<某月某日>
風邪。休日。静かに読書。「JRの妖怪」なる内幕もの。陰湿でいかんな。あそこは。
<某月某日>
風邪抜けず。体を動かせばなんとかなるという感じ。まあ、風邪は自律神経失調の典型的症状であり、オレのように、虚弱体質の上、繊細なタイプには宿命みたいなもんだ。子どもは風の子、オレは風邪の子。銀座のクリニックで診察受けて、胃薬と風邪薬もらう。気休めだな。
<某月某日>
体調さえず。肩凝りひどい。腕は上がらず。積年のパソコン背負っての通勤の報いがこんな形ででたのであろう。膏薬貼れども効果なし。会社に出るも、馬車馬のように働き、疲れて帰る。過労。消耗せり。こういう文章を書いていると、「病人でもないのに大袈裟になんでも書くから、知らない人はびっくりするから、止めてほしい」と奥さんに怒られてばかりいる。まあ、話半分だということは、私の読者なら皆さん承知のことだ。
<某月某日>
寝不足で頭痛。朝起きて、地下鉄で浅草橋、JR線を乗り継いで、新宿から長野県の茅野へ。バスで白樺高原緑の村へ。知人のOさんの別荘にお邪魔する。近くのかっぱ温泉で露天風呂でゆったり。にぎやかに手作り宴会。その後、麻雀三昧。久しぶりに牌を握ったので完敗する。
Oさんは今は大学の先生をしているが、70年代は新左翼運動の最前線にいた。つらく長い裁判を抱えてもいた。そのひとが透谷を語り、詩をそらんじる。そして、夫婦2人だけの暮らしの「いきがい」にセカンドハウスを、緑の村に作り、人生を静かに歩んでいる。借金だらけの身であるが、「オレもあんなセカンドハウスが欲しいな」と思った。大それた夢だろうか。北海道に帰ったら、ニセコかどこかに山荘を買って、週末は車でそこに行き、本を読み、ものを書き、友達を呼んで暮らす。そんな夢って、素敵じゃないか。晴耕雨読なんてのは他人事だが、いいかもなあ。
<某月某日>
全身倦怠。自宅でパソコン整備。古平のトンネル事故での犠牲者は20人全員が死亡。悲惨なり。役所の対応の官僚的な姿ばかりが嫌がおうにも目立ち、が怒り以上に情けなく見えてくる。世の中に理想的な死に方なんて、ないだろうが、石の下敷きになって好奇の目にさらされながら、死ぬのはなんとも辛い。だからといって、病院のベットで何もわからない状態で、周囲に迷惑をかけ続け、モルヒネをただ痛みを取るだけに打たれ続け、死んでいくというのも、ゾッとしない。生きることと同様に、死に方が難しい時代になっている。昔は倍差し握ってバッタリ倒れ、整理部デスクの怒号の中で息を引き取るってのを悪夢で見たものだが。
<某月某日>
霞み目ひどい。怒りで精神昂揚したせいか、疲労消えず。不快症状にいらつく。ぶらり散歩。
オレの住む東駒形という町を見ていると、かつては下町の職人さんたちが、いろいろな細工物を作って暮らしていたというプライドが感じられる。だが今は本当に廃屋が目立つ。職人さんたちの仕事は自営だったのだろうが、結局は大手の下請けに組み込まれ、その後の円高による産業構造の国際化・空洞化によって、労賃の安いアジア諸国に下請け仕事を取って代わられ、バブルで法外な地価だけがつけられ、仕事がなくなった工場は立ち退いてしまったのだろう。それでも、毎週のようにガレージセールが開かれ、ちょっとした倉庫を利用してアパレルメーカーの下請け工場がキズモノや型落ち品を安く売り出している。まだ、頑張っているぞ、との意志表示のようなもので、哀しくも面白い。
<某月某日>
二日酔い。休日。会社のアルバイトの若者たちで作っている野球部に、なぜか加えてもらっている。夜勤あけで眠い目をこすりながら、荒川の河川敷のグラウンドへ。
隅田川に比べると、荒川は風情がない。なんというか、ちょっと繊細さに欠ける。隅田川には桜と屋形船が似合うが、こちらは葦原ばかりだ。その分おおらかである。だから、広い河川敷で野球もできる。何事も一長一短か。みんなでソフト大会を午前中いっぱい。堀切菖蒲園近くのファーストフード店で打ち上げの昼食。若い人は元気でいい。こちらは足腰が痛い。トシだな。なのに、近くのボウリング場に行こうなどと、調子に乗る。幸いにも大混雑で1時間は待たないとゲームはできませんとのこと。ラッキーである。
<某月某日>
風邪気味。大先輩のKさんの送別会。10年ほど前に東京に初めて来たころからお世話になってきただけに、感慨深い。幹事長をさせられる。30人近くが集まり盛会なれど、体がだるいので早めに帰る。千円の会費を取ったら、文句を言う人がいた。その程度の金など細工して浮かせればいい、と考えているらしい。だが、それは違う。会社生活にどっぷり浸った人に、自腹を切る、手弁当で参加する、参加者はだれもが主人公であるという、全共闘の作風を望むのは無理か。送別会の大成功を確認するためにも、一人のちからででも講演録を作ろうと決意する。この辺の意地っ張りのところが、オレはオレ自身だが、そこが好きだ。
<某月某日>
運動不足。昼起きて、午後から東銀座。パチンコ勝つ。パチンコは楽しいが、疲れる。勝っても負けても2時間がオレは限度だ。それにしても、日本の最先端の液晶技術、半導体の集積回路のチップ技術が、全くのギャンブルのために用いられているというは、どう考えたらいいのだろうか。しあわせなニッポン!
