シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。
シネマ・グラフィティ・ノート 2001年 その4
*49<423>「ザ・コンテンダー」
ロッド・ルーリー監督・脚本。ゲイリー・オールドマン。ジョーン・アレン。ジェフ・ブリッッジス。クリスチャン・スレイター。
ゲイリー・オールドマンは好きです。「レオン」のイカレ刑事から「ハンニバル」の敵役まで。
今回の下院議員はどうでしょうか。この悪意に満ちた情熱のトラウマはどこにあるのか。なんか、よくわかりませんね。とりわけ、この映画の長口舌には飽きます。私生活と政治理念・行動は別だと言いたいようです。
なんともじれったくて、登場人物にも魅力がありません。女性副大統領候補の受難の物語ですが、脚本がなんとも。
*50<424>「A.I.」
スティーブン・スティルバーグ監督。ハーレイ・ジョエル・オスメント。ジュード・ロウ。フランシス・オコーナー。
環境破壊により地球の多くの土地が水没してしまった近未来。人類は子供をあまり持たず、代わりに人工のロボットを代用品とするようになった。事故で子供が生死の境をさまよって悲嘆にくれている夫婦のところに、最新のロボットが届く。名前はデイビッド、11歳。彼は人間同様に「愛」を持つことをインプットされていた。母親は迷いながらも彼を受け入れる。2人の関係に幸せな生活が待っているかと思われたとき。実の息子が奇跡の回復を示す。それは本当の子供とロボットの子供同士に新たな愛情競争を生むものであった。
ある日、少年にだまされてデイビッドは母親の髪の毛を切ろうとする。そうすれば愛が得られるといわれたからだ。しかし、それらの振る舞いが誤解を呼び、デイビッドは森の奥深くに捨てられてしまう。だが、ひとりぼっちではない。彼はかろうじてスーパー・トイの熊テディを友とすることができる。そしてジゴロ・ロボットのジョーにも助けられ、彼の旅は続く。
地上ではジャンク・マーケットが開かれ、かつてのラッダイトもどきの機械破壊の殺戮が繰りかえされていた。そうした苦難を乗り越え、彼は冒険をやめない。その目的は本当の人間になり、もういちど母親の愛を得ることだった。ピノキオが愛の妖精に導かれたように、彼も人間になるため妖精を探す。
だが、夢は届くようで「届かない。ニューヨークのマンハッタンの海の底に閉じこめられ2000年が過ぎる−−。そこにはもう人類はいない。新たな生命体が人類の遺伝子を使って、その記録を再現していた。デイビッドの記憶は人類のメモリーとして呼び出される。そして、デイビッドは生命体に母親の復活を依頼する。そのためには彼女の体の一部が必要だった。何があるか。そのとき、熊のテディが手をさしのべる。そして、デイビッドは一日だけ人間の愛情をかみしめるのだ−−。
煩を厭わずストーリーを紹介した。なぜならこの物語はとてもよくできており、エピソードのどれにも考えさせられるものがあった。機械と人間、オリジナルとクローン。生きるきることの意味。人類の運命。なによりも愛と憎しみ。人間になりたいロボットはピノキオのリメイクかもしれないが、心打たれた。
スティーブン・スティルバーグ監督の幼児性が私のそれと反応するところがあって、テディ・ベアが醜いけれどとてもかわいらしかった。私のぬいぐるみたちにも2000年後には活躍してもらいたい。別に泣かなかった。だけれども、いい映画だった。それはすばらしいことだ。
*51<425>「パール・ハーバー」
マイケル・ベイ監督。ベン・アフレック。ジョシュ・ハートネット。ケイト・ベッキンセール。キューバ・グッディング・Jr。
製作は「アルマゲドン」のジェリー・ブラッカイマー。
ご存じ日本軍による真珠湾攻撃を題材にした2人の親友と一人の女の恋愛物語。内容は陳腐な恋愛ドラマで、どこにでもあるものです。そして米国版をみていないので真相は不明ですが、何を考えているか分からない東洋の島国を懲らしめる物語。真珠湾攻撃に対する等価報復として東京空爆です。どうせなら「原爆を落としてやった」と言ってくれたほうが、米国の姿勢がわかりやすいのですが。
