本文へスキップ

北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

電話でのお問い合わせはTEL.

シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

 シネマ・グラフィティ・ノート 2000年 その6  

*73<286>「ザ・ビーチ」 
ダニー・ボイル監督。レオナルド・ディカプリオ。ティルダ・スウィントン。ロバート・カーライル。
 「トレインスポッティング」の監督のパラダイス探しの物語。それにしてもタイって国には楽園がつきものなのか。
 放浪の旅人たちが憧れているビーチがあると聞かされたリチャード。フランソワーズとエチエンヌを誘い、探検を始める。そこにはサルという女性が指導する旅人共同体があった。ひととき、時間の止まった楽園の快楽に酔いしれるのだが。やがて、そこには暴力が隠蔽されていることに気づく。楽園は次第に悪夢の地獄と変わっていく。
 この作品が高く評価されないだろう失敗作であることはいうまでもない。陳腐な結末を知れば、若いときのハシカというイメージを吹っ切ることができないだろう。
 しかし、この作品を見てある世代が必ず思い浮かべるのは、連合赤軍事件だろう。いや、宗教的コミューンのなにがしかでもいい。いずれにしろ、外部に開かれない共同性はそのテンションが高いほど内部に対して必ず抑圧的に機能していく。そのことを痛いほど、この作品は見せつける。
 ロバート・カーライルのダフィが自死するだけに印象的だ。私はなんとも暗い気持ちで映画館を出たのであった。

*74<287>「シャンドライの恋」
ベルナルド・ベルトルッチ監督。サンディ・ニュートン。デヴィッド・シューリス。
 アフリカからローマに来たシャンドライ。夫が政治活動のため捕らえられ、家政婦をしながら医学を学んでいる。雇い主はキンスキーという冴えないピアニスト。だが、彼はシャンドライにひとめぼれ。夫ある身と知らずプロポーズ。
 ならば苦しい恋は尽くすことにある。いやあ、尽くして尽くして竹の子生活。そこまでやられりゃあ、女だって許しますわなあ。
 そういう意味ではいい映画ですが、夫の立場もなあ、あるわなあ。そういう意味では困った映画です。取り敢えず、音楽がとってもいいです。

*75<288>「ハーモニーベイの夜明け」
ジョン・タートルトーブ監督。アンソニー・ホプキンス。キューバ・グッディングJr。ドナルド・サザーランド。
 ルワンダの密林でゴリラの群れと行動して人間を2人殺した人類学者。精神鑑定をすることになった若き医師は次第に彼の行動に興味を持ち始める。
 彼は「支配する者」と「奪う者」に対して戦い自由を得ていたのである。そのテーマはよく分かるのだが、精神を病む者を虐げる刑務所の実状。あるいは出世競争に生きているエリートの自省など、いずれも中途半端だ。たぶんもっと奥が深いのだろうが、いささか描き切れていない感じがした。

*76<289>「ヒマラヤ杉に降る雪」
スコット・ヒックス監督。イーサン・ホーク。工藤夕貴。ジェームズ・クロムウェル。マックス・フォン・シドー。
 「シャイン」の監督によるヒューマニスティックな力作というべきか。
 第2次世界戦争の際、日系人が強制収容所に送られたことはよく知られている。その傷が癒えない戦後間もない頃、ワシントン州の小さな島で一人の漁民が死んだ。容疑者になったのは日系人の青年だった。その妻ハツエを密かに見守っている白人青年がいた。彼はハツエの幼なじみで新聞記者のイシュマエルだった。
 映画は戦争に於ける日系人差別とそれがまだ消えない現実を、そして、そのことで報われない2人の愛を描きます。差別告発はもちろん軸にはなっています。でも、基本的には人間を愛することの難しさを描いた作品といえます。人種や民族によって、それから波及するいわれのない偏見によって。理解し合うことの難しさ。その困難をしっかり見据えた上で、でも、それを超えようとすることの大切さを示します。
 暗い映画です。たぶんしばらく苦労します。でも最後に、ちょっとだけですがカタルシスが来ます。監督の優しさを感じました。