<某月某日>
気鬱。オウムの中川智正被告の公判で坂本弁護士殺害事件の審理始まる。殺人現場の再現が続く。なんともいやな話だ。本当は中川には自分の殺人という行為は忘れたくてしょうがない経験であるに違いない。だれもがそうした経験を一つや二つはイコンとして持っているだろうから。それが犯罪であるが故に、改めてトリヴィアルな部分まで思い出さされる。殺すも殺されるも地獄というべきか。
<某月某日>
二日酔い。最悪。だるい。もう酒をやめると誓って、結局酒を飲んでは苦しんでいる。意志薄弱は病気だあろうか。会合あるので会社に出るが、疲労。早々と帰宅。寝たり風邪薬飲んだり。やや楽になる。
<某月某日>
なぜかハイ。休日のせいか。久しぶりに秋葉原を訪問。富士通のパソコンFMVデスクパワーSXを購入。P575。なかなか速い。いきなりWIN95までインストール。それにしてもペンティアムでクロック75メガヘルツという、オレがパソコンを始めた4年くらい前には全く考えられなかった超高速のCPUが、すでに遅いくらいというのだからパソコンの世界の技術進歩というのはすさまじい。
オレは今でもDOSソフトをダイナブックSX386で使っているが、決して不便ではない。結局、良くも悪くもマックが進めたGUI表示というものが、パソコンを変えてしまった。マックはウィンドウズの前に没落していくではあろうが、形を変えウィンドウズの中にマック的なものは生きている。マックは簡単便利などと言うけれど、パソコンの素朴さを失わせたマックの罪はとてつもなく大きいというべきか。
<某月某日>
風邪抜けず。調子悪い。O・Nさんの出版記念会。「更年期」は「光年期」とか。女の人はしぶとい。男は坂道を転げ落ちていくだけだからなあ。
Hさん、Mも来る。だるい。沖藤さんのダンスにビックリ。お茶飲みながら、世間話。小生の目指すは小説である、と宣言。でもいつのことやら。放言病か。
<某月某日>
倦怠。調子悪い。T新聞の整理部で勉強会。本社がつぶれたら東京が新聞をつくるのだとか。北海道より、東京の方が先に壊滅するのだろうに。
<某月某日>
疲労ひどく飛行機の中で熟睡。久しぶりの札幌出張。昼前に地下街でカレーライス。パスポート用の戸籍抄本の請求する。自宅マンションを見に行く。俗化はなはだしい。札幌にもずいぶんパソコンショップが増えたのに驚く。札幌駅西口のヨドバシカメラを覗きFAX用紙、キーボードカバーなど購入。札幌は東駒形に比べると、きれいな町だ。
<某月某日>
肩凝り。新宿で戦友会のようなサークルの忘年会。現在は市民運動らしきものを中心にやっているS派のA親分まで来ている。両派大動員でなかなか壮観である。もっとも、オレらはセクトの構成員でもなく外野席の野次馬というか門外漢であり、翻訳家のT君、装丁家のI君の3人で早々に敵前逃亡。ゴールデン街に移動して飲み直し。疲れる。
あの人たちはいろいろ分裂したが、根本的に内ゲバをしても「仲直りをするために喧嘩するのだ」というのが、革共同との違いだろうか。
<某月某日>
腰痛。国会で薬害エイズ集中審議。原稿に追われクタクタ。それにしても厚生省も御用学者も製薬会社もひどい。誰もまともに責任をとらず、HIVに感染させられ、エイズになるんじゃ恨んでも恨みきれない。責任者は全員実刑もんだ。この国は小さな差異が大きな差別を生む。
<某月某日> 腰痛ひどい。オウムの麻原彰晃被告の初公判があるので、札幌からも応援部隊来てにぎやか。麻原彰晃被告の初公判。早めに出て、応援作業。腰痛ひどい。
麻原はなんともひどい。唯一「絶対自由」的境地を語るものの、半仏教的発言に過ぎぬ。原始仏教から密教に至る常識論的解説でしかない。これじゃだめだ。なぜ、もっとも語るべきことを語らないのだ。思想と実践のラディカリズムをなぜ、最高の鞍部で語らぬのか。麻原公判2日目。冒頭陳述は検察がこれまで繰り返していたことの反復。麻原はオウムというより仏教のエッセンスをただ語っただけ。オレが聞きたいのはそんなことじゃない。思想と行動を抽象化するな。
<某月某日>
肩と首の痛みやまず。整形外科で検査。特にレントゲン検査でも、骨には異常ない。リハビリと貼り薬もらう。良くなったのか悪くなったのか、今一つ定かではない。
<某月某日>