まあ、爆弾と一緒に日本人の偽りの和平の記念品を返礼するというのは、象徴的です。だいたい登場する日本人や作戦会議なんかも、完全に馬鹿にしていないと描けないレベルです。こんな映画を宣伝する日本人の気持ちを聞きたい気がします。この国にも「ムルデカ」などという、日本は正しいという世界には笑われる映画を作る人もいるので映画人には馬鹿はつきものなのかもしれません。
そんなことを捨象すると、戦闘シーンはド派手で、迫力満点です。倫理性抜きに戦争映画って作れないものでしょうか。
*52<426>「ドクタードリトル2」
スティーブ・カー監督。エディ・マーフィー。クリスティン・ウィルソン。レーベン・シモーネ。
ご存じ動物の話がわかっちゃうドリトル先生。ますます売れっ子で家族とのコミュニケーションもままならない。そんとき、森のビーバーから環境破壊のSOS。そのために考え出したのが絶滅危惧種のクマに子供を産ませること。シティ・クマのアーチをいかに野生の生活に戻しメスグマとつき合わせられるか。男の特訓が始まる−という物語。
どうってことないお手軽映画ですが、動物キャラが相変わらず面白い。エディもいちもながら過剰に演技して見せてくれます。ちなみに、日本語吹き替え版で見たので、劇場映画というよりテレビ映画をみた気分でした。
*53<427>「郵便屋」
ティント・ブラス監督。チンツィア・ロッカフォルテ。クリスティーナ・リナルディ。
「カリギュラ」の巨匠による文芸ポルノ大作。おしりのむっちりとした色香いっぱいの女性たちが大胆に大股開きしてくれます。性に関心のある女性たちからの巨匠に送られてくる手紙をいちいち読んでいくというもの。それは人に見られることに快感を覚えたり、秘密の社交クラブにはまったり様々。ノーパンの美女にアホ面で見とれる日本人観光客もでてきます。これがどうもぱっとしない男で、残念です。対する女性は足を組んだりほどいたり挑発の限りを尽くします。
この映画の出来はうんぬんする気はありませんが、なんとも「いいもの」見せてもらった満足感が残りますです。
*54<428>「猿の惑星 planet of the apes」
ティム・バートン監督。マーク・ウォルバーグ。エステラ・ウォーレン。ティム・ロス。ヘレナ・ボナム・カーター。
1968年に第1作が作られた「猿の惑星」のリメイク版。
それにしても、あの当時の猿の惑星を見た者の感慨は次のようなものだった。国内的には黒人を軸にした多様な民族・人種問題を抱え、国際的にはベトナムを中心とした第3世界の革命・自立運動が噴出していた。そこで作られた作品には米国の直面している苦悩というものが濃厚に反映されていた。
それに対して今回の作品には、果たして異なる種の共生というようなテーマはラジカルに存在したかどうか疑わしい。むしろ、そこが欠けている分、娯楽大作に徹している。そこが弱点でもある。
最後の地球の運命を象徴する場面も今回は漫画になった。まさしく一度目は悲劇であり、2度目は喜劇であり、そして3度目は活劇であるというわけか。
*55<429>「ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」
飯島敏宏監督。赤井英和。東海孝之助。渡辺いっけい。藤村俊二。高橋ひとみ。中山エミリ。
小学生のむさしは宇宙飛行士を夢見ている元気な少年。彼はひょんなことからウルトラマンコスモスに出会い、手助けをする。二人にはこころが通じ合った。そうこうしているうちにバルタン星人がやってくる。地球に住み着こうとしてる彼らとにんげんの戦いが始まる。そして、謎の輝石に導かれてコスモスが姿を現した。
