残りました。
*160 「ユニバーサル・ソルジャー ザ・リターン」
ミック・ロジャース監督。ジャン=クロード・ヴァン・ダム。マイケル・ジェイ・ホワイト。ビル・ゴールドバーグ。
究極の兵士たちが、意志を持ったスーパーコンピュータの指示により反乱を起こす。このため、初代ユニバーサル・ソルジャーのリュックが1人、彼らと立ち向かう
SF大型アクションです。ジャン・クロード・ヴァンダムはちょっと歳を感じさせる瞬間もありますが。
*161 「ディープ・ブルー」
レニー・ハーリン監督。サフロン・バローズ。トーマス・ジェーン。ジャクリーン・マッケンジー。LL.クール・J、サミュエル・L・ジャクソン。
「ジョーズ」をひくまでもなく、サメは怖い。今回はアルツハイマーを直すピルを開発するため、サメの頭脳の研究をしていた海洋の要塞で、嵐の襲来とともに事故は起こる。
体ばかりでなく、脳も進化したサメは「自由」を求めて人間を襲い始める。そして、海中深くに閉じこめられた研究者と訓練係らは必死の脱出を試みる。スリルとアクションがほとんどノンストップで展開する。そしてSFX技術によって、サメの動きは恐ろしいほどに速くなる。
主人公は挫折の経歴を持つ訓練係。それに、コックや女性研究者、出資者の薬品会社社長らが加わる。みんなそれぞれにいい人間でエピソードよりも短い言葉に面白さがある。
監督は「ダイハード2」などのメガフォンを取ったレニー・ハーリン。心理的な怖さを醸し出しつつも、ねちこっさはない。そこが気持ちいい。
*162 「裸の銃を持つ逃亡者」
パット・プロプト監督。レスリー・ニールセン。マイケル・ヨーク。ケリー・レブロック。メリンダ・マクグロウ。
パロディーです。「スターウォーズ」「ミッション・インポッシブル」「タイタニック」が、まとめて見れます。と、チラシには「ら抜き」言葉で書かれていた。
当然、本気で今回は「逃亡者」「追跡者」のノリで遊びまくっています。「ここまでアホやらんでもいいだろうが」と思うのは私が常識人だからでしょうか。
この種の映画の凄いところは、徹底的に本気で遊ぶところがおかしいのですが。だけども、ここまでやってもやっぱり「色物」ってレベルを超えられない。
「オースティン・パワーズ」が完全に独自の世界を作っているほどには笑えない。パロディーにもそれなりの哲学があるのでしょうが、本作はちょっと薄かった。そんな感じしました。
女優陣に今ひとつ魅力を感じられなかったことも影響していますが。
*163 「ブロークダウン・パレス」
ジョナサン・カプラン監督。クレア・デインズ。ケイト・ベッキンセール。ビル・ブルマン。ルー・ダイヤモンド・フィリップス。
楽しいはずの卒業旅行が、一転、悪夢に。いやあ、よくある話です。でも元をたどれば自分で蒔いた種ってことが多い。この作品の2人の主人公にもそんな「甘さ」があります。
「ミッドナイト・エクスプレス」という作品を思い出すのがプロだそうですが、私は「北京のふたり」というリチャード・ギア主演映画を思い出しました。あの尊大なアメリカ人が裁判にかけられて中国人の女性弁護士に助けられて無罪になるのですが、どうみても、リチャード・ギア(本人はどうかな)は中国を馬鹿にしまっくていました。
今回の2人もやはりタイは「発展途上国」「仏教国」ってバカにしているんだな。タイは500ドルで遊べる自由な天国なんて、どうかしてるぜ。最後に自己犠牲精神を発揮するのがせめてもの救いでしょうか。
それにしても、アリス役のクレア・デインズはいまひとつ濃い。で、相方のダーリーン。どこかで見たと思ったら「シューティング・フィッシュ」でジョージー役をやったボーイッシュでキュートなあの子じゃありませんか。だんだん堕ちていく感じがちょっとイメージと違っていました。期待しているのですから、役を選べよ、ってところでしょうか。
*ビデオで「ミッドナイト・エクスプレス」を見て、この作品がかなりの部分が似ているが、
スピリッツの部分でレベルが堕ちていると感じた。
*164 「バーシティ・ブルース」
ブライアン・ロビンス監督。ジェームズ・バン・ダー・ビーク。ジョン・ボイト。ポール・ウォーカー。エイミー・スマート。
バーシティとはユニバーシティのこと。まあ、学園ブルースって意味か。アメリカの学校と言えば、アメラグ。でもそれが「勝利が命」ってスポ根路線になるとすれば、「そうじゃない」と言いたい。