風邪。伊藤整文学賞は柄谷行人の「中上健次と坂口安吾」と松山巌の「闇のなかの石」に決まる。柄谷はいままで、くだらない本を多く書いてきたが、この本だけは柄谷の肉声のようなものが素直に聞こえて良かった。
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●東駒形便り
オレの住んでいる東駒形という町を見ていると、かつては下町の職人さんたちが、いろいろな細工物作って暮らしていたというプライドが感じられる。だが今は本当に廃屋が目立つ。
職人さんたちの仕事は自営だったのだろうが、結局は大手の下請けに組み込まれ、その後の円高による産業構造の国際化・空洞化によって、労賃の安いアジア諸国に下請け仕事を取って代わられ、バブルで法外な地価だけがつけられ、仕事がなくなった工場は立ち退いてしまったのだろう。それでも、毎週のようにガレージセールが開かれ、ちょっとした倉庫を利用してアパレルメーカーの下請け工場がキズモノや型落ち品を安く売り出している。
まだ、頑張っているぞ
との意志表示のようなもので、哀しくも面白い。
東駒形から隅田川にかかる吾妻橋を渡ると浅草だ。隅田川に比べると、荒川は風情がない。なんというか、ちょっと繊細さに欠ける。
隅田川には桜と屋形船が似合うが、あちらは葦原ばかりだ。その分おおらかでもある。
だから、広い河川敷で野球もできる。何事も一長一短か。
さて東駒形である。相撲部屋だけは相変わらず活気がある。着物姿で歩く若い衆はなかなか大変なものである。街は異形の者がよく似合う。「このあたりは随分、変わりわりましたね」とタクシーの運転手。色街のはずれの風情が昔はあったということらしい。そういえば、怪しげな小さな宿屋がそこらじゅうにあるのはそのせいか。
もっともオレが1982年から居を定めた札幌・二条市場の界隈だって、なかなかの闇の都市のなごりがある。街の奥は深く闇も深い。としてもオレは誰よりもこの街が好きだ。
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<某月某日>
冷や汗。日光へ仕事。夕食会でフランス料理。たいして旨くないというのは、オレが田舎者だからか。仕事は順調で完璧。散歩に出る。夜の中禅寺湖というのは全くなにもないところだ。未明、心臓苦しく、目を覚ます。
<某月某日>
気鬱。黎の次号案内届く。慄然。
Hさんはオレがクロカンを高く評価する、と書いたと、怒っている。だけど、オレは主体性哲学者としての初期クロカンについて述べただけで、クロカン総体について「だが、それは結局、プロレタリア的人間の論理とセクト的組織論と密接不可分であり、それが独善=唯我独尊の派閥として現象していることを無視できないわけだ。だから、黒田思想と党派組織を区別しようといっても現在的には意味がないのだ。黒田理論の帰結が選民意識丸だしの党派そのものなのだ」と指摘しており、そこを無視しての反応は誤読と思うのだが。
もう一人、Iという人がオレが「偏っている」とか、文章に酔っている、とか愚にもつかないことを書いているのを知った。なんと言われようと構わないが、一応、等価返礼をするのはオレの流儀だ。芸のわからない人には少しは「文」の「芸」の読み方を説明しておきましょうか。オレが偏っていることはすぐ分かることだろう。オレの文章の狙いはある種の事象を偏光レンズを通して見たら、どんなバイアスがかかるか、というところにある。本当のこともあれば嘘もある。坪内逍遥先生、二葉亭四迷先生以来のリアリズムとフィクションがせめぎあうダイナミズムを私小説家同様に、目指している。そこのところをクソリアリズムで読まれてしまったら「芸」は成立しない。ちなみに小生の師匠は「芸の理論」を唱えた伊藤整であることは言うまでもない。
歴史を反省していない崩れスターリニストが言いそうな口ぶりには、うんざりだ。
<某月某日>
体がだるい。早々と秋の人事をめぐり周囲が慌ただしい。会社人間といっても仕方がないが、サラリーマンはつらい。オイラも転勤の噂でいっぱい。ちぇつ、くだらねえ。あれ、これはこの前も書いたっけ。当分、楽しみは病気道楽だけか。
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