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北海道文学を中心にした文学についての研究や批評、コラム、資料及び各種雑録を掲載しています

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シネマミーハーらくがき帳 1999〜2003
 なんというか、映画に嵌まっていた頃があり、雑文を書きまくっていた。

 シネマ・グラフィティ・ノート 2002年 その1  

*1<471>「耳に残るは君の歌声」
サリー・ポッター監督。クリスティーナ・リッチ。ケイト・ブランシェット。ジョニー・デップ。ジョン・タトゥーロ。
 1930−40年代。ロシアからイギリス、フランス、そしてアメリカへ。父を求めて一人のユダヤ人の少女のたどる人生。父親から教わった歌。それを歌えることになった少女はパリでさまざまな人々に出会う。
 イタリアからやてきたオペラ歌手。ロシア人ダンサー。馬を操るジプシーの青年。ユダヤ人の演出家とアパートの老婆。それぞれに生きることの重さを背負っている。
 静かに押し寄せるナチの暴虐。あまりにも陳腐な父親と娘の再会。それでも、ユダヤ人とジプシーのラブロマンスに、時代を遡っての切なさを感じた。

*2<472>「スパイキッズ」
ロバート・ロドリゲス監督。アントニオ・バンデラス。カーラ・グギノ。アレクサ・ヴェガ。ダリル・サバラ。アラン・カミング。
 なかよしだけの両親と思っていたが、実は2人は腕利きの元スパイだった。ところが、ある日、2人が悪の組織に連れ去られてしまう。そこでパワフルな姉と、いささかとろい弟が救出のために立ち上がる。
 家族愛とスパイ映画へのオタッキーぶりにあふれた快作。なにしろ悪の組織のボスは子供テレビ番組のスター。フェチ感覚いっぱいの変人。なにしろ親指ロボットのサム・サムが大暴れするのだから。さらにスパイと言えば小道具。コンピュータ・サングラスやらグッピーのシーマシンやらジェット・リュックやら。そうした子供のファンタジーとバンデラスのラテンのノリが同時平行で進む。
 ジョージ・クルーニーも友情出演しています。監督は「パラサイト」でメガホン。
 
*3<473>「青い夢の女」
ジャン・ジャック・ベネルックス監督。ジャン・ユーグ・アングラード。エレーヌ・ド・フジュロール。ミキ・マノイロヴィッチ。
 精神分析医師が経験する奇妙な倒錯の世界。
 彼の元にやってきた美人の人妻は体中にアザがあり、しかも盗癖があった。夫は暴力でしか妻を愛せない。しかも裏稼業の顔を持つ。ひょんなことから話を聞いて眠ってしまった診断中に女は死んでしまう。その遺体を隠すために悪戦苦闘する。つきまとうホームレス男。元同級生の警察官。そして精神分析医を分析する精神分析医。すれ違い状態の恋人の女流画家。
 意外な結末とほっとするラスト。
ミステリーとサスペンスとエロスとユーモアのあふれた快作だ。

*4<474>「千年の恋 ひかる源氏物語」
堀川とんこう監督。早坂暁脚本。吉永小百合。天海祐希。常盤貴子。森光子。渡辺謙。高島礼子。松田聖子。
 福井の国の貴族の未亡人となった紫式部が藤原道長の娘彰子の教育係となり、京に出る。そこで紫式部は「源氏物語」を語りながら、理想の女性像を教える。作者と物語の登場人物・光源氏がシンクロしながら平安の世の男と女の心模様を描き出す。
 光源氏役の天海祐希さんはさすが元宝塚の男役らしく、美男子ぶりが見事です。考えてみると、これは色好みの男の物語。濡れ場もいっぱいなのですが、やはり同性愛に見えてしまいます。
 源氏入門としてはよくできていると思うのですが、物語のダイナミズムというものが全くありません。元々、源氏物語がそういうものなのですが、いささかカタログを見せられた印象が否めません。
 紫の上役の常盤貴子さん。これが今ひとつ、はまっていない感じでした。女たちの嫉妬の生き霊役の松田聖子。それはいいのですが、歌がどうもインパクトなし。音楽担当の方はどうなんでしょう。最後に吉永小百合。女優は結局、無意識に演じている頃が最高というのは悲しい事実のような気がしました。