*77<290>「ボイスレター」
デヴィッド・カーソン監督。パトリック・スウェイジ。ジア・カリデス。キム・マイヤーズ。
 アメリカには死刑囚を励ますボイスレターというのがあるのだそうだ。差出人と囚人はいわば聖母と迷える子羊。まあ、擬似母性愛に包まれる。だが、囚人が差出人を裏切り、自由になって監獄を出てきたら? どうやら恐ろしい復讐劇が始まるらしいのだ。
 でも、なんかピンと来ないんだなあ。仮に囚人が別にボイスフレンドを持っていたからって怒るか? 文通の世界って、たいてい多くの人とやっているんじゃないの? だから、怖い映画だけれど、リアリティを感じないのだなあ。
 ついでながら、途中で犯人も、結末もわかってしまったのだ。この小道具はきっと後で使われるぞ、って思ったもんね。かなり鈍いワシにもわかるようじゃ、少し甘いぞ。

*78<291>「アナザヘヴン」
飯田譲治監督・脚本。江口洋介。原田芳雄。市川実和子。柏原崇。松雪泰子。柄本明。
 どうも世の中、悪意って奴は伝染するらしい。あ、これって、「破線のマリス」 からの受け売りだけど。人間の心の中にある悪意を<未来からの人間>でもなんでもいいんだけど、具象化すると、こうなるようだ。悪意に打ち勝つものは無垢な人間の愛というか真心らしい。映画は若干の新しい意匠を凝らしているが、こうした古い構図を打ち破るものではない。
 謎の猟奇連続殺人事件。追うのは昔気質の刑事と、元犯罪マニアの若い美男刑事。だが、超能力者らしい犯人は次から次へと姿を変えて事件を起こしていく。そして、犯人は若い刑事が好きなのだ! テーマは愛だから、当然、悪意を愛が破るように犯人に打ち勝つ結末は当然か。
 映画が面白くないかって、言えばそうじゃない。次から次へと続くスピーディーな展開に飽きることない。だが、それまで。ただ、天使役の市川実和子の体当たり演技にはヘタウマな味があった。

*79<292>「スティル・クレイジー」
ブライアン・ギブソン監督。スティーヴン・レイ。ビリー・コノリー。ジミー・ネイル。
 70年代はよかったか? いやあ、みんな内ゲバばっかりやっていたよ。おかげで、みんな新しい時代に乗り遅れてしまった。要するに、ワシらの世代だよ。
 音楽だってそうだべ。みんな小さな差異にこだわって喧嘩ばっかりやって先細ってしまった。そんなロック・グループが「ストレンジ・フルーツ」。ビりー・ホリディじゃないんだぜ。そいつらが夢よ再びって、オジサン・バンドのリベンジを始める。そりゃ、失敗するはずだが、映画だから見事に復活する。
 そのドラマはかゆいところに手が届くくらいに人間像を見事に描いていく。イケテルぜ。

*80<293>「アメリカン・ビューティー」
サム・メンデス監督。ケビン・スペイシー。アネット・ベニング。ソーラ・バーチ。ミーナ・スヴァーリ。
 アメリカの美ですよ。その美学が百花繚乱に咲き乱れ、散っていく。ロマンチック・コメディなのに、悲劇ですからねえ。
 42歳の冴えない男が美少女に一目惚れ、マッチョ目指してウェイトリフティング。幸せになるんだ、成功するんだって、肩肘張って生きている妻。両親の偽善にも親友のエゴにも飽きている娘。風に舞うビニール袋に感動する盗撮青年。モデルになるんだ、平凡なんか嫌、男はみんな私とセックスしたいのよと考えている美少女。人間はルールに従って生きるべきだというナチ・フェチの元大佐。
 みんな少しずつ自己実現をするようで、次第に崩れていく。怖いです。痛烈な人間凝視に溢れています。でも、ヤリマンの美少女が実は処女だって。いうのが最高に怖いブラック・ユーモアかしら。ワシも明日からは体を鍛えねばならんな。

*81<294>「サマー・オブ・サム」
スパイク・リー監督。ジョン・レグイザモ。ミラ・ソルビーノ。エイドリアン・ブロディー。
 1977年ニューヨークの夏は暑かったらしい。そこに「サムの息子」を名乗る連続殺人犯が登場。暑い夏はますます狂気じみていく。
 イタリア系のコミュニティの濃い世界を映画は風俗をたっぷり取り入れ描く。人間関係の崩壊していく姿は今に通じているということか。
 ディスコブーム、セックスとドラッグなんて懐かしい。そしてパンクキッズとゲイが同じようにバカにされているのも時代か。これまで、ミラ・ソルビーノをあまり魅力的に感じたことはないのだが、この作品の赤いドレスが妙によかった。時代のせいか。