なんともぬるい作品です。破壊の快感もなければ、未知の世界への果てしないあこがれもありません。なんだか「眠れ眠れ母の手に」といった合唱が、みんな理解し合おうという低レベルなヒューマニズムを漂わせるだけです。こりゃ、いけません。子供も今ひとつ観賞に気合いが入っていないようでした。
*56<430>「ホタル」
降旗康男監督。高倉健。田中裕子。井川比佐志。夏八木勲。小林稔侍。奈良岡朋子。
鹿児島・知覧。そこは陸軍特別攻撃隊の出撃基地だった。そこに、漁師としてひっそりと暮らしている夫婦がいた。彼らは特攻隊の生き残りとその許嫁であった。その心に残っているのは朝鮮半島から来て、散っていった青年のことだった。
折しも昭和天皇が死に、時代は大きく変わろうとしていた。生き残りの戦友は後を追うように死に、特攻隊員を支えてきた女性もリタイアしかけていた。漁師は青年の遺品と遺言を伝えるべく釜山に渡る。
あたしは涙腺が弱いので泣きました。物語はパッとしないのですが、心に響くものがあります。それでも全体に夫婦物語が今更のようで、緩い。物語として深みがありません。そしてただいま勉強中の朝日新聞記者がでてきます。神風をあおり、戦争の旗振り役の元凶が殊勝な顔をするな、という不快感を残します。「鉄道員」組も本作では思うようにはいかなかった。
*57<431>「千と千尋の神隠し」
宮崎駿監督。声:柊瑠美。入野自由。夏木マリ。内藤剛志。沢口靖子。菅原文太。
おなじみアニミズムの宮崎ワールド。田舎に引っ越す途中、道に迷い不思議の町に紛れ込んでしまった家族。そこで、両親はブタにされ、子供の千尋は千と名を変えられ風呂屋の下番に。働かないものは、魔法にかけられてしまうからだ。千尋は謎の少年ハクに助けられ、困難を超えていく。最後はハッピーエンドで、ひねりはない。
見ていて呆れるほど、面白い。だけど、この手のマジックにはもうそろそろ目を覚ましたい。なんか善意の予定調和に陶酔する時代は終わったのではないか。取り敢えず絶賛の嵐に対して異議を唱えておきたい。
*58<432>「ジュラシック・パークV」
ジョージ・ジョンストン監督。サム・ニール。ティア・レオーニ。ウィリアム・H・メーシー。
恐竜の島に紛れ込んだ2人の少年を救うために、離婚した両親とエキスパートのグラント博士らが向かうことに。そこでは、以前にましてパワーアップした恐竜たちが彼らを待ち受けていた。
今回のキャッチフレーズは「恐竜の<知力(インテリジェンス)は人間を超えるのか>です。とにかく、恐竜は人間が神の真似事をして作っただけに徹底的に人間に似ているというわけ。罠を仕掛けたり、持ち前の凶暴ぶりを発揮したり、文句なしの大活躍。
ラストのアメリカらしい家族の再生がなんとも不快ですが。でも全体に小気味よいテンポで楽しめます。しかも短いのがいい! 監督は快作「遠い空の向こうに」を作った人でもありました。納得。
*59<433>「ポケットモンスター“セレビィ時を超えた遭遇”」
湯山邦彦監督。声:松本梨香。佐野史郎。藤井隆。鈴木杏。
森を守り時を超えるポケモン、セレビィ。偶然セラビィを助けた少年ユキナリは40年後の世界にタイムスリップする。サトシとピカチュウは、ユキナリに出会い、セレビィを助けようとする。だが、ロケット団の凶悪な幹部、仮面のヒシャスが迫る。
今回は「ダークボール」によって邪悪な能力を与えられたセレビィの破壊力のすさまじさが印象的です。以前は、泣けたのですが、今回はちょっと、つまらなかった。
*60<434>「RED SHADOW 赤影」
中野裕之監督。安藤政信。奥菜恵。麻生久美子。竹中直人。津川雅彦。藤井フミヤ。
天から授かった秘伝の鋼を持つ影一族。今は武将の特殊部隊として、諜報・工作活動に従事している。赤影、青影、飛鳥の3人は兄弟のように育ち、一緒に戦っている。ある時、京極の城を調べる指令が出て、訪れた地で謎の忍者集団に襲われ、飛鳥は失命。一方、城では大殿様が薬物で殺され、家臣に謀反の動きがあり、姫を葬ろうとしていた。