*5<475>「O(オー)」
ディム・ブレイク・ネルソン監督。ジョシュ・ハートネット。マカーイ・ファイファー。ジュリア・スタイルズ。
 シェイクスピアの「オセロ」を現代劇に翻案したもの。
 黒人のオーディンはバスケのスーパースターで白人の学校に入学が許される。彼の活躍でチームは大躍進を遂げる。コーチは大喜びだが、その息子は父の愛を奪われたと思い面白くない。それで、オーディンの友人やガールフレンドらを狡猾に操り、オーディンを陥れていく。そして、騙されたことを知った時には、ガールフレンドを手にかけてしまっていた。
 いかにも、これでもかこれでもか、と罠を仕掛けていくのが見ていてじれったいやら腹立たしい。なんで騙されるんだよう、と言ってやりたいが。それにしても、銀座シネパトスには客は10人足らず。底冷えがしたのはなぜだろう。

*6<476>「シャンプー台の向こうに」
パディ・プレスナック監督。ジョシュ・ハートネット。アラン・リックマン。ナターシャ・リチャードソン。レイチェル・リー・クック。レイチェル・グリフィス。
 英国の田舎町。何もないところで町おこしとして市長が誘致したのが、美容師コンテスト。なんじゃ、そりゃあ、って、みなさん、シラケます。でも、地元サロンチームが出場してから大盛り上がり。
 そのチームというのが、親子の美容師に、元妻と元モデルの同性愛カップルの4人。このこじれた人間関係に、元妻の難病、かつてのライバル、幼なじみの娘も加わる。クシとハサミを使っての熱闘甲子園的なおもしろさ。
 とにかく市長もどんどんハイになっていくなどお笑い要素もいっぱい。レイチェル・グリフィスの最後のド派手カットも凄いっす。ジョシュ・ハートネットは「O(オー)」にも主演していましたが、こちらの方がかっこよかった。彼は「パラサイト」に出ていたのだ。楽しい映画でした。丸だなあ。

*7<477>「フロム・ヘル」
ヒューズ・ブラザーズ監督。ジョニー・デップ。ヘザー・グラハム。イアン・ホルム。ロビー・コルトレーン。
 19世紀末のロンドン。「切り裂きジャック」が町を騒がせていた。狙われていたのは5人の娼婦。それに元娼婦と娘。さて、高価なブドウとアヘンを餌に、娼婦たちを次々と餌食にする犯人の狙いは何か。
 決然と立ち上がるのはアヘン吸引で未来を透視できるアバーライン警部。彼は娼婦の一人メアリ、それに王室の侍医らの協力で公安部の不審な動きに迫る。そこには王室のスキャンダルと悪の組織フリーメーソンが暗躍していた。彼は切り裂きジャックの魔の手から女たちを救えるのか。
 本当の最後ははっきりしないのですが、たぶん無理だろうなあ、というのが私の推測です。それはともかく、前頭葉切除の精神病治療やら、フリーメーソンの儀式やらが興味をそそります。王室と権力者、その取り巻きのえげつなさも不気味です。必ずしも救いはないのですが、なんか心に残りました。

*8<478>「仄暗い水の底から」
中田秀夫監督。黒木瞳。菅野莉央。小口美澪。水川あさみ。
 鈴木光司原作だそうだ。
 それにしても。マンションの不気味さは、そりゃあ、あるだろうがね。借りた部屋は水漏れする、上の部屋は誰もいないのに水浸し、屋上のタンクからは水があふれている。エレベーターまで水漏れしている。それなのに管理人も管理会社も何もしない。そんなマンションで住民が全く怒らないなんてことがあるか? まったく漫画的な設定だろう。
 いいよ、母親が死の世界に引き込まれていくのも。だけどよ、彼女には精神科への通院歴がある、夢遊病があった、頭痛で薬を飲んでいる、両親が離婚しているとか、思わせぶりの偏見をいっぱい配置して面白いのかよ、って言いたいね。
 黒木瞳のいらついた演技、それにロリコン向きの幼い娘の姿しか印象に残らない。こんな映画が音響効果で人を脅かしたからって、むなしい。 