主人公の2軍のクォーターバックのモックスは、自分たちの生きている瞬間を大事にするのがヒーローだと思っている。ひょんなことから出場できるようになったが、勝利第1主義のコーチと激突する。それでも彼は自分の青春を貫こうとする。
ありがちなテーマだけど、いい。主人公がいかにも2軍選手の顔をしているのも。どんな組織も必ず抑圧的に機能する瞬間がある。だが、そんな時、自己献身よりも自我拡張をこそ、と映画は訴える。オレもそうだと思う。そこが気に入った。
*165 「スカートの翼ひろげて」
デビッド・リーランド監督。キャサリン・マコーマック。レイチェル・ワイズ。アンナ・フリエル。スティーブン・マッキントッシュ。
第2次大戦中に男は兵士となって戦場へ。女は「ランド・ガール」となって銃後の補給線を守れ。そんな戦術が英国で採られていたとは知らなかった。
物語はイギリスの農村へ勤労奉仕にやってきた女の子3人の物語。そこに、受け入れ先の農家の家族、青年が絡んでいく。女たちがまさに「スカートの翼」を広げるように生き生きと「今」を生きているのが印象的だ。
主人公はステラ(キャサリン・マーコマック)。彼女の気品が凛とした格調を残した。アガサのレイチェル・ワイズは目が印象的でしたが、今ひとつでした。
戦争はよくもわるくもいろんなものを残す。戦争はできるなら避けるのがいい。それでも戦争があるとすれば、後世の者はその最高の部分を教訓として学ばねばならない。
女たちが階級のくびきを超えた生き方を見いだしたことを、ここで評価すべきか。
*166 「マイ・ネーム・イズ・ジョー」
ケン・ローチ監督。ピーター・ミュラン。ルイーズ・グッドール。
ケン・ローチに、はまっている。ビデオで「ケス」を見たばかり。感動消えぬまま「マイ・ネーム・イズ・ジョー」を見ることができた。
英国はグラスゴーのすさんだ一角。そこで、ジョー・カバナーはアルコール依存症から立ち直り、生活保護を受けながらビリケツのサッカーチームのコーチをしている。そんな彼がセーラという女性に出会う。ほのかな恋心が芽生えたのだが、甥のリアムの借金から麻薬を扱うヤクザと関わってしまう。
ピーター・ミュランはプライドを持って生き直そうとしている男をさりげなく演じている。ケン・ローチはその世界をあたたかく見つめている。ジョーは<関係の絶対性>ともいうべき出口のない状況に襲われる。
市井の大衆とは、いつもそのような小さな桎梏に押しつぶされていきているのだと、監督はいいたげである。リアムのどうしょうもなさは愚かである以上に悲しい。セーラもまた恵まれているようで、寂しい。これが大英帝国か、といいたいほどの質素な暮らし。だが、ハートは連帯する労働者魂のように温かい。やさしさの本当の場所を教えてくれる作品だ。
*167 「リアル・ブロンド」
トム・ディチロ監督。マシュー・モディン。キャサリン・キーナー。ダリル・ハンナ。スティーブ・ブゼミ。ブリジッド・ウィルソン。
ニューヨークのショービズの世界に生きる若い男女たちの物語。ジョーは売れない役者の卵。メアリーはちょっとだけ売れているメーキャップアーチスト。ジョーはウエイターをしながらオーディションを受け続けるが、自説と大志を曲げない頑固者。だから友人のボブが昼メロのスターになっても、不器用に生きている。でもセックスはスキ。ノーマルだけど、もっともワイルドにやりたいと思っている。サハラは金髪のモデル。星占いと結婚願望にとらわれている。
楽しい物語です。なんか人生到るところ青山有り。ってところか。どうやって人間生きていくか。ジョーの気持ちに入り込めないとイライラします。でも、ジョーになると、いつか花開くときが来るような感じがして頑張れる気もします。
タイトルのリアル・ブロンドってのは、どんな意味なのか。本当の金髪を求めるってのは、ジョーの願望・意志の比喩なのかもしれません。
*168 「クルーエル・インテンションズ」
ロジャー・カンプル監督。ライアン・フィリップ。サラ・ミシェエル・ゲラー。リース・ウィザースプーン。
マンハッタンの高校生、キャサリンとセバスチャン。義兄弟の2人は美貌を武器にラブアフェアーに励んでいる。新しい獲物は「バージン命」の女の子。2人は車と体を賭けて、アタックを開始する。しかし、青年が真剣な恋をし始めたことから、計画に狂いが生じだした。