テレビでおなじみ牧冬吉さんらが大活躍の忍者アクションと異なり、本作は全くの青春ドラマとなってしまっています。ですから、ラストも夕日に向かって走れ、という感じです。若者の悩みと恋物語は、話の運びが悪くて、今一つぱっとしません。中野裕之監督は「SFサムライ・フィクション」がよかったのですが、本作はダメですね。冒頭、布袋寅泰が出たときは期待したんですが。
*61<435>「ドリヴン」
レニー・ハーリン監督。シルベスター・スタローン。キップ・パルデュー。バート・レイノルズ。エステラ・ウォーレン。ティル・シュワイガー。
レースに生きる男たちの孤独と友情。若手レーサーがベテランを追い上げている。だが、突然のスランプにオーナーは助っ人を連れ出す。男は映画を極めたが、今は全てを失っている。彼は自らの復活をかけて若者のアドバイスを試みる。一方、ベテランは勝負への確執のあまり恋人を捨ててしまう。
てな感じでいろんな物語が展開するがどれも薄い。その代わり音がうるさい。とにかく落ち着きなく騒がしい。スタローンは作品に恵まれていないというか自業自得というか。
*62<436>「DENGEKI 電撃」
アンジェイ・バートコウィアク監督。スティーブン・セガール。DMX。アイザイア・ワシントン。
命知らずのはみだし刑事。副大統領を助けたのはいいが、不興を買って他分署に左遷。ワークショップの更正プログラムを受けるはめに。それでも単独捜査の癖は直らず。麻薬取引の現場に遭遇するうちに、警察の腐敗にぶつかる。そしてどんでん返しのうちに、大アクション炸裂というお決まりコースに。
今回のライバル役の黒人DMXはヒップポップ界のカリスマとか。そのせいかDMXをたてているが、なんだか中途半端。これもなんか脚本に難ありという作品。
*63<437>「キス・オブ・ザ・ドラゴン」
クリス・ナオン監督。ジェット・リー。ブリジッド・フォンダ。チェッキー・カリヨ。
製作はリュック・ベッソンだそう。
麻薬の中国人ブローカーとフランス人の仲買人を追って一人の男がやってきた。リウ。中国で最高の武術の達人の捜査官だ。パリの警官はリチャード警部。テヘラン事件で活躍した腕利きだ。だが、パリに警官たちはみんな悪徳警官で腐敗しきっていた。ドラゴンはたった一人でその悪をたたきのめすために立ち上がる。
ストーリーは滅茶苦茶です。こんな警察の腐敗が簡単にまかり通るとは思えません。フランスは先進国のはずですから。そして、ウブなドラゴンが強すぎる。娼婦の虐待はひどすぎる。
カンフーが売り物なのでしょうが、ブルース・リーの切なさがありません。強いて言えば、鍼治療を自在に操るのがユーモアか。キス・オブ・ザ・ドラゴンとは頂門の一針。首後の急所で頭の血が逆流するらしい。「レオン」や「ニキータ」と比較するのは無理というものだ。
*64<438>「蝶の舌」
ホセ・ルイス・クエルダ監督。マニュエル・ロサーノ。フェルナンド・フェルナン・ゴメス。
人は誰でも「あの時、あんな態度を取らなければ良かったのに」と悔やむことがあるのではないだろうか。少年の日、あんなにも慕った人に酷い仕打ちをしてしまった痛み。それが、なんの飾りもなく痛切に心に響いてくる。
スペインが共和派が王統派を凌駕していた束の間。それがフランコの軍隊の反乱でファシスト支配に移っていく時代。人々が今、その時の経験を深く思っていることが伝わってくる。
少年は自由を尊び自然を愛し探求心旺盛な老教師から多くのことを教わる。蝶の舌はゾウの鼻のようになっていること。愛する人を失うと心がカラッポになること。だが、アカ狩りで老教師が晒し者にされるとき、人々は自由の心を隠し、「アカ、アナキスト」「不信心者」と呼び、礫を投げる。少年もまた。だが、幼いながら、それがどんなにひどいことか知っているのだ。
静かなスペインの田舎町。生きている人々の姿、少年の心の揺れ、どれもが穏やかな自然光の中で輝いている。この作品に心打たれずして、何を見ようものか。
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