*9<479>「息子の部屋」
ナンニ・モレッティ監督・脚本・主演。ラウラ・モランテ。ジャスミン・トリンカ。ジュゼッペ・サンフェリーチェ。
 2001年カンヌ映画祭パルムドール賞受賞作。
 この単調さはなんなんだあ、っていう不思議な映画だ。精神科医の父は突然、潜水事故で息子が死んだことを知らされる。母は混乱し、娘はつとめて平静を装う。混乱のように紛れ込むのは、相談にやってくるクリニックの患者たちの声だ。そこでは精神を病んでいるのは患者ではなく、医師のほうであるということか。
 そんな単調に息子のガールフレンドがやって来て、彼の部屋で撮ったポートレートを見せられる。その触れ合いを通じて家族たちは吹っ切れたように再生に歩み出す。しみじみと伝わるのだろうが、それ以上の魅力は私には感じられない。

*10<480>「オーシャンズ11」
スティーヴン・ソダーバーグ監督。ジョージ・クルーニー。ブラッド・ピット。ジュリア・ロバーツ。マット・デイモン。アンディ・ガルシア。
 おなじみオーシャンと11人の仲間たち。ラスベガスのカジノを襲い、地下の金庫室からいかに1億5000万ドルを無傷で奪うことができるか。
 コンピュータやらカー・メカやら爆弾やら軽業やらの手練れたちが大集合。出所してきたばかりのオーシャンの指示のもと、別れた女房の愛人のカジノ王に復讐を果たす。厳重な警戒網を破っての侵入は見事だが、ひとつひとつ観衆の意表を突くのも面白い。
 「エリン・ブロコビッチ」「トラフィック」で見せたソダーバーグの映画術はここでも完璧。詐欺師のブラッド・ピットはクルーニーの相棒役を軽々と演じている。ブラッド・ピットは誰かの弟分的なポジションの時は、いい味を出す。

*11<481>「WASABI」
ジェラール・クラヴジック監督。ジャン・レノ。広末涼子。ミシェル・ミュラー。
 ご存じリュック・ベッソン製作・脚本。
 記者会見で広末がジャン・レノに泣きついてしまって話題を呼んだが、実は映画の中でも、広末は泣いてばかりでした。
 ストーリーを一応。フランス警察の刑事をしているユベールは、すぐパンチを飛ばす乱暴者。おかげで休職させられたところに、19年前に別れた日本人の恋人ミコの死を知らされる。東京に飛んだユベールを待っていたのは自分とミコの忘れ形見の娘ユミと2億ドルの預金だった。ミコの死に不審を抱いたユベールとユミは謎の組織に襲われる。といってもインチキくさいストーリーです。
 ワサビをビールのつまみで食べるジャン・レノはヘンです。監督らは「Taxi2」のメンバーで、そういえばニンジャしてましたね。軽さは同じ。で、広末。演技は浮いてますが、瞬間的に可愛い表情があるので、キュートです。
 
*12<482>「地獄の黙示録・特別完全版」♂♂
フランシス・フォード・コッポラ監督・製作・脚本・音楽。マーティン・シーン。マーロン・ブランド。ロバート・デュパル。
 長いね。3時間23分だって。一瞬、寝たり(カーツの帝国の場面がややくたびれる)トイレにいきたくなったけど、凄かった。
 「プライベート・ライアン」の冒頭リアリズムも凄いが、やはりナパーム弾を打ち込んでサーフィンの空の騎兵隊の狂気ぶりやプレイメイトの戦場慰問風景などがなんともセックスと暴力のリンクを浮き彫りにしています。
 今回はフランス人入植者の一族の物語が付け加えられています。恋愛もちょっと入って、ロマンの香味も加わりました。植民地主義者の末路と帝国主義の虚妄を痛烈に指摘します。これは、アメリカ人にはあまりに耳が痛いので、カットされたのかもしれない気がしました。
 完全版だけに、わかりやすくなりました。でも、その分冗長にも感じました。プラスマイナスでいうと、それでもプラスではありましょう。あらためて、人間の心の狂気、それを爆発させる戦争の核心を思い知らされます。