豪邸。贅沢な生活。車。女。薬。そして、セックス。
そりゃ、楽しいだろうね。でも退屈だろう。飽きるだろう。そんなわけで、映画は予想通りの展開で、2枚舌女の化けの皮がはがれて終わります。いやあ、つまんないなあ。
*169 「タイムトラベラー きのうから来た恋人」
ヒュー・ウィルソン監督。ブレンダン・フレイザー。アリシア・シルヴァーストーン。クリストファー・ウォーケン。シシー・スベイク。
ときは1962年。米ソ冷戦の真っ只中。核爆発が起きたと勘違いした科学者のパパと身重のママ。核シェルターに35年間閉じこめられることとなった。しかし、楽天的なパパとママはアダムを生み、しっかりと別世界で時を過ごした。みっちりと知識とマナーをしこまれて、現代社会に送り出されたアダム。彼の使命は食糧などの調達と花嫁探しだった。
こりゃ、どう見てもおとぎ話。62年の視点で現代を見たら、そりゃおかしいでしょう。そこを真面目に描いたのがおもしろい。
ユーゴという国の歴史を描いた「アンダーグラウンド」もまた第2次大戦から数十年を経て地上に出てくる物語。出てきたらやっぱり戦争中だったというのは痛烈なブラックジョークだ。
それに比すると、こちらはいささか脳天気だ。そこがアメリカということだろうか。風俗グラフィティーとして楽しさは十分なのですが。
*170 「ウェイクアップ!ネッド」
カーク・ジョーンズ監督。イアン・バネン。デヴィッド・ケリー。ジェイムズ・ネズビット。スーザン・リンチ。
宝くじってのはいけません。人間を狂わせます。1人だけならいいけれど、これはアイルランドの52人の小村全体を巻き込んでしまうから大変です。
12億円の宝くじが当たったネッドはうれしさのあまり昇天。そこで、マイケルとジャッキーは身代わりになることを考える。そのためには、村中全員が偽証する必要がある。やってきた調査員をだましたものの、しかし、いじわるリジーだけはチクって賞金の10%を得ようとしたのでさあピンチ。老人パワー全開。生きても死んでも、裸までもばっちり見せます。子連れ美人の本当の父親の正体を聞かされて驚かされます。
広がるアイルランドの風景と民族音楽。これがいい。物語は歓喜と不運な死が交錯したところで終わります。喜びの影には必ず犠牲がつきものということなのでしょうか。
宝くじの賞金を手にした村はどうなるか、って。どうにもならないよ。少年は言います。
だって、みんな飲んでしまうから。
あちゃあ。なんか見ていると、一本取られたなって感じです。
*171 「I LOVE ペッカー」
ジョン・ウォーターズ監督。エドワード・ファーロング。クリスティーナ・リッチ。ベス・ア−ムストロング。リリ・テイラー。
ボクはカメラ小僧。ママから中古のカメラをもらったのが、うれしくて町中のみんなを撮りまくっている。コインランドリーで働くガールフレンド。マリア様に夢中のおばあちゃん。ゲイの店で働くねえちゃん。砂糖菓子大好きの妹、そして万引き得意のダチ公、そして経営難のとうちゃん。アルバイト先の店を借りて写真展を開いたらなぜか好評。ニューヨークで個展を開けてしまった。そこでも大評判に。
新進カメラマンになっちゃたのはいいけれど、家に泥棒が入るわ、恋人との仲はおかしくなるわ。困ってしまった。でも写真は人気沸騰するばかり。ニューヨークに行くか、ボルチモアに残るか。参っちゃった。
かの「ピンクフラミンゴ」という超弩級のお下劣映画監督の自叙伝。なにしろボルチモアって街が変なのだ。ペッカーがいけないわけじゃないだろうが、人情ある曲者の街。
で、ペッカー。次の目標を聞かれて「映画でも撮ろうかな」。こりゃあ、自画自賛の極み。天才にしかできない天才の自画像でしょう。なんでもアートだぜ、って当たりに自負が感じられます。ちなみにゲイハウスでの「紅茶(ティー)バッグ」なる荒技。好きな人は病みつきでしょうが、あたしゃだめです。
そして究極の「毛」の1枚。「PECKER」とは「ぽこちん」の俗語とか。ありゃりゃ。お下劣サービスも忘れないのもポリシーでしょうか。
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