*82<295>「イグジステンズ」
デイヴィッド・クローネンバーグ監督。ジェニファー・ジェイソン・リー。ジュード・ロウ。イアン・ホルム。
 しかし、がっかりだな。そうとうひねっているだろうと期待したワシがアホやった。コンピュータゲームを映画で描いてみただけ。そんな印象しか残らない。
 もっといろいろな作戦はあっただろうに。なまじゲームマニア的なセンスがあだになったような気がする。強いて言えば、突然変異の両生類や魚類、ゲームポッドがユニークだったけど。コンピュータゲーム映画としてはやや正攻法だったかもしれないが、「13F」 のほうがはるかにいい。

*83<296>「玻璃の城」
メイベル・チャン監督。レオン・ライ。スー・チー。ニコラ・チェン。ダニエル・ン。
 凄いなあ、こんなに大時代的なメロドラマ。「宋家の三姉妹」の監督だから、それくらいは簡単だったか。
 1971年の香港の反日学生運動の渦中にあったラファエルとビビアン。2人は愛し合いながら別の結婚を歩むが、再会して密かに青春を取り戻そうとしていた。だが、香港中国返還の年の1997年を迎える大晦日、ロンドンで事故死する。それをきっかけに2人の遺児がやはり出逢い、返還の日に恋はクライマックスを迎える。
 ブラザーズ・フォーやプロコルハルムなどの懐メロ。青年たちの抗日デモ。そこに2つの恋が重なるから、なんとも濃い。何がって、て? そりゃあ、香港のナショナリズムだろう。「宋家の三姉妹」の根底にあったものも、それなのかと思う。ナショナリズムにはメロドラマがよく似合う。それをひどく想起させられた。

*84<297>「ベリー・バッド・ウェディング」
ピーター・バーグ監督。キャメロン・ディアス。クリスチャン・スレーター。ジョン・ファブロー。
 困った男たちと美人で高ピーな女の結婚までの物語。でもね。こりゃ、主役は神様だね。それもユダヤのね。
 バカな男たちは神様に試されるように、次々と悪事を重ねる。いやあ、見えざる手がちゃんと案内してくれているのだが。見えざる手ってのはもちろん、物質化するとカネになるんだが。そして、最後に笑うのは、神様にも手に負えないものだろう。
 ユダヤ人をダシにかくも人間の業を描いてみせるのはなんともスリリングである。大人のおとぎ話かな。

*85<298>「オール・アバウト・マイ・マザー」 
ペドロ・アルモドバル監督。 セシリア・ロス。マリサ・パレデス。ペネロペ・クルス。
 「女」というよりは「母」に対する大変なオマージュである。もっとも実在の、というよりは、あるべき存在への、というのは男のひがみだろうか。
 臓器移植のコーディネーターをやっていながら、息子を事故で亡くし、臓器提供しなければならなかったマヌエラ。失意の中、マドリードからバルセロナへ。そこで、彼女は少しずつ人生からそれている女たちと出逢う。
 女優、修道女、女になった男、ぼけた夫と暮らす妻・・。彼女たちを助けるうちに静かに自分を取り戻していく。映画は偏見に冒されたり、事実を見ない人たちの偏狭さを鋭く突く。やさしさって、なんだろう。
 マザーシップだぜ。それは本当は結構きつい答えのような気がする。

*86<299>「ミフネ」
ソーレン・クラウ・ヤコブセン監督。アナス・ベアテルセン。イーベン・ヤイレ。イエスパー・アスホルト。
 主人公クレステンは勤め先の社長令嬢と結婚して幸せの絶頂にあった。しかし、その時、捨ててきたはずの田舎が顔を覗かせた。父親の死。そして残されたのは荒れ果てた農家と知恵遅れの兄だった。やむなく頼んだ家政婦にやってきたのは美しい娼婦。彼女には放校処分になった弟がいた。
 これは日本でおなじみの知識人の大衆回帰のデンマーク版だろう。捨てたはずの故郷に復讐される中で、いかに近代的自我の自立を守るか。日本の知識人はそれに敗れた。実はクレステンもまた。だが、そこに単純な回帰とは違う清々しさがあるのはヨーロッパだからか。
 差別に屈しない主人公たちこそ「ミフネ」なのだ。「7人の侍」の陽性遺伝子がこんなところに露出したとは驚きだ。

2000年 シネマ・グラフィティ・ノート7 へ

シネマらくがき帳 目次 へ

■トップページに戻る



サイト内の検索ができます
passed