*13<483>「ソウル」
長沢雅彦監督。長瀬智也。チェ・ミンス。キム・ジヨン。
 「ホワイトアウト」「シュリ」のスタッフが贈る新世紀フルメタル・アクション−−とか。しかし、韓国語をいちいち日本語に訳してじれったいじれったい。話はまだるっこいし、簡単に警察のコンピュータが破られたり、現金強盗が信じられないくらい発生したり。なんともしまりないこと甚だしい。
 日韓の壁を超えた刑事ドラマなのだろうが、礼には礼を、時間を守ろう、目上の人を敬おう、みたいなテーゼも目障りだ。日本の新左翼と韓国の民族運動が結びついた強盗団を操っているのが、マネートレーディングに失敗した銀行役員だとは。薄っぺらいのだね。
 いつかカタルシスが来るかと待ち受けたが、ついに欲求不満のまま。せめて男の友情より、通訳の女性警官との恋でもと期待したがそれもなし。困った作品だ。

*14<484>「ジェヴォーダンの獣」
クリストフ・ガンズ監督。サミュエル・ル・ビアン。ヴァンサン・カッセル。モニカ・ベルッチ。エミリエ・デュケンヌ。
 18世紀中葉のフランス。王侯・貴族の支配体制は崩れ、次第に自由の風が吹き始めていた。啓蒙思想に寛大な王に対して、あくまでも旧体制を守ろうとする教会・貴族の動きがあった。そんな時、南部のジェヴォーダンで謎の巨大な獣が村人たちを襲う事件が頻発した。解決のために中央から遣いが送られた。
 その中に文武に優れた博物学者とインディアンの2人がいた。2人は地元の貴族に助けられ、獣を追いつめようとするが解決のめどは立たない。真相に迫ろうとして、インディアンの青年は命を奪われてしまう。邪悪な意志の持ち主たちを博物学者は破ることができるか?
 重厚な作品です。なんか際物っぽさを恐れていましたが、どっこい大した力作です。時代背景(王制が崩れる過渡期)とフォークロア的恐怖をうまくミックスさせているのです。ロマンスも二色あり、とりわけ娼婦にして法王の密使たるモニカ・ベルッチが官能的な美しさがあります。「マレーナ」とは別の魅力があります。そして、インディアンの青年を登場させて、香港映画のカンフーをうまく使った格闘シーンは「グリーン・ディスティニー」なんかの香りも。スケールが大きくて嫌みもなく、素敵な演出でした。

*15<485>「助太刀屋助六」
岡本喜八監督。真田広之。鈴木京香。仲代達矢。村田雄浩。小林桂樹。岸部一徳。岸田今日子。
 岡本喜八77歳の作品。短い。
 武家の仇討ちの助っ人で稼いでいる助六。それにも飽きて亡き母の墓でも建てようと生まれ故郷の上州に帰ってきた。そこで、関八州の役人みなを敵に回した武士に出会う。彼は役人稼業の袖の下が許せず同輩を斬り、上役ににらまれた。だが、その男こそ助六の探していた父親であった。殺された後にそれを知った助六は幼なじみの娘の助力も得て、仇討ちに乗り出す。
 「お上は信じられない」とアフガン復興会議で嫌がらせされたNGO代表が述べたそうだ。この映画は権力をカサにきた役人に、風来坊が立ち向かう爽快感がある。これぞ岡本喜八の活動屋の美学か。真田広之のハッスルぶりばかりが目立つ。それでも脇を重厚なメンバーで固めて、監督の徳を見せる作品に仕上がっている